私の誕生日プレゼント
動物虐待の描写があります。ご注意ください。
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私という人間は、とても恵まれている。そのことを、まだ小さい頃から弁えていた。
肉体は健康そのもの。見落としがちなことだけど、これが一番大事。親父の職業柄、人為的に「不健康」にされた人間を何人も見てきた私だから断言できる。
外貌は、イケてる方だと思う。たっぷりとした黒い巻き毛と、すべらかな白い肌、深紅の薔薇の蕾のような唇は、絵本から抜け出して来た白雪姫みたいだと、よく言われる。
だからと言って「私は白雪姫みたいな絶世の美少女だ」なんて、自惚れているわけではない。私は、お世辞の言葉を額面通りに受け取るような、間抜けじゃない。周りの大人たちが、親父のご機嫌とりをしようとして、私を大袈裟に褒めそやしていることは、わかっているから。
実際、鏡に映った私は、硝子の棺で眠るより「鏡よ鏡よ鏡さん。この世界で一番美しいのはだぁれ?」と魔法の鏡に話しかける方が、お似合いだと思う。
だって私は、親父の悪人面を受け継いでしまっているのだ。表情のかたちが、酷く親父に似ているらしい。
私が飼い始めたばかりの仔猫で遊んでいるところに、親父がふらっとやって来た事があった。赤く染まった仔猫を見ると、親父は手を叩いて笑いながら、こう言った。
「こんなに可愛い娘が本当に俺の子なのかと、はじめこそ疑ったが……その悪い面! こりゃあ、間違いなく俺の子だな」
ブサイクな親父に、表情や雰囲気だけだとしても、似ているなんて不愉快だ。親父のつくりものの白い歯を睨みつける。
私の手を引っ掻いた、バカな仔猫にお仕置きをしていた。行儀の悪い前足をテグスで一まとめにして、接着剤で固めていたのだ。
いいところだったのに。横やりを入れられて、興が削がれてしまった。
親父は勝手にずかずかと、私の部屋に入って来る。私はそれが嫌でたまらない。夜、眠っている時に入って来られるのが一番嫌だけど、日が高いうちでも嫌だ。お化けヒトデみたいな手で触られたくない。気持ちが悪い。
私は棚に飾られた人魚のブロンズ像を手で払い落して、その場を離れる。背後で、子猫が潰れる音と、親父のけたたましい笑い声がした。
私は親父が嫌いだ。イボだらけのカエルのように醜くて、笑い方が下品で、ダミ声が耳障りで、禿げ頭が脂ぎっていて、体臭がきつい。特に脇臭が酷いのだ。汗をかくと、鼻が曲がりそうなくらい臭う。窓を一日中開けっ放しにして換気しても、まだ臭う。
親父のことは大嫌いだ。けれど、この親父の子どもに生まれた私は、非常に恵まれている。
私は親父の金と権威をそっくりそのまま受け継ぐ権利を持ち合わせている。普通の人間が戦って勝ちとるべきものを、生まれながらにして、約束されていた。
必死になって努力をする必要がなかった。努力をするのはもっぱら、足下にわく有象無象の役目だ。私はまるで硝子ケースに収められたビスク・ドールのように完全無欠だった。
生まれてくる性別さえ間違わなければ、本当に完璧だったのに。
親父が支配する組織は、親父を含め、名誉あるクソッタレ野郎の集合体だ。たいていの奴は、女を綺麗に磨かれた革靴か、そうでなければ、種を撒く畑としか思っていない。そして全員が、女は男を気持ちよくする為の存在だと信じている。
親父は一人娘の私に後を継がせることを決めている。野心家どもは、親子ほど歳の離れた私に取り入り、あわよくば婿入りして、親父の権力を掌握しようと躍起になっている。
「奥様にそっくりですな」
「数年後が楽しみですな」
「実に可愛らしいお嬢さんですな」
小さな私を、男たちはいやらしい目で値踏みする。頭の中では自分好みに成長させた私を、或いは小さなままの私を、言葉にすることもおぞましい方法で辱めているに違いない。
私は、親父を筆頭にした、頭も顔も性根も悪い男どもに取り巻かれて育った。物心つく頃には、うんざりしていた。
男なんか大嫌いだ。薄っぺらな笑顔と、下心が見え見えの優しさで、私を懐柔出来ると思いあがっている屑ども。優しく宥めすかして、私に苦痛を与える化物。この世界に存在するだけで虫唾がはしる。
どいつもこいつも、私をママのようにしたいのだ。従順で、身綺麗で、連れ歩くと自慢になる女。男のちっぽけな自尊心と肥大した欲望を満足させる、無力な女。
