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王都へ  作者: 待宵月
17/73

17.夜明け

やっと、クロウとリリアの出番です。

*2016年11月29日加筆しました。

 夜が明けるまでには、まだ間があった。

 季節は春とはいえ、朝晩はまだずいぶんと冷えこむ。

 町外れの森の中に、ぽつりと大きな屋敷が建っていた。塀は立派であったが傷みが激しく、随分と長い間手入れがされていないようだった。建物の中も外見と変わらず、床や壁が酷く傷んでいる。だが一室だけ、壁に掛けれたオイルランプが室内を明るく照らしていた。ただ広いだけで室内には家具や装飾品など一切なかったが、古びた暖炉の中では入れられたばかりの火が赤々と燃え、室内を徐々に暖め始めていた。

 その暖炉の前に、部屋の雰囲気とはあまりに不似合いな質の良い寝衣を身に纏った三十代半ばの男が立っていた。寝ているところを起こされたらしく、不機嫌そうに眉間に皺を寄せている。この男は何か理由があって屋敷にほんの一時留まっているだけのようだった。

 男は黙ったまま足元を見下ろしている。そこには美しい少女が横たわっていた。

 若草色の美しいドレスに身を包み、淡い金色の髪は所々ほつれてはいるものの綺麗に結い上げられ、質の良い髪飾りで止められている。


「……っ……」


 少女が辛そうに眉根を寄せた。彼女の長い睫が震え、ゆっくりと瞼が上がっていく。そして現れたのは、この国ではとても珍しい澄んだ翠玉のように美しい瞳。

 この少女はエルバハルの屋敷から攫われてしまったリリアだった。

 男は膝を折りリリアの瞳を無遠慮に覗き込む。暗く濁った男の目が驚きで大きく見開かれた。


「おおっ!本当に翠玉の瞳をしている!まさに伝説の精霊の乙女ではないか!」


 歓喜した男は手荒にリリアの顎を掴むと、まだ視点が定まらないその珍しい瞳をまるで値踏みするかのように凝視する。


「気に入っていただけましたか?マグヌス・バルデン伯爵様」


 背後から掛けられた静かな男の声に、伯爵と呼ばれた男は思い出したように振り返った。その視線の先には豊かな髭を蓄えた初老の男が部屋の隅に控えている。

 リリアがはじめて馬車に乗った時に、親切にしてくれた男だ。


「……かなり手間取ったようだな。おまえから連絡を受け、この私がわざわざ出向いてやったというのに、まさかこのような森の中にあるぼろ屋敷でこれほど待たされることになるとは思いもしなかったぞ」

「申し訳ございません」


 伯爵に当てこすられても男は嫌な顔ひとつせず、恭しく頭を下げる。


「まあ、良い。こうして、この娘が手に入ったのだからな。ご苦労だったな。サンタン」


 気を取り直した伯爵が労いの言葉を掛ければ、サンタンは安心したように笑みを浮かべた。


「では、満足していただけたのでしたら、約束の物をいただけますかな?伯爵様」


 伯爵は鷹揚に頷くと扉の傍に控えていた男達に目配せをする。男達はその視線を受け、すぐに用意されていた二つの袋をサンタンへ差し出した。


「どうぞ」


 サンタンは重い袋を受け取ると、その一つを開け、中を覗いた。中にはオイルランプの光を受け、美しく輝く金貨がぎっしりと詰まっていた。

 サンタンは目を細め、満足そうに微笑んだ。

 

「確かに受け取りました。伯爵様、また何かご用がございましたら、私めになんなりと御申しつけください。私ならばあなた様のご希望にきっとお応えすることができるでしょう」

「ああ、そのようにしよう。今日は、もう下がってよいぞ」


 伯爵は用が済んだとばかりに左手を軽く振り、サンタンに部屋から出るよう促す。


「では、また」


 サンタンは深くお辞儀をすると、静かに部屋を出て行った。立ち去っていく足音が聞こえなくなると、伯爵は控えていた男達に冷酷な眼差しを向けた。


「やれ」


 伯爵の声が室内に冷たく響く。男達は心得たとばかりにサンタンの後を追うように部屋を出て行った。

 扉が音もなく閉じられ、リリアと二人きりになった伯爵はまだ薬のせいで意識がはっきりとしていない彼女の耳元に口を寄せ、まるで酒にでも酔ったかのように高揚した様子で囁く。


