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王都へ  作者: 待宵月
29/73

29.王位

シャイルsideです。

 リリアと入れ替わるように運ばれて来た白い器から、お茶のとても良い香りが漂ってくる。

 だが、シャイルは手を伸ばそうとはしなかった。もちろん、喉の渇きはずっと感じている。リリアと離された瞬間から、嫌な予感がしているのだ。

隣を見れば、やはりクロウも手を付けてはいない。ただじっと目の前の男の一挙手一投足だけに、神経を集中させているようだった。


「君達には、とても感謝している。リリティシアが無事にこの城へ戻って来られたのは、君達のお陰だ。ありがとう」


 ベルンシュタインの国王は神妙な表情で、改めてシャイル達に礼を述べた。揺るぎない威厳のなかに、どこか律儀な性格が垣間見えた気がした。

 だが彼はリリアが部屋を出てから、叔父として見せていた甘い表情をすでに跡形もなく消し去っていた。

 一国を率いる統治者の顔でシャイル達を見ている。

 シュティル国王と直接会うのは二度目だが、初めて会った時は最悪だった。リリアを攫われ、怒りのままにこの男へ剣を向けている。

 しかし、そんな事があったというのに、この部屋には扉の近くに側近の男が一人控えているだけで、身元の定かでない男二人と同じテーブルについている。国王であることを除いても、器の大きな人物なのだと分かる。

 その上、行動力も持ち合わせていた。

 以前、エルバハルの屋敷で会った時、少ない護衛だけ連れて、自ら夜道を駆けて来ていたのだ。おそらく、剣の腕前もかなりのものなのだろう。


(だから、帯剣を許されている? それとも、信用されていると喜ぶべきなのか……)


 警戒しながらも、シャイルは国王の様子を注意深く観察し続ける。

 目を引く美しい銀色の髪は、この男の母親が北方の者だと物語っている。体型は長身ですらりとした印象だが、痩せているわけではない。服で隠れているだけで、恐らくかなり鍛えているはずだ。動きにまったく無駄がない。

 そして、すべてを凌駕する青い瞳は、見つめられただけで、恐れさえ感じるほどだ。


(この男が、この国の王で、リリアの叔父……)


 今、シャイルはリリアの存在がとても遠くに感じていた。

 いや、ずっと以前から本当は気づいていたのかもしれない。だからウォルターからリリアの出自を打ち明けられて以来、リリアは家族なのだと、事あるごとに口にしていた。その言葉に縋っていたのだ。


「これからの話をしよう」


 国王はそう切り出した。

 シャイルははっと物思いから引き戻される。ぼんやりしている場合ではなかった。目の前にいる男は、今は穏やかな雰囲気を纏っているように見える。

 だが、シャイルとクロウをそれぞれゆっくりと目を合わせていく様子は、まるで心の奥底を見透かそうとしているようだった。


「……リリティシアは君達の事をずいぶんと慕っているようだね。では、君達はあの子の事をどう思っているのかな? 良ければ、聞かせてくれないかい?」


 どくっと心臓が大きく脈打つ。

 まるで試すような質問だった。

 口調はとても穏やかで全く高圧的なところはないというのに、シャイルは喉の奥がひりつくように感じて、すぐに答える事が出来なかった。


「……家族です。今までも、これからも──」


 なんとかそう答えたものの、口に出した途端、シャイルはやるせない思いに囚われる。リリアの本当の肉親を前に、あまりに自分が滑稽に感じたのだ。


「ありがとう。君のような誠実な人物がリリティシアの側にいてくれたことを本当に感謝しているよ。……では、君は?」


 国王の視線がクロウへ移る。

 シャイルはゆっくりと息を吐き出した。まともに息が出来ていなかった。なんとも言えない疲労感が重くのしかかっていた。そんな状態のまま、ちらりとクロウの様子を覗う。


(この男は何と答えるのだろうか?)


