第二話 僕の正体
「ぎゃっ」
「……なにやってるの」
突然すぎて、彼女の分厚いブーツの踵にぶつかって、情けない声が漏れた。頭上から呆れた声が降って来た。
「さ、着いたよ」
言って、シェラが何の変哲もない石壁をコツコツと指の背で叩いた。途端に、今まで沈黙を保っていた巨石たちが、小刻みに震え出す。
「うわわっ」
「平気だから、見てて」
「ふにゃあああ!?」
突然のことに仰け反ると、背中から細い手で抱き上げられた。急激に視界が広がる。気が付けば、僕はシェラの薄い胸の間に収まっていた。
その間にも、石壁は動き続ける。小刻みな震えはやがて、壁の真ん中に天井から床までを細い亀裂貫かせた。そして、バキバキと音を立てて、亀裂がゆっくりと広がる。
「すごい……」
亀裂は、シェラが三人くらい並べるくらいの広さまで開いて動きを止めた。奥に続くのは、新たに見えた石畳。その広さは今までの通路三本分はある。薄暗い石廊とは打って変わって、昼間のように明るいその平らな道の上を、無数の異形たちが闊歩していた。
ふと視界が暗くなる。見上げると、シェラが銀髪を垂らしてのぞき込んでいた。その端正な顔には似合わない、小さな子供のような得意げな表情だった。
「ようこそ、私たちが住む街、『アルッドゥラの迷宮街』へ!」
「え、あ……」
どう返したらいいのか分からず、ふりふりと頭を振っていると、シェラは僕の体を肩に持って行った。
「ここからは人混みが酷いから、肩の上でも頭の上でも好きなところに乗ってて」
彼女の華奢な肩の上から、色とりどりの人外の群を一望して、僕はおとなしく彼女の肩にしがみついた。
「うわ、シェラって耳も長いんだね」
「そうだよ。敏感だからあまり触らないでね」
うずうずと伸ばしかけていた肉球を引っ込める。
街はとても栄えているようだった。多くの魔物が歩く大通りの左右には色とりどりの旗を掲げた屋台が立ち並び、骸骨やトカゲ男、肉球三つ分くらいの小さな妖精なんかが色々な軽食や雑貨の類を売っている。頭上では、さっきのじめついた暗い石廊が信じられないような高い空が広がり、燦々と三つの太陽が輝いていた。
「まずは神殿にいこうか」
「神殿?」
「ああ、キミが何という種族で、どういう力を持っているかを調べないと」
そういって、シェラが人混みを避けながら足を向けたのは、通りのさらに奥に進んだ場所だった。途中、円形の大きな広場を通り過ぎた先にあったのは、真っ白な太い柱がいくつも立ち並ぶ、大きな白亜の宮殿だった。シミ一つ無いその巨大な建造物は、三つの太陽の輝きを受けて、銀色に輝いていた。眼前にはなだらかな階段が続いて、そこを歩く無数の魔物たちが大きく口を開けた神殿の内部へと吸い込まれている。シェラも僕を肩に乗せたまま、その河の流れに身を任せた。
「ここではね、ミュゲットという種族の魔物たちが神官として働いているんだよ」
神殿の内部、高い天井のエントランスを歩きながらシェラが解説してくれた。
「ミュゲットというのはね、万物を見通す眼を持っているのさ」
看破の魔眼と呼ばれるその特別な力を以て、ミュゲットの神官たちは魔物たちの種族や力を見極めるのだそうだ。
「一番最初に興った『レミンゲンの迷宮街』も、一人のミュゲット神官が立てた小さな神殿を元にダンジョンマスターが中心となって発展したんだ。『審理のミュゲット、開闢のレンゲルド』といえば、迷宮街発展に最も尽くしたと言われる二大種族だよ」
「へぇ。……ちなみに、シェラはなんていう種族なの?」
そう聞くと、シェラは白い指で細長く水平に伸びる耳をなぞった。|
「私はレテュードっていう種族だよ。魔力の扱いに長けた、精霊と対話できる種族の一つ」
「レテュード……」
一見した限りでは、シェラはほとんど人間と変わらない姿だ。違うところと言えば、細長い耳と、コートの下から伸びる細いトカゲのような尻尾だけだ。始め石廊で出会ったときは尻尾には気づかなかったが、彼女の後ろを歩いているときにコートの裾から先っぽが少し見えていた。
