第61話
「九条さん、調子はどうですか?」
『大丈夫です。すいません、調整槽まで使わせていただいて』
「いいえ、魔導機のデータ取りついでですから、気にしないで下さい」
対『天空の焔』会議が終わった後に優香は1人で叢雲のラボへとやってきていた。
夏休みのデータを元に調整を加えた九条優香専用魔導機『雪風弐式』を受け取るためである。
本来なら9月の頭には完成していたはずだったのが、優香の番外能力『オーバーリミット』への対応や急成長した能力に合わせて再設計をかけていたのだが、ついに完成したのだ。
最後の作業として本人に合わせた調整を行っていたのだが、その待ち時間で優香は魔力回路の調整を受けていた。
「彩夏ちゃん~『雪風』は大丈夫よ~」
「ありがとう里奈。ちょうといいところに来てくれてました。これを見てもらってもいい?」
「う~ん? な~に~?」
彩夏は不思議そうな里奈にスキャンされた優香のデータを渡す。
彩夏を含めて誰も思っていないことだったが、この空間は今割と変な光景が生まれていた。
全裸で何かしらの溶液に満たされた調整槽に浮かぶ少女とそれを無感動に見詰める研究者2人。
パッと見は悪の科学者が悪だくみをしているようにしか見えないだろう。
健輔あたりが見たならば鼻血を流しながらツッコミ入れただろうが、彼の『陽炎』は今だパーツの状態で今日はこの場には居なかった。
元々、男性の入室は禁じられているためどちらにせよ居ることはできなかったのだが。
そんなツッコミ不在の悲しい空間では誰もこの光景に口を挟むことなどなく、会話は進んでいった。
しばらく、集中して優香のデータを見ていた里奈は普段の快活な表情に少し影を作り、そのデータを彩夏に返す。
「……う~ん。これは大変ね~」
「思ったよりも魔力回路に負荷が掛っていたみたいですね。日常生活でも少し違和感が付き纏っていたと思いますよ」
夏休み以来、激しい練習でなんとか番外能力を制御できるようになっているように見えていたが、その実見えない部分にかなりの負荷が掛っていた。
まずは魔導の命、魔力回路。
身の丈以上の力を用いている弊害である。
魔力回路に掛っている負荷で特に深刻なものは過剰に生成された魔力が身体の中に溜っていることだった。
魔力は身体を活性化させるものため、適量であれば問題ないが摂取しすぎれば害になる。
身体能力の低下などはまだマシで、酷ければ最悪死んでしまう可能性もある。
勿論、そこに行く前に魔力を抜いてしまえば問題ないため、普段はそこまでの大事にはならない。
本来溜るよりも消費する方が圧倒的に早いからだ。
しかし、機能を低下させた魔力回路が影で処理できぬ魔力を溜めこんでしまっていた。
似たような症状が夏休みの終わりにも出ていた。
その時は今回と同じ調整を施して対処したのだが、既にそこそこ危険な域まで過魔力が溜っている。
能力の使用頻度の上昇が原因だった。
「やはり見掛けよりもうまいこと制御できていないみたいですね」
「う~ん。今が~1番難しい時期だものね~。実力と精神の狭間というか~」
「そうですね。より注視している方がいいでしょう。寮のスキャンも誤魔化していたみたいですし、これは担任としてちょっと見過ごせませんね」
2人は優香に視線を送り、溜息を吐く。
真面目で努力家な優香の悪い部分が出ている。
強敵との試合前ということもあり、精神的な負荷もあったのだろう。
なんとか事態を軟着陸させるべく彩夏は頭をフル回転させるのだった。
「は~い、お疲れ様~。大分~身体が~すっきりしたんじゃないかな~」
「すいません。わざわざ貴重な施設までお貸しいただいて……」
「気にしないで~。でも~、寮監を誤魔化すのは~あまりよくないですよ~」
「っ……すいません」
「いいえ~。でも、大事に~なってからじゃ~冗談ではすまないですよ~。真由美ちゃんたちにも~迷惑が掛りますし~」
「……はい、今度からはちゃんと真由美さんに相談しておきます」
「お願いしますね~。後、別に~怒ってないので~気にしないでくださいね~?」
里奈は叱責するつもりなどなかった。
そんなことをせずとも優香は反省ができると信じているからである。
優香のように焦って無理を重ねる者はやはり年代故なのか毎年一定数出てくる。
そこにあるのは悪い事をしようなどという考えではない。
うまくなりたい、強くなりたい。
ニュアンスは違っても根元にあるのは向上心なので褒めこそすれ、怒るつもりなど欠片もなかった。
しかし、こういうものは小さな積み重ねが大事になってしまうのだ、特に試合では命取りになる。
オーバーリミットを使用した瞬間に戦闘不能になる危険性なども考えたら注意はしないといけなかった。
こういうものは芽の段階で潰しておく必要があるからだ。
「九条さんがそういう部分に気を使っているのはこちらもわかりますよ。真由美ちゃんたちに心配をかけたくなかったんですよね?」
