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私は性悪ミストレス  作者: 銀ねも
ミストレスの章
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私の賢いペット(7月17日加筆しました)

 十歳の誕生日プレゼントの≪仔犬≫は私があきて退室する前に、ケージから出てきた。這い出した仔犬を見て、私は眉を顰める。あろうことか、仔犬は全裸だった。

 私の顰め面を見て、親父はけらけらと笑う。


「好きな服を着せてやれば良い。フリフリでもスカートでも、なんでも。お前、着せ替え遊びが好きだろうが」


 私は親父を睨んだ。着せ替え遊びは、もう何年も前に卒業している。それに、着せ替え人形は可愛い女の子だ。いくら綺麗な顔をしていても、男なんて嫌だ。男の裸は、この世界で一番醜いものだ。


 私は親父を詰った。


「綺麗な仔犬を買ってくれるって言うから、楽しみにしていたのに。私、サモエドの仔犬が欲しかった。裸の男の子じゃなくて!」


 親父はひょいと片眉を持ち上げる。私を見つめる男の子をちらりと一瞥して、竦めた肩を揺らした。


「綺麗じゃないか。目許は涼やかで、鼻筋はすっと通ってる」

「でも、サモエドじゃない。似ているのは毛色だけ。サモエドの方がよっぽど綺麗だ」

「そんなことない、もっと近くで見てみろ」


 親父が調教師に目配せすると、調教師は仔犬の傍らに屈みこんだ。仔犬の耳元で何か囁く。すると仔犬は、一目散に私の許へやって来た。


 四つん這いだから、裸でも恥ずかしいところは見えないけれど、それでも気分が悪い。私は無言で席をたつと、すたすたと部屋を横切った。仔犬は四つん這いで私のあとを追いかけて来る。


 私に顔を蹴飛ばされても、抵抗どころか身動ぎもしない仔犬を見て、親父は「良い仕事をした」と調教師を褒めた。調教師は慇懃に畏まっている。


「お褒めに預かり光栄です」

「なに。俺は思ったことを言ったまでだ」


 良い仕事をするしかないだろう。もしも、仔犬が私に牙を剥くようなことがあれば、仔犬だけではなく、調教師の命も無いのだから。


 確かに、仔犬はよく調教されている。でも、冗談じゃないと私は思った。


 私は男が大嫌いだ。親父だけでも嫌なのに、邸に居座る男がもうひとり増えるなんて、とんでもない。この綺麗な男の子も、成長すれば他の男たちみたいになる。歳をとれば、親父みたいになる。傲慢で、いやらしい下心をもった、生臭い男になる。

 私の内心を悟ったかのように、調教師が言う。


「その仔犬がお嬢様のお気に召さない場合は、御手数ですが、ご連絡をお願いします。当方で引き取らせて頂きますので」


 私は振り返った。あしもとの仔犬を一瞥して、たずねる。


「そしたら、この仔犬は他の飼い主のところにやられるの?」

「いいえ、お嬢様。当方の犬奴隷は、オーダーメイドになっております。特別な調教を施すことで、ご主人様だけにお楽しみ頂ける犬を育成するのです。滅多にない事では御座いますが、ご主人様に見限られた駄犬は、殺処分になります」


 黙って聞いていた親父が、続きを請け負う。


「それはお前の為の特別製だ。綺麗なだけのぬいぐるみ犬じゃない。強い番犬だ。お前を守る狼だ。お前の命令なら何だってきくが、他の奴には決してなつかない。いいだろう?」


 得意そうにたぷたぷした顎を撫でる親父。私はふぅん、と鼻を鳴らした。


 つまり、主人を変えられない。ただひとりの主人しか戴かないように躾られている、ということだ。そこのところが徹底しているのは好ましい。

 しかし、男の子だ。私はきっと、好きになれない。サモエドの仔犬だったら良かったのに。

 私は調教師を睨み付けて、吐き捨てるように言った。


「いちいち、あんたに連絡するなんて面倒くさい。いつも通り、いらなくなったら私が殺すわ」

「もちろん、お嬢様がお望みでしたら、そのようになさって頂いて構いません。お嬢様がお手をかけて下されば、仔犬も喜びます」

 

