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王都へ  作者: 待宵月
16/73

16.アルフレッド王死す。

過去編です。

 時は遡り、十四年前、ベルンシュタイン国は平和で活気に満ちていた。 

 厳しい寒さを乗り越えたベルンシュタインの王都に、早春の柔らかな日差しが降り注いでいる。この頃になると自然と華やいだ気持ちになるものだが、この年は特に、民の心はみな浮足立っていた。

 リリティシア王女が無事に一歳を迎え、お祝い気分が抜けきらないままその翌月には華やかな花祭りが執り行われるのだ。明るい雰囲気が続く王都では民の顔には自然と笑みがこぼれ、幸福に満ちた瞳が白亜の王城に向けられる。

 その王城の中庭に面した回廊を堂々たる風貌の男が、部下らしい五人の兵士を引き連れ、王の執務室へ向かっていた。


「……兵の数が、少ないですね」

「当然だ。東の国境近くで起きた小競り合いを鎮圧するために、昨夜秘密裡にシュティル王弟殿下が兵を連れて向かわれているのだ。だからこそ、我らは今ここにいるのではないのか?」


 先頭を歩いていた男が背後の男に視線だけ向け、憮然とした口調で答える。


「くくくっ。そうでしたね。あまりにこちらが望む状況が重なるので、罠である可能性も考えていたのですよ。フクス将軍閣下」


 まるで当てこするような口調に、西の砦を守るベルンシュタイン国の将軍クラード・フクスは眉間に深く皺を寄せた。フクスの不機嫌を感じ取った男は満足そうににやりと笑うと、外套の下に隠していた一羽の鳥を取り出した。そして、その細い足に小さな筒を取りつけ、空へ放す。


「さあ、これで我が主がすぐに国境を超えて来られる。こちらも、事を急がねばなりませんね」


 飛び去って行く鳥を険しい眼差して見つめていたフクスが再び歩き始めると、背後にいた男達も黙したままその後に従う。

 誰に見咎められる事も無く、男達は長い廊下の先にある王の執務室に辿り着いた。だが、さすがに扉の前にいた近衛隊の兵士二人が男達の姿を捉えると、すぐさま彼らの行く手を遮る。


「待て!ここから先は王の執務室だ。無暗に立ち寄ってはならん!」


 フクスの背後で、男達が剣に手を掛ける気配がする。こんなところで乱闘になるようなことだけは避けたかった。


「ご苦労だな」


 殺気を抱く男達とは対照的に、フクスは穏やかな声で近衛兵達に声を掛けながら近付いて行く。


「フクス将軍閣下!」


近衛兵の一人がフクスに気付いた。二人の近衛兵はすぐに姿勢を正し、握り緊めた右手を左胸に当てる。その姿に背後の男達から緊迫した空気がわずかだが、和らいだようだ。


「これは大変失礼いたしました。西の砦からお戻りだったのですね」


 好意的な笑顔を向けられ、フクスはここへ来て初めて自然な笑みを見せた。


「先ほど、到着したばかりだ。陛下へ重大な報告のため、馳せ参じたのだが、陛下はご在室か?すぐにでもお目通りを願いたいのだが」

「分かりました。では、すぐに確認してまいりますので、ここでしばらくお待ちください」


 近衛兵の一人がすぐさま扉の向こうへ消えると、『念のため、他の近衛隊の居場所を聞いてください』と、フクスにだけ聞こえるように背後の男が小声で囁いた。フクスは拳をぐっと握りしめ、今にも爆発しそうな怒りを抑える。


「……近衛隊は、おまえ達以外見かけなかったのだが、何かあったのか?」


 口調が固くならないように気を付けながら、フクスは残っている近衛兵に尋ねる。


「はい。他の者はみな王妃様の護衛を仰せつかり、今は神殿へ行っております」

「神殿へ?」

「はい」


 まるで足元が崩れて行くような焦燥感がフクスを襲う。危惧していた事が現実味を帯び、改めて自分がしようとしている事の恐ろしさを思い知らされる。


「どうぞ、お入りください。フクス将軍閣下。そして、お連れの方々もどうぞ中へ」


 樫の木で作られた重い扉が大きく開かれ、フクスは重い足を踏み出す。彼を先頭に、背後の男達も執務室の中へ入って来る。

王の執務室は何度も来ているが、今日はやけに部屋の中が広く感じられた。

部屋の正面、最奥の重厚な机の向こうから視線を向けているのは、ベルンシュタイン国の国王アルフレッドだった。彼の傍にはいつものように側近であり侍従を務めるオスカ・フェッセンが控えていた。

