第86話
部室に2人の人影。
時刻はまだ14時を回っておらず、多くの学生が授業に出ている。
別段、彼らはさぼっているわけではない。
授業が不足の事態によって空いてしまっただけなのだ。
唐突に空いてしまった時間をどう過ごすのか悩んだことはないだろうか。
彼らは揃って同じ答えを出しただけであった。
「そこの術式、ちょっと間違ってるよ」
「え、マジで?」
手元でよくわからない文様らしきものを一生懸命書いていた健輔にダメ出しが入る。
美咲は軽く身を乗り出してそれに修正を加えた。
鮮やかな手並み、健輔がピアノを指1本で演奏しているとしたら、彼女は両手を自由自在に駆使するピアニストだった。
「ほら、ここはこっちと繋いだ方がいいよ」
「おお、こんなんよくわかるな。俺には下手くそな図形にしか見えん」
「コツだよ。コツ。これが本来の魔導師の仕事なんだからちゃんと授業に出ないとダメだよ?」
「安心しろ。出てはいる」
「訂正、ちゃんと聞きなさい」
「うーす」
気安いやり取り、健輔にとって人生初に等しい女友達、それが丸山美咲だった。
女性らしい容姿と佇まいには未だに微妙な苦手意識があるが美咲などを筆頭をチーム内の女性ぐらいならば物怖じはしなくなった。
しかし、それはほぼチーム内限定である。
1度戦えば「ああ、部長たちの同類か」と納得するので苦手は意識は薄れるのだが、根本的に異性に慣れていなかった。
散々殴り合っているのに以外と純情な健輔である。
そんな中で美咲は優香とは違う意味で唯一の距離感を持っている人物だとも言えた。
術式のみならず勉強を筆頭に様々な事で美咲には世話になっているため健輔の頭は上がらない。
「あ、また間違ってる」
「げっ、マジかよ」
魔導という共通項において2人は良く似ていた。
美咲も特別なものはないが不断の努力で学年トップになったし、健輔は決死の努力で格上魔導師に喰らいついている。
学業だけでも大変なところを美咲は他の3人、圭吾と優香、そして健輔の術式を全て管理しているのだ。
頭が上がらないのも当然だと言える。
何か術式関係で困ったら美咲に相談していたのだ。
「……少し聞きたいことがあるんだけどいいかな?」
健輔が慣れぬ術式操作に四苦八苦しているところを課題を終えた美咲が唐突に問いかける。
何故か微妙に重い切り口に疑問符が浮かぶが拒絶する理由もないので了承の意を示した。
「ああ、別に構わんけど何だ?」
「……あれほど人任せだった健輔くんがどうして、急に自分で術式なんか弄ってるのかな? しかも、私の前で。……何よ、不満でもあるの?」
「げっ、いや、そういう訳じゃないんだが」
「じゃあ、理由を言ってよ。私としてはきちんとやってるつもりだったんだけど」
問われた健輔は額に汗を浮かべる。
確かに美咲からすれば当てつけ臭いのは間違いないだろう。
その辺りへの配慮を完璧に忘れていた。
別に不満があるわけではなく、今後の目的から考えて習熟している必要があったのだ。
「いや、そのちょっと戦い方でな。術式について知っている必要があったんだよ」
「戦い方で? 怪しい……。煮え切らない言い方なのがさらに怪しい」
まるで浮気を問い詰める妻の様な勘の鋭さで健輔を問い詰める。
健輔の発言に僅かな後ろめたさを感じ取った美咲はぐいぐいと顔を寄せてくる。
以前はもうちょっと、おどおどした感じで小動物的だったのだが慣れてきたのか、それともチームの女傑軍団に染められたのか、大分美咲は遠慮がなくなっていた。
席を立ってぐいぐいと顔を近づけてくる。
半目になった瞳は怒りを表しているのか、じーと健輔を見ていた。
距離が近くなったため、何やら甘い匂いが漂い始める。
戦場においてなら真横を雷が通り抜けたり、剣が飛んできたり、大地を砕く腹パンが掠めても微塵も動揺しない健輔だが、
「全て、正直に話すので勘弁してください」
日常で女子に勝てる胆力は欠片もなかった。
魔導の恩寵と鍛えた肉体を全力で行使して鮮やかな土下座を決めるのだった。
「つまりは優香ちゃんの、引いてはチームのため?」
「はい、そうです。美咲様」
「もう、いいよ! 怒ってないからその言い方はやめて」
「は、……お、おう」
丁寧な返事を返しそうになると射殺す様な視線を健輔に向ける。
可愛い系の容姿のため怒っても迫力がないとばかり思っていたがそんなことはなかった。
小柄体格でも美人なので鋭い視線で睨まれると健輔は死にたくなる。
「そんなの今から独学でやってもアマテラス戦に間に合うわけないじゃない」
「ぐっ、それは俺も計算に入れてるさ」
