第324話『太陽』
優香との激突に熱くなっていた心が今度は別の意味で熱くなり始める。
不思議なことに、一周回ったからなのだろうか。
桜香は冷静な視点を取り戻し始めていた。
本能、という領域で彼女は察しているのだ。
佐藤健輔は熱くなって勝てる相手ではない。
「……混ぜて欲しい、ですか?」
「ええ、何やらとても楽しそうですので。優香の相棒、としては見過ごせないかなと」
「婉曲な言い回しはあまり似合っていませんよ」
予想外――ではなかったが、あまりにも都合が良すぎる状況に桜香は笑う。
あまりにも良すぎるタイミングに出待ちを疑うが、健輔が持つ運ということで納得していおく。
此処に、このタイミングで健輔がやって来たのは、決して悪いことはではない。
何故ならば、彼女が望んでいた舞台が整ったからだ。
既にチームメイトで残っているのは、仁と亜希のみ。
健輔と戦っている間に、彼女は1人となってしまうだろう。
それこそが、彼女の狙いであり、望みでもあった。
「仁さんたちは、一矢報いることも出来ませんでしたか……」
「方向音痴の努力に負けるほど、弱いつもりはないですよ。まあ、あなたからすると、大差ない距離でしょうけど」
「そこまで傲慢ではないですよ。少なくとも、今は」
「だったら、教えてあげればいいのに。やっぱり、結構意地悪ですね」
健輔の物言いに桜香は苦笑を浮かべる。
彼の言いたいことはわかるのだ。
桜香と共に戦いたいならば、きちんとした方針が必要なことを彼女は理解していた。
パーマネンスが良い例だろう。
同じスーパーエースによるワンマンのチームだが、内情が大きく異なっている。
才能も、実力も及ばないことを理解して、役割を特化させ、ただ只管に駒に甘んじる。
言うのは簡単だが、実行するとなると想像を絶する葛藤があるだろう。
それでもパーマネンスのメンバーは受け入れた。
彼らのエースを正真正銘の王者にするために、役割を全うしたのだ。
仲間の――臣下の挺身を受けて、王者のイメージはより強固になった。
実力的には必要がないように見えても、彼らは実態としては本当によく考えられたチームなのだ。
誰かが強固にクリストファーを信じることで、小さなコミュニティであってもイメージは確固としたものとなる。
イメージこそが重要な皇帝ははそういった関係を生み出すことで、チームメイトにも確かな役割を持たせていた。
だからこそ、彼らは3年間、健輔に敗れるまで誰にも負けなかったのだ。
表に出ない、しかし、確かなチームプレイ。
翻って、アマテラスを見れば、そのダメさ加減がよくわかる。
「……私が、言えることでもないですか」
この苦境を呼び込むためとはいえ、桜香は傲慢さを自覚した後も、仲間に関して実質放置していた。
無論、狙いがあってのことだが、仲間たちからすればある意味で裏切りに等しい行為だろう。
全てを説明して、その上でこの試合に臨んでいるが、本当に彼らのことを思っているのかは、桜香にはよくわかっていない。
自分の事すらもよくわからないのだ。
そんな彼女には、明確な答えがなかった。
たった1つ確かなことは、勝利を以ってしか返すことが出来ないということだろう。
そこまで考えて桜香は仲間に関しての思考を打ち切った。
既に割り切ることは決めている。
最後の思索を終えると、桜香の中で気持ちが切り替わる。
既に仲間については忘却の彼方へ。
この切り替わりの早さは健輔に通じるものがあった。
「まずは、お礼を。お見事です。最強を突破されて、決勝に来ていただきました」
「こっちも礼を言いたいぐらいさ。あなたがここで待ってなければ、俺は負けてたよ」
「そう言ってくださるのは、嬉しいです。でも――」
心臓が1回、確かに高鳴る。
此処に至れば、桜香も認めることが出来た。
彼女は今、興奮している。
健輔と優香という自分にとって、確かだと言える人との戦いを――心待ちにしていた。
虹の魔力が自然と溢れ出し、桜香の力はさらに高まる。
天井など存在しない。
想いを形にした皇帝、仲間と力を合わせた女神、そして、可能性を形にする健輔。
健輔が女神と皇帝を取り込む形で、此処に至るのは予想出来ていたことだった。
