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王都へ  作者: 待宵月
1/73

1.出会い

異世界(中世ドイツ風)です。

 優しい春の日差しが、道端で咲く小さな花々を照らしていた。もう少しすれば、もっと色とりどりの花々が咲き競うようになるだろう。

 道の両脇から枝を伸ばす木々には、耳に心地良い声で囀っている小さな鳥の姿が見え隠れしている。

 穏やかで澄んだ空気の中、西に向かってまっすぐに伸びる細い道を、小柄な旅人がたった一人で歩いていた。まだどこかあどけなさが残る可愛らしい顔が、フードの下から見え隠れしている。

 この少女の名前はリリア。

 この春、十五歳になったばかりだった。

 リリアは丘を登り切ったところで足を止める。心地よい風がここまでの道のりを労うように紅潮した頬を撫でて吹き抜けて行った。

 彼女が見下ろす先に、目指す町が見える。町の正門前には、2台の箱形馬車がすでに停まっていた。

                     

「あれが王都へ向かう馬車ね。……あんな大きな馬車に乗るのは初めてだわ」


 鈴を転がすような声には、不安の中に僅かな興奮が混じっている。その証に、彼女の翠玉にように美しい瞳はきらきらと輝いていた。その大きな目に映っているのは、馬車の周りに集まる荷物を抱えた人々の姿だった。これから彼等と二台の馬車に乗り合わせて王都へ向け五日間共に旅をするのだ。

 リリアは心を落ち着かせるように大きく息を吸うと、ゆっくりと吐き出した。

 今から少年になりきらなければならなかった。若い女の一人旅は危険だと言い聞かされていたからだ。

 その為に腰に届くほど長かった淡い金色の髪を顎までの長さでばっさりと切っている。本当は肩ぐらいの長さにするつもりだったのだが、自分で切ると思っていた以上に髪が短くなってしまったのだ。

 リリアはそっと首の後ろを触れる。首のあたりがすうすうとして心許なかったからだ。

 だが、気分的には意外とすっきりとしていた。だから、髪を切ったことはまったく後悔などしていなかった。

  

『髪が短くなっても顔がな……』


 近所に住む三歳年下のティムの声が蘇る。リリアはつと自分の服装に目を向けた。この旅の為に、ティムが上着とズボンを譲ってくれたのだ。

 リリアはまるで踊るようにくるりと回ってみる。男の子の服装はとても動きやすかった。


(これなら大丈夫ね)


『絶対にフードはしっかりかぶっていろよ! 自分の事は”僕”って言うんだぞ。いいか! その顔は出来るだけ隠しとけ。 ……でもさ、リリアって、十五歳になったんだよな? なんで顔を隠しただけで女の子に見えないんだ? ああ、分かったぞ! 色気がないんだ! まあ、そのお陰で俺の服を着ても違和感ないから安心だけどな! あっはっはっはっ!』


 ティムが大笑いしながらあまり嬉しくない太鼓判を押してくれたが、やはり不安が消えることはない。

 さらに、彼女を不安にさせているのは、瞳の色だ。翠玉を思わせる強い緑を帯びた瞳は、とても珍しいらしいのだ。

 確かに、この瞳の色を持つ人を他に見たことがなかった。

 もし、悪い人に目を付けられでもしたら攫われて売られてしまうこともあるのだと、強く言い聞かされてきた。

 だから、村から出る時必ず、顔が隠れるようにフードを深く被るようにしている。

 これまでは、守ってくれる人が必ず側に付いていてくれたので、リリアは怖い思いをしたことなど一度もない。

 どれほど大切に育ててもらっていたのか、今なら分かる。

 思わず涙がこみ上げてきて急いで顔を上げた。


「今からは自分のことは自分で守らなきゃ!」


 そう自分に言い聞かせると、気を引き締めるようにフードを目深く被り直した。

 そして、しっかりと前を向き、意を決っして町に向かって駆け出す。


 何としてでも王都へ行こうとリリアは心に決めている。もちろん誰かに強制されたわけではない。自分で決めたことだった。

 一か月前に、両親のいないリリアを大切に育ててくれたおじいさんがこの世を去ってしまった。

 