 シャイルはこの男の返答がとても気になった。


「好意を持っている。掛け替えのない愛しい女として」


 即答だった。

 予想していなかった答えに、驚きのあまりシャイルは反射的に身体ごとクロウへ向き直っていた。愛だの恋だの、そんな甘い言葉を口にするような男には見えなかったのだ。

 だが、クロウには意気込んだ様子はなく、ただまっすぐに国王の視線を受け止めている。


(本当に、リリアの事を……。でも、この男は馬鹿なの? こんな返答をすれば、二度とリリアに会う事など出来なくなるかもしれないのに!)


「ちょ、ちょっと……」


 シャイルは思わずとりなそうとした自分に驚く。

 この男は会った時から気にいらなかった。だから彼がリリアに会えなくなるのは、好都合なはずだった。なのに、どうしてなのか、シャイルのほうがひどく動揺していた。


「君達は二人ともリリティシアをそれぞれに大切に想ってくれているのだね」


 国王の声は感情を微笑みの中に綺麗に隠していて、シャイル達についてどのような印象を持ったのか探る手立てはない。表情をまったく変えることもなく洗練された仕草でお茶を口に運んでいる。

 だが、静かに器を置いたとき、再び向けられた国王の青い瞳の奥に強い光が過った。


「では、君達はこれから何を望む? もちろん、無事にリリティシアを私の元へ連れて来てくれた謝礼はさせてもらうよ」

「謝礼などいらない」

「謝礼はいりません!」


 クロウの声にシャイルのそれが重なる。さらにシャイルは畳み込むように声をあげた。


「お願いがあります! どうか、リリアの傍で働かせてください。あの子の傍にいられるなら、何でもします! それが私の願いであり、望みです!」


 シャイルは縋る思いで言い募る。

 初めからどんなことをしてでもリリアの傍にいる覚悟があった。あの子を守ることが自分の生きる意味であり、先生に受けた恩に唯一報えることだったからだ。

 一方、クロウという男はシャイルとはまったく違うことを考えていたようだ。


「リリアを、どうするつもりだ?」


 クロウがシュティルへ問いかけたのだ。

 『おや?』という声が聞こえてきそうな顔で、国王がクロウを見る。

 どうやらこの男に興味を持ったようだった。


「どうもしないよ。君の心配は何だい? 心配するような事は何もないはずだ。あの子は本来あるべき姿に戻る。ただそれだけなのだから」

「それで、本当にリリアは幸せになれるのか?」

「さあ、それはどうかな。幸せを測る物差しは人それぞれだからね」

「!」


 突然、クロウが立ち上がった。踵を返し、戸口へと向かおうとする。


「待って! どこへ行くつもり?」


 シャイルは反射的にクロウの腕を掴んで止めていた。


「リリアを連れてここを出る」


 クロウはシャイルの手を振り払い、激情を押さえこんだ声で答える。

 視界の先では、扉の前で控えていた男が剣の柄に手を置き、一歩踏み出す姿が見えた。


「──それで、本当にリリティシアは幸せになれるのかい?」


 今度はシュティルがクロウに問う。落ち着いた、僅かな悲哀を感じさせる声だった。

 弾かれたようにクロウが振り返る。


「……あえて君達に言う必要はないだろう。そう思っていたのだが、リリティシアを真剣に想っている君達に対して、誠意が足りなかったようだ。すまなかった」


 どこか自嘲するようにシュティルは二人に詫びた。

 一国の王を前にしても、まったく飾ろうとしないクロウの剥きだしのリリアへの想いが、シュティルに届いたようだ。どうやらシュティルも本音で自分たちに向き合うつもりになったのだろう。