 私は思いっきり顔をしかめる。殺されて喜ぶペットなんて、気持ち悪い。


 調教師は、ただし、と前置きして、声のトーンを落とした。


「決して外には捨てないで下さい。この仔犬は特に猛犬ですから、野良犬になりますと、厄介なことになります」


 私は話の途中で嫌気がさして、中座した。忠告について、深く考えなかった。


 仔犬は部屋まで付いてきた。厚かましく私の部屋に入ろうとしたので、私は仔犬の顎を蹴りあげた。仔犬はきゃん、と情けない悲鳴を上げて蹲る。その隙に、仔犬を閉めだした。


 部屋に戻ると、ベッドの傍に置いた、柔らかいクッションを敷いた籠が目に付く。仔犬の為に用意しておいたものだ。本物の、サモエドの仔犬を、この居心地の良い籠に入れてやるつもりだった。

 腹立たしくて、私は籠を蹴飛ばした。机の抽斗からハサミをとりだし、クッションをめった刺しにする。

 突き刺し、引きぬくたびに、綿が舞う。繰り返しているうちに、冷静になれた。


 一人娘の私に男の子をプレゼントしたのだ。クソ親父がいくら酔狂者でも、ただのおふざけで、こんな真似はしない筈。何の為に、この私に人間の男の子を与えるのか。


 頭を冷やして考えてみた。なんとなく、わかる気がする。


 親父は私に跡目を継がせたい。強いては、私の子どもにも。その為には、私が婿をとらなければならない。だから、私の男嫌いをなんとかしようとした。それで、この仔犬が用意されたのだ。


 髪の色は、私の好きな白。そんじょそこらの女の子よりも、綺麗な顔。まだこどもだから、男臭さはあまりない。そして、本物の犬みたいだ。人間の感情がない。人間の男みたいな生臭さが、少なくとも今のところは、感じられない。


 私が男嫌いを克服する、第一歩としては、うってつけの踏み石というわけだ。

 親父のしたり顔が想像できる。


 私は仔犬の世話を放棄した。


 部屋から出ようとすると、仔犬は扉の前で、お座りをして待っていた。私を見ると、鼻息荒く、私に纏わりつく。ありもしない尻尾を、ぶんぶんと振っているような気がした。


 足蹴にしても、踏みつけにしても、仔犬は何処までも付いて来る。息遣いがうるさい。あまりに鬱陶しかったので、私は廊下の真ん中で、待てと叫んだ。


 すると、仔犬は行儀よくしゃがみこんだ。私が背を向けて歩き出しても、仔犬は動かない。階段を降りる前に、一度だけ振り返る。仔犬はきちんと、お座りをしていた。


 夜になって、私は自室のある二階に戻る。仔犬は、置き去りにした時と同じ姿勢で、そこにいた。


 試しにそのまま放置してみた。次の日も、その次の日も、仔犬は待っていた。


 見兼ねたメイドが、仔犬に餌をやろうとしたが、決して口をつけない。掃除の邪魔になった仔犬を退かせようとしたメイドは、手に噛みつかれ、人さし指と中指を骨折する大けがをした。


 どうやら仔犬は、私以外の誰にも、決して懐かないらしい。今までのペットと違って、立場を弁えている。私は少しだけ、仔犬を見直した。


 私は仔犬に餌をやることにした。餌皿にパンをちぎって放り込み、ミルクを注ぐ。仔犬の前に置いた。

 お腹がぺこぺこだろうに、仔犬は私が良しというまで、口をつけなかった。


 賢い仔犬だ。そこらへんで大口を開けて笑っている男どもなんかより、綺麗なグリーンの目は知性を感じさせる。


 涎をだらだらと零しながら許し待ち続ける仔犬と、それを観察する私。そこに親父がやって来た。

 親父が私の頭を撫でる。脇臭が臭う。私は鼻先に皺を寄せた。すると、仔犬が目を見開く。ぎゃん、と鋭く吠える。驚いたことに、親父に噛みつこうとした。

 親父は俊敏なガマガエルのように、さっと避ける。仔犬は私を庇うようにして、歯を剥きだして唸っている。親父は目を爛々と光らせた。


「いいな、こいつ! 愛情をかけてやれば、犬はひとを神だと信じ込み、猫は己が神だと信じ込むと言うが……お前はこの犬ころの女神だ。良い買い物をしたもんだ。うん。いいか、ミケイラ。うんと可愛がってやれ。どれだけ大枚をはたいても、神になんぞ、なかなかなれんものだぞ」


 親父はそううそぶいて、立ち去った。


 親父はほとんどの人間に対しては信用ならないウソつきだが、私には、仕事が絡まない限り嘘をつかない。この犬は、私を神様みたいに崇めている。


 私の周りには、私の命令に絶対服従するメイドや黒服たちが大勢いる。けれど、所詮は皆、親父を怖がって私の言い為りになるだけだ。腹の中では、どんな無礼な言葉で私を罵っているかわからない。もしも、親父の権威が失墜するようなことがあれば、掌を返すに決まっている。