「……はい」
「こちらとしても報告するつもりはないですから大丈夫ですよ。ただ、今後私たちには正しいデータを報告してください」
「わかりました。……ご迷惑をおかけします」
「そんなに気にしないで大丈夫ですから。では、今日の本題を済ませてしまいましょう」
彩夏は優香にかつて試作機の『雪風』を入れていたのと似たようなトランクを差し出す。
優香も以前に健輔と2人で受け取った時と同じようにトランクを受け取り、ロックを解除する。
「おかえりなさい、『雪風』」
『音声を認識しました。おはようございます、マスター』
「え、こ、これは?」
「驚きましたか~? 専用機は~それまでよりも~レベルの高い管理AIになるんですよ~」
「戦闘データは既に移してありますから前の『雪風』と変わらない感じで扱えると思いますよ」
「あ、ありがとうございます」
トランクの中から剣の形で設定されている『雪風』を取り出し魔力を流す。
「……これからもお願いね『雪風』……」
『お任せ下さい、マスター』
「うん~、初期起動も~問題ないわよ~」
「そのようですね。九条さん、こちらからは問題は見当たらないようです。その『雪風』はあなただけの刃になりましたよ」
「ありがとうございました」
丁寧にお辞儀する優香に彩夏は微笑み返す。
今までの生徒も同じように受け取って戦いの舞台に全てを賭けに行った。
この少女も彼らと同じように戦場を舞うのだろう。
かつての自分たちがそうだったように。
だからこそ、彩夏は教師としてだけでなく、1人の先輩として優香に忠告をした。
「これであなたを装備の面でサポートすることは私たちにはもうできません。学園の定める最大の武器がその専用魔導機だからです」
「……はい」
「しかし、教師としてはまだ出来ることがあります。若輩ものの忠告ですが、あなたには必要だと思いました」
「……」
「その新しい『雪風』はあなたが番外能力『オーバーリミット』を使いこなす事を前提に組み上げています。つまり、使いこなせない場合は身の丈以上の武器を持っていることになります」
「……っ」
「そうなると使用に関する危険性が跳ね上がるため取り上げられる可能性も出てきます」
専用魔導機は通常のカスタムでも受け止めきれない能力を前提にしている。
しかし、身の丈以上の刃もまた過剰な力と同じように危険を孕んでいる。
優香の場合はオーバーリミットが使いこなせなければ無駄なウェイトを抱えるだけでデメリットしかない。
「オーバーリミットの発現の経緯は知っています。その上で言います。未だにあれを怖がっているならこれ以上使うのはやめてください」
「っ……それは……」
「魔導は心とも密接に関係しています。気合で突然能力が跳ね上がることもありますし、その逆に劣悪な精神状態に影響されて実力を発揮できない子もいました」
固有能力が精神に関する能力だと言うのはまだ仮説段階だが、ほぼ間違いないこととして知られている。
執念で覚醒する相手もいるのだ。
優香は知らないが今回の対戦相手『天空の焔』リーダー赤木香奈子がそのパターンに該当する。
それに対して番外能力は生来のものが基本となる。
桜香と姉妹である彼女が似たような能力を発現したのは無関係ではないのだ。
しかし、桜香は完全な制御が可能で未だに優香が制御できていないことには疑問が残る。
現段階で熟達した魔導師と互角の技量を持つ優香以上になろうと思えば、何年掛るかわからない。
それどころか行けるかもわからない。
よって実力不足という線はなくなる。
「優香ちゃんが~1番わかってることだと思うから~。私たちからははっきりは~言わないわね~」
「大丈夫ですよ。九条さんなら必ず自分のものにできますから。不安だったら誰かに相談するのもいいと思いますよ」
「先生……。その……ありがとうございます」
「先生ですから。ただ先程言ったことも本音です。危険だと判断したらあなたの決断を待たずに処置をさせていただきます」
「わかりました。……よろしくお願いします」
実力的な問題を夏休みでクリアしているにも関わらず未だに不安定なのは実力以外の部分で問題が残っているからである。
心的外傷、つまりはトラウマに引き摺られているのだ。
こればかりは優香本人がどうにかするしかない。
ラボを後にする優香を見送りながら彩夏は彼女がどんな選択肢を選んでも大丈夫なように準備を進める。
「アマテラス戦。その辺りで道が決まりそうですね」
「そうだね~。桜香ちゃんに対する嫉妬じゃない辺り~根が深い問題だよ~」
「ええ、本当に。儘ならないものですね」
彩夏は教師として教え子の行く先が明るいことを静かに祈るのだった。
「桜香くんの様子はどうだい? 亜希くん」
「流石に疲れたみたいです。『暗黒の盟約』は甘い相手ではなかったですから」
