39.疫病。
リリアsideです。
ボルドビア国にある城の一室。
国王と対面している男は、ベルンシュタインの商人サンタンだった。彼は精霊の怒りを買い、深い渓谷へ落ちたはずであった。
だが、悪運の強いこの男は、木の枝に引っ掛かり、命拾いしていたのだ。
しかし、精霊王の力によって、クロウを除き、崖での記憶はその場にいた者達から一部消されていたために、サンタン自身もなぜそのような事態になったのかまったく分かってはいなかった。
そんな中、リリアがシュティル国王の養女になったと知ると、身の危険を感じ取り、ボルドビアへ逃亡していたのだった。彼はクロウとリリアにあまりに手の内を明かしすぎてしまっていたからだ。
「これほど上手くいくとはな。サンタン、礼を言うぞ」
「ありがたきお言葉、痛み入ります」
「瞬く間に砦を二か所も落とされ、今頃ローラン国の若造は青くなっておるであろうな。慌てふためく姿が容易く(たやすく)想像できるわ」
そう言って笑うボルドビアの国王は、かなりご満悦の様子だ。
「陛下、まさかこの時期に我が国の僻地で流行る病が、このように役に立つとは、今まで考えが及びませんでした。さすが商人ですな。我らと着目するところがあまりに違う」
傍に控えていたボルドビアの宰相も満足そうに話しに加わってくる。
「喜んで頂けて、私も嬉しく思っております。ですが、初めにお話ししておりましたことですが……」
まるで媚びるように背を丸め姿勢を低くくしいるサンタンであったが、抜け目ない眼差しで二人を見つめる。
「分かっておる。我らの狙いはベルンシュタイン国だ。次はベルンシュタイン国の東の砦を襲う。安心したか?」
「申し訳ございません。出過ぎたまねをしてしまいました。お許しください」
膝を付き、大げさに謝罪するサンタンの姿にボルドビアの国王は軽く手を振る。
「気にするな。確かに、このままローランをいただくのも悪くはないと思ったこともある。だが、おまえのことだ、ベルンシュタイン国を得るためにすでに動いておるのであろう?」
「はい、もちろんでございます」
顔を上げたサンタンの顔には、狡猾そうな笑みが浮かんでいた。
「しかし、本当にベルンシュタイン国の王女が尊い身でありながらわざわざ東の砦まで来るのか? この件についてだけは、おまえが思うように事が上手く運ぶとは思えぬのだ」
「そのことでしたら、ご心配には及びません。必ずや、王女はやって来るでしょう」
サンタンは確信をもって微笑む。彼の脳裏には翡翠色の瞳を持つ少女が微笑んでいた。他人のために、自分の身をなげうつ心優しいベルンシュタイン国の王女リリアの姿が。
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ベルンシュタイン国の王都シェンドラ。
ジェラルド・アルビオン侯爵と共に王城へ急ぎ戻って来たリリアは、すでに城内が騒然となっていることに、言い知れぬ不安に襲われていた。
「王女殿下!」
国王の私室の扉を守る近衛兵が駆けつけて来たリリアに気付き、顔を強張らせたまま急ぎ扉を開ける。
居間ではすでに駆けつけていた宰相のバルトルト・ヴェルフが深刻な表情をリリアに向けた。
「王女殿下、………アルビオン侯爵殿もご一緒でしたか」
椅子から立ち上がったヴェルフ宰相は、リリアの背後にジェラルドの姿を捉え少し驚いているようであった。
「お義父様が倒れたと聞きました」
「今、医師が診ております。詳しくは医師に直接お聞きになられたほうが良いでしょう」
国王の寝室へ一人で通されたリリアは、室内の異様な暖かさに眉をひそめた。先ほどまで馬の背で冷たい風に当たっていた身には暑過ぎるくらいだ。
「もっと部屋を暖めるのだ!」
だが、国王専属医師のアドルフ・バーラントはさらに室内の温度を上げるよう指示を出している。彼はおじいさんと同じバーラント伯爵家に連なる者だった。軍人だったこともあるおじいさんとはまったく雰囲気が異なっていたが、優し気な目元が少しおじいさんに似ていた。
だが、彼にはおじいさんのことは話してはいない。話してしまうと、リリアの出自も明らかになる可能性があったからだ。
その彼の背後にある寝台の上で横たわっているのは、ベルンシュタイン国の王でありリリアの義父であるシュティルだ。リリアは急いで寝台に駈け寄り、義父の顔色の悪さを目にし、愕然となった。
「先生! お義父様の具合はどうなのですか?」
縋るようにリリアが尋ねれば、医師は力なく首を振る。
「王女殿下。………それが、分からないのです。突然、崩れるように倒れられ、そのまま意識を失ってしまわれました。一見眠っているようにしか見えないのですが、心臓の鼓動は弱く、体温もどんどん下がっているのです。とにかく部屋を暖め、体温がこれ以上下がらないようにしておりますが、………このような症状を私は見たことも聞いたことも無いのです」
医師はリリアから視線を逸らした。
そして、苦し気に告げる。
「もちろん、文献を漁りましたが該当する前例がなく、…………今の私には、手の施しようが無いのです」
思いもよらない医師の言葉に、リリアは言葉を失う。
「そんな………」
リリアは義父が眠る寝台の傍らに膝を付いた。
そして、力なく敷布の上に投げ出されていた手を両手で包み込む。この国をずっと守り続けてきた固く大きな手を。
「お義父様! リリアです! 目を開けてください!」
必死になって呼びかけたが、シュティルが呼びかけに反応する気配はまったく見られなかった。顔色の悪さを覗けば、医師が言うようにただ穏やかに眠っているように見える。
しかし、リリアが握っている手にはいつもの温もりが感じられない。
(どうすれば………)
焦るばかりで、時間だけが刻々と過ぎて行く。
ガダッ!
