死が二人を分かつまで
一
「嫁に……行ってくれるか?」
思いもよらぬ王の言葉が、シャルロッテの頭の中を真っ白に塗りつぶしていく。
それが、シャルロッテに向けられた言葉ではないにもかかわらず、だ。
王の言葉は、王女アマーリエに対して発せられたものだった。王族の婚礼と考えればあたりまえのこととはいえ、今年十五になったばかりの少女にとっては見ず知らずの男のもとへ嫁ぐのは酷なことと言えるだろう。しかし、その言葉はシャルロッテにとっても幸せの時間が終わりを告げることを意味していた。
侍女としてアマーリエのいちばん近くに使えているシャルロッテは、むろん輿入れに付き従わねばならない。
隣国のグリューネバルトが人質を求めていることは承知していたし、国の重臣たちの間でも、求めに応じることはやむなしという論調が主流であった。その意味では、王の言葉は充分にあり得るものではあった。まして、憔悴しきった顔の王が深夜娘の寝室を訪ねてまで告げねばならない話など、そうはあるまい。
しかし、王の性格と、建国以来随一の才女と謳われる長女への入れ込みようを考えれば、やはり意外と思わざるを得ない。
シャルロッテはアマーリエを見やった。
アマーリエは王と対峙するように、小さなテーブルを挟んで凛と背を伸ばしながら座っている。微動だにしていない。腰掛けると床まで届いてしまいそうな黒髪が、背もたれをこえてまっすぐ下に垂れている。
そのアマーリエを、燭台の炎がゆらゆらと照らしていた。
シャルロッテはアマーリエの背後に立ったまま、祈るように炎につれて揺れる彼女の影を見つめていた。が。
「承知いたしました。日取りはお決まりでしょうか?」
ゆるぎない答えだった。
シャルロッテの頭の中がさらに色を失い、白一色に埋め尽くされる。目まいがするようだった。
逆に、狼狽えているのは王のほうだ。炎の揺らぎに負けぬほど声が震えている。
「よいの……か? 遠い異国の、いわば敵国の中に行かねばならぬのだぞ」
「王族の務めとはそういうものでしょう。王女として生を受けたからには、いずれは嫁ぐものです」
「しかし……建国からたかだか百年の新興国などに」
「覚悟をお決めください、お父様。歴史は浅くとも、国力は近隣諸国の中では随一です。まして、グリューネバルトは敵国ではありません。わたしが王子妃となるからには同盟国ということです。不用意な言葉はここだけになさってください。もちろん、国力を考えればこちらは属国ということになるのでしょうけれど、国の存続にはそれがいちばんでしょう」
決め手の言葉だった。
二つの大国に挟まれたこの国、バルテルスは、たえず侵略の脅威におびえてきた。国土の大半が峻険な山々という地形が独立を可能にしてきたものの、そこに目をつけたのが野心家の現グリューネバルト王だ。バルテルスをもうひとつの大国ケンプフェル攻略への橋頭堡としようというのだ。山岳地帯ゆえに農地として利用できる土地が少なく国力に乏しいバルテルスが、グリューネバルト王の要求を突っぱねることなどできるはずなどなかった。
アマーリエは父親に甘える時のような声で続けた。
「グリューネバルトの申し出はこちらにとっても益があるのです。わたしという尖兵を、向こうの国内に送り込むことができるのですから。お父様、命じてください。嫁に行け、と」
しばし無音の時が流れた。
耳が痛くなるほどの静寂に耳が慣れた頃、普段なら聞き逃しても不思議ではないくらい小さな声が、シャルロッテの鼓膜を震わせた。
「……行け」
もはや王にはその言葉を発する力しか残っていないようだった。
父王が部屋を出て行ってから黙り込んでいたアマーリエが、数刻の時を経てぽつりとつぶやいた。
「グリューネバルト王はわたしの考えたことなど承知のうえで嫁取りを決めたのでしょうね。お父様にもそのくらいの器があれば……」
