21.森の異変
後半、シャイルsideです。
森の中が、騒めいていた。
落ち着きを無くした鳥達が一斉に飛び立ち、兎や鹿、その他の森に住まう獣達までもが怯えながら、リリアとクロウがいる崖とは反対の方向へ一目散に駆け去って行く。
あれほど晴れ渡っていた空には暗雲がたち込め、重苦しい空気が森を覆っていた。
崖の上では僅かに吹いていた風さえもぴたりと止まり、ただならぬ静けさがあたりを包み込んでいる。
だが、静寂を破って、サンタンが黒い服装の男達を引き連れて森の中から姿を現した。男達の中に弓を持った者がいる。おそらく、この男がクロウに矢を向けたに違いなかった。
男達は前だけに視線を集中しており、誰一人として森の異変にまったく気付いていないようだった。自分達に幸運をもたらす娘が目の前にいるのだ。彼らにとって障害になっていた男も今は地面に倒れたまま動かなくなっている。彼らは獲物を狙う狼の群れのように、今にも舌なめずりしそうな様子で徐々にリリアとの距離を縮めて行く。
「くくくっ。鬼ごっこは終わりですかな?」
サンタンは高揚した気持ちを抑えきれず、喉の奥を鳴らした。
彼は事がすべて自分にとって都合がいいように動いていると感じていた。死んだはずであったこの国の王女が手に入るという、思いもよらぬ好機が訪れようとしているのだ。
当初は伯爵へこの娘を『精霊の乙女』としてうまく売り込み、馬鹿な伯爵が内乱を起こしてくれれば、双方へ武器を大量に売れると考えていた。
そこで、王都へ着くなり今の国王に不満があった伯爵へ打診してみれば、案の定彼はすぐさま話に乗って来た。早速娘を手に入れるために動いたにも関わらず、一度は見失ってしまったが、目障りだったエルバハルの屋敷にいるのを忍び込ませていた密偵から連絡を受け、その懐からこの娘をまんまと奪い取ってやったのだ。さすがにその時は王女であるとまでは分からなかったのだが。
『緑色の瞳は精霊の乙女の証し。乙女を手に入れた者はこの国の主となる』
サンタンの脳裏に古くから伝わる言葉が過った。
確かに、その乙女を手に入れた者はこの国を手に入れる事ができるというのはどうやら本当のことのようだ。この娘を手に入れることができれば、彼女の背後でこの国を操ることができるのだから。
サンタンは王女を手に入れてからのことを想像し、ほくそ笑む。
美味い具合にクロウが欲深い伯爵を始末してくれたおかげで、やっかいだと思っていた伯爵の私兵と一戦交えずに済んだことといい、やはり自分に運気が向いて来たのだと確信せずにはいられない。
彼は逸る気持ちを押さえながらゆっくりと王女の元へ向かう。だが、王女の数歩手前まで来たところでぴたりと足が止まってしまった。毒に倒れたとはいえ、クロウの反撃を警戒してのことだ。それほどにクロウの存在は恐怖だった。男達もサンタンにならい足を止めたようだ。
「伯爵も、その男も、私を怒らせてしまったことを今頃あの世で後悔していることでしょう。さあ、王女様、あなた様まで私を怒らせないでください。あなた様はもうどこへも逃げる場所などないのですから。大人しく私共と一緒に来……」
ふいにサンタンが言葉を途切れさせた。その背後で他の男達もみな口を開けたまま瞠目している。
動かなくなったクロウを守るように覆い被さっていたリリティシア王女の小さな体から、突如美しい新緑色の光が、まるで炎のように揺らめきながら立ち上り始めたのだ。その光はすぐに彼女の体を包み、クロウの体までもが光に覆われていく。
「な、何だ?!これは?!」
「う、うわっ!」
立ち竦む男達の足元がいきなり大きく揺れた。咄嗟にその場にしゃがみ込んだ男達の顔は恐怖で強張っている。
「落ち着け!すぐに収まる!」
サンタンは自分に言い聞かせるように叫んだ。
彼の言葉どおり、すぐに揺れは収まったが、何かが地中を移動しているかのような異様な地響きか徐々に大きくなってきていた。
男達は何かとんでもないことが起きようとしていることを肌で感じ取り、怯えた目で落ち着きなくあたりを見回している。中には大きな体を小さく縮めて、森の精霊達が怒っている、と呟きながら、がたがたと身を震わせている者もいる。
突如、心臓が止まるかと思うほどの大きな音が響き、地面に大きな亀裂が走った。男達はいまだかつて無い恐怖に震え上がった。