数カ月ぶりに見る国王の顔は、光の加減なのかどこか青白く、以前に会った時より幾分痩せたように感じられ、フクスはさらに不安を募らせる。


「久しいな、クラード。おまえが城へ来るのはもう少し先だったはずだな。忙しいおまえが自ら報告に来るとは……その内容とやら、あまり聞きたくはないのだがな」


 どこか茶化すような口ぶりで、アルフレッドが笑顔を見せる。だが、彼の青い瞳の奥で一瞬過った鋭い輝きを、共に戦場で戦ったことのあるクラード・フクスは、見逃しはしなかった。フクスは心が落ち着いていくのを感じていた。


「陛下、ご無沙汰しておりました。新年の挨拶にも参らず、申し訳ございません。……報告の前に、少々気になることがあるのですが、お聞きしてもよろしいでしょうか?」

「気になること?何だ?」


 『何だ?』と聞いておきながら、本当に聞く気があるのか、アルフレッドは再び書類に筆を走らせ始めた。


「花祭りの前だというのに、城の衛兵の数があまりに少ないのではありませんか?それに扉の外にいる二人以外、近衛隊も城にいないと聞きました」

「相変わらず目敏いな、クラード」


 アルフレッドは書類に視線を向けたまま、苦笑を漏らす。


「城の外から見える衛兵の数は減らしてはおりません。実は、東の砦から急な兵の要請があったのです。他国には気取られぬよう昨夜のうちにシュティル殿下が動かせる兵をすべて連れて向かっておられるのです」


 今まで黙って立っていたオスカが、アルフレッドに代わり説明をする。


「そうだったのですか……それで、このような時期なのに城の兵の数が少ないのですね」

「そうだ。悠長に構えていては、花祭りが始まってしまうからな。シュティルにはさっさと片付けて早く戻ってくるように言ってある」

「ではなぜ、このような時に王妃様は神殿へ向かわれたのですか?」

「さあな。私はエレーネ達が神殿へ向かたと、ラファルから報告を受けただけだ」

「宰相閣下からですか?」


 神殿は城の北にある切り立った山の中腹にあり、自然の要塞に守られている。だが、道中はどうしても護衛が必要になるのだ。

 アルフレッドはやれやれとばかりに筆を置くと、書いていた書類をオスカに渡す。オスカは書類にさっと目を通すと、他の書類と一緒に隣室へ運んで行き、すぐに戻って来た。


「今、おそばにおられるのはフェッセン殿だけなのですか?」

「ええ、そうです。今日こそは陛下には溜まっていた書類を片付けていただくために、執務室に二人で籠っているのです。」


 『くくっ』と、フクス将軍の背後で誰かが喉を鳴らした。

僅かな空気の動きに、フクスは咄嗟に横へ飛び退る。彼がいた場所を鋭い剣先が空を切っていた。


「……さすがですね」


剣を下ろしながら、一人の兵が外套を脱いだ。獲物を狙う蛇のような目をした男だった。その男にならい一斉に他の兵達も剣を抜いた。どの男からも戦慣れした雰囲気が漂ってくる。


「おまえ達は、何者だ?」


 誰何しながらすぐに剣を抜いたオスカは、男達を睨みながらアルフレッドを守るように立ち位置を変えた。フクスも王の前へ移動し、剣を構え直す。


「これはこれは、挨拶が遅れてしまい申し訳ございません。私はリコス軍第二王子専属部隊隊長イワン・マクドゥールというものです。どうぞお見知りおきください」

「リコスの死神か……」


そう呟いたアルフレッドは動揺しているような様子はなく、椅子に座ったまま自分に剣を向ける男達を眺めている。


「城内への侵入がこれほど簡単に出来るとは思ってもおりませんでした。拍子抜けしております。ですが、せっかくここまで来たのです。私達を楽しませてください。ベルンシュタイン国の国王アルフレッド・フォン・アーレンベルグ殿」