背後で何か大きな音がした。驚き振り向いた視線の先で、侍従の男性に支えられるようにして立ち上がろうとする国王付き侍女コリンナの姿があった。
しかし、一人で立つことさえ困難な状態で、そのまま近くの長椅子へ運ばれて行く。その様子に、他の侍女や侍従達が息を飲む。あまりにシュティルの症状と似ていたからだ。さらに、彼女は先ほどまで暖炉に火をくべたり国王の寝具を整えたりと甲斐甲斐しく動き回っていたのだ。この場にいる者達に動揺が走る。
(何が起きているの?!)
すぐさまリリアは医師と共に倒れたコリンナの傍に駈け寄った。彼女の顔色はシュティルと同じとまでは言えないがはっきり言って良くはない。
「しっかりして!」
長椅子に横たわったまま、コリンナがうっすらと目を開けた。
「──────王女………殿下、………申し訳ございません。突然、体に力が入らなくなったのです。………ただ、酷く(ひどく)、………眠………い………」
これだけ言うのがやっとのようだ。
だがその言葉を聞いた途端、リリアはふと既視感を覚えた。
「──────眠り病…………」
握ったままの右手を口元に押し当て、まるでうわ言のように呟いたリリアは、すぐさま傍にいた者に強いお酒を持って来て貰うようお願いをし、別の者には廊下で待っているシャイルを呼んできてもらうよう頼んだ。慌ただしくなった寝室の様子に宰相とユーリックが慌てて控えていた居間から入って来る。
「先生! 眠り病をご存じですか?」
リリアは、医師に確信を持って尋ねる。
「ね、眠り病でございますか? 存じませんが………」
「そんな………」
翠色の瞳を大きく見開き、リリアは愕然とする。
だが、このまま手をこまねいている暇はなかった。この病気は伝染するのだ。
「先生! この病気を私は知っています。この病気は伝染します。潜伏期間があって、その間は患者自身病に罹っている自覚が無く、感染を広げてしまうのです。そして、発症してしまうと、数日間眠り続けた後、心臓が止まってしまう恐ろしい病気なのです」
『伝染する』と聞いて室内にいた者達は一様に慄き、騒めき始めた。
「王女殿下、我々も感染していると考えたほうが良いのでしょうか? このまま我々の心臓が………」
宰相であるバルトルト・ヴェルフが顔を強張らせ、リリアに尋ねてきた。その表情を見れば酷く動揺していることが伺える。
「大丈夫です。感染しているかどうかは判断する方法があります。発症する前に薬を飲めば問題はありません。それに、一度罹ると二度と罹ることはないのです。対処の仕方を知っていれば怖れることはない病気です」
「では、薬があるのですね?」
「あります。珍しい薬ではないので、安心してください」
いつの間にかリリアは取り囲まれていた。みな縋るような思いでいるのだろう。発症さえしなければ、恐ろしい病気ではないのだ。
そう、発症さえしていなければ………。
「リリア?!」
侍従に付き添われ、シャイルが国王の寝室に姿を現した。その姿を見た途端、リリアは安堵のあまり膝から崩れそうになる。ふらりと揺らいだリリアの体をシャイルが素早く支えてくれる。
だが、まだ何も解決はしていなかった。一瞬でも気を抜く暇など無い。
「シャイル! お義父様は眠り病のようなの」
リリアの発した言葉に、シャイルは一瞬顔を強張らせたが、すぐに頷くとシュティルの寝台へ近づいて行く。
「おまえは、誰だ? 誰が陛下の寝室へ入る事を許したのだ?!」
面識がなかったヴェルフ宰相がシャイルの肩を掴んだ。慌てたリリアが宰相とシャイルの間に割って入った。
「私が依頼したのです。彼は医師としての実績もあります。今、私と共に医療院の建設に携わっているのです。それに、彼はウォルター・バーラントの弟子です。ウォルター・バーラントと共に、この病気から人々を救った経験もあります。彼の腕を信じてください。それに、この病気は一刻を争うのです!」