生徒会室で2人の男女がチームのエースについて確認を行う。
生徒会長、北原仁と書記の二宮亜希の2人である。
アマテラスのチームリーダーである仁は亜希の言葉に溜息を吐く。
敵を欺くにはまずは味方からとは言え、桜香1人に負担を掛けていることは間違いないのだ。
罪悪感の1つや2つは湧く物だろう。
まして彼女の親友である亜希までも茶番に付き合わせているのだから。
「本当に君にはめんどくさい役を押しつけて申し訳ないと思っているよ」
「気にしないで下さい。……みなさんの努力は知っていますから、桜香のためですもの。いくらでも協力しますよ」
「真由美君のように出ていってもらう訳にもいかないからね……。彼女が悪評を背負ってくれたおかげでようやくアマテラスも纏まりが出たよ」
普段の仁は尊大に桜香の力に頼っている様な物言いを誰憚ることなく告げる傲慢なリーダーだが、それは擬態であった。
国内最強チーム『アマテラス』。
天祥学園の名を背負い、また日本の魔導師を代表するチームだが未だに世界大会で優勝の栄冠を勝ち取ったことはない。
2年前、まだ1年だったとはいえ真由美と桜香に匹敵する人材だった藤島紗希の2名を擁した状態でも届かなかったのだ。
1人だけ飛び抜けてもそれを押さえられてしまえば当たり前に負けてしまう。
アマテラスの弱点はスターに頼りすぎていることだった。
「長く続いた弊害もありましたね」
「ああ、伝統を変えることが難しい。去年までは年功序列の面が強すぎだった。桜香くんが十分に実力を出し切れなかったのもこのあたりが理由だろう」
「でも、今年は違うのでしょう?」
笑いを含んだ亜希の問い掛けに仁は自信を持って頷き返す。
伝統が固まって錆ついてしまったアマテラスは去年までの存在だ。
今年は違う。
桜香が苦手とする部分を補うためにチームで隠れて鍛え上げてきたのだ。
彼女の仲間として胸を張れるように。
なんとか目途が立ち、そろそろそのヴェールを脱ごうというところでついに孤軍奮闘していた桜香の負担が限界を超えようとしていた。
「桜香君はアマテラスを背負っていることを誇りに思っているからね。彼女は私たちを見下してはいない。だが、その実力を信頼いしてもいない」
「会長……」
実際、真由美がアマテラスを内部からぶち壊すような真似をしてくれなければもっとひどかっただろう。
国内最強の威名に縋りついていたのだ。
いろいろとあったのだ。
だがそれももう終わりである。
「意識改革ではないけど、チームの色を変えるのに1年近く掛るとはね。陣形というかとにかくスターを酷使する形でしかなかったからね」
「大変でしたね」
昔の仁を含めて歪んだエリート集団、といった感じのチームになっていたアマテラス。
その膿をようやく出し切り、胸を張って国内最強チームは動きだしている。
しかし、問題がないわけはない。
「今まで任せきりだったのは、急に変えれないとはいえ本当に無理を強いていたよ。期待を掛け過ぎたせいでプレッシャーだったみたいだしね。ここで急に仲間を信じてくれと言われても納得できるものかな?」
「そこは実力をきちんと見せないとダメでしょう。桜香もその辺りはシビアですから」
「だろうね、信じてくれ、などと言葉で言うのは軽すぎる。いつだって信頼は行動で勝ち取るものだよ。彼女に不足ないチームメイトになるために私たちも努力してきた」
桜香は圧倒的な才と弛まぬ努力を行える本当の天才である。
去年、皇帝に後1歩届かなかったことを、彼女誰よりも責めている。
もっと、自分が強ければ――ともすれば傲慢とも言える考えだ。
事実として桜香の強さに頼り切っているチームではそれを否定できない。
「今年こそ私たちの太陽を勝者にする。これは誓いだ。去年の雪辱は今年で払拭するしかない」
「誰が相手でも?」
「ああ、例え真由美くんたちが相手でも私たちは負けないよ。それが『最強』というものだろう? 王者らしく正面から粉砕しよう」
自信に溢れた物言いに後ろ暗いものはない。
桜香の負担を鑑みて次の試合あたりは後ろに下げる必要がある。
そして相手は『賢者連合』、上位チームの1つなのだ。
桜香は無理を押してでも出場しようとするだろう。
「彼女抜きでも我々は王者だと示さないといけない」
「わかってます。大丈夫ですよ、私たちも負けていません」
どのチームにも問題があり、物語がある。
どんな天才にも悩みがあり、苦しみがある。
それでも勝者は1つだけ。
その座を賭けて誰もが挑戦者として立ち向かうのだ。
学園の『太陽』が万全を超えてようとしている。
苦悩する妹が同じように苦しむ姉に挑む時はもうすぐそこまで――。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
明日、もう1話更新します。
楽しんでいただけると嬉しいです。