 けれど、この仔犬はきっと、そうじゃない。私が嫌な顔をしたら、迷わず親父を噛もうとした。

 これは面白い。私は仔犬を飼うことにした。


 髪が真雪のように真っ白なので、名前はスノーウィにした。白雪姫(わたし)の犬だしね。


裸は嫌だったので、服を着せた。なんの変哲もない白いシャツと黒いパンツだ。親父は面白がって、ドレスを着せろ、なんて言ったけれど、無視だ。男の子なんかに、可愛いドレスは勿体ない。可愛いお洋服も綺麗なアクセサリーも、女の子を飾る為のものだ。


 スノーウィはなんとなく窮屈そうにしていたけれど、私の命令には逆らわない。逆らうようなら、捨てるだけだ。


 スノーウィは、私に逆らわない。私のことが大好きみたいだ。私以外の人間が不用意に近づくと、歯を剥いて牽制する。


 スノーウィはよく躾けられている。


 排泄をしたい時は、私に知らせる。一度でもそこらで垂れ流したら、私はスノーウィを捨てただろう。

 私はしもの世話なんて絶対にしたくないから、黒服に命じてトイレに連れて行かせる。私の命令で黒服が触れる時は、スノーウィはちゃんと我慢する。

 スノーウィは、トイレでちゃんと用を足せるらしい。


 スノーウィは、顔や体が濡れるのを嫌がる。でも、私が我慢しろと命令すれば、メイドにお風呂に入れられるのも、体を拭かれるのも、髪を乾かされるのも我慢出来る。

 終わったら、私に飛びついてくるけれど。


 スノーウィが、私の手を煩わせることは殆どない。私はスノーウィに食事を与え、気が向いたらボールやディスクで遊んでやるだけで良かった。


 スノーウィは、本物の犬のように、顎の力が強く、俊敏だ。虫やネズミをとらせたら、そんじょそこらの猫よりも仕事が早い。とってきたネズミの頭は、ペンチで潰したみたいにぺしゃんこになっていた。


 私の仔犬は強い。私の敵は許さない。


 私のバイオリンの家庭教師は、やけに甲高い声で、ラッパみたいに高らかに話す男だ。その声が耳障りで、私は大嫌い。遠まわしに、練習が足りないとねちねち言ってくる。親父に金で雇われている癖に、私を嫌な気持ちにさせるなんて。まったく、何様のつもりなのだ。


 家庭教師は、レッスンの時はスノーウィを部屋から追い出すよう、私に指図した。とうとう、私の堪忍袋の緒が切れた。たかが家庭教師の言うことなんかきかない。私が無視を決め込んでいると、愚かな家庭教師は、自力でスノーウィを追いだそうとした。


 私の顔色をうかがっていた賢いスノーウィは、私がこの家庭教師を嫌っていることを気取った。だからスノーウィは遠慮なく、棒きれみたいな細い足に噛みついた。暴れる家庭教師を引き倒し、頭をぶんぶんと振りたくって、肉を噛み千切った。


 家庭教師は二度と来なかった。後任のバイオリニストは大人しい女のひとだったから、私は満足した。バイオリンの演奏技術はめきめき上達した。私の演奏を聞いた親父は喜んだ。「これもスノーウィのお手柄だな」とスノーウィを褒めて、餌皿に分厚いステーキを放り込んだ。スノーウィの涎がお気に入りのエナメルの靴を汚したので、私は餌皿を蹴飛ばし、ステーキ肉を踏みにじった。


 ちょっと頭にくることはあったけれど、スノーウィはよくやった。だから私はスノーウィを褒めてやった。

 スノーウィは私の言葉がわかるらしい。褒めると、べたべたと体を寄せて来る。


 私はスノーウィのことを気に入っている。けれど、男の子にべたべたされるのは、嫌でたまらない。スノーウィの体が私にちょっとでも触れたら、顔面に容赦なく蹴りを入れた。食事中に足に擦り寄られた時は、フォークで目を刺してしまうところだった。


 私の手許が狂ったお陰で、スノーウィの目は無事だった。頬に三本の爪痕を刻んだだけだ。

 目を刺されそうになっても、スノーウィは抵抗しない。私が綺麗なグリーンの目玉を穿り出しても、スノーウィは良い子にして待っているだろう。私が「よし」と言うまで。


 そういうところが、可愛いのだ。粗相をしても、甘くなってしまう。擦り寄って来る悪癖にも目を瞑るようになった。

 スノーウィは犬なのだから、目くじらをたてる必要も無いと自分に言い聞かせた。

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