だけど、私はそうはならない。革靴のように、男に履きつぶされるような女ではない。私は生れながらの支配者だ。私の上には、誰も上がらせない。親父だって、そうだ。今に見ていろ。いずれ玉座から蹴り落としてやる。それまで精々、私の為にその座を暖めておけばいい。
そんなある日。夜遅くに私の部屋へ入り込んだ親父は、私を抱きしめて言った。
「おお、ミケイラ。世界で一番美しい、俺の白雪姫。お前にぴったりのプレゼントがある」
それは、十歳の誕生日のちょうど一月前の出来事。親父はプレゼントの≪仔犬≫を連れてきた。
大きなケージを台車に載せて運んで来たのは、仔犬を手掛けた調教師だという。そのまま、レオニダス率いるスパルタ軍に交じれそうな、完成した肉体の持ち主だ。顎髭を蓄えている。私は髭が好きじゃない。男臭いのは嫌いだ。
それはさておき。その光景を目にした私は、奇妙に思った。
私が親父にねだったサモエドの仔犬なら、小さなバスケットにおさまるだろう。こんな大きなケージに入れる理由はなんだ? 母犬と一緒に連れてきたのだろうか。
調教師がケージの扉を開ける。仔犬を中から引っ張り出すのかと思いきや、さっとわきに退けた。
私が見上げると、親父はにやりとして頷いた。許しが出たので、私はケージに近づいて、中を覗き込んで見る。そして仰天した。
奥で縮こまっているのは、犬ではなかった。私と同じ年頃の、つまり十歳そこそこの、人間の子どもだったのだ。縮こまっているので顔は見えないが、たぶん男の子だろう。骨格がそういう感じだ。
男の子は、ケージの奥で縮こまっている。人間の体って、こんなにコンパクトに折りたためるのか。と的外れなことで感心する私を、親父が呼びもどす。親父は、くるくる巻いてサイドテールに結わえた私の髪を弄りながら、言った。
「綺麗な仔犬だろ? お前の為に育てさせていた。どうだ。気に入ったか? ええ?」
残念ながら、何かの手違いというわけではないようだ。それどころか、あの男の子が私のプレゼントの仔犬になることは、随分前から決まっていたことらしい。
咄嗟に言葉が出て来ない。仕方がないので、失望をこめて「パパ」と言った。
パパ。私はペットが欲しかったの。あのバカ猫のかわりに、私を喜ばせてくれる、可愛い仔犬が。あれはなに? 私が大嫌いな人間の男だ。ねぇ、パパ。その目玉は濁った硝子玉なの? もっとマシなものに付け替えたら?
私の目は雄弁に私の心情を語ったはずだ。けれど、クソ親父はにたにたと笑っている。チェシャ猫みたいに。何が面白いんだ?
私はさっと応接室を見回した。あの仔犬とやらに投げつけるのに、手頃なものはないだろうかと探す。言ってもわからない親父に対する意志表示だ。
揉める私たち親子を流し見て、調教師はケージを蹴った。鋭い声で仔犬に命じる。
「出て来い。ご主人様にご挨拶しろ」
仔犬は出て来ない。鼻をすんすんと鳴らして尻ごみしている。どうやら、慣れない環境に警戒しているらしい。私は、ある言葉を思い出した。
『動物は人間と同じように、とてもデリケートです。新しい環境になれるまで、そっとしておいてあげてくださいね。焦らずに、少しずつ仲良くなりましょう』
七歳の誕生日にハムスターを飼った。これは、その時にブリーダーから受けた忠告の言葉だ。
引き取ったのは、ジャンガリアンハムスターの子どもだった。私の小さな親指と人さし指でも摘まめるくらい、小さくて軽い、可愛い生き物。雪みたいに真っ白で、この毛色のハムスターは、スノーホワイトと呼ばれるらしい。親父が一目見て気に入った。
私も純白の可愛いハムスターがとても気に入った。だから、ブリーダーの警告をすっかり忘れて、連れて来た初日に、夢中になってハムスターを構い倒した。
そうしたら翌日、ハムスターは私の指を噛んだ。血が出た。私は腹を立てた。こんなに可愛がってやっているのに、巣箱の中で怯えて縮こまり、ぢぢぢ、と鳴き声で威嚇するハムスターが、許せないと思った。
だから、ケージごと窓から放り捨てた。ハムスターがどうなったかは、私は知らない。私を喜ばせないペットなんて、いらない。
動物はデリケート? だからどうした。ペットの都合なんて、知ったことじゃない。私のペットは、私を満足させる為に存在する。
それなのに、私がこれまで飼ったのは、バカなペットばかりだった。ハムスターも、インコも、ウサギも、子猫も、役目を果たさないから、みんな捨ててしまわなければいけなかった。