だが、彼らに襲い掛かる恐怖はそれで終わらなかった。地面の割れ目から何か得体の知れない物がまるで蛇のように身をくねらせながら、いくつもいくつも這い上がって来たのだ。それは大小の違いはあれど、よく見れば木の根のようにも見える。だが、ふつう木の根がまるで生き物のように蠢く事などありえないことだった。
その場にいた男達は一人残らず恐慌状態に陥った。
「ば、化物だ!」
みな口々に叫びながら必死でその場から逃げ出した。
だが、地中から現れたその化物達は、まるで意思を持っているかのように逃げ惑う男達に容赦なく襲い掛かり始めたのだ。化物達は男達の悲鳴まで奪うかのように、彼らの体に幾重にも巻き付いたまま軽々と空高く持ち上げていく。空中で大きく振り回され、すでに気を失っている者もいる。
そのあまりにも非現実的で常識を超える恐ろしい光景を目にし、腰を抜かしたサンタンは無様な姿で地面に這いつくばっていた。先ほどまで優越感に満ちていた顔は今ではひどく蒼褪め、口はわなわなと震え、血の気の失せた頬はひどく引き攣っている。
「許さない……」
まるで脳に直接響くような不思議な声に、サンタンは反射的に声のした方へ顔を向けた。その視線の先には、大地に力なく横たわるクロウの側でゆっくりと立ち上がるリリティシア王女の姿があった。新緑色の光を全身に纏い、肩にも届かない短い髪が風も無いのにはためきながら目にも分かる速さでゆっくりと伸びていく。そして、表情の欠けた美しい顔に怪しく光る翠玉の瞳がサンタンに向けられた。
「ひぃぃぃ────」
人知を超えた恐怖に這いながら必死で逃げようとしていたサンタンの足にも、とうとう化物が絡み付いてきた。払い落そうと躍起になっていたが、あっという間に彼の体は宙づりにされてしまった。
「ぎゃぁぁぁっ!」
サンタンは悲鳴を上げながら、死に物狂いで自分の足に絡み付いている物を掴む。それは紛れもない木の根だった。だがやはり普通の木の根ではなかった。彼の足を強く締めつけながら、どんどん絡み付いてくるのだ。
「くそっ!私は木の根ごときにやられるような男ではないぞっ!」
そう叫びながらサンタンは隠し持っていた短刀を取りだし、足に巻き付いている木の根に何度も何度も刃を突き立てた。
「このっ!化物め!化物めっ────!」
すると突然、彼の足を締め上げていた強い力が緩んだ。
「どうだ!えっ?!」
喜びも束の間、絡みついていた木の根からすっぽりと足が抜けたサンタンの体は、まるで吸い込まれるように崖の下へと真っ逆さまに落ちて行く。彼の悲鳴と共に。
「わあっ!な、何だ?!」
森を抜けたとたん、驚きのあまり言葉を失ったシャイルの横で、ルイが声を上ずらせている。
リリア達を探しに森へ入っていたシャイルとルイは、男達の悲鳴を聞きつけ駆け付けて来ていた。だが、彼らの目の前では信じられない光景が広がっていたのだ。
地中からいくつも伸びあがっている得体のしれない物に体中を巻き付かれた男達が、空中で宙づりになっていた。そんなものを見て驚かずにいられるわけがない。
「何が起きているんだ?」
慌ててルイと共に茂みに身を顰めたシャイルは、木の蔭からそっと様子を覗う。
シャイルとルイは少し前にリリアが捕らわれていた屋敷にたどり着いていた。
襲って来た男達の口を割らせたシャイルは、バルデン伯爵という男がリリアを攫った男達の黒幕であり、その男のもとへリリアが連れていかれたことを知った。彼はリリアの居場所を吐かせると、すぐさまたった一人で飛び出して来たのだ。どうやらその後を、ルイが追いかけて来ていたようだ。その道中、遠くから聞こえて来る何かが壊れる大きな音に気をもみながら、二人は廃墟のような屋敷にたどり着いた。
「門が壊されている!」
あきらかに壊されたばかりの門を抜け、まるで飛び込むような勢いで二人は屋敷の中に入って行った。
建物の中はすでに戦闘の後だった。階段や廊下に大勢の剣を持った男達が倒れている。どの男もぴくりとも動かない。
「……みんな死んでいるのか?クロウは、こいつらとたった一人で戦ったのか?」
ルイが倒れている男の傍らに膝を付く。シャイルは男達に目もくれず、階段の上へ視線を向ける。
(リリア!どうか無事でいて!)