このような縁談は持ち上がらなかったのだろうか、と、シャルロッテはアマーリエの言葉の続きを頭の中で紡ぎあげた。
二
生きることは欲することだ。
食べたいと思うのも生きていればこそだし、眠りたいと思うことも同じだ。欲さずに眠るということは死ぬことにほかならない。
そしてまた、生きていれば誰かと精神的にも肉体的にも強く結ばれることを欲する。
つまり、愛。
シャルロッテは夜露に濡れた草葉の匂いと、若く逞しい男の腕にくるまれていた。騎士団長の下で鍛えられている従騎士で、同期の中では有望株と言われているマティアスの腕だ。人気のない城中の木立の中で、互いの匂いをたしかめるように体を寄せあっている。
早朝、役儀を別の侍女にまかせてからアマーリエが目を覚ますまでだけが自由に使える時間だった。その間に短い逢瀬を楽しむのがシャルロッテの日課となっていた。睡眠をまとめてとることはない。仕事の合間の時間に途切れ途切れのうたた寝をすることで体を持たせている。城内に私室を持ってはいるが、まともに使ったことはない。着替えをするためだけの部屋のようなものだった。今日も、アマーリエの居室を辞してから、髪を梳くために寄っただけで、マティアスに会うため、すぐさまここに駆けつけたのだ。
そのマティアスと、思い出したように、今日なんど目かの口づけを交わす。
まだ、男女の深い仲とまではなっていない。マティアスがまだ自分より三つ下の十四歳の若さであるためということもあるし、まかり間違って身籠もるようなことがあっては侍女としての務めが果たせなくなるということもあった。理性が、生きているからこそわき上がってくる衝動を押しとどめていたのである。
しかし、今日はその理性が上手く働かない。衝動に身をまかせてしまいたいという気持ちが強い。
「ねえ、座りましょう。今日は少しゆっくりしたいの」
シャルロッテはマティアスから体を離し、手を曳いて草むらへと誘う。
「え、う、うん。でも……濡れちゃうよ」
いつもは力任せに押し倒さんばかりの勢いのくせに、いざシャルロッテが求めると怖じ気づいてしまったようだ。
「もう充分濡れてるわ。ここに来るまでに蔓草の間を抜けてきたのだもの」
「けど、汚れるよ。座ったら泥だらけになるだろ? それに、そろそろ戻らなきゃいけないんじゃないの?」
「いいのよ。アマーリエ様も昨夜はなかなか寝付けなかったようだし、今日の目覚めは遅いはずよ」
「でも……」
「いいから、早く!」
「今日はもうよそうよ。僕もこれからクリストフ様と遠乗りに行かなきゃいけないんだ。それに、また明日も会えるんだろ? 慌てる必要なんてないさ」
思わずきつくなった口調に、マティアスはすっかり及び腰になっている。なにかを察しているのかもしれない。それが、シャルロッテの神経を逆なでる。
「明日また会える保証なんて、どこにもないのよ、わたしには!」
「どうしたんだよ。……今日のシャルは変だよ。なにかあったの?」
その問いかけがきっかけとなり、シャルロッテの脳裏に昨夜アマーリエが発した言葉が甦った。
☆★☆
「最後に、あの方と二人きりでお話しがしたいの」
王が退席したあと、アマーリエの口から出たふたことめの言葉だった。
先ほどの王の声と変わらぬ弱々しさに、驚く。
深夜、突然の訪問をうけた時でも呆れるほどに伸びていた背が、縮こまるように丸まっていた。開け放たれたドアから入ってくる風のせいだろうか。まっすぐ垂れていた黒髪も、ふらふらと揺れている。
「クリストフ様……ですね」