「……本当に? なんか忘れてたって顔しなかった?」
「ソ、ソンナコトナイヨ?」
「はあ……。どうして、戦闘中はあんなに頼りになりそうなのに日常ではこうなるのよ……。私の感激を返して欲しい……」
あからさまにがっかりしたと溜息を吐かれる。
計算違いをしていたのは事実だがそこまでがっかりされると傷つく。
若干気になる言葉もあったがそこを突っ込むと藪蛇になるため、スルーを決意する。
実際、時間が足りない可能性も考えていたのだ。
ばれてしまったのだからちょうど良いとばかりに協力を請うてみることにした。
「では、専門家の力を借りたいんですがいかかがでしょうか」
「50点。頼み方が気持ち悪いのとそんな次いでみたいに言われても納得しないよ、普通さ」
手厳しい友人に苦笑い作る。
以前のわたわたした感じなのも悪くないが素を晒してもらっていると考えると今の方が良いのだろう。
「すまん。俺のためにも力を貸してくれ」
「はい、よく出来ました」
出来の悪い教え子を褒める様な言い方に不本意なものを感じるが健輔は素直にやりたいことを美咲に話すのだった。
「変換系の術式に関してはクラウディアさんと情報を交換してみるね。もう1つの方は……ごめん、流石に前例がないからわかんないや」
「いや、ありがとう。相談した分だけ楽になったわ。やっぱり難しいかね」
「ううん、発想は良いと思う。『明星のかけら』の試合データは何度も見直したけど、バックス系の系統もうまく使えば大きな力になると思う」
「発想は悪くないとは思うんだけど、錬度がな。やっぱり本職みたいにはいかないわ」
莉理子の魔導陣を固定する戦法は強かった。
魔力の物質化をあれだけこなせばかなり消耗するところを用意した魔導陣を通過するだけで結果を付与できるようにしたのだから、恐ろしかった。
設置型のトラップとしては健輔も使ったことがあるが戦闘補助にはあまり用いていなかった。
やはり、どこかで後方の系統だという認識があったのだ。
そんな固定観念をあの試合は破壊してくれた。
優香にとって得る物が多い試合だった『明星のかけら』戦、相棒の健輔も同様に多くの事に気付く示唆を与えられていた。
「桜香さんに勝つには既存系統を極めるだけじゃ、足りない。あの人は戦闘に用いる系統をほぼ自身のものとして使えてるからな」
「そうだね。才能であの人を超えるのは難しいし、努力も正直、微妙なところだよね」
「今までと同じように魔導を使って戦っても絶対に勝てない。それはあの人の舞台に上ることだからな」
よって発想の逆転が必要だった。
戦闘技能で優る相手に真っ当な戦闘を挑むこと自体が誤りなのだから、そこを修正すればいい。
「キーの1つが『流動系』?」
「ああ、これは基本的に固定系の対なんだが、よく考えると術式に対するキラー要素が多い」
「大がかりな魔導に対抗するために?」
「目的の1つではあるな。……ゲームやったことはあるか? RPGとかさ」
「え? ああ、ちょっとぐらいならあるけど……」
「魔法とかでよくあるだろ。支援魔法。固定系と流動系はこれに該当すると思ったんだよ」
「支援魔法……」
今のところは莉理子しか存在しない例だが、あの魔導陣による攻撃補助はバフで仮に流動系で相手の術式を崩せるとしたらそれはデバフになるだろう。
ゲームなどほどわかりやすい効果にはならないが行動阻害要因としては十分な効果が見込めるはずである。
「小細工の類だが、恐らく万能系じゃないと有効活用できないはずだ」
「そう、ね。通常の系統でもできないことじゃないけど……。距離が問題になる。でも、それを解決しようとすると」
「今度は戦闘力の問題だ。系統1つが支援用に潰れるのは流石にきついだろうよ。万能系なら錬度にさえ目を瞑れば問題ない」
「うん、いいんじゃないかな。本格的に詰めるためにも術式について学びたい、だよね?」
「知らないと弄れないからな。言われるまで完璧に抜けてたが、時間ないしな……」
どう考えても2週間程度で実用レベルに持っていくのは難しい。
出来ればなるべくレベルの高い相手でテストもしておきたかった。
「それ、なんとかできるかも。……うん、間に合うかはわからないけど……」
「マジ?」
「確証はないけど。でも、その、いい発想だと思うな」
「今は机上の空論だけどな」
「それを実現できるようにするのが私たち、でしょう?」
美咲は『私たち』の部分を強調してくる。
何やらやる気になってくれている同輩に深く感謝を捧げる。
所詮、健輔1人でできることなどたかが知れているのだ。
