49.涙。
砦への攻撃が続く中、リリアはジェラルドの看病に心を砕いていた。
ボルドビア軍の指揮を執っていた男が、ベルンシュタイン国の東の砦を忌々(いまいま)し気に睨みつけていた。
「なぜ、落ちない? 『眠り病』は、すでに蔓延しているはずだ。どうしてこれほどまでに抵抗できるのだ?」
『感染力の強い病気を蔓延させ、抵抗出来なくさせてから攻撃をする』
この方法で、ローラン国の砦を赤子の手をひねるかのごとく安易に落としてきていた。
だが、どうしたことか、目前にそびえ立つこの砦だけは、いまだ激しい抵抗を見せ、一向に落ちる気配を見せない。
それどころか、攻撃すればするほど、ボルドビア側に犠牲が出る始末だ。
(…………攻撃を開始した当初は、砦の兵士達がハチの巣を突いたように慌てふためく姿に笑いが止まらなかったというのに、いつのまにか統制の執れた動きに変わっている。指揮官が変わったのか?)
明らかに兵の数ではボルドビアが有利であった。
だが、砦側の守りは思いのほか強固で、統率された動きに無駄がない分、隙を見つけることができないでいた。時間の経過とともに、男の苛立ちだけが募っていく。
(くっ……。このままでは、ベルンシュタイン国の援軍が到着してしまうではないか───)
「大変です!」
苛立つ男の背後から駆け寄って来た伝令の兵士が声を掛ける。男は不機嫌であることを隠そうともせず、振り向く。
「何事だ?」
「ヴォーン指揮官殿! 後方の補給部隊が襲われました!」
「なんだど⁈ ローラン軍か?」
予測していなかった事態に、ヴォーンは驚愕する。
「いえ、ローラン軍は王城に籠り、おそらく今もデミトリー将軍率いる本陣と交戦中のはずです」
「では、何者が………?」
「それが、現場が混乱しているのか………」
「どうした? はっきり言え!」
「はっ! 敵は一人だと………」
「………一人?」
「はっ! 私はそう聞いております!」
「ふざけるな! たった一人の敵に、やられただと⁈ もっとまともな報告をよこせ!」
「はっ!」
逃げるように走り去って行く伝令の背を憎々し気に見送り、ヴォーンはギリリと奥歯を鳴らす。
「くそっ! 補給部隊の連中は何をしている! 遅れた上に、襲われただと! 補給が受けられねば前線にいる我々は飢えとも戦わねばならぬではないか! ニコライ! ニコライを呼べ!」
副官を呼ぶよう指示をだし、ヴォーンは砦を見上げる。
「忌々しい! ベルンシュタイン国のこの砦だけはなんとしても手に入れたかった。………だが、時間がない。作戦を変更せねばなるまい」
『ベルンシュタイン国の王女となった精霊の乙女を手に入れよ』
ヴォーンの脳裏に国王からの命令が過ぎる。
「………まずは、王女になったばかりの小娘を誘い出すか。その女さえ手に入れれば、目的は果たしたことになる。そうなれば、陛下もお怒りにはならぬだろう。もし、万が一手に入らずとも、災いの種を一つ残しておけば、この大国は内側から崩壊する。その様子を見るのも悪くはない。弱ったところを、再び攻撃すれば良いだけのこと………」
ヴォーンはほの暗い笑みを浮かべ、目的を遂行するための策を講じるのだった。
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ジェラルドは高熱を出していた。傷によるものだ。
医師達は皆、負傷した兵士達の治療にあたっていて、リリアは一人でジェラルドの看病をしていた。
「──────シア……」
僅かに聞こえてきたジェラルドの声に、寝台のそばで皆の無事を精霊に祈っていたリリアは顔を上げた。
「ジェラルド?」
名前を呼んでみたが、返事は無い。意識が戻ったわけではないようだ。
「……どこ……だ……。どこに……」
再びジェラルドが呟く。それも酷くうなされながら。
リリアは少しでも彼の苦痛を取り除いてあげたくて、噴き出した汗を冷たい水に浸し固く絞った布で優しく拭っていく。
「……リリ……ティシア……ど……こに────」
驚くことに、ジェラルドは夢の中でリリアを探していた。
リリアは、心臓をつかまれたように苦しくなる。
「ジェラルド! ジェラルド! 私はここにいるわ!」
熱いジェラルドの手を掴み、彼に向かって必死になって呼びかける。
「………リリ……ティシア、私の王女─────」
リリアの手をジェラルドの手が弱々しく握り返してきた。苦し気に歪んでいた表情がふと和らぐ。
「…………貴方が、いれば、…………私は、………………認めてもらえ………………る」
「ジェラルド………」
まるで零れ落ちるようなジェラルドの言葉に、リリアははっとする。
彼が求めていたものは、何も持っていないリリアではなかった。王女としてのリリティシアだったのだ。
以前、シュティルが教えてくれた彼の過去の事が脳裏に蘇る。
(今でこそご領主様だけれど、ジェラルドはアリビオン家の三男だったと言っていた。もしかしたら、私との婚約話が出るまでは、彼には居場所が無かったのかもしれない。だから………)
「ジェラルド、今あなたは誰もが認める立派なアルビオンのご領主様だわ。みんながあなたを頼りにしている。私なんかに、もうこだわる必要は無いのよ」
リリアは優しく話しかけながら、ジェラルドの顔にかかる濃い茶色の髪をそっとよける。
『………おまえと共に生きていきたい』
ふと、初めて心の内を明かしてくれたクロウの言葉が蘇って来た。
ずっと気付かないふりをしていた胸の痛みにリリアは目を閉じる。
あの時、リリアはただの村娘でしかなかった。それも、髪は少年のように短く、ぼろぼろの姿だった。そんなリリアに、クロウは『愛している』と言ってくれたのだ。
「クロウ、あの時の言葉はもう忘れてしまったの?」
閉じた瞼の隙間から溢れ出た涙が頬を伝い、一瞬キラリと輝いて流れて落ちていった。
読んでいただき、ありがとうございます。刻々と終わりへと向かっています。どうか最後までお付き合いいただければ嬉しいです。