「誰が言いだしたのかは知らぬが、この国の貴族の間では、精霊の乙女を手に入れた者は国をも手に入れることができると、まことしやかに囁かれている。ならば、この私が北の小国なんぞの血が流れた男の手からこの国の王位を奪い取り、その事を証明してみせようではないか。なあ、乙女よ」


 伯爵は、野心に燃えた目を窓の外へ向ける。

 真っ暗だった空は徐々に白み始め、もう間もなく日の出を迎えようとしていた。


「もう間もなく夜が明ける。まさしく私の夜明けだ」

「────あ、あなたは、誰ですか?」


 やっと意識を取り戻したリリアが、見覚えの無い男に顎を掴まれた状態に怯えた声を上げた。


「おや、お目覚めですかな?」


 優越感にひたっていた伯爵は再びリリアを見下ろしてきた。


「あのっ!離してください!」


 リリアは怯えながらも、伯爵の手から逃れようと必死でもがく。だが、さらに強い力で右肩を掴まれ思わず悲鳴を上げる。


「くくくっ、そんなに怯えるな。あまり怯えた顔をされると、もっと虐めたくなるではないか」


 掴んでいる伯爵の指が肩に容赦なく食い込んでくる。その痛さにリリアが顔を歪めれば、伯爵は残忍な笑みを浮べた。そして、リリアの肌の感触を楽しむように、顎を掴んでいた指先を徐々に頬へと這わせていく。


「嫌!」


 ぞくりとした悪寒を感じ、リリアは思わず顔を背けた。

 しかし、すぐさま伯爵はリリアの頭部を両手で掴むと、恐怖で怯える顔を無理やり自分の方へ向かせる。


「良く聞け。おまえは今日から私のものになったのだ。私に対し、今後はどんなことでも嫌だとは言ってはならぬ。……まあ、言わせないがな。ふふふ」

「な、何を言っているの?!」

「今にわかるさ」


 伯爵がにやりと笑う。

 絶望がリリアを襲った。もう逃げることも出来ず、ただ怯えることしができなかった。

 その時、扉が激しく叩かれ、見張りの男が駆けこんできた。


「大変です!男が一人侵入しました!その娘を返せと言っています!」


 まるで喜びに水を差すような報告に、伯爵はさも煩わしそうに知らせに来た男を睨んだ。そして、いらいらとした口調で命じる。


「いちいちそのような些細な報告など必要ない!さっさとおまえ達で始末しておけ!」

「で、ですが!恐ろしいほど強く……」


 なおも言い募る男の背後で、両開きの扉が大きな音を立てて勢いよく開いた。


「何事だ?!」

「バルデン伯爵様!早くお逃げください!」

 

 見張りをしていた伯爵の私兵達がどっとなだれ込んで来た。どの男も剣の先を扉の外に向け、じりじりと後ずさりながら後からやってくる誰かを酷く警戒している。扉の外から聞こえてくる絶叫が段々と近づいて来ると、さすがに身の危険を感じたのか、伯爵は床に転がしていたリリアを引き摺るように立たせ、まるで彼女を楯のように自分の体の前に押しやった。


 ぎゃあぁぁぁぁっ!


 扉近くで上がった断末魔の叫びと共に突然人垣が割れ、ゆっくりと黒い人影が現れる。どれほどの人数の血を吸ったというのだろうか、その者が持つ剣の先から血が一滴床にぽとりと落ちた。


「誰だ!おまえは?!」


 突然現れた男は、伯爵が背後から羽交い絞めにしているリリアの姿を目にした途端、彼の黒い瞳がさらに剣呑さを帯びる。


「その汚い手を、リリアから離せ!」


 唸るような低い声が、緊張をはらみ静まり返った部屋の中に響いた。


「クロウ!」


 リリアは喜びに満ちた声でその男の名を呼んだ。

 身をよじり助けに来た男に向かって必死で手を伸ばす少女の姿を忌々しそうに見下ろしていた伯爵は、突然冷酷さを取り戻すと、にやりと口の端を上げた。


「馬鹿な男だ。この娘をたった一人で助けに来たのか?おっと、近付くなよ」


 男はリリアの細い首を右手で掴んだ。そして、クロウに見せつけるようにゆっくりと締め上げていく。


「……くっ……」


 リリアが苦しそうに顔を歪めた。


「やめろ!」


 明らかに動揺を見せるクロウの姿に、伯爵は満足そうな笑みを浮かべる。


「それほど、この娘が大切か?ならばその血に濡れた剣を下に置け。早くしろ!それとも、この娘の細い首がどこまでもつのか、試してみるか?」


 クロウの整った顔が苦痛に歪む。だが、伯爵を睨みつけながら、言われたとおりゆっくりと剣を床へ下していく。その姿を緊張した面持ちで取り囲んでいた伯爵の兵達は、彼に剣を向けたままじりじりと囲みを縮めはじめた。