『大切な友が王都にいるのだが、本当にずいぶんと長い間会っていないな』


 ある日、小さな村では珍しい結婚式があり、いつもは飲まないお酒を飲んでいたおじいさんが、ポツリとこぼした言葉だった。この時に初めて、おじいさんの大切な友人が王都にいることを知ったのだ。

 それからしばらく経った冬の始め、リリアが暖炉の掃除をしていると、灰の中から丸めた紙の燃え残りを見つけた。開いてみると、それは王都の友人に宛てたおじいさんの手紙だった。一部が焼けてしまっていて読み取ることができない所もあったが、おじいさんの想いが伝わってきた。


 どうして会いに行かないの?

 どうしてせっかく書いた手紙を燃やしてしまったの?


 尋ねたい事がだくさんあったのだが、なぜか出来ずにいた。

 そして、おじいさんは春を待たずして、リリアを置いてあの世へ旅立ってしまった。

 あまりに突然で、深い悲しみにリリアはただ泣き続けた。本当に大好きだったのだ。

 とてもとても大切に育ててもらった。

 なのに、何の恩返しも出来なかったことが悔やまれた。

 そんな悲しみに暮れるリリアを立ち直らせてくれたのは、おじいさんの焼け残った手紙だったのだ。


(今からでも、私が出来る事があったわ!)


 それは、おじいさんの手紙を友人の方へ届けること。

 リリアは15歳だ。

 もう小さな子供ではない。

 一人でも王都へ行くことはできる。

 きっとこの手紙をお友達へ届ける事ができれば、空の国に居るおじいさんに胸を張って『私はもう大丈夫。安心して』と言える気がしたのだ。


「あの、王都シェンドラへ向かう一団ですよね?」

「ああ、そうだよ。あんたも王都へ行くのだね? おや? あんた、一人かい?」

「はい。あの、僕、馬車に乗るのは初めてなんです。どうしたら乗せてもらえるのか、教えてくれませんか?」


 豊かな髭を生やした初老の男が、駆け寄って来たリリアを珍しそうにまじまじと見つめてきた。 

 早速、女だとばれてしまったのかと内心ひやひやしていたのだが、彼がにっこりと笑顔を向けてくれたので、とりあえずほっと胸をなで下ろす。


「では、あっちの木陰にいる男の所へ行きなさい。彼が受付をしている。早く行った方がいい。人数がそろえば、その時点で出発してしまうのだからね」

「はい。ありがとうございます!」


 リリアは元気に頭を下げると、教えてもらったとおりに受付をしている男の元に向かった。男は駆け寄って来たリリアをじろりと見た。それだけで思わず俯いてしまう。


「……おまえ、一人なのか?」


 訝る低い声が頭の上から降ってきた。恐る恐る視線を上げる。


「はい。僕、一人です」


 男は見上げるほど大きな体で、太い腕を組んでリリアを見下ろしていた。短く刈られた髪も瞳の色も優しい茶色だというのに、彫が深く精悍な顔つきと、眼光の鋭さにリリアはさらに小さな体を縮こまらせた。


(こ、怖いっ!)


 だが、こんなところで怯んでいては駄目だと自分を叱咤し、フードの下からおずおずと男を見上げる。


「銀貨3枚だ。あるのか?」

「は、はい! お金は、ちゃんとあります!」


 低く太い声で問われ、リリアは急いで腰に巻きつけている袋から銀貨を3枚取り出した。

 五日間の旅で銀貨3枚は非常に高い。

 リリアのいた村では1カ月暮らしていける。だが歩いて王都を目指すとなると、リリアのような者にはどう頑張っても十日はかかるだろと思われた。宿も食事付で安全な所となるとやはり銀貨3枚は必要になるだろう。護衛が付いてたった五日間で王都に到着出来るのだから、銀貨3枚でも安いのかもしれない。

