22.翡翠色の瞳
クロウsideです。
少女達の笑い声で、クロウは覚醒した。素早く立ち上がると、油断の無い眼差しを辺りに向ける。
だが、すぐに緊張していた表情が困惑したものへと変わった。クロウは見覚えのない森の中に、たった一人で立ち尽くしていたのだ。
「リリアッ!」
薄日が差す森の中を、クロウは有らん限りの大声でリリアの名前を叫びながら、彼女の姿を求め駆けまわる。
だが、どれほど探してもリリアを見つける事が出来ない。まるでリリアという少女がはじめからいなかったかのように。
(リリアはいた。ずっと俺の傍にいたんだ。俺を愛していると言ってくれたんだ!)
クロウは自分の左肩に触れる。確かに矢はクロウの左肩を貫いたはずだった。
しかし、触れた肩にはまるで嘘のように痛みは無く、不思議なことに服には穴さえ開いていなかった。
(そんな、馬鹿な! 俺は、夢を見ていたのか? リリアと共に旅をしたのは夢だったというのか?)
突然足元に大きく真っ暗な穴が空いたような感覚がクロウを襲う。その感覚を振り払うように目を閉じれば、朝日に輝く光の中で優しく微笑む愛しい顔が鮮明に浮かんできた。腕にはリリアを抱き締めた時に感じた柔らかな温もりがしっかりと残っている。
(夢なんかではない!)
そう強く思った瞬間、意識を手放す直前の光景がまざまざと蘇ってきた。それは、足を引きずりながらクロウの元へにじり寄ってきたリリアの痛々しい姿だった。
必死でクロウを呼ぶ声。
涙に濡れた顔。
その全てに、きりきりと胸が痛んだ。苛立ちも露わに、強く握った拳を近くの木の幹に打ちつける。
「くそっ! ここは、どこなんだっ!」
もはや夢かどうかなんて関係なかった。夢だろうと何だろうと早くリリアを見つけ出し、彼女の傍で彼女のすべてを守りたい。ただその一心だった。
リリアがいない状況に、今のクロウは耐えられなかった。
(どこへ向かえばいい?)
焦燥感に押しつぶされそうになる。
その時、再びどこからか少女の笑い合う声が微かに聞こえてきた。クロウは声が聞こえてきた方へ向かって弾かれたように駆け出す。小川を飛び越え、木立を抜けると目の前が突然開けた。視界いっぱいに色取り取りの花が咲き乱れる草原が広がっている。その草原には、二人の少女がいた。彼女達は花を摘みながら楽しそうに笑い合っている。クロウの目がその内の一人の淡い金色の髪に留まる。その瞬間、クロウはやっと普通に息をすることができるようになった。
背を向けてはいたが、その後ろ姿はリリアに間違いなかった。
「リリアッ!」
クロウは安堵が混じった声で少女の名前を呼んだ。
だが、その声が聞こえなかったのか、まったく反応がない。ただ淡い金色の髪が草原に吹く風に揺れる。
不安がクロウを包み込む。
今度は近づきながら再び名前を叫ぶ。すると反応したのは別の少女だった。ゆっくりと顔を上げたその少女と目が合った途端、クロウの動きが止まった。いや、動けなくなってしまったのだ。
リリアと同じ翡翠のように美しく、命の輝きを宿す強い黄緑色の瞳がクロウを見つめる。その瞳に感じるのは親しみではなく畏れだった。
(この少女は、人ではない)
それは、直感だった。
この国では、精霊と呼ばれているものだ。今まで精霊というものに一度も出会ったことなどなかったのだが、間違いないと確信できる。
この少女の顔や姿を非常に美しいと感覚では捉えているのに、実際は少女の瞳以外すべてが淡い光に包まれていて、視覚でははっきりと姿を捉える事ができないのだ。
突然、草原に強い風が吹いた。
二人の少女達が摘んだ草花が勢いよく空に向かって巻き上げられていく。風を目で追い、金色の髪の少女が振り返った。
「!」
クロウの瞳に動揺が走る。
あれほどリリアだと確信していたのに、違った。
驚くほどリリアとよく似ているが、瞳の色がまるで違う。この少女の瞳の色は、薄い青色をしていた。さらにこの少女の髪はとても長い。
(どうして、この少女をリリアだと強く感じたのだろう。リリアを求めるあまり無意識に思い込んでしまったのか?)
