エピローグ『未来』
3月後半。
学校が春休みに入り、3年生が卒業したことで今までよりもさらに人が減った学園を金の髪を持つ少女が足早に歩いている。
かつては腰ほどまでに伸びていた綺麗な黄金は、今は肩口の辺りで綺麗に揃えられていた。
強い意思を秘めた瞳、整った容貌。
何よりも『雷』を感じさせる雰囲気を持つ少女は学園広しといえども、彼女しか存在しない。
つい先日決まった次代の世界ランキングで、見事をランクインを果たした学園が誇るエースの1人である彼女は目的の場所に向かって急いでいた。
「クラウ」
「莉理子さんっ! すいません、お待たせしましたか?」
駆けこむように入った場所は部室棟の中にある真新しい部屋の1つ。
彼女たちに割り当てられた新しい揺り籠である。
「そんなに慌てなくても、今日は私と2人だけですよ」
「それでも、です。長幼の序はきちんと守らないと」
「あら、頼もしいですね。リーダー」
リーダー、という響きに彼女――クラウディア・ブルームは少しだけ顔を赤くした。
目の前にいる女性、三条莉理子こそがリーダーになると思っていたら、気付けば己がリーダーとして登録されていたのだ。
抗議の声を上げるも、時は既に遅し。
周囲への根回しすらも完璧にすましていた莉理子の手際の前に敗北を喫する。
そうして受け入れてしまえば、態度自体は立派なものだった。
流石は『天空の焔』が誇る2大エースの片割れである。
「もう! 私、あれには結構怒ってるんですよ。本当に、心臓に悪かったんですから」
「でも、最後には納得したでしょう? チームを背負う程度やれないようならば、彼女たちには勝てませんよ」
「それは、わかってます。……思ったよりも、莉理子さんは意地悪ですね」
「ふふ、可愛い後輩は先輩としては苛めたくなるものなんです」
神妙に頷くクラウディアに莉理子は微笑む。
話を持ちかけた意味があったと彼女は安堵していた。
そう、彼女たちは来年度、同じチームのメンバーとして戦うことになる。
主力たる立夏たちを失う『明星のかけら』。
柱であり、原動力である香奈子を失う『天空の焔』。
両者の利害は完璧に一致していた。
明星のかけらが、結成の目的を果たしていたことも大きいだろう。
自分達で全てのケリを付けるつもりだった立夏たちは最初からチームを存続するつもりがなかった。
残るのは、絶大な能力を持つ『最強』のバックス――三条莉理子。
香奈子を失い、戦力の低下を避けられない天空の焔にとって、彼女たちは同盟――ほとんど吸収に近いが、これ以上ない相手であることは間違いなかった。
「ランキングも発表されて、各チームの動きも活性化するでしょう。いつまでも独走を許すような腰抜けなら、魔導師をやっていません。クラウ、あなたもわかっていますね」
「はい。あれを見て、奮い立たない魔導師はいないですよ」
「新しいルールも大凡の概要は伝わってきています。今後は私たちの存在感も否応なく、重くなっていく。それでもエースの役割は変わりません」
変革の時期。
今まで通りでは、早晩飲み込まれるような大きな波がやってくる。
それに対抗するために、何よりもクラウディアは己の矜持のためにやれるだけのことを全てやろうとしていた。
女神を超えて、太陽も超える。
意思はかつてよりも強固となり、雷光は全てを賭けて可能性に手を伸ばす。
支える頭脳も、ここにはあった。
準備は着々と進んでいる。
「あら、リーダーと賢者殿じゃない」
新たに表れる人影。
この場に現れるということは、クラウディアのチームメイトであることは簡単に想像できる。
しかし、その人物を見て事情を知らぬ者は驚きの表情を隠すことは出来ないだろう。
彼女の名は水守怜。
国内戦において、クォークオブフェイトの最後の敵となったチーム『暗黒の盟約』が誇る次代のエースだった存在である。
「何? 悪巧みでもしてるのかしら」
「あなたは私に対してどういうイメージを持っているんですか」
「賢者よ。頭が良いでしょう? そして、頭が良いのはあの霧島武雄みたいに性根が曲がっているものよ。特に、あなたのように強かなタイプは、ね」
怜の言葉に溜息を吐いて、莉理子は不服そうな表情を浮かべる。
相性は悪くないのだが、だからこそ2人はぶつかるのだ。
同じ学年で、どちらもエース故のプライドがある。
些細なことであっても、優位を取りたいとつい動いてしまう。
そんな、どこから見ても纏まりに欠ける彼女たちだが、ここには輝ける『雷』が存在していた。
「2人とも、そこまでですよ」
笑顔であるが、有無を言わさぬ力がそこにはある。
彼女は2年生であり、年下だが既にチームを背負ったことのあるエースでもある存在だった。
口下手だった香奈子の分まで役目を背負った彼女は、精神的な習熟度ではずば抜けている。