シャルロッテは若干二十歳にして若手騎士団の副団長に上りつめた駿英の名前を口にする。騎士の家の出ではないらしく、かつてこの国に併合された地方の領主であるフランセル家に養子にとられた身の上だが、武芸でも礼法でも若手騎士の中では抜きん出た存在だった。しかし、一騎士にすぎなかった時分から王女に付け文をするような軽々しい男は好きになれなかったし、シャルロッテには存在そのものがどこか胡散臭くさえ思えた。が、それでもアマーリエが気を許している男である。
ええ、と首肯しながら振り返ったアマーリエの力ない目が痛々しい。あれほど凛とした態度で父王を叱咤したのが嘘のようだ。
然もありなん。他愛ない恋心こそが、少女を貴人たらしめていたのだから。生まれながら強く気高く生きられる人間などいない。誰かに認められたい。認められる存在でありたい。その気持ちが、人を強くするのだ。アマーリエにとってのそれが、クリストフというわけだ。
近年広まりつつある木綿などから作られた紙を使って文を交わすだけの間柄ではあるが、すべて直筆でシャルロッテ以外の付き人に内容を知られぬよう厳重に封をしてやりとりするとなればただの手紙とは言えまい。むろん、常々身分に相応しい振る舞いを心がけているアマーリエのこと。下世話な内容など一切書かれているはずはなかった。それは、アマーリエが文をしたためたり読んだりしている時に背後に立っていた自分がよく知っている。見ないつもりではあっても、自然と書いてあることが目に入ってしまう位置だ。アマーリエは自分を信用して、あるいは安心させるために手紙の内容が見える場所に立つことを許していたにちがいない。
「けれど、余人の目に触れずに会うとなると……」
「わたしかあの方の私室以外ないでしょうね」
二人で会いたいと言われたなら、問題はない。自分たち付き人が同じ部屋に入らずとも、次の間などに控えていて呼ばれればすぐに参ずることができるような席を設ければいいだけだ。しかし、今回アマーリエが言ったのは違う。二人きり。誰にも会ったことを知られず、そこでなにを話し、どういうことが行われたかも当人たち以外には秘密でという意味にちがいないからだ。
突き詰めていうなら、アマーリエが欲しているのは男女の言葉だけではない語らいだろう。見知らぬ男のもとへ嫁ぐ前に、初恋の相手に穢れなき自分を捧げようというのだ。無理からぬことかもしれない。王女といっても一人の女なのだから。
とはいえ、できるだろうか。私室に入ってしまえばこちらの采配でどうにもなる。問題なのはそれまでの経路だ。王女が騎士の部屋を訪ねるのは不自然だし、騎士が王女の部屋に近づくこともまた自然なことではない。
「できるでしょうか」
「なんとかわたしの願いを叶えて欲しいのです。生涯で、ただ一度のわがままだと思ってください。もちろん、相応のお礼はいたします」
「礼など不要です。ただ命じていただければなんとしても実現してみせます。それがわたしの仕事ですから」
「いえ、あなたはこれまで身を削るような献身ぶりでわたしに仕えてくれました。わたしはそれにも応えたい」
アマーリエが立ち上がって手を握ってきた。従者の手をとるなど、あり得ることではない。
驚くシャルロッテの耳元に口を寄せながら、アマーリエは甘く囁く。
「その仕事を以てあなたを解任します」
耳を疑った。これまで極限まで私を滅して仕えてきたつもりだ。それがなぜ。
「この国に残ってくださいシャルロッテ。そして、マティアスと結ばれるのです。それがわたしの心からのお礼と思ってください」
ああ。
得心した。見抜かれていたのだ。
心が疼く。
申し出に従い、この国に残ることは自分にとって最大の幸福と言えるだろう。しかし、この傑物と離れなければいけないことは、最大の不幸とも思える。
自分はどうすべきなのか。答えを探しあてる前に、言い慣れた言葉が口からこぼれ落ちていた。
「仰せのままに」
シャルロッテは、あたふたとアマーリエから体を離して一礼した。
☆★☆
「シャル、怒ったの?」