「ウォルター・バーラントだと?!」
「あの方は、生きておられたのか?! 我が一族が誇りとするあの方の弟子だというのなら大丈夫だ。宰相殿、私からもお願いいたします。彼は今から私の助手として、陛下に触れる許可をいただきたい!」
少し興奮した様子で、アドルフが援護してくれる。国王専属の医師にそこまで言われ、宰相はシャイルを医師の助手として認めた。
「うむ。私もウォルター・バーラント殿にはとても世話になっていたのだ。知らぬこととはいえ、先ほどはすまなかった。さあ、早く陛下に治療を施してくれないか」
急かされるようにシャイルはシュティル国王の病状を隈なく調べ始めた。
「リリア………王女殿下がおっしゃるとおり、陛下は眠り病と呼ばれる病に罹っておいでです」
「それはどのようにして治せば良いのだね?」
医師が身を乗り出す。
「ジギタリスを投与します」
だが、シャイルの放った言葉にアドルフは目を剥いた。
「ジ、ジギタリスだと?! 魔女の指ぬきと呼ばれている毒草ではないか!」
「はい。そのジギタリスでしか、この病を発病した者を治せないのです」
毅然と言い放ったシャイルに対し、国王専属の医師は口を開けたまま茫然としている。
「確かに、ジギタリスは毒草として知られていますが、弱った心臓には薬として効果があるのです。もちろん、投与する量にはかなり注意が必要ではありますが」
「だ、駄目だ。駄目だ! 毒だと分かっておるものを陛下へ投与することなど許可するわけにはいかぬ! ………まさか、おまえは王女と結託し、この機に陛下を亡き者にしようとしているのではないだろうな!」
背後からからシャイルの肩を鷲づかみにしヴェルフ宰相が放った言葉に、一瞬目を見張ったシャイルだったが、すぐに剣呑な眼差しでベルンシュタイン国の宰相を睨んだ。その目には明らかな憎悪の感情が現れていた。まるで相手を焼き尽くすような激しい眼差しだった。
「私に対してなら何を言おうがかまわない。─────だが! 今の言葉だけは許すことは出来ない。今すぐ取り消してもらおう!」
掴まれていた手を振り払い、シャイルは冷ややかに告げる。
「やめて! シャイル!」
リリアは悲鳴を上げ、宰相へ掴み掛かろうとするシャイルの腕に飛びついた。
「落ち着いてシャイル! 私は何とも思っていないわ」
シャイルの剣幕に驚いた宰相が腰を抜かしたように床にへたり込む。ユーリックも慌てて、シャイルを背後から羽交い締めにしている。
だが、ユーリックもヴェルフ宰相に非難する眼差しを向けた。
「ヴェルフ宰相殿!」
ユーリックの抗議する声に、リリアは慌てた。今はいがみ合っている場合ではない。一刻の猶予もないのだ。リリアはヴェルフ宰相に必死で語りかける。
「陛下の身を案じ、疑うお気持ちは分かります。ですが、私達が知っている治療はこの方法だけなのです。それに、早く治療を施さなければならないのです。今こうしている間にも、お義父さまの命は………」
喉の奥から込み上げてくる嗚咽で、リリアは声を詰まらせた。なんとか宰相を説得しないといけないのに、声が出ない。左手で喉を押え、喘ぐリリアの目から涙が後から後から溢れては流れ落ちて行く。
(治療の方法が分かっているのに、私はこのままどうすることも出来ないの? おじいさん、どうすればいいの? どうすれば─────)
シャイルの腕にしがみ付いたまま途方にくれるリリアだった。
お待たせいたしました。読んでもらえて嬉しいです。ありがとうございます。またまたリリアに試練です。一緒に温かく見守っていただけるとありがたいです。よろしくお願いします。