 だが、どちらにしても銀貨3枚はリリアにとっては大金だった。このお金は万が一に備えてこれまでこつこつと貯めてきたものだった。

 男は銀貨を一枚一枚裏と表を確かめていく。その様子をリリアは息をひそめて見守る。


「……いいだろう。おまえは、一番後ろの馬車だ」

「はい! ありがとうございます」


 リリアはフードが外れないように片手で押えながら、荷物を抱えて指示された馬車に向かった。


「おや、あんたもこの馬車かい?」


 馬車に乗り込むと、先ほどの親切な男が声をかけて来た。


「はい。先ほどは、どうもありがとうございました」


 丁寧にお礼を言えば、男は人の良い笑みを浮かべる。


「よければ、わしの隣に座るといい」


 男は奥側へ詰めて座り、入り口側の席をリリアのために空けてくれた。

リリアは再びお礼を言うと、自分のために空けてもらった座席に腰を下ろす。荷物を持ち直し、珍しそうに辺りを見回しはじめた。

 馬車の中はすべての窓が開いていて、思ったより明るかった。座席は左右向かい合うように長椅子が設置されていて、五人がゆったりと座れるようになっている。その座席の下には、荷物が置けるようになっていた。

 乗客は親切な男性の他に、三十代~五十代の男の人が四人と、三人の子供を連れた女の人がすでに乗り込んでいる。どうやらリリアが最後のようだ。

 目線を向いの席へ向ければ、母親らしい女性が座席の下に荷物を押し込んでいた。その横で3人の子供達が興味津々な様子でリリアをじっと見つめてくる。男の子は七歳ぐらいだろうか、小さな妹達の手をしっかりと握ってあげていた。笑顔を向けると、一番小さな女の子が男の子の後ろに隠れて照れた笑みを覗かせる。


(かわいい! マーサおばさん家のアンぐらいの年かしら)


 日の出前に村を出たから、すでに四時間は経っているはずだった。リリアは村のことを思い出したとたん、もう村の事が恋しくてたまらなくなっていた。まだ馬車は動いてさえいないというのに。

 気持ちを切り替えるために外に目を向ければ、木陰にいた受付の男を二人の若い男が取り囲んでいた。どの男も腰に長剣を帯びている。


「どうかしたのかい?」


 席を譲ってくれた男が、心配そうに尋ねてくる。外を覗いているリリアの様子がよほど不安そうに見えたのかもれない。


「あの人達は、何をしているのですか?」

「ははは。そう心配しなくてもいい。今、木の下に集まっている男達はこの一団の護衛達だよ。そういえばあんたは旅が初めてと言っていたな。わしの名はサンタンだ。ちなみに、この一団に世話になるのは三度目になる。一人で旅をするのに護衛など雇えないが、この一団にいれば安全に旅が出来るから助かっている」

「あの人達は護衛の方だったんですね。僕は、リイって言います。これからよろしくお願いします」

「おやおや、ご丁寧に。こちらこそ仲良くお願いするよ」


 ぺこりと頭を下げたリリアに向かって、サンタンもお道化たように頭を下げた。

 突然、女達の騒がしい声が聞こえてきた。驚いてリリアが視線を向ければ、3人の男の中から金髪の若い男が木陰を出て、前に留めてある馬車に向かって歩き始めたところだった。ずっと馬車を遠巻きに見ていた女達が彼に向かって各々手を振っている。その姿に応えるように男が笑顔で片手を上げると、再び女達から黄色い声が上がる。手を振る若い男の後ろを苦笑しながら受付をしていた大柄な男が続く。

 そして、最後に黒髪の男が傍の木に繋いでいた青毛の馬に跨ると、リリアが乗る馬車の後ろにやって来た。


「今回もよろしく頼むよ。クロウ」


 サンタンが黒髪の男に声を掛ける。

 男の名前は、クロウというらしい。

 徐々に近づいてくるクロウの姿にリリアの目は釘付けになった。スラリとした体形に、伏し目がちな表情には艶があって、どきりとしてしまう。女性であっても、きっと絶世の美女と呼ばれたに違いない。