 どこかあざ笑うような口調でリコスの死神がアルフレッドを挑発する。


「陛下を愚弄するとは……許せん!」


 フクスが剣を構え、リコスの死神に突進していく。だが、その剣をリコスの死神は怯む様子もなく、真正面で受け止めた。


「あなたの役目は終わりました。ここまでの案内、ご苦労でしたね。フクス将軍殿。どのみち国を裏切ったあなたは処刑されるのです。それではあまりに不憫でなりません。希代の戦士らしく、ここで私と戦って死んでください。なに、あなたの大切な奥方もすぐにあなたの元へ送ってさしあげますよ」


 フクスは噛みしめていた歯の隙間から唸るような声を出した。愛妻家である彼は妻を人質に取られ、敵兵を城内へ引き込む役目を担っていたのだ。怒りに駆られたフクスは、リコスの死神に容赦のない斬撃を浴びせかける。その恐ろしいまでの闘気に飲まれ、他の敵兵達は手出しすることもできず、ただ見守るしかなかった。だが、そんな猛将で畏れられているフクスを相手に、死神の異名を持つ男はどこか楽しんでさえいるように見える。


「あなたを含め、最強を謳うベルンシュタイン国は見せかけだけだったようですね。もしくは、平和すぎて地に落ちたのではありませんか?」


 いつのまにか体制を入れ替えたリコスの死神はフクスの剣をぎりぎりと押さえ込みながら、その名に相応しい笑みを浮かべている。


「それは、どうかな?」

「?」


リコスの死神が怪訝な眼差しを声の方へ向ける。

この状況下であっても椅子に座ったまま静観していたアルフレッドが悠然と立ち上がり、突如重厚な机を押し倒した。彼に襲い掛かろうとしていた敵兵達が怯む。フクスはその隙をついて死神の剣を押し返し、背後から襲って来る剣を薙ぎ払いながら、一旦敵兵達からも距離を取った。


「リコスの兵達に、ベルンシュタイン国の本当の姿を見せてやれ!」


 倒れた机に片足を乗せ、アルフレッドは良く通る声を部屋中に響かせる。途端、オスカが出入りしていた扉が勢いよく開いた。


「一人として逃がすな!全員打ち取れ!」


今城には居ないはずの近衛隊の面々がなだれ込んで来たのだ。自分達の倍はいる近衛兵に囲まれ、リコスの兵達の顔が一瞬で強張る。罠だと気付き急いで自分達が入って来た扉を開けようとした者もいたが、すでに外側から鍵がかけられ逃げ出すこともできない。別の王の私室へ続く扉も同じく、押しても引いてもびくともしなかった。


「扉はすべて閉ざしてある。おまえ達は袋の鼠だ!」


 近衛隊を指揮している男が大声を上げた。近衛隊隊長のエドガ・エフェクトだ。彼は、敵兵達にまるで見せつけるように自分達が入って来た扉の鍵を懐へ仕舞いながら、フクスへ視線を向けた。


「フクス将軍殿。すでに、陛下からこの作戦の指示が出ております。何としてもこの者達を打ち取り、リコスとの戦争を回避しましょう!」


 フクスは大きく頷いた。

 一方、敵兵達の顔が歪む。ぎりぎりと歯を鳴らすリコスの死神の剣はすでに近衛兵の血で濡れていた。血走った目がアルフレッドに向けられる。


「くくくっ……これが、罠ですか?逃げられないのはあなたも同じ。我々の狙いはアルフレッド王あなたの命なのですよ!」


 リコスの死神は壮絶に笑うと、向かって来た近衛兵を斬り捨てる。

 だが、強いのは死神だけではなかった。リコスの兵達は敵の城に少人数で乗り込んで来るだけはあり、どの男も屈強揃いで、白兵戦に慣れていない近衛兵達はその剣の前に次々と倒れて行く。

 そして、ついには国王に肉薄する死神を再びフクスが遮り、壮絶な剣の応酬が続いた。


「くくくっ。こうしている間にも、我が第二王子の軍がこの国へ到着する。王弟も留守で国王との連絡も途絶えていれば、さぞかしベルンシュタイン軍は混乱をきたすでしょうね」」

「減らず口を!」


 なおも死闘は続き、ベルンシュタイン側はたった五人の敵兵に対してあまりに多くの犠牲を出していた。


「陛下!」


 切り結んでいた敵兵を斬り捨てたアルフレッドは、突然態勢を崩した。死神はそれを見逃しはしない。ほんの一瞬フクスの視線がアルフレッドに向いたとたん、フクスに体当たりを食らわせると、その隙を突いて剣を支えに片膝を付くアルフレッドに向かって襲い掛かった。だが、その剣先をアルフレッドは辛うじて左手に握っていた鞘で弾いた。