「!……うっ……だめ!ク、クロウ……逃げて!っ────」

 

 リリアは首を絞めつけられながらも、必死で声を上げた。そして、彼女の首を掴んでいる手に有らん限りの力で爪を立てる。


「痛っ!」


 リリアの爪が伯爵の皮膚にくい込み、そこからわずかに血が流れると、伯爵はその痛みに手を離した。


「貴様!」


 傷ついた手を押さえながら激怒した伯爵は、力任せに彼女の白い頬を打った。リリアの小さな体はその衝撃で飛ばされ、床の上で一転すると、そのまま床に倒れ伏す。勢いで外れた髪留めが音を立てながら転がっていく。


「リリア!」


 クロウは置きかけていた剣を掴むと、一斉に襲って来た男達の剣をはじき飛ばし、伯爵に目がけ掴んでいた剣を力任せに投げつけた。


「ぐふっ……」


 倒れているリリアの髪を鷲掴みにし、引きずり上げようそしていた伯爵の背に剣が深々と突き刺さる。伯爵は大きくのけぞると、膝から崩れ落ちた。そして、力なく床に突っ伏すと、そのまま動かなくなってしまった。


「おまえ達も同じようになりたいのか?命が惜しい者は、すぐにここから立ち去れ!これ以上命を無駄にするな!」


 すでにリリアのそばに駆け寄っていたクロウは、彼女を背に庇いなら声を張り上げる。その手にはすでに剣が握られていた。伯爵の私兵達は一様に動きを止め、お互いの顔を見合わせる。


「────それとも、まだ俺と戦いたいのか?」


 剣を構え直し、まるで獲物を狙うような鋭い眼差しをクロウは男達に向けた。


「う、うわぁぁぁぁっ!」


 突然、一人の男が大声を上げて、部屋を飛び出して行った。するとまるで恐怖が連鎖したかのに我先にと主を失った男達が我先にと、廊下を走り去って行く。

 クロウはさっと視線を動かし周りに敵がいないことを確認すると、すぐに片膝を付き、リリアの体をそっと抱き起す。

  

「リリア……大丈夫か?」


 男に殴られたリリアの頬は赤く腫れていた。

 クロウはとても辛そうな表情を浮かべ、まるで傷を癒そうとするかのように自分の大きな掌を彼女の頬にそっと添える。

 

「すまなかった。俺がそばにいながら……」

「クロウ」


 痛さと緊張が緩んだせいなのか、クロウを見つめるリリアの澄んだ瞳から大粒の涙がぽろぽろと溢れては流れ落ちていく。その姿に、クロウは胸が締め付けられるような痛みを感じ、リリアの華奢な体をそっと抱き寄せた。


「もう、大丈夫だ。リリア」


 彼の肩に顔を埋めたまま、リリアは静かに泣き続けた。その間、クロウは肩を震わせて泣く彼女の背をまるで幼子をあやすかのように優しく撫で続ける。

 

「さあ、リリア。みんなのところへ一緒に戻ろう」


 少し落ち着きを取り戻してきたリリアに、クロウは優しく声を掛ける。その声に答えるように、リリアはゆっくりとクロウの肩から顔を離した。

 だが、クロウの肩越しに見えた光景に、リリアは言葉を失う。

 開ききった扉から続く長い廊下には大勢の男達が血を流し倒れていた。そのあまりにも凄惨な状況に衝撃を受けたリリアは目を背けることが出来ず、ただ目を見開いたまま体を小刻みに震わせ始めた。 

 その様子に気付いたクロウは、まるで世界から彼女を遮断するかのように強引にリリアの額を自分の肩に押し当てる。

 そして一度瞼を閉じると、覚悟を決めたように目を開けた。


「……俺が、怖いか?リリア」


 クロウの静かな問いにかけに、リリアは彼の肩に顔を埋めたまま、小さく首を振った。そしてゆっくりと肩から顔を離すと、彼女をじっと見つめているクロウの目を真っ直ぐに見上げる。