 だが、珍しい漆黒の髪に整った顔立ちが見る者にとても冷たい印象を与えていた。おそらく二十代ぐらいだと思うのだが、年齢もよく分からなかった。


「ああ」


 クロウは短く答え、ちらりとリリアに視線を向けてきた。長めの前髪の隙間から覗いた鋭い目に、リリアは慌てた。すべてを見抜くようなその眼差しから逃れるように、被っていたフードをさらに引き下げた。


「ははは、怖がらんでもいい。確かにクロウは不愛想だが、案外気の良く回る優しい男だ。もちろん盗賊が襲って来た時などは、まるで鬼神のような強さでわしらをしっかりと守ってくれる。とても頼りになる男だよ」


 突然怯え始めたリリアを安心させるように、サンタンが気さくに話しかけてきた。


「もう一人いる護衛の男で、金髪の男はルイという名だ。クロウとはまったく違うがとびっきりの色男だろ? こちらが羨ましいくらいにいつも女にモテまくっておる。先ほどのように奴が街を離れるたびに町の女達が見送りにやって来るほどだ。残る三人目の男は、体格が一番ガッシリとしたこの一団の団長のガルロイだ。わしはあの男の度胸とこの一団を切り盛りしている手腕に惚れこんでおってな、一緒に仕事をしないかと誘っているのだが、いつも断わられいるのだよ」


 そうなんですか、とサンタンの言葉にうなずきながら、リリアはそっとクロウの様子を盗み見る。

 彼は馬車の後ろで静かに佇んでいた。優しい男だと言われても、人をまったく寄せ付けようとしない雰囲気に気安く声など掛けられそうになかった。

 それよりも、あまりにまっすぐな眼差しを向けられた瞬間、リリアは性別を偽っていることがとても後ろめたく感じられたのだ。


「出発!」


 まもなく2台の馬車はガルロイ団長の掛け声で動き出し、リリアにとって初めての旅は不安を抱えつつも順調に始まったのだった。

 護衛の男達に守られて、旅の一日目は何事もなく過ぎて行った。

 そして、二日目の昼が少し過ぎた頃、旅の一団は予定どおり小さなオアシスにたどり着いた。


「休憩だ。一時間後に出発する」


 団長の合図で、乗客達は次々と馬車から降り始めた。

 リリアは最後に馬車から降りると、大きく伸びをした。ずっと同じ姿勢で座っていると体が固まってしまい、動かす度にギシギシと軋んだ。

 ため息をつきながら辺りを見渡せば、すでに他の乗客達は各自で用意した食べ物を楽しんでいる。


(私も早く食べないと……)


 人目を気にせず休息ができそうな場所を探しながらうろうろとしていると、言い争う声が聞こえてきた。声をたよりにそっと木陰を覗き込む。


「おい。次にすれば、ただではおかない」


 木の陰でクロウが三十代と思しき痩せた男の腕をひねり上げていた。


「わ、分かった。もうやらない。許してくれ!」


 男の背を突くようにクロウが手を離すと、地面に投げ出された男の懐から握りこぶしほどの袋が落ちた。男は袋をちらりと見たが、拾いもせず慌てて走り去って行く。

 その袋を拾いあげクロウが向かった先は、リリアと同じ馬車に乗り合わせている親子のところだった。むずがる子供をあやしていた母親の目の前に、クロウは唐突に袋を突き出す。


「落とし物だ。気をつけろ」


 あまりに突然すぎて、初めは唖然としていた母親だったが、慌てた様子で懐をまさぐり始めた。すぐにお金が無いことに気付き蒼褪める。


「ほら」


 クロウは袋を母親に押し付けた。彼女は涙を浮かべて袋を受け取り、何度も何度も頭を下げながら彼にお礼を言っていた。

 どうやら走り去って行った男が、あの親子からお金の入った袋を盗んだようだ。それに気付いたクロウが、あの男から袋を取り返したのだろう。


(……サンタンさんが言っていたとおりだわ。クロウさんは本当に優しい人)