幾分おどおどした声に、我にかえる。
いつの間にか、手を離してしまっていた。
「怒ったわけじゃないわ。ちょっと考え事をしただけよ」
「考え事って……そう言えばさっき明日会える保証がないとか言ってたね。もしかして、アマーリエ様がグリューネバルトに輿入れすることが決まったの? 王が反対してるって聞いてたけど」
「悩んでいただけよ。グリューネバルトが本気で人質を要求している以上、拒むことなんでできやしないわ」
「それはそうだろうけど……シャル、アマーリエ様についていくのかい?」
「だとしたら、あなたも一緒に来てくれる?」
意地悪な質問だった。侍女であれば他国への輿入れに同行もできようが、騎士や従騎士の随行は国境までと決まっている。
案の定答えに窮しているマティアスを救いの手を差し伸べる。
「嘘よ。アマーリエ様にはここに残ってもいいと言われているわ。まだ本決まりではないけれど」
たしかに決定したわけではない。なにしろ自分自身がまだ迷っている。王のことをどうこう言える立場ではないということだ。
「そうか。アマーリエ様がそう仰ったなら大丈夫だね。でも、僕は輿入れは断っちゃえばいいと思うし、そうなると信じてるよ。グリューネバルトなんかよりも長い歴史のあるケンプフェルと同盟を結ぶべきだね」
気安く言い放つマティアスが、いかにも幼く思えた。歴史だけでは国を守ることはできないのだ。力あるグリューネバルトの申し出を突っぱねるには、対抗するだけの力が必要となることをわかっていない。そんなところがまだ子供に思えた。
「輿入れを拒絶すれば戦争になるかもしれないのよ?」
「だからケンプフェルと結ぶんだろ? グリューネバルトなんか叩きつぶせばいいさ」
いくら子供とはいえ、従騎士の言には相応しいものではなかった。ケンプフェルと同盟を結べば、ケンプフェルとグリューネバルトが戦となった時、ケンプフェルに加勢しなければならない。けれどケンプフェルとバルテルスが共闘しても、今のグリューネバルトには及ぶまい。まして、周辺諸国の意識は、勢いのあるグリューネバルトと近づいている。戦になった時どちらにつくかなど、考えるまでもないことだった。
それに、一旦結んだ同盟は、軽々しく破棄できない。そんなことをすれば、常に信用のおけない国と見られることになり、どんな国とも同盟を結ぶことのできない国になってしまう。同盟国を選ぶのに肝心なことは、国力と将来性だ。過去の栄光にすがっている国は選択肢から外さねばならない。
が、今マティアスにそれを言っても素直には聞くまい。
「ところで、今日もクリストフ様と遠乗りなの? このところ多いのね。この間はフランセル領だったかしら。たしか、その前も」
「あ、そうだ、もう行かなくちゃ。遅れちゃうよ」
なにか、話題をそらしているような気がした。というより、あからさますぎるだろう。
「こんなに早く? ずいぶん遠くに行くのね。どこまで行くの?」
「う、うん。フランセル領まで」
「フランセル領? また?」
「ごめん、もう時間ないから行くよ」
フランセルといえば、クリストフの養家だ。
どくんと、胸が騒いだ。
駆け出そうとするマティアスを制止しようと手をのばしたが、わずかに届かなかった。もはや背中を見送るしかない。
シャルロッテは、もはやマティアスのぬくもりが残ってはいない掌を、胸に押し当てた。
三
黒だった。
いや、黒とは言い切れないが、限りなく黒に近いことはたしかだった。
シャルロッテはアマーリエの後について進みながら、歩いていてもほとんど揺れることのない艶やかな髪を見つめていた。