初めから自分以外の力も動員すればよかったのに、わざわざ1人で頑張ろうとした辺り健輔も九条桜香の力に飲み込まれていたのかもしれない。
勝つためなら自爆も辞さぬ男が地力で格上を打倒しようなどと笑える話である。
そもそも自分はそういう役割ではない。
「そうだな。使えるものは何でも使っていかないと、な」
「どうしたの?」
「いや、相談してよかったと思ってな」
「……急に含み笑いしてから言うのがそれ? なんていうか、ちょっと気持ち悪い」
「ひどッ! もうちょっとオブラートに包んで言ってくれよ……」
新たな道をふとした雑談から見付ける。
健輔は文字通り、何でも使うことを決めた。
可能性が低くとも0ではない以上誰でも挑戦する権利はあるのだから。
『ツクヨミ』は後衛魔導師だけのチームだ。
一言に後衛魔導師と言ってもいろいろなタイプがいる。
『クォークオブフェイト』で言うなら和哉と真希、そして真由美は後衛魔導師だが各々の戦い方は大きく異なっている。
ポジションというものは魔導では相対的なもので決まることが多いため、このようなことが起きる。
良く言うと柔軟で悪く言うと適当、そう言って問題無い程に大雑把なのが現状である。
チーム内でも同じ系統、同じ後衛配置なのに戦い方が異なるなどいうのはよくあることだった。
意識して揃えるチームもあるのだが本人にあっていない戦い方を強制しても実力を発揮できないのだからあまり意味はない。
しかし、世の中何事も例外がある。
収束・遠距離系――メイン・サブは逆でも構わないがこの組み合わせの場合だけ奇妙なほどに戦い方が一致するのだ。
魔導師の中で流行っていると言われるほど主流となっている戦闘スタイル『火力砲撃型』である。
「うーす、今日は1000本射撃いってみるか」
ツクヨミのリーダー朝倉孝介の気の抜けた声がフィールドに響く。
大会が始まると練習を自粛するチームが増える中、彼らは気にせず手の内を晒す。
そもそも隠すというつもりがない。
情報戦など『ツクヨミ』がやることではないからだ。
戦闘スタイル、得意な戦法、ルールとあらゆるものが既に露出している。
にも関わらず、彼らは未だに強豪チームに名を連ねる。
それは安定して強いということの表れでもあった。
「新入生も構えとかは様になってるな」
「構えて撃つを半年繰り返せば誰でも型くらいは覚えるわよ」
真由美が1番わかりやすい例だが硬くて強いのが大規模火力型だ。
人類の戦いは常に飛び道具が主役であった。
投石、弓、銃と形は変われど遠距離から一方的に相手を叩きのめせるこれらの強さは言うまでもないだろう。
そして、魔導の飛び道具の中でもっとも攻守のバランスが良いのが砲撃型であった。
大概の障壁を1撃で消し飛ばす火力、錬度が低くても障壁の3重展開は可能になる魔力。
センスが必要な近接戦をやらずに済むとメリットだらけなのだ。
弱点はある機動力に乏しいし、攻撃手段が純魔力系に限られている点などだ。
しかし、それらは錬度を高める程に意味がなくなる類のものであり、砲撃型に求められない役割のものが多い。
「そろそろチームによっては試合に出してもいいな」
「そうね。あの子たちも出たがってたから、どこか都合の良さそうなチームの時に2
・3人出してみましょうか」
学園では初心者向きのスタイルなどと紹介されていることもあり、やりたいことがない学生は安牌であるこのスタイルを選ぶことが多かった。
真由美のように極めるとどうなるのかという教えてくれる存在がいるのも大きい。
数が多いため練習マニュアルも整備されているし、情報も出揃っていた。
それでも猶、圧倒的な勢力なのだからその強さがよくわかる。
明確に打破する手段が火力で上回るか、懐に入るしかないのだから納得できるものだった。
真由美という例外が相手とはいえ健輔程の手札を持って押し切れない時点で地力の高さは見て取れる。
ランキングにおいても上位3名の怪物軍団を除けば4、5位なのだ。
基本に忠実にやればそこまでいけるかもしれないというのは大きい。
明確なゴールの存在は人を奮起させやすいからだ。
「この感じならいつも通りいけるな」
「間違いないわね。ええ、私も楽しみになってきたわ。『凶星』と砲撃を競えるなんて夢みたいだわ」
「……女子が砲撃でときめくってなんか微妙だな」
「うるさい!!」
正しく王道を行くチーム『ツクヨミ』。
それは『アマテラス』とはまた違った王道であった。
たとえ、頂点に劣ろうとも3貴子に名を連ねる意味を彼らは他のチームに教えてくれる。
王道とは陳腐だからこそ王道なのだ、と。