「うっ………」
空高く草花を巻き上げた強い風が、そのままクロウに向かって吹きつけてきた。クロウは思わず腕で顔を庇い、目を閉じる。
「⁈」
再び目を開けたクロウは、自分の目を疑った。彼はいつのまにか広い部屋の中にいたのだ。
高価だが品の良い調度品を見れば、どこかの貴族の寝室だと分かる。部屋の一角には瀟洒な天蓋付の寝台が置かれており、その周りにたくさんの男女が集まっていた。使用人らしい者も大勢いる。
だがなぜか、みな深い悲しみに沈んでいるようだった。寝台の傍らで、淡い金色の髪の少年が嗚咽をもらしながら泣いていた。その少年のすぐ隣では、年老いた夫婦が寝台に横たわる人物に縋り付いて悲嘆にくれている。彼らは嘆き悲しみながら、精霊の加護を求めていた。
たった今、誰かが亡くなったのだ。
クロウは嫌な胸騒ぎがして人垣へ近づき、隙間から横たわっている者の顔を覗き見る。
「!」
衝撃のあまり、クロウはよろよろと後ろへ後ずさった。深い眠りについたのは、草原にいたリリアに良く似た少女だったのだ。
混乱し、ただ立ち尽くすだけのクロウの視界に、眩い翡翠色の輝きが飛び込んできた。草原にいたあの精霊だ。彼女は横たわっている少女の足元に立ち、じっと亡くなった少女を見下ろしている。誰もそのことには気付かない。おそらく、他の者には見えていないのだろう。
だが次の瞬間、その精霊は横たわる少女の体に向かってゆっくりと倒れ込んで行く。そして、そのまままるでその身体に溶け込んでしまったかのように、姿が見えなくなってしまった。
茫然としているクロウの目の前で、亡くなったはずの少女が目を覚ました。
その瞳の色は、あの精霊の少女と同じ美しい緑色になっていた。いや、リリアと同じ瞳になったと言っていい。その瞳からは優しさと慈愛しか感じられなかった。
クロウの心臓が早鐘を打つ。
集まっていた人々が精霊の起こした奇跡に感謝する言葉を口々に呟き、歓喜の声を上げている中、突然クロウの足元がぐにゃりと歪み、景色が一変する。
クロウは再び森の中にいた
「くそっ! どうなっているんだ?」
毒づく彼の目の前に、木の幹を背にして若い男が座っていた。
眩い金色の髪に目の覚めるような青い瞳を持つその若者の秀麗な容姿は、男であるクロウが見ても目を引くものだった。特に強い輝きを放つその男の眼差しは人の目を釘づけにする。
その若者を取り囲むようにして、数人の男達が膝を付いていた。どの男もとても辛そうに若者を見守っている。若者は傷を負っていた。それもかなり深い傷を。
跪いていた男達が突然背後を警戒して立ち上がる。そして、若者を守るように剣を抜いた。
だが、現れたのは一人の若い娘だった。野いちご摘んだ籠を手に持ち、驚いた顔で立ち止まっている。
その娘の顔を見てクロウの心臓が跳ねた。
「リリアッ!」
狂おしいほどの歓喜がクロウを包む。リリアのそばへ急いで駆け寄り、まるで覆いかぶさるかのように華奢な体を抱き締めた、はずだった。
クロウの腕はするりとリリアの体をすり抜けてしまった。
ただ呆然と自分の手を見つめるクロウの体を通り抜けて行ったリリアは、傷を負った若者のそばへ歩み寄って行く。
若者の青い瞳とリリアの緑色の瞳が見つめ合う。
「リリア────っ!」
焦りを感じ、クロウはリリアの名を叫んだ。
だが、クロウの叫びはリリアには届かない。
(あの男はリリアに心を奪われていた。リリアも同じだった)
強い嫉妬心がクロウを襲う。崩れるように膝を付き、両手で顔を覆う。
ふと風が変わった。
うつろな眼差しのまま顔を上げれば、再び別の場所にクロウはいた。どこかの大きな建物の外にいるようだった。白い壁が延々と続いている。見覚えがあるような気もしたが、うまく頭が回らない。精神的にクロウは疲れ果てていた。地面に座り込んだまま、感情が抜け落ちた目でクロウは見るともなしに白い壁を見つめる。
すると突然、壁に人が一人通れるほどの穴がぽっかりと開く。しばらくすると、真っ暗な穴の奥から精悍な顔つきの初老の男がまだ小さな赤子を抱いて現れた。
男は目の前にいるクロウには気付かない。穴を通り抜けて来ると、男は一旦立ち止まり、背後を振り仰いだ。腕の中の赤子は大人しく男の顔をじっと見つめている。その瞳は、リリアと同じ緑色だ。男は赤子を大切そうに包み直すと、しっかりと前を向き、まるで覚悟を決めたように歩き出した。すると、彼の背後で壁に開いていた真っ暗な穴が音も無く忽然と消え去り、赤子を抱いた男はそのままもう二度と振り向くこともなく、森の中へ姿を消してしまった。
(あの赤子は、リリアだ)
クロウは瞬時に理解した。
おそらく、彼が今まで見てきたものは、この国ベルンシュタインの過去。
そして、ここは十数年前の王都シェンドラなのだ。彼が目にしている白い壁は王城の外壁だ。見覚えがあるはずだった。
クロウは立ち上がる。
きっと、リリアは草原にいた少女の生まれ変わりなのだろう。今もあの精霊が彼女の魂に寄り添っているに違いない。
そう感じた瞬間、急に体が背後へ強く引っ張られる感覚に襲われた。
クロウはその感覚に身を委ねる。
(やっと戻れる。リリアの元へ。リリアが俺を待っている!)
クロウは突然真っ暗になった視界に戸惑うことなく、喜びと覚悟を胸にリリアを想った。
22話まできました。ここまで読んで下さり、ありがとうごさいました。ちょうど昨日で『王都へ』をアップして一年になります。アップするたび思うのですが、読んでくださる方がいなければここまで書くことが出来ませんでした。読んでくださるみな様にとても感謝しています。『王都へ』はもうすぐ完結です。あともう少しだけ、お付き合いしていただけると有難いです。どうぞよろしくお願いします。