 今、やっとシャイルとクロウはシュティルと同じ土俵に立てたということだった。

 クロウが再び椅子に戻る姿を見届け、国王へ視線をむければ、明らかにシュティルは今までとは違う表情を浮かべていた。今の彼からは、少しだが感情が垣間見える。


「やはり、君達にはきちんと話をしておくべきだったのだな」


 シュティルはそう切り出した。


「私は明日、リリティシアをリリアとして、私の養女にすることを臣下達に公表するつもりだ」

「え?! それは、どういう……? リリアは本当の──」


 酷く困惑するシャイルにシュティルは頷いて見せた。


「私の兄アルフレッドの娘のリリティシアとして戻れば、必然と王位は私からあの子へ移ることになる。そうなれば、私は彼女にとって臣下の一人でしかなくなる。あの子を支えることは出来ても、あらゆることから守ってやることは非常に難しくなる。今まで自分が王女だとさえ知らなかった娘が、突然女王となって一国を背負うことになってしまうのだ」

「……お、王位? 国を、背負う?!」


 シャイルは譫言のように、シュティルの言葉を繰り返す。


「この国は、女性も王位を継ぐことができるからね」


 そこまで考えが及んでいなかったシャイルは絶句する。リリアは王女として城の中で安全に守られ、華やかな生活を送れるものだと、漠然と思っていたのだ。


(リリアが、女王───)


「私の娘としてなら、女王として即位するまでにいくらか時間を与えてやれるだろう」


 すでに空になった器に視線を落とし、シュティルは端正な顔に僅かに憂いを滲ませた笑みを浮かべた。


「少し長くなるが、いいかい?」


 シャイル達が頷くのを見届け、シュティルはおもむろにテーブルの上で両手を組んだ。右手の中指には金色に輝く国王の証しである指輪が光っている。


「この国は大きく三つに分けることができるのだが、君達は聞いた事があるかな?」

「……王族と、貴族。そして、民ですか?」

「そうだ。ウォルターに教わったのだね?」

「はい」

「導くは王であり、仕えるは貴族であり、支えるは民である。この王城には文官武官を含め、沢山の人が働いているが、みな貴族の出身だ」

「……つまり、私達のような庶民の出は王城で働くことさえできないと?」

「そういうことだ」

「……」


 頭を鈍器で殴られたような衝撃を受けた。


「──庶民から、貴族になった者はいないのですか? 私なら、並みの貴族達より剣は使えるはずです!」


 まるで挑むようにシャイルは尋ねる。


「確かに、大きな功績をあげれば、爵位を授けられて貴族として受け入れられる事はある。例えば、エルバハルがそうだ。あの者の功績がなければ、前国王亡き後の災害を乗り切ることは難しかっただろう。それほどに稀なことだ。他国であれば、剣に自信がある者が戦で武勲を挙げ、爵位を受ける場合もあるようだが、この国の兵士は全て貴族だ。かつて民が戦に借り出された事は一度も無い。つまり君のようにいくら剣術に自信があったとしても、それを活かす機会がないのだ」

「……」


 思わず、シャイルは苦し気に顔を歪ませた。


(先生に教わり、剣には自信がある。なのに……!)


 初めから王女となるリリアの側にいることはできないだろうとは思っていた。

 だが、城で働く兵士の一人にさえなる事ができれば、いつかその剣の腕を認められ、リリアを守る護衛の一人にはなれると考えていたのだ。


「どうして、……能力がないならまだしも、貴族でないからなど──」


 絞り出すような声でシャイルは呻く。

 握り緊めた拳が震えた。シャイルは貴族を憎んでいる。自分と母を捨てた男が貴族だったのだ。


(あんな男が貴族だという理由で、王城で働く資格があるのに、自分にはそれさえ無いなど……)


「……ベルンシュタインというこの国は千年もの長い歴史がある」


 突然、シュティルがこの国の歴史を語り始めた。


「それ以前にはこのあたりではたくさんの小国がせめぎ合っていた。血で血を洗うような戦乱の時代が長く続いたようだ。だが、ある日忽然と現れた金色の髪に青い瞳を持つ若者が、あっというまにこのあたりの小国を掌握してしまった。それが、この国の初代国王レフィナードだ」