これがあるからこそ、怜も彼女がリーダーとなるのを止めなかったのだ。
無論、1度ボコボコにされてからの話ではあるのだが。
「すいません。リーダー」
「ごめんね~。ま、追々、仕事はきちんとこなすようになるわよ」
「心配してないですよ。このチームは、勝つために生まれたんですから。そうですよね」
世界大会の決勝戦。
あの激闘が示した頂は闇雲に走っても届くことはない。
チーム力を高めるのは急務であり、避けては通れない道だった。
遥かな頂に達するには、無茶や無謀の1つや2つは必須である。
「そうですね。頼もしいリーダーで、エースです」
「頑張りましょうか。リーダー! 私たち『黄昏の盟約』が頂点を取るために、ね」
「――はい。必ず、頂点を掴みます。このまま、1人だけ置いていかれるつもりはないですから」
季節はまだ3月末。
春の息吹は聞こえているが、まだ眠りの時期ではある。
それでも、動いている者たちは存在していた。
戦いの終わりは、新たなる時代の幕開けでもある。
世界ランク第8位『雷光の戦乙女』クラウディア・ブルーム。
彼女だけでなく、最強を目指す魔導師たちは動き出している。
静かな胎動。
既に、新しい戦いは始まっていた。
戦いが終わるよりも距離が近くなったような気がする。
最近、そのように感じることが増えたのは大分余裕が出来たからだろうか。
自問自答しつつ、男は隣を歩く美女に視線を移す。
定期的にやってくる自問の時期に、毎度同じ答えを出すアホは、いつかのように声を漏らしてしまう。
「……いや、ありえんだろう」
「……? 健輔さん、どうかしましたか?」
「あっ、いや、ちょっと思うところがあってな」
「はあ……? 悩み事なら、いつでも相談に乗りますよ」
柔らかく微笑む少女――九条優香になんとも言えない想いがこみ上げてくる。
負けてなるものか、と謎の気合を入れてから、健輔は困ったように笑い彼女の申し出を遠回しに拒否した。
「そうだな。ま、その内頼むわ」
謎の衝動などで彼女に迷惑を掛けるつもりはない。
見栄であるのは間違いなかったが、こうなった健輔を翻意させるのは簡単ではなかった。
意固地な男の子、子どものような抵抗に優香は何も言わない。
静かに頷き、微笑むだけである。
「そうですか。出過ぎたことを言いました」
「お、おう。き、気にしないでくれ」
背筋が痒くなり、頬が赤くなる。
世界大会が終わって約1ヶ月。
全力で駆け抜けた日々の終わりは、準優勝――2位という結末で幕を降ろした。
立派と言えば、立派な記録だろう。
かつては無名のチームだったのが結成2年目で準優勝。
健輔に至っては、ありがたくも2つ名まで手に入れている。
望む限りにおいて、最高に近い結果ではあった。
しかし、その結果を健輔は素直に受け止めきれていない。
「……あー、あれだな。いい天気だな」
「はい。もうすぐ、春が来ますね」
納得は出来ているが、まだあの日を思い返してしまうのだ。
どうすれば、あの時の桜香に手が届いたのか。
真由美が彼らの前では涙を見せなかったことが、その想いを助長していた。
健輔は夜に1人で思いっきり泣き喚いて、スッキリすることが出来た。
それで、個人としての敗北は終わりである。
思うところはあれど、雪辱を誓って前に進めばよかった。
しかし、チームとしての敗北だけはどうにも出来ない。
あのチームは、既に存在していない。
同じ時は戻って――こないのだ。
真由美が泣いてくれたのならば、健輔は自分の不甲斐なさを嘆けばよかっただろう。
怒るのならば、甘んじて怒りを受ければよかった。
結果はどちらでもない。
彼女は健輔たちの前では最後まで真由美のままだったのだ。
最後まで、真由美は先輩として、甘やかしてはくれなかったのである。
――自分たちで考えろ。
健輔は無言のエールをしっかりと受け取っていた。
「なあ、優香」
「はい? なんでしょうか」
残りの日々は本当にいつも通りに過ぎてしまった。
過ぎて、そして終わったのだ。
いつものように、話をして、いつものように最後は別れた。
特別はことは何もなかった。
「心って、難しいな」
「そうですね。自分の物も、どうにもならないですから」
別れの挨拶はした。
再会や、雪辱も誓ったのだ。
それでも、健輔の中ではなんとも言えないモヤモヤが残っている。
戦いでもあればそれに集中して忘れることも出来たのだろうが、あの戦いの後は流石にそのような気力は湧いてこなかった。
魔導と出会ってから凡そ初めてに近い経験。
ただ日々を過ごした、という感想だけが健輔の胸に残ったものだった。
かつての日常が、今の異常となったことは現実の面白さでもある。
自分でもらしくないと思っていることに思考が飛んでいくのは、健輔が悩んでいる証だった。