「……人が、たくさんの人が、血を流して倒れていて、……とても……恐ろしいです」


 クロウの黒い瞳が揺れる。

 リリアは出会ってから始めて見せるその頼りなげな眼差しを、優しく包み込むように見つめ返す。


「あなたも、あの人達の中で倒れていたかもしれないと思うと、もっと恐ろしいです。怪我をしていませんか?クロウ……」


 クロウははっとしたように目を大きく見開き、すぐに苦しそうに顔を歪めた。だが、リリアから視線を逸らしはしなかった。


「リリア、聞いて欲しいことがあるんだ」


 リリアはクロウの真摯な眼差しを受け止め、ゆっくりと頷いた。


「……俺は、物心着く頃にはすでに剣を握っていた。傭兵を生業とする集団の中で俺は育ったんだ。俺達は戦という血の匂いを嗅ぎつけ、戦場から次の戦場へと渡り歩いていた。まるで血に飢えた獣と同じだ」


 自分の過去を語り始めたクロウの声は、とても固いものだった。彼は自分達の事を獣に例えたが、クロウの優しさを知っているリリアには、彼を含めクロウを育てた人達がどうしても恐ろしい人達だとは思えなかった。


「他のみなさんは、今どこにいらっしゃるのですか?」

「……この国よりもっと東にある、荒れた大地で眠っている」


 クロウは一度言葉を切り、まるで祈るように目を閉じた。


「俺達は囮に使われ、全滅した。よくある話だ。俺も例にもれず仲間達の死体の中に埋もれるようにして生死を彷徨っていた。ちょうどその時、たまたま珍しい薬草を取りに来たお人好しな男が、まだ息があった俺を見つけ、助けてくれたんだ」


 クロウが語る彼の過去はあまりにも壮絶だった。

 以前、彼の古傷を目の当たりにしているリリアは苦しむクロウの幻影が見えて。酷く心が痛んだ。だが、彼は感情を表に出さず、とつとつと語っていく。リリアにはただ彼に寄り添い、静かに聞くことしか出来なかった。


「意識が戻った俺は、その男に聞いたんだ。なぜ、俺なんかを助けたのかと」


 クロウはリリアを見つめる。だが、その瞳は凪いでいて、心の内を読み取ることが出来なかった。


「『人の命を助けるのに、理由が必要ですか?私は、ただ自分が出来ることをしただけですよ』と、その男は当たり前のように言ったんだ。そして、『あなたの仲間の方々も同じです。一番若かったあなたを庇うように亡くなっていました。死んだ後も、彼らの亡骸が容赦ない太陽の熱と過酷な夜の冷気から私が来るまであなたを守っていたのですよ』と。胸が熱くなった。俺はたまたま生き残ったのではなかった。仲間が俺を生かしてくれていた。その瞬間に、俺も誰かの命を助ける事が出来る人間になりたいと思ったんだ」


 感情を抑えていたクロウの眼差しに熱がこもる。


「俺は、ガルロイ達に出会って、その機会を得る事ができた」


 大きな両手がリリアの頬を包む。迷いの無い真っ直ぐな眼差しが翠玉の瞳を捉えた。


「そして、俺はおまえに出会ったんだ」


 その時、山々の影から現れた朝日がリリアの顔を照らし、クロウは眩しそうに目を細めた。


「俺は本当は仲間達と共に死にたかった。だが今は生きている事に感謝している。……おまえと共に生きていきたい」

「クロウ……」

「愛している。リリア」


 リリアの瞳から涙が一滴流れた。朝日に輝くその涙は幸せの涙だった。


「私も、あなたを愛しているの……」

「リリア」


 眩しいほどの朝日の中で、二人の影が重なる。

 クロウの心が初めて満たされた瞬間だった。


お待たせいたしました。やっとクロウとリリアが書けました。いったい誰が主人公なのかと思うほど、二人が出て来ませんでした。自分でも驚いています。何て長い夜だったのでしょう。さて、今回も読んでくださったみなさま、本当に有難うございます。読んで下さる方がいらっしゃるお陰で、なんとか続きを書くことができます。これからもどうぞ宜しくお願いします。

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