今シャイルの心を占めるのはリリアの事だけだった。他のことなど、どうでもよかった。
母を失ったと同時に、生きる気力も失った。だが、それを救ってくれたのが先生とリリアだった。まるで精霊の導きのように、母を失う前日に偶然に二人と出会い。まるで母を失った喪失感を埋めるようにシャイルは二人を愛してきた。いつのまにか二人はシャイルにとってかけがえのない存在になっていたのだ。
ずっと慈しみ大切に守ってきたリリアが、今彼の知らないところで危険な目にあっていると思うだけで気が狂いそうだった。
「リリア!どこにいるの?リリアっ!私の声に答えて!お願いよ!」
「シャイル!」
言葉使いを取り繕う余裕は無くなっていた。一心不乱にリリアの名前を呼びながら階段を駆け登ろうとしたシャイルをルイが呼び止めた。シャイルが振り返れば、倒れている男の胸に耳を当てていたルイの真剣な瞳とぶつかった。
「……死んでいない。みんな気を失っているだけだ。もちろん怪我をしているから、このままほっておけば間違いなく死んじゃうと思うけど……」
反射的にシャイルは近くに倒れている男達の脈を取った。確かに昏倒しており、しっかりと心臓は動いている。
「クロウは一撃で倒せなかったのか?こいつらそんなに強かったっていうのか?」
「いいえ、彼は……おそらく戦い方を変えたのよ。人を殺さぬように」
困惑するルイに答えながら、シャイルは右手をぐっと握り緊めた。そして、二階へと続く階段を見据える。
(こんな孤立無援な状況下で、あの男が突然戦い方を変えた?なんて無謀なの?!……リリアのために?まさか────)
シャイルはまるで答えを追い求めるように、二階へ向かって駆け登って行く。すぐ後ろをルイの足音が追ってきた。シャイルは倒れている男達を目印に、薄暗い廊下を抜け、屋敷の最奥の部屋に辿り着いた。部屋の扉の前にも剣を持った男達が倒れている。やはりどの男も傷を負ってはいるが命に係わるような傷は無く、ただ気を失っているだけのようだ。どうやらクロウの剣の腕はシャイルの想像を超えていた。
「リリア!」
大切な少女の面影を追い、シャイルは光が射す部屋の中へ飛び込んだ。
だが、静まり返った部屋の中には彼の追い求める少女の姿はなかった。思った以上に広い部屋の中にはやはり気を失った男達が倒れているだけで、どこにもリリア達の姿は見当たらない。
シャイルは無意識に胸元をきつく握りしめていた。。
「やっぱりクロウ達はいないね。あいつおチビさんを無事に助け出せたのかな?……!あの男は?」
ルイが部屋の中央で倒れている男のそばへ駆け寄る。その男だけがこの部屋で場違いな寝衣を纏っていた。
「おそらく、その男がバルデン伯爵のようね」
「じゃあ、こいつがおチビさんを攫うよう命じた男なんだ!」
背後に立ったシャイルにルイが視線を向けた。
「……この男は一撃だね」
「ええ、そうね。おそらくその背中の傷は肺に達しているわ。……この男、リリアに危害を加えたんだわ」
「何で、そう思うのさ?」
冷ややかに男を見下ろしているシャイルの顔をルイは覗き込むように尋ねてきた。シャイルは男の手の甲を指し示す。
「この男の手の甲を見て。このひっかいて出来た傷はとても新しい。きっとリリアが必死で爪を立てた跡よ」
「……血が出るほどひっかくなんて、何があったんだろう」
分からない。とシャイルは答えた。だが、シャイルは確信していた。リリアはおそらくこの男に酷い目に合わされたのだろう。それもクロウの目の前で。そうでなければここまで誰も殺すことなく、だが二度と襲ってこないように相手を気絶させながら戦って来たあの男が容易く戦い方を変えるとは思えなかった。
そんな風に思う自分にシャイルは驚いていた。
(あの男だけは認めたくない。あの男は私からリリアを奪ってしまう……)
