52.罠。
捕らわれた兵士達を救うため、自ら人質になることを選んだリリア。ガルロイの心中は………。
ガルロイは砦の見張り台の上にいた。
そこからは、かなり遠くまで見渡すことができる。彼の視界の中に、あちらこちらで上がる黒い煙が映っていた。ボルドビア軍に襲われた近くの村々から上がる煙だ。時折、焦げた匂いが風に運ばれてくる。
おそらく、ボルドビア軍が襲った村々はすでに人々が避難した後で、目ぼしい物も無く、腹いせに火を放っていったのだろう。
だが、ガルロイの険しい表情の理由はそれだけではなかった。彼が見つめる先には、ローラン国との国境へ向かおうとするベルンシュタイン国の王女リリアの姿があった。
その小さな背が護衛の騎士達の間で見え隠れしている。彼女は自ら人質になろうとしていた。それが捕虜となったベルンシュタイン国の兵士達を助ける唯一の方法だったからだ。
「くそっ! 罠だと知りながら、止めることも出来ないのか!」
ガルロイの握り閉めた右手がわなわなと震える。
王族と捕虜となった兵士との交換など、どのような国でも考えられないことだった。
しかし、リリアはシュティル国王の実子ではない。さらに、本当は誰の娘なのかも明かされていない。たとえ本物のリリティシア王女かもしれないという噂があったとしても、人は自分が信じたいものを信じようとする。
もし、リリアがこの条件を受け入れていなければ、初代国王の末裔を崇める貴族の中には、王族でもない者のために貴族である身内を見殺しにされたと憤る者もいたことだろう。貴族出身のガルロイには容易に考えられることであった。もちろん、今のガルロイには馬鹿な考えだと分かる。王族も貴族も民も皆同じ大切な命なのだから。
だが、その事に気付かされたのは、恥ずかしいことに行方不明の王女を探す為、城を出て民に紛れて暮らすようになってからだ。
しかし、貴族達にはそのことが分からない。その見えない溝がどんどん深まり、今まで築き上げてきたベルンシュタイン国の礎がいずれ崩れていたに違いない。まさにベルンシュタイン国の弱点をボルドビア軍側にうまくつけ込まれたということだ。
(………姫様はそのことに気付いていたのだろうか?)
ガルロイは震える右手を左手で掴み、胸に当てる。
(いや、おそらく姫様は、捕らわれた兵士達を、ただ助けたかっただけなのだろう)
リリアという少女はそういう人間だった。
だが、この少女はさらにガルロイを驚かせた。リリアはただ優しいだけの少女でなかった。彼女は、ボルドビア軍に、ベルンシュタイン国とローラン国との国境まで撤退するという条件を上げたのだ。その理由に国境に架かる橋の上で捕虜になった兵士達と自分が安全に入れ替わるためだとしていた。彼女は王都より援軍がかけつけるまでの時間を僅かでも稼ごうとしたのだ。
(さすが、アルフレッド陛下の血を受け継ぐ者だけはある………)
ボルドビア軍は抵抗すると思われた。
だが、拍子抜けするほどあっさりと後退してしまったのだ。その事にも、かなり驚かされたのだが、ひょっとすると、ボルドビア軍は焦っているのかもしれないとガルロイには感じられた。さすがに理由までは分からないが。
(戦とは、常に相手との腹の探り合いだ)
そうガルロイは思う。そして、読み間違えることは、負けを意味していた。
リリアは約束どおり安全な砦を出て、今、まさに敵の所へ向かおうとしている。
もちろん、捕虜の兵士達が偽物だと分かれば、すぐにリリアを砦へ連れ戻すよう手筈は整えている。
だが、敵もそう易々と見抜かせてはくれないだろう。
「くっ! なぜ、俺はこんなところに居らねばならぬのだ! クロウはこのような時に、何をしているんだ!」
ガルロイは声を荒げる。
ルイを護衛に付けたが、本当は自分がそばについて行きたかった。
しかし、他に砦を任せられる者がいなかったのだ。その鬱憤が、この場に居ない男へ向かう。黒い髪をした、ガルロイが唯一この世で一番強いと認める頼りになる仲間の男へ。
「ガルロイ殿」
ふいに背後から静かな声が聞こえてきた。ガルロイは振り返る。
そして、驚く。そこにはベルンシュタイン国の老将が二人の部下を従えて佇んでいたのだ。この東の砦を長年に亘って守ってきた男だった。
だが、彼もまた『眠り病』に感染していた。高齢だったこともあり、一時はシュティル国王と同じように意識が無かったのだ。
だが、リリアの薬が効き、一命を取り留め回復へ向かっていると聞いていた。それが、まさかここまで回復しているとは思っていなかったのだ。
しかし、その顔色はお世辞にも良いとは言えなかった。おそらく、彼に付き従っている男達か、別の側近からリリアの事を聞き、かなり無理を押してここまでやってきたのだろう。
「ベリル殿、もう起き上がってもよろしいのですか?」
「………このような時に、悠長に眠ってなどおれぬわ」
さすがと言うべきか、返って来た声はしっかりとしたものだった。
だが、その歩みはあまりに危うい。ここまでその足で登って来たのかと思うと、頭が下がる思いがした。そして、この男の精神力の強さに舌を巻く。
ベリルはガルロイの隣に並び立つと、視線を遠くへ投げた。
「………王女殿下には、なんと詫びれば良いのであろうな。王都から我らを病から救うために急ぎ駆けつけてこられたというのに、このように…………。自分の不甲斐なさがどうにも許せぬ」
身体を支えるため、ベリルは壁に手を付いていた。その手に力が入り、壁に爪を立てる。
「ベリル殿……」
爪が剥がれる前にと、ガルロイはベリルの手を取ろうと手を伸ばす。すると、凄い勢いで手を掴まれ、ガルロイは思わず肩をびくりと震わせた。
「ガルロイ殿」
「は、はい」
「この砦の守りは、後は私が引き受ける。そなたは、すぐに王女殿下の元へ行け。そして、必ずここへ無事にお戻りいただくのだ」
ガルロイの目が大きく見開かれる。
「───よいのですか?」
「良いも何も、早く行け! ………王女殿下にもしものことがあれば、いくらこの砦が無事であろうと、我が国は終わる」
ガルロイは大きく頷く。そして、ベリルの手を強く握り返した。
「必ずや、この命に代えましても、王女殿下をこの砦へ無事にお戻りいただきます!」
そう宣言し、ガルロイはベリル達に背を向けると、物凄い勢いで駈け出したのだった。
読んでくださり、ありがとうございます。続きを待っていただいていた方には2月にアップできず、大変申し訳なかったです。すみません! でも、なんとか3月の初めにはアップすることができて良かったです。また続き頑張りますので、また読んでいただけると嬉しいです。