「私が相手だ!」


 アルフレッドと死神の間に無理やり割り込んだオスカが、死神の鋭い斬撃を受け止める。だが、力の差は明らかだった。リコスの死神の剣先がオスカの体に深々と押し込まれる。しかし、オスカは自身の胸に突き立つ剣を両手で掴んで離さなかった。


「オスカ!」

「オスカ殿!」


 すぐに剣を抜き取ることが出来ず無防備になったリコスの死神の背後からフクスが渾身の力で剣を振り下ろした。さすがの死神も血で紅く染まった床にそのまま倒れ込んでいく。


「陛下!」


 フクスは急ぎ王の元に駆け寄る。アルフレッドは顔を歪め、胸を押さえながら、目の前の血だまりの中に横たわるオスカを見つめていた。


「……オスカ……」


 彼は震える指先をオスカへ伸ばす。彼の手で静かに閉じられたオスカの瞼はもう二度と開くことはなかった。

 アルフレッドはふらつきながらもフクスに支えられながら立ち上がり、彼は感情を押し殺した眼差しで、凄惨な部屋の中を見渡した。今この部屋で息をしているはアルフレッドとフクスの二人だけになっていた。


「……」

「陛下。この城内にリコスと通じている者がいると初めにご報告申し上げた時に、陛下にその事を逆手に取る策を講じていただいていなければ、私は謀反人となっていました」


 アルフレッドは静かに目を閉じた。


「これは一つの案でしかなかった。リコスの死神を上手く誘き寄せたのはおまえの手腕だ」

「いいえ。妻が攫われたのは、陛下に最後にお会いしたあとすぐだったのです。これほど、敵が早く動くとは思ってもいませんでした。ですが、敵の手の者は日夜私に張り付いていましたから、私が誰とも連絡を取らなかったことで、みごとに私が国を裏切ると信じ切ったのです」

「……リコスの第二王子は欲を出しすぎたのだ。奴ももう懐刀がいなくなってはこれ以上我が国に戦を仕掛けてくることはあるまい。……だが、内通者をすぐに見つけ出せていれば、おまえは奥方を人質に取られる事も無く、近衛隊達もここで死ぬようなことにはならなかったのだ。……さあ、ここはもういい。おまえはすぐに奥方を救出しに向かえ」

「大丈夫です。妻の居所は分かっています。私がうまく城内にリコス兵を引き込んだ思い、敵も油断しているでしょう。今頃は私の部下達が助け出してくれています」

「そうか。優秀な部下達だな」

「はい。ただ、……城内へ侵入するところを、目敏いガルロイ・ラフィットに見つかってしまいました。彼はこの作戦をまだ知らなかったようですね。敵の目もありましたので戦うしか方法がなく、彼が相手では、なんとか急所だけは外しましたが、手加減をしてやれる余裕はありませんでした。助かってくれればいいのですが」

「……おまえが予告もなく城に現れたと報告があってから始まる作戦だったからな。作戦の内容をみなに説明した時は、ちょうどガルロイが休憩に入った後だったのだ。奴がいれば、ここまで苦戦はしなかっただろうな」


 つとアルフレッドは入り口の扉に視線を向けた。その瞳が冷たく輝く。


「……入って来い」


 鍵が外れる音が異様に静まった部屋の中に響き、ゆっくりと扉が開く。


「陛下」


 ベルンシュタイン国宰相ラファル・ディセントが立っていた。


「おまえだったのだな。……リコスの死神に情報を流していたのは」

「さすがです。気付いておられましたか」

「……残念ながら、おまえだと気付いたのは今朝だ。これまで、何度か主犯者に辿り着きかけたが、その目前で関わったものは全て口封じに殺されていた」

「死んで当然の者達でした」


 黙してはいるがクラードの激しい怒りが感じられる。だが、ラファルは表情一つ変えず、しっかりとした足取りで入って来る。


「……おまえのこの国を思う気持ちはとても強いものだと思っていたのだが、どうやら私の思い違いだったようだな」

「今も変わりなく、誰よりも我が国のことを思っていますよ。陛下」


 言うや否や、ラファルの剣が閃いた。すぐにクラードも剣を抜いていが、死闘を繰り広げた直後の疲弊した身体では、一瞬遅れを取った。その遅れが命取りとなった。ラファルの剣がクラードの体を貫く。