「じゃあ、二人はどこへ行っちゃったんだ?ちゃんと逃げられたのか?」
苦悩するシャイルとは打って変わってクロウを信用しきっているのか、あまり慌てた様子もないルイが窓から顔を出して辺りを見回している。だが、その男から息を飲む音がした。
「シャイル……二人は、きっと森の中だ」
「森?」
外に何かを見つけたらしいルイが呆然とした様子で呟く。シャイルも急いでルイの横に並び、目下に広がる森を見下ろした。
森の中から鳥達が高い鳴き声を上げながら飛び去って行く。その数が尋常ではない。シャイルはルイと視線を交わすと、森へ向かって部屋を飛び出して行った。
森の中に入った二人は、慌てふためく動物たちの群れが目の前に飛び出してくるのをなんとか避けながら奥へ奥へと進んで行く。そして、突如として聞こえて来た男達の悲鳴を頼りにこの崖の上へ駆け付けて来たのだ。
「リリア!」
シャイルは状況も見ずに茂みの中から飛び出そうとした。リリアの姿を見つけたからだ。
「駄目だよっ!あんたもやられちゃうって!」
ルイが大慌てでシャイルの体にしがみ付いてきた。シャイルは視線を前に向けたままもがく。
「離して!リリアがいるのよ!あそこに、リリアがいるのよ!」
「ちょっと、冷静になりなよ!シャイルには化物が見えてないの?それに、おチビさんはあんなに髪は長くないよ!」
「えっ?!」
シャイルは動きを止めた。
確かにリリアは髪を短く切ってしまっていた。そう気付いたとたん、冷静に目の前の状況が見えてきた。ただ目を疑いたくなるような状況が。
蠢く得体の知れない物達の向こうに美しい衣装に身を包んだ少女が立っている。淡い金色に輝く長い髪がまるで強い風に煽られているように大きくはためいている。
(あれはリリアよ。私がリリアを見間違うはずがない。でも、あの子の体を包むあの光は何?瞳が光って見えるのはなぜ?)
「リリア……」
目を見開いたまま、シャイルはルイに引きずられるように力なくその場に膝を付いた。
「あそこで倒れているのは、クロウか?」
どれほどそのままでいたのだろうか?背後から掛けられた声に、弾かれたように振り返った。そこにいたのはがっしりとした体躯の男、ガルロイだった。
「団長!」
ルイが安堵とも歓喜ともとれる声をあげた。
「すまん、遅くなった。……で、何が起きているんだ?」
「俺達もさっきここへ来たばかりなんだ。何が起きているかなんて、俺が聞きたいよ」
ルイの横に彼らと同じようにしゃがみ込んだガルロイは、泣き言をもらすルイの頭に大きな手を置き、真剣な眼差しで、茂みの外を見つめていた。
「……おまえ達はここにいろ。もうすぐ、王都から援軍が来ることになっている。廃屋に転がっている男達も一人残らず連行してくれるだろう」
「団長はどうするのさ」
立ち上がったガルロイをルイは不安そうに見上げた。
「何が起きているかは分からんが、クロウの様子がおかしい。……それに、あの少女は、王女殿下なのか?」
「リリアよ。間違いないわ」
まるで呻くように答えたシャイルに、ガルロイはつと視線を向け、空いている左手をシャイルの頭の上に乗せた。
「心配するな。大丈夫だ」
そう言うと、ガルロイは剣を抜き、茂みから飛び出して行った。彼は蠢く化物達の合間を駆け抜け、リリアとクロウの側に駆け寄って行く。だが、あとわずかのところで背後から襲って来た化物に捉えられてしまった。
「おやじ!」
ルイが悲鳴にも似た叫び声を上げ、ガルロイを助けに飛び出して行く。シャイルも彼の後を追って駆け出していた。
今回も読んでくださり、ありがとうございます。とうとう21話まで来ました。ここまで書いてこれたのも読んでくださる方がいらっしゃったおかげです。感謝しています。本当に、ありがとうございます。残り数話となりました。どうか最後までお付き合いいただけえると嬉しいです。