 リリアの中で、冷たい印象だったクロウがどんどん変わっていく。


『人を見かけだけで判断してはいけないよ』


 おじいさんがよく言っていた。

 本当にそのとおりだと、リリアは思う。

 その後もクロウの様子はまったく変わらなかった。無言無表情を貫き、馬車の周辺に鋭い視線を向けながら警護を続けている。

 旅は天候にも恵まれ順調に過ぎていったのだが。


きゃああああああっ!


 最後のオアシスに到着してほんの少し時間が経った頃、若い女の悲鳴が突如として上がった。

何が起きたのか分からず馬車の乗客達はひどく動揺し、すぐにオアシスは騒然となる。子供を馬車から降ろすのを手伝っていたリリアも慌てて人々が集まっているところへ向った。

 そして、人々が遠巻きで見守る先でリリアが目にしたものは、愛馬の側で蹲っているクロウの姿だった。それもかなり苦しんでいる。


「何があった? ……クロウ?!」


 集まっている人々を掻き分けながら駆けつけて来た団長のガルロイは、酷く苦しむクロウの傍らに膝を付いた。


「しっかりしろ! クロウ!」


 ガルロイは彼の名を呼びながら、すぐにクロウの体を抱き起こす。

 そして、横目で彼が吐いたものを確認すると、急いで、自分の水筒をクロウの口に当てた。


「苦しいとは思うが、もっと水を飲め。とりあえず吐けるだけ吐くんだ」


 二人の様子を遠巻きに見つめている乗客達は、みな不安そうな表情を浮かべていた。リリアの側にいた子供達も母親にしがみ付いて、泣きそうな顔でクロウの様子を見つめている。


「団長さん! こ、これを飲ませてあげて下さい」


 思わずリリアは団長の側に駆け寄っていた。クロウの苦しみ方が尋常ではなかったからだ。


(これは、おそらく……毒!)


「何を口にされたのかは分りませんが、毒性はすぐに命にかかわるほどのものではないようです。でも、このままでは衰弱してしまってとても危険です。この薬なら中和出来るはずです。私を育ててくれたおじいさんが村で医師をしていました。だから、私もいろんな症状を見てきています。私を信じてもらえませんか?」


 リリアは必死で説明をする。少年の振りをし忘れていることにも気付いていなかった。ただ懸命に訴える。さらに、致命的だった事は、フードが外れ日の下に顔をさらけ出したままガルロイに縋り付いてしまったことだった。