今日はいよいよ公の場で王からアマーリエに輿入れが言い渡される日だった。すでに王とアマーリエの間でのやりとりは済んでいるのだから茶番ではあるのだが、国の行く末にかかわる王命は重臣たちの前で言い渡されなければならない。あたりまえのことだ。王が唐突に命令などすれば、告げられたものは狼狽えるだろう。内々に伝えらえれていればこそ堂々と受命できるのである。
「シャルロッテ」
アマーリエが振り向きもせずに小声で呼びかけてくる。
「はい。なにか」
「やれそうですか?」
むろん、クリストフとの密会のことにちがいない。
どうすべきか。
クリストフは黒だ。
シャルロッテが集めた情報をもとに導き出した答えは、クリストフがグリューネバルトと対をなす大国ケンプフェルと繋がりのある男というものだった。いや、繋がりなどではない。ケンプフェルから送り込まれた人物なのだ。そもそも、クリストフの養家フランセル自体がケンプフェルと繋がっている可能性が高かった。
あくまで陰での話だが、重臣たちはそんな男が騎士団の副長を務めるなどもってのほかと言っているようだった。
侍女であるがゆえに手に入れられた情報だ。
もともと王族や重臣の奥方などに仕える侍女はその手の情報をつかんでいるし、騎士などと深い仲にある侍女にも探りを入れさせた。
中でも決定的だったのは、騎士団長に直接たしかめた情報だ。
マティアスのことを聞くふりをして、クリストフの言動を確認したのだ。
騎士団の中で親ケンプフェル派を増やそうと画策しているらしい。フランセル領への遠乗りの誘いがその工作なのだという。
マティアスの顔が、脳裏に浮かんだ。
まさか、マティアスと自分の関係も、クリストフの仕組んだことなのではあるまいか。
「シャルロッテ?」
返事が遅れているせいだろう。アマーリエが怪訝そうな顔をこちらに向ける。
「いえ……思いのほか難しく……」
会わせてよいものだろうか。アマーリエを、あの男と二人きりで。
「そうですか……あなたがそう言うのなら、やはり無理なのでしょうね」
実際、困難な話ではあった。
王族は一挙手一投足すべてが職務だ。朝起きてから夜床に入るまで、いや、床に入ること自体も仕事であり、常に人の目にさらされているといってもいいのだから。
「間もなくわたしの成婚を祝う宴が開かれますね」
もちろんそれは考えた。どさくさに宴を抜けだして二人で会う。それはひとつの方法ではある。ただし、抜けだすのがアマーリエでなければ、だ。宴の主役が中途で消えるわけにもいくまい。
「はい。城中の人間が集まりましょう。アマーリエ様は皆様の相手をしなければなりません」
「ええ。でも、クリストフ様は途中でいなくなっても問題はないでしょう」
「宴で多くの人が集まりますし、使用人たちももてなしのために城中を駆け回ることになります。誰にも見られずにアマーリエ様の部屋へ向かうことは、まず無理にございましょう」
「失礼を承知で言います。宴が終わるまでの間、クリストフ様をあなたの部屋にかくまってはもらえませんか」
アマーリエはどこまでも本気だった。
たしかにそれならば、宴で皆が酔いつぶれ、アマーリエが自室に戻れるようになった段階でクリストフを案内すればいいだろう。
「お願い」
アマーリエが、瞳に決意の光を宿しながら告げてきた。
不覚にも、頷いてしまっていた。
四
宴は深夜まで及び、ほとんどの人間は自宅へと引き揚げており、残っているものは酔いつぶれた人間だけだ。不運にも夜番を言いつけられた従騎士も、今日は少ない。
シャルロッテは私室の前で立ち尽くしていた。ため息が、こぼれる。
クリストフを見送ったばかりだった。アマーリエの部屋まで案内しようかとも思ったが、その気にはなれなかった。
アマーリエはすでに自室に戻ってクリストフを待っている。
久しぶりに自分の部屋でゆっくりしようかと思った時、背後から声をかけられた。