「はい、それじゃあ私が付き合えるのはここまで。あとは自分で行ってきな」
「え?」
ぼんやりと小刻みに動く彼女の耳先を追っていると、突然動きが止まる。彼女の顔を見上げると、視線はエントランスの奥へと続く廊下を指していた。
「付いてきてくれないの?」
「ここから先は、部外者禁止。ミュゲットの神官とキミみたいな審判を受ける魔物しか入れない」
「えぇ……」
そういうと、シェラは僕を肩からおろして、エントランスの向こうへと歩き出した。銀色に流れる髪が、にやにやと笑っている気がした。
ここにいても、仕方がないか。
おとなしく腹をくくって、廊下を進む。開放的なエントランスと違って、人影はめっきりと減り、ランプの光りが迷宮の石廊を彷彿とさせた。一定の間隔で案内の刻まれた金版が掲げられているのと、ほとんど分かれ道が無いおかげで迷うことは無かった。それよりも、床にしかれた赤いふかふかの絨毯に肉球が埋まって歩きづらいことのほうが大変だ。
「やあ、君も新入りかい?」
「あやっ!? ど、どうも」
もふもふと絨毯の上を跳ねるように歩いていると、不意に声を掛けられた。慌てて顔を上げると、真っ白なぬめぬめの表皮が視界を覆った。向かい側からやってきたのは、さっき迷宮で見た回収屋と同じ種族らしい、ワームだった。
「初めまして、あ、オウカっていいます」
「オウカかぁ、君は審判前なのに名前があるんだね」
「名前?」
「僕はねぇ、お父さんとお母さんがミュゲットの神官さんに付けてもらいなさいって言うから、審判の時に名前を付けてもらったんだぁ」
「へぇ、そういうこともあるんだ……」
ワームの少年によれば、そういったことは多々あるらしく、ミュゲットの神官たちも心得ているそうだ。ちなみにワームの少年は、自分をアルモン族のカープと名乗った。
「それじゃあ、またどこかで会おうねぇ」
そう言って、カープはぬらぬらと体を揺らしながらエントランスへと向かっていった。そのつるりとした後ろ姿を見て、僕は絨毯が湿らないか心配になった。
カープ君と分かれてすぐに、廊下は突き当たりに行き着いた。大きな扉が立ちはだかり、そのすぐ上には『審判の間』とかかれたプレートが掛かっている。
「えっと、『審判を受ける方はドアをノックしてください』、か」
プレートの下に書かれた説明を読んで、おそるおそる爪の先で扉を叩く。コンコンと中空の丸太を叩いたような軽い響きが広がった。
「これでいいのかな……うわわっ」
一歩下がってお座りしていると、扉が音もなく開いた。思わず腰があがって、尻尾が膨らんだ。
「あ、次の方どうぞ~」
扉の奥から力の抜けるような声が届く。それに従って、恐る恐る部屋の中へと肉球を運ぶと、扉がまた音もなく閉じた。
「おぉ~、今度はネコちゃんですね~」
部屋は狭くて、薄暗かった。真ん中にテーブルが置かれていて、椅子が陰になって声の主は見えなかった。小さな子猫サイズになってしまったせいだ。
「それじゃあ早速始めますから~、椅子に座ってください~」
「は、はい!」
尻尾が落ち着きを無くしているのを感じながら、見上げるほど高い椅子に向かってジャンプした。なるほど身体能力もネコのようで、苦もなく革張りの椅子にお座りする事ができた。
「かわいいネコちゃんですね~。わたしはミリカっていいます~、よろしくお願いします~」
テーブルの向かいに座っていたのは、たれ目が特徴的な小さな女の子だった。法衣のような、青い縁取りのクリーム色の服を着て、若草色のふわふわの髪を細いヘアピンで留めている。この子がミュゲットの神官なんだろうか? 見たところ殆ど人間と変わらない外見だけど。
「それじゃあ早速視ましょうか~」
「よろしくおねがいします」
「はいはい~、楽にしててくださいね~」
ミリカさんが法衣の袖を持ち上げて、両手をこちらに向ける。指先が淡く光ったかと思うと、全身を春先の風のような暖かい力で覆われた。その心地よさに、つい瞼が重くなり……。
「はい、終了です~」