 一方のガルロイは、リリアの顔を直視した瞬間、大きく目を見開き、息を飲んだ。

 だが、それも一瞬の事で、すぐにリリアの手のひらに載っているペンダントの中の黒い丸薬に視線を移し、意を決したように頷いた。

 露わになった翠色の瞳をまっすぐに見つめながら。


「……すまない。有難く頂戴するよ」


 薬を受け取ったガルロイは、すぐにクロウに飲ませた。長身の彼を軽々と担ぎ、木陰へ運んで行く。

 その後をリリアもついて行った。


「おいっ! あいつは悪い病気じゃないのか? 王都は目の前だってぇのに、こんなところに足止めされちゃあ、困るんだよ!」


 突然喚きだしたのは、先日盗みを働いた男だった。

 クロウが苦しげに片目だけをうっすらと開け、男を見る。


「……ガ、ガルロイ」


 酷く掠れた声でクロウはガルロイの名を呼び、何か耳打ちする。

 ガルロイの目がクワッと見開かれ、壮絶な笑みを浮かべた。


「分かった。後は任せておけ。おまえは自分の心配だけしていろ」


 クロウの体をそっと地面に横たえさせると、ガルロイは立ち上がった。

 皆がガルロイを見ていた。その不安そうな表情をガルロイが見まわす。


「この者は病気ではない! それは安心していい」

「では、すぐに出発できるんだろうな?」


 またあの男がわめく。


「……」 


 さらに眉間に深い皺を寄せたガルロイは、横たわるクロウの姿に視線を戻した。

 王都は目前だ。今夜は荒野で過ごすことになるはずだ。命を落とすことはないとはいえ、クロウが口にした物はかなり毒性は強い。今のクロウの体ではあまり動かすことは良くないと、ガルロイにも分かっているのだろう。


(団長さんは、決断しかねているんだわ)


「あの……、わた、僕がここに残って看病します! きっとこれから熱が出てくると思うんです。今、動かすのはよくないです。でも、毒を中和する薬を飲んでいるので、三日ほど安静にしていればすぐに良くなるはずです」


 リリアは声を上げていた。振り向いた団長はひどく驚いた顔をしていたが、間違った事など言ってはいないはずだった。クロウの汗を拭いながら彼の苦しむ姿を見ていたリリアは、自分に出来ることを必死で考えていた。

 彼に今必要なことは、しっかりと体を休ませることだ。


「……一人で、大丈夫なのか?」

「はい。看病は慣れています。だから、僕一人でも大丈夫です。それにここはオアシスで湧き水もあるので綺麗な水にも困らないです。それに、わ、……僕は先を急いでいませんので!」


 嘘だった。

 急いでいない、と言ってみたが、急いでいないわけではなかった。

 リリアは遅くとも半月後には村へ戻っていなくてはならなかった。

 血は繋がってはいないが、本当の兄妹のように共におじいさんに育ててもらった人が半月間だけ家を留守にしていた。ずっと王都行きを反対していたので、リリアは彼が留守の間に、内緒で出てきていたのだ。


(おそらく、二日か三日ぐらい予定が遅れたとしても何とかぎりぎり間に合うはず……)


そんなことよりも、今はクロウの体の方が心配だった。 


「……すまない。クロウを、頼む」

「え?! そ、そんな、頭を上げてください!」


 リリアは慌ててガルロイに取りすがる。彼がリリアに向かって深く頭を下げてきたのだ。見た目は大きくてなんだか怖かった団長だったが、本当はとても仲間思いの優しい人だった。


「クロウ。おまえは早く元気になって、この子を無事王都へ連れて来い」

「──」


 クロウは何か言いたそうな目をしていたが、もう声さえ出せないようだった。

 薬を飲んだとはいえ、すぐに効き目が現れるわけではない。気を失っていないだけでもすごい精神力だ。そんなクロウの姿から視線を上げ、団長は不安な表情を向けている人々の方へ歩き出した。


「お騒がせして大変申し訳ない。今から半時で発つ。各自準備をしておいてくれ」


 出発に向けみんなが慌ただしく用意をしている中、クロウを看病しているリリアのところへ男の子が一人でやって来た。

  