 シャイルは虚ろな目を絵に向けた。リリアの父親の姿が初代国王の容姿と重なる。


「彼にはたくさんの逸話があるが、その中で最も有名なものが、彼が精霊の乙女を妃にしたというものだ。それがきっかけとなって精霊を畏れ敬う隣国の四つの国が剣を交えることなくこぞって彼の軍門に下り、忠誠を誓った。それを機にレフィナードは国の名をベルンシュタインとし、その後一気に大国へとのし上げたのだ。ベルンシュタインとは琥珀の事だ。琥珀は精霊の涙ともいわれている。この国は良質の琥珀がたくさん採れたからね」


 広い室内にシュティルの声だけが響く。


「四つの国の王達はベルンシュタイン国で侯爵の地位を与えられ、レフィナード国王とその妃に嬉々として仕えた。彼らは忠誠の証として、自分達の国の一部を自ら献上しているが、残った領地は今も彼らが治めている。長兄は領地を治め、子弟達は王城や砦などで文官や武官となって国のために働いている。他の貴族達も同じようなものだ。それが今も脈々と続いている。そして、侯爵家を筆頭に精霊の乙女の末裔である王家を、つまりはこの国を守るのは貴族の役目なのだと、そのことを誇りに思っている。だからこの国では民を戦に借り出すことはない」


(誇り? 民であっても、この国を守りたいと思っているものはいる。その者達の想いは『貴族の誇り』という言葉で蔑ろにされるのか──)


 納得などできなかった。できるはずがない。

 突然、シュティルは話を途切れさせた。眼差しが硬質なものに変わる。


(おそらく本題は今からだ……)


 シャイルは身構える。


「精霊の乙女を手に入れた者は国をも手に入れる。そんな話がまことしやかに貴族達の間で囁かれていたのだが、リリティシアが生まれた事で、ただの言い伝えではなくなってしまった。女王になるあの子の瞳の色が精霊の乙女と同じ翡翠の色なのだからね。リリティシアと婚姻を結んだ者は女王の夫となり、名実共に国を統治することになる。これからは貴族達の間でリリティシアの婿選びが熾烈を極めるだろう。もちろん、他国も王子達を送り込んでくるはずだ。もし私が強引にでも君達に爵位を与え、貴族にしたとしても、それは名ばかりだ。他の貴族達は絶対に認めないだろう。もちろん、婿候補にも選ばれることはまず無い。それよりも、正直に言えば、君達が傍にいれば、リリティシアの重荷になるとさえ私は思っている。悪いが、今の君達には他の貴族達を黙らせるものが何もない。それに、傍にいながら他の男のものになったリリティシアを黙って見守り続けることができるのかい?」


 ガタっと音がして、クロウが立ち上がった。

 見上げれば、シュティルに一礼してそのまま一言も言葉を発することなく、部屋から出て行く。

 シャイルはクロウを止めなかった。自分の感情もままならないというのに、扉の向こうへ消えて行くクロウの真っ直ぐに伸びた背を見届けた途端、やるせない気持ちに襲われ、奥歯を噛みしめる。

 本当は大声で叫びたかったのだ。


『リリアへの想いは、こんなにあっさりと諦めてしまえるようなものだったのか』と。


 だが、それは単なる八つ当たりだと分かっていた。本当に愛していたならば、他の男のものになった姿をずっとそばで見続けることなど出来るはずなどないのだから。



読んでくださり、ありがとうございました。いつも感謝しています。さて、今回の章は最終章だと書いた後で、突然頭に浮かんできて「うそ!このままだとハッピーエンドじゃなくなる!」と私を慌てさせたお話です。確かに、王都へリリアを連れて来ただけで、ハッピーエンドになれるはずがないですよね。と自分で書きながら突っ込んでしまいました。私の頭に浮かんでいる最終話の話はどうやらもう少し先だったようです。もちろん、シュティル国王に会って「王都へ」を完結にする事も考えたのですが、前回と今回の章のどこをどう見ても、ハッピー要素が足りないのです。というわけで、もう少しの間「王都へ」をお付き合いください。どうかよろしくお願いします。

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