ライトノベルと高慢と偏見
ふと夜中にライトノベルについて考えてみた。
まずライトノベルとはなんぞや。ジョブナイルやヤングアダルトを含めた総称なのか。広義ではそうなのかもしれないが、ここでは可愛いイラストとセットになっている物をライトノベルとする。
初めに言っておけばもぐらはライトノベルをちょっとだけ読む人だ。何読んだかな。気に入ったのは入間人間の電波な彼女と青春男とかかな。学園都市アスタリスクはアニマックスでみて続きが気になって買ったかな。
なろうに登録した理由もライトノベルだ。本屋さんに売っていた【この世界がゲームだと俺だけが知っている】が気になって、でも友達といたので恥ずかしくて買えなかったのだ。
もぐらの周りにライトノベルを読むことを公言しているやつは一人もいない。そう、ライトノベルを所有することは、どこか後ろめたいのだ。
あの素晴らしいイラストの本をいい大人がレジに持っていくのが恥ずかしいのだ。あんなに綺麗なイラストなのにも関わらずである。
もぐらの周りにも自称オタクは沢山いて
「俺アニメとか好き」
「私ゲーム大好き」
みたいな人はいっぱいいる。
ライトノベルだけがいないのだ。
同じ本でも「あたしハルキとか読むんだよね、フン」みたいなインテリクソビッチはいる(ハルキ好きの人すいません。もぐらの友人のこの人もビッチではないです。ただの演出です)
ライトノベルだけがもぐらの周りにいないのだ。
「いやー俺バカだから活字とか苦手でさー。アニメが面白くても原作とか興味ないかなー」
嘘だ。
女子のちょっとだけ食べて「もう食べれなーい」と一緒だ。
「イラスト入ってる小説って読まないな」
嘘だ。
「女の子は男の子と違って◯◯◯ーなんてしないよー」と一緒だ。
みなもぐらと同じ様にエロ本とエロ本の間にライトノベルの一冊や二冊隠し持っているに決まっている。そうに違いない(偏見)
では、取り敢えず表紙だけ大人向けにすれば良いのか。
ライトノベル出身の桜庭一樹の直木賞受賞作「私の男」の文体はやはりライトノベルに近いかったと思う。
桜庭一樹と言えば代表作GOSICK。その実、ライトノベルと言っても過言ではないが、あんな表紙だと大人が買いやすい。
他にライトノベル出身だと有川浩の作品の表紙は理想的。どれもこれもオシャレで売れるのもわかる。
ライトノベルとは言いづらいが、森見登美彦の著書、命短し歩けよ乙女のイラストレーターさんとかは知名度も高くて、買いやすいと思う。
しかしだ。本当に好きな人は、あのキラキラした瞳の魔法少女のイラストが好きで堪らない人が殆どであろう。
オシャレ表紙にすることにより、本来のユーザーを逃しては元も子もない。寧ろ衰退する。
もぐらだって買いにくいだけで嫌いではない。電子書籍で同じ物が同じ値段ならイラストありを選ぶ。挿絵は時に想像の邪魔になることはあるけれど、あれはあれで良い物だ。
何よりアニメなら良くて、挿絵はNGみたいな風習はなんか嫌だな。
これはもぐらの狭い世界での話ですが、皆さんはどう思いますか?
余談ですが高慢と偏見は、昔読んだ洋書のタイトルです。タイトルに似合わずそこそこライトな作品でした。
たしか高慢と偏見は
プライドと偏見というタイトルで、映画になりました。