「ふにゃっ?」
次の瞬間には、感覚が元に戻った。おでこを突かれて目を覚ますと、ミリカさんがさっきと同じように垂れ目でほほえんでいる。
「ぐっすりでしたねぇ~、十分くらいお休みでしたよ~」
ミリカんの言葉に耳がぴくりと反応した。体感的には一瞬だったのに、十分も寝ていたようだ。ミリカさんは、少し疲れてたみたいですね~と目をさらに細めた。
突然ネコの体になって、未知の世界に迷い込んだら疲れもするか。思った以上に自分が疲労していたようで、同時にそれを感じないほどに興奮していたことに気づいた。
「それじゃあ、結果をお見せしますね~」
ミリカさんが、懐から紙を取り出した。和紙のような分厚い繊維質な紙で、見たことのない言葉が書き連ねてあった。
「あ、文字は読めませんか~」
「ごめんなさい」
反射的に謝ってしまうと、ミリカさんは大丈夫です~と言って、そこに書かれた内容を読み上げてくれた。
「えっとですね~、オウカさんはロッタン族ですね~。それで、【聖櫃】という力を持ってるみたいです~。それと、いくつか称号もありますね~」
僕がとても不思議そうな顔をしていたんだろう。紙から目を離したミリカさんは一つ一つ詳しく解説を添えてくれた。
「ロッタン族というのは~、魔獣系の種族で、個体数はあまり多くない少数種族ですねぇ。炎の魔力を操ることができるようですよ~」
「魔獣系?」
「はい~、魔物はその外見から魔獣系、亜人系の二つに分けられるのですよ~」
僕やさっきのカープ君のような種族が魔獣系、シェラやミリカさんのような種族が亜人系なのか。ミリカさんの説明では、そうして分けることによってそれぞれができること、できないことを明確にさせる意味合いがあるそうだ。多くの種族が共に生きる迷宮街ならではの考えなのだろうか?
「それで、【聖櫃】というのは~ごめんなさい~ぜんぜん分からないです~」
「へ?」
思わぬ答えに硬直した。なんでも、力は種族的に傾向はあるものの、大まかなものでしかなく、その上ロッタン族はあまり例のない少数種族らしいのでミュゲットの神官といえど名前くらいしか分からないらしい。
「それに、わたしの力が劣らないのもあります~。わたしの【観察眼】ではこれが限界で、上級神官の姉様たちならもっと分かると思うんですけど~」
そう言って、ミリカさんがおでこをテーブルにくっつけた。とりあえず肉球でぺたぺたと叩いて、頭を戻してもらう。ミュゲットの中でも力の差によって上級、下級と二つの神官に分かれているらしい。ミリカさんは下級神官で、上級神官の審判を受けようとすれば今回のような無料サービスではなく少なくないお金を取られるのだとか。
「わたしも早く上級神官になりたいですよ~、だから頑張って審判のお仕事してるんです~。なのに上級へと上がっていくのは他の子たちばかりで~」
下級神官から上級神官になるには、力を成長させて、【看破の魔眼】を得なければならないのだとミリカさんがボヤく。ぷっくりと頬を膨らませる姿はハムスターみたいで可愛いけど、彼女の愚痴が長くなる予感しかしなかったから慌てて口を挟む。
「そ、それで。称号っていうのはなんなんですか?」
「うにゅ~。あ、称号っていうのは、その持ち主を一言で表す紹介文みたいなものですよ~。名声の神ゲリアルが授けてくれるんですよ~」
「神様がいるんですか」
「そうですよ~? たとえば、魔物の持つ力は権能の神ゴリアルが授けるのですよ~」
この世界には、神様がふつうに存在するらしい。その事実を聞いて、僕は本格的に元いた世界とは別の場所に迷い込んだのだと実感した。もう、元の世界には戻れないのだろうか。
例え、戻れたとしても。僕の中にはおぼろげな記憶しか残っていない。戻る意味はあるのだろうか。
終わりの見えない自問自答を打ち切って、ミリカさんの方へと視線を戻した。
「それで、僕の持ってる称号は何だったんですか?」
その問いに、ミリカさんはおっとりとほほえんだまま答えた。
「【迷宮街の迷い猫】ですよー」