「シャル、協力ありがとう。クリストフ様とアマーリエ様が結ばれれば、グリューネバルトへの輿入れは中止になるよね。そうすれば、僕たちはこの国で気兼ねせずに一緒にいられるよ」
馬鹿だった。この男がここまで馬鹿だとは思わなかった。
いや。馬鹿なのは自分も同じか。
「クリストフはケンプフェルの人間なのね、マティアス」
「知ってたのかい? シャルはすごいなぁ」
「死にたくなければ今日のことは永遠に胸の中にしまっていなさい。国を裏切った人間は死罪よ」
「え? それ、どういうこと?」
それすらもわからない男になど用はなかった。
シャルロッテは、全力で駆けた。
五
クリストフは牢に繋がれている。
最愛の娘に夜這いをかけたという罪状で。要するに王の怒りを買ったということだ。
罪状は違うがおそらく自分も似たような目に遭うだろう。
シャルロッテは玉座にいる王と、となりに座っているアマーリエを見やった。ほかに人影はない。人払いがしてある。
あの晩、王に言上したのだ。アマーリエの寝室に忍んでいく不埒な男がいると。余計なことは言わなかった。ケンプフェルの計略などと知れば、アマーリエは傷つく。それは避けたい。
「アマーリエの危機を救ってくれたことは礼を言う」
王は鷹揚にそう言うと、こんどはさげすむように続けた。
「しかし、自分の主を裏切るのはどうだろうな。そんな人間をアマーリエにつけておくのは実に心配なことだ」
当然だった。密告者は嫌われるものだ。
一度でも裏切り行為をするものは、なんどでも同じことを繰り返す。そんな人間は信用されない。
もっとも、侍女の告げ口によりやむを得ず恋の邪魔をせざるを得なかった、という娘に対しての言い訳でもあるだろう。
それはそれで構わない。それくらいの覚悟はできている。
「御意にございます。いかなる処分もお受けいたします」
「放逐だ」
即答だった。城から出てどこへでも行けということだ。それはある意味のたれ死ねと言っているのと同じことである。
とはいえ入牢でないのは、温情ということなのだろうか。あれは女が入るような場所ではない。
立ち上がって一礼しようとした時だった。
「お待ちください」
アマーリエの声だった。
「たとえ命を違えてでも主を諫めようとする。あっぱれな心がけではありませんか。父上、わたしはシャルロッテを侍女にもてたことを幸せに思います」
「しかしな――」
「グリューネバルトに赴くのに連れて行くのは、このような忠義に篤い従者をおいてほかにいません。なにとぞ、シャルロッテをわたしにお預けください」
必死に自分を助けてくれようとしているのだとわかった。アマーリエとともにグリューネバルトに行けば、放逐も入牢もなくなる。ありがたいことだ。マティアスの顔も、もう見たくはないし。
だが、なぜだろうか。
アマーリエがつかつかと歩み寄ってシャルロッテの手をとった。そして、耳元で告げる。
「わたしのせいで嫌な思いをさせました。どうかわたしの輿入れに同行してください」
答えられずにいると、だめ押しの言葉がかけられた。
「クリストフのような男に心を奪われて、わたしは国を危機にさらすところでした。だから、わたしの手で始末をつけようと二人きりになりたかったのに」
ああ、そうだったのかと思った。
アマーリエは気づいていたのだ。クリストフの正体に。さすがは自分の主だ。なんとなく誇らしげな気持ちがわき上がる。
いつの間にか、笑みが浮かんでいたらしい。アマーリエも微笑んで続けた。
「いい顔ですね。あなたもマティアスへの思いを失ったのでしょう。わたしと同じです。そこまでしてわたしを思ってくれる人間に、傍にいて欲しいのです。どうか、いつまでも一緒に」
まるでプロポーズのようだと思った。
だから、こう答えるしかなかった。
「はい。死が二人を分かつまで」
<了>
コバルトさんに応募した作品に、若干修正を加えてあります。