「僕、……あのおじさんにお菓子をもらったんだ」


 彼が指さした先に、この男の子の母親からお金を盗んだ男が立っていた。


「その時に、この黒髪のお兄さんにも渡してほしいって言われて、それをあのお兄さんに持って行ったんだ。そしたら……」

「君は、大丈夫?」

「うん。でも、お兄さんが──」


 青ざめた顔で苦しそうに目を固く閉じているクロウをじっと見つめて、男の子は今にも泣き出しそうだ。リリアは男の子の頭を撫でながら、彼の顔を覗き込む。


「君のせいじゃないよ。このお兄さんは少し疲れていただけなの。ゆっくり休めばすぐに良くなるからね」

「本当?」

「本当よ。だから、君は何も心配しなくていいの。さあ、みんな出発してしまうよ。早くお母さんの所に行かなくちゃいけないわ」

「うん。わかった!」


 男の子は駆け出したが、一度と振り返るとリリアに向かって大きく手を振ってきた。リリアも手を振って応える。


「酷い。あの子を使って、毒入りの物をクロウさんに食べさせたんだわ」

「そのようだな」


 いつの間にか、リリアの背後にガルロイが立っていた。


「これはあなたの旅費だが、返させてほしい。それから、これはクロウの看病をしてもらうお礼だと思って受け取ってほしい」

「え?! こんなに!」


 ガルロイは六枚の銀貨を、驚くリリアの小さな手に乗せ、大きな手で優しく包み込んだ。彼は出発前の忙しい中、クロウを看病するリリアに改めてお礼を言うために来てくれたのだ。

 あの怖いと思っていたガルロイの眼差しは、今はとても優しいものになっていた。


「それと、今ルイが建てているテントを置いていく。小さいが雨風はしのげるはずだ」

「ありがとうございます。頑張って、クロウさんを元気にします!」

「おチビさん。クロウを頼んだよ」


 いつの間にかリリアの横に立っていたルイが、リリアの顔を覗きこんできた。


「ひやっ!」


 驚くリリアの顔を見て、ルイは目をまるくした。


「あれ? 君……」

「ルイ。それ以上は言うな。さあ、俺達も行くぞ」


 何かを言おうとしたルイを、ガルロイは有無を言わさず引きずって行く。

 きょとんとしているリリアに向かって、ルイは引きずられながら両手を口に当てると、まるで口付けを投げる仕草をする。その後は、両腕を広げて、輝くような笑顔で手を振り続けていた。


「すごい……。ルイさんって、本当に明るい人なのね」


 予定どおり出発した一団を一人で見送ったリリアは、クロウが眠るテントへ足先を向ける。

 そして、祈るように胸の前で両手を強く握りしめた。


「必ず、元気なクロウさんに戻ってもらえるように頑張るわ!」


 リリアは自分にできる最善を尽くす事を心に誓うのだった。



                   ************



 チチチチチッ


 鳥の鳴き声で目覚めたリリアは、自分もいつの間にか眠ってしまっていた事に気づき、蒼褪めた。


「ク、クロウさん!」


 リリアは慌てながら眠っているクロウの顔を、まるで被さるように覗きこんだ。 

 昨夜は思った以上に熱が高くなり、彼の苦しむ姿は看病し慣れたリリアでもひどく心配なものだった。

 そして、明け方近くなってやっとクロウの容態が落ち着き、その事でほっとしたとたん自分も眠ってしまったようだった。

 リリアは改めてクロウの呼吸が落ち着いているのを確かめ、ほっと息を吐いた。


「よかった。……やっと汗と一緒に悪いものが全部出たみたいね」


 ぐっしょりと濡れたクロウの服を、リリアは彼を起こさないようにそっと脱がせる。

 そして、柔らかな布を泉で汲んできた水でしぼり、慣れた手つきでクロウの体を拭いていく。リリアを育ててくれたおじいさんが村で唯一の医師であったこともあり、看病することには慣れていた。