「クラード!」


 絶命し倒れて行くクラードの体を抱き留めながら、アルフレッドは仲間の血で濡れた剣を持つラファルを睨み据える。


「自分のやっている事が分かっているのか!」

「彼にはこの国に謀反を企てた者として、ここで死んでもらわねばならないのです」

「ラファル!」


 アルフレッドの非難する声を無視し、ラファルは何かに取つかれたかのようにしゃべり続ける。


「陛下。もう一つお気付きでしたか?東の砦では小競り合いなど起きてはいないのですよ。シュティル殿下には急いで戻ってくるよう今朝早く使者を送っています。彼なら上手くリコスの軍を蹴散らしてくれるでしょうね。その後は、兄王暗殺の首謀者として死んでいただくのです」


 血で濡れた剣をラファルはアルフレッドの頭上にめがけて振り下ろす。咄嗟にアルフレッドは転がり避ける。


「あなたがいけないのです。あなたの余命があとわずかなどと……リリティシア殿下は一歳になったばかりなのですよ。あなた亡き後、シュティル殿下に王位が取って変わられてしまうではないですか!」

「狂ったか!ラファ……ぐっ」


 突然アルフレッドが苦しそうに左胸を抑えた。一度むせると、口を押さえていた指の間から血が流れる。アルフレッドは吐血していた。


「陛下。あなたの身体が数多の戦のために、これほどぼろぼろになっておられたのですね……。私が今すぐに楽にして差し上げますよ」


 再びアルフレッドに向けられた剣を彼は避ける事が出来ない。


「やめて――――っ!」


 突然、横から飛び出して来た者が剣の前に身を投じる。


「きゃあぁぁぁっ……」


 室内に絹を引き裂くような悲鳴が響いた。


「エレーネ!」


 力の抜けたラファルの手から剣が落ちる。アルフレッドを庇う華奢な背中がどんどんと紅く染まっていく。


 「なぜ、おまえが……ここに?……リリティシア殿下と神殿へ行けと言ったはず……」


 悪夢を見ているかのように、まるでうわ言のように呟くラファルに、美しい顔を苦痛で歪ませながら、エレーネは視線を向ける。


「……神殿へは、行っていないのです。忘れ物を取りに……戻って来て、ずっと、……隣の部屋で聞……」

「エレーネ!」


 崩れ落ちて行くエレーネの体をアルフレッドは残りの力を出し切って抱き寄せた。


「あなた……リリティシアは……ウォルターに、託しまし…た……」

「……ああ。それで、いい……」


 エレーネは震える指先で、アルフレッドの吐血し血に濡れた唇をなぞる。そして、いつもの穏やかな笑みを浮かべ、唇が何かを紡いだが、言葉にはならなかった。


「エレーネ……」


 愛しい妻を抱きしめるアルフレッドの背が小さく震えていた。


「な、何という事だ……これでは、私は何のために……王女を探さねば。……リリティシア殿下を早く探し出さねば!」


 ラファルの声にアルフレッドの青い瞳が向けられる。その眼差しが鋭く光った。


「ラファル!」


 アルフレッドは左腕にエレーネを抱いたまま、近くに落ちていた剣を右手で掴むと、渾身の力で剣を突き上げた。ラファルの左腕から鮮血が流れる。


「ぐふっ……」


 傷ついた腕を押さえながら、背後で聞こえた呻き声にラファルが振り向くと、アルフレッドの剣を胸に受けたリコスの死神がそのままゆっくりと仰向けに倒れて行く。その手にはしっかりと剣が握られていた。


「この愚か者……め」

「陛下!」


 アルフレッドは再び大量の血を吐いた。

 彼はおそらく気力だけで動いていたに違いない。愛するエレーネを床にゆっくりと横たえると、そのまま彼女の隣に倒れ込み、紅く染まった手を彼女の青白い頬に添えた。まるで慈しむように。

 そして、アルフレッドは彼女の魂を追うように瞼を閉じていった。

 享年33歳。

 名君で名をとどろかせた、若い王の死だった。



待っていてくださった方々、大変お待たせいたしました。いつも読んでくださり、有難うございます。次回はちゃんと本編に戻りますので、どうぞよろしくお願いします。

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