エースになると決意をして、第1歩で砕かれた道は中々に険しい。
「決断はしたんだが……いきなり、躓くとは」
「そこまで世の中は甘くない。姉さんは、そのことを教えたかったんじゃないでしょうか。あの人も、中々に難儀な人ですから」
「言うねぇ。まあ、優香がそう言うなら、きっとそうなんだろうな」
「はい。私も目標が出来ましたので、これからも日々を全力で駆け抜けたいと思います」
健輔が振り切れば、優香が悩む。
優香が振り切れば、健輔が悩む。
本人たちは気付かぬままに、2人はバランスが取れていた。
お互いにそんなことなど気付かずに、2人は足りない部分を補い合う。
「っ……そ、そうか」
「はい。……どうかしましたか?」
「な、なんでもないさ。それにしても……」
「それにしても、なんでしょうか?」
何かを振り切った優香は本当に美しい。
横顔にはこれまでにないほどの生気が溢れている。
前を向いて、全てを超えていくつもりなのだ。
健輔にも覚えのある前進精神。
「失敗もまた、糧にしないと、か」
「ふふ、健輔さんは謙虚ですね。ええ、私たちは負けました。でも、負けたということは、今度は勝つことも出来るでしょう」
「そうだな。……その、通りだ」
真由美に恩を返すことは出来なかった。
後悔はある。
未練もあった。
それでも、日々は進んでいくのだ。
生きている以上、健輔には前に進む義務がある。
真由美を言い訳にして、燻る訳にはいかない。
「雌伏の時期は終わり、か」
「世界中の魔導師が、次は私たちに挑んできます。世界を代表するエース。それが、あなたの立場ですよ」
「1人だと雑魚なんだけどな……。いやはや、過大評価って怖いね」
「支えますよ。それに、いつまでも支えられるだけのつもりもないですよね?」
茶目っ気のある笑みを含んだ問いかけ。
問いの形をとっているが、優香は確信しているのだろう。
勝てない、と思いながら健輔は肩を竦めた。
今も彼の周囲には、極限まで調節された結界が張られている。
桜香はあの最強の状態を日常として掌握していた。
同じ場所に行くために、健輔は既に動いている。
「ま、まあ、なんだ……その、あれだよ。身体が、勝手に動く的なやつさ」
「成長されたんですね。迷いは心の問題で、身体は関係ない」
「いろいろあったけど、やっぱりあれだよな。――負けたら、リベンジするしかないさ」
名実共に、真実最強の魔導師となった女性に特大の返礼をしよう。
チームを背負う葵が、安心できるように健輔は最強のエースになることを誓っていた。
「存分に。私も、最強に相応しい翼になりますから。ええ――姉さんの好きには、させませんから」
「おう。ま、頼むわ」
蒼と白。
空を彩る2人は前よりも近くなった距離で、天に浮かぶ太陽を見上げる。
玉座は確かに桜香に奪われた。
しかし、いつまでもくれてやるつもりなど彼らには存在しない。
「さてと、部室に行くか!」
「はい。今は、静かですけどもうすぐ賑やかになりますかね」
「間違いないな」
健輔は断言する。
かつての健輔は国内戦の決勝戦で、魔導に強く憧れたのだ。
桜香と健輔の激突を見て――いや、あの世界大会を見て、熱くならないものなど存在しない。
健輔はそのように確信していた。
「止まっている暇なんてないな」
「はい。目指すは、互いに最強です」
「言ったな。俺が先に行くさ。――いつも通りにな」
「では、私は後から追い越しますよ。――いつも通り、です」
始まりは優香、今は健輔が先にいる。
2人は並んで走ってきた。
少なくとも、そう両者は認識している。
新しい風が空を駆け廻り、新時代の到来を告げていく。
去っていく人と変わる環境。
迷いもあるだろう、涙もあるだろう。
それでも変わらぬ何かを背負って、2人は日々を共に過ごす。
いつか終わりを迎える、その時まで――。
――日々は移ろう、新しい輝きがまた1つ学園にやって来た。
「うおおおおおおお! 凄い、凄いよ、此処!」
「あわわわわ、声が大きいよ! 周りの人、皆、こっち見てるよ!」
1人の、まだ何処かに幼さを残した少女は全身から活力を迸らせながら、学園を前に雄たけびを上げていた。
直ぐ傍にいるまだ小学生にも見える少女は、友人の奇行を涙と共に制止する。
残念なこと、相方はまったく聞く耳を持っていないらしく、友人を無視して視線をあちこちに向けていた。
いつもこととはいえ、変らぬマイペースさに生真面目な少女は肩を落とす。
「うう……、口車に乗って、こんなところに来るんじゃなかったよぉ……」
「あ、あれは何かな!」
「あ、待ってよぅ! 置いていかないでー!」
駆け抜ける息吹は彼女たちが持つ可能性である。
世界中で、新しい輝きと古い輝きがお互いをぶつけ合う。
出会いの春が、また巡ってきた――。