「すごい……」


 クロウの体は、これまでリリアが見てきた誰とも違っていた。

 服を着ている時はほっそりと見えていた体は、驚くほど筋肉質だった。とても鍛えられていることが一目で分かる。

 そして、ところどころに古い傷が目に付いた。その中には、命にかかわるような大きな傷跡もあった。その傷跡にそっと触れる。


「……とても辛かったでしょうね」


 つぶやきとともにため息が零れる。

 彼はどのような人生を送ってきたのだろうか。きっと平坦なものではなかったはずだ。このたくさんの傷が物語っている。


「さあ、私が落ち込んでいても仕方がないわ。濡れた服を洗ってきましょう!」


 くっと頭を上げると、汗で濡れたクロウの服を持ち、泉へと向かう。

 湧き水のお陰で泉はとても澄んでいた。その冷たい水で彼の服を洗い終えたリリアは、他に誰もいない事を確認すると。自分も服を脱ぎ、それを洗って近くの木に引っかける。

 そして、裸のまま泉の中へゆっくりと入って行った。

 家を出てから4日もお風呂に入っていなかったのだ。水浴びとはいえ、とても気持ちがいい。


「──────おまえは、女だったのか……」


 泉から出ようとしたリリアは、突然声を掛けられ、悲鳴を上げて再び泉の中にしゃがみ込んだ。


「す、すまん!」


 慌てた謝罪の声に振り返ると、クロウがリリアに背を向けて立っていた。


「クロウさん! ど、どうして歩き回っているんですか?! 昨夜はあんなに熱が高かったのに!」


 裸を見られてしまって恥ずかしさから涙目になる。

 だが、リリアはクロウの体の方が心配で彼の背中にむかって声をかけた。その時、突然、クロウの体が傾いたと思うと、どさりと音を立ててその場に座り込んでしまった。


「きゃああああっ! クロウさん?! 大丈夫ですか?」

「……少し、ふらついただけだ。大丈夫だ」

 

 やはり、無理をしていたのだ。毒が抜けたとはいえ、体調がすぐに回復するはずなどないのだから。そんな体で、姿が見えないリリアを心配してここまで探しに来てくれたのだろう。


「あわわわわっ、ど、どうすれば……」


 裸のまま泉の中でおろおろすることしかできないリリアの声を背に、クロウはじっと地面を睨みつけていた。


「……すまない。俺の為に、こんな場所で足止めさせてしまった」


 クロウの思いつめたような固い声に、リリアはますます慌てた。


「え? いえ、本当に気にしないで下さい。王都へは行ってすぐに帰るだけだったので、一日や二日伸びても問題はないんです。それに、団長さんには馬車代を全額返していただきました! それにちゃんとクロウさんの看病代もいただいているんですよ!」


 リリアは説明しながら、クロウが後ろを向いてくれている間にと、持って来ていた着替えに急いで袖を通す。悠長に身体を拭いている暇はなかったので、濡れた体に服が纏わり付くが、背に腹は代えられなかった。


「──────必ず、俺がおまえを無事に王都へ連れて行く」


 真摯なクロウの声に、リリアの胸の中が温かくなる。

 逆恨みから毒を盛られ、辛い思いをしているのは彼の方なのに、こんな時でもリリアのことを心配してくれるクロウの優しさに胸が熱くなった。


「ありがとうございます。よろしくお願いします。……でも、あの、体の具合はどうですか?」


 座り込んだままじっと視線を地面に向けているクロウの前にリリアは回り込んだ。

 そして、しゃがみ込むと、まだ顔色の悪いクロウの顔を覗き込む。


「どこか痛むところは無いですか?」


 驚いたクロウが、美しい切れ長の目を大きく見開いている。その顔を両手で挟むと、リリアは自分の額を彼のそれにくっつけた。


「!」


 さらに驚いた様子のクロウは、声も出せずに固まってしまった。その様子がどこか子供っぽい。冷たく感じていた整った顔も、今は感情が顔に表れていてとてもかわいいと思ってしまう。

 リリアは優しい笑みをひらめかせ、心のままにとてもうれしそうに声を弾ませた。


「すごいです! クロウさん、たった一晩でしっかりと熱が下がっています。もう大丈夫ですよ!」

「!」


 クロウはリリアの手からまるで逃げるように顔を背けた。


「……クロウでいい。『さん』付けはよしてくれ」


クロウが呟く。


「分かりました。クロウ、私はリリアです。これからもどうかよろしくお願いしますね!」


 リリアはただただ嬉しくて満面の笑みを浮かべながら答えた。その顔をじっと見つめていたクロウは、不思議な子だ、と言うと、まぶしそうに黒く澄んだ目を細めたのだった。


 初投稿です。最後まで読んで下さり、ありがとうございました。読みにくい個所が多々あったとは思いますが、これからリリアとクロウを一緒に見守って下さると嬉しいです。

*2016年11月17日加筆しました。

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