組み合わせを見た時、桜香は神という存在に感謝を捧げたほどである。
健輔ならば、必ず新しい力を得て、桜香の前に至るだろう。
かつての、それを大きく超えて。
「刻まれた敗北は消えず、あなたに付けられた傷はふさがっても傷のまま……。ええ、わかっています。それでも――」
桜香の心は彼女にもわからない複雑な模様を描いている。
色は定まらず、刻一刻と形を変えてしまった。
そんな心の表れが彼女の『虹』の魔力である。
可能性を象徴して、『虹』となった健輔とは違う。
それでも、奇しくも同じ色を発現した者でもあった。
「――私の誇りに賭けて、敗北は勝利で塗り替えます。女の意地と笑ってください」
「笑わないさ。俺もきっと、同じことをする」
「ふふっ、ありがとうございます」
「何、ちょっとは男の甲斐性を見せてやらないとな」
微笑む2人。
穏やかな空気が流れるが反比例するかのように水面下で高まるものがあった。
対話は終わり、後はただ力をぶつけ合う。
白と虹、そして本家の虹。
2対1でかつて敗北した相手が敵にいる。
それでも、九条桜香は怯まない。
「いきますッ!」
「こいッ!」
先手を取ったのは桜香だった。
健輔は武装を槍に変化させて、彼女を迎え撃つ。
2人のやり取りを見守っていた優香は、健輔の行動に呼応して、彼をいつでも援護出来るように体勢を固める。
「ふふ、やっぱり、あなたたちは2人が揃ってこそですね」
桜香の口元の弧が描かれる。
健輔の強さを個人のものではなく、協力した時のものと見抜いている桜香にとって、この2人はお互いを補い合う素晴らしいパートナーだった。
決戦術式の存在を警戒はしている。
この戦いであれを使い、高みに昇る可能性。
アマテラス内でもそれを危惧する声は確かにあった。
皇帝を打破する原動力になった力――のように見えるあの術式を警戒するのはごく普通のことだろう。
しかし、健輔を誰よりも観察していた桜香は気付いていた。
あの術式の本当に怖い部分は、相手の性質を逆手に取っていることだと。
僅かな魔力から相手の性質をコピーして、自分に移してしまう。
王者たちの力をコピーして、理想に近づいたからこその境地。
敵の力すらも見事に利用した男が、仲間と協力した時にどれほどのものになるのか。
桜香ですらも読み切れない。
ましてや、その相棒は自分が認める最愛の妹だった。
「――今は前だけを見る!」
術式の有無など実際のところ、それほど重要ではないのだ。
あれが見せ札であった可能性も含めて、桜香は健輔にだけは絶対に油断も慢心もしない。
「はああああッ!」
「っ!」
桜香の一閃を、健輔が槍で受け止める。
様子見の一撃。
防がれることは想定の範囲内であり、別段驚くほどでもなかった。
次の行動も予想出来ている。
「陽炎!」
『シャドーモード、真由美!』
「いくぞッ!」
真紅の魔力が噴き出して、健輔を要塞へと変貌させる。
桜香の魔力を以ってしても、砕くのが面倒な相手。
攻守に優れた砲撃魔導師を、近接型のテクニックで操る。
撃破することは可能だが、時間は掛かるだろう。
それでも桜香の表情は変わらない。
この程度、苦境と呼ぶ必要もなかった。
何より、既に敵は次の行動に移っているのだ。
「次は、あなたですか? 優香」
「はッッ!!」
前と後ろが入れ替わるように、攻防の起点が置き換わる。
健輔が後衛型になったのを見てからでは間に合わない。
おそらくだが、見る前から動いていたのだろう。
桜香が弾かれたタイミングで前に出てくるなど、あまりにも準備が良すぎる。
僅かに体勢が崩れているところに、彼女に匹敵するパワーを持っている優香が切り込んでくるのだ。
桜香と言えども、心に冷たいものが走るのは避けられない。
抜群の連携、阿吽の呼吸を前にして、桜香の口からは純粋な賛辞が飛び出した。
「私が戦った中でも、あなたたちは最高のペアですね。これ以上の連携を見たことはありませんよ!」
「褒めても何も出ないぞ!」
「姉さんッ! 御覚悟を!」
優香の攻撃を援護する健輔。
攻撃のタイミングなど、目を瞑っていてもわかるのだろう。
同時に迫る攻撃、どちらかに対処すれば、どちらかへの対処が甘くなる。
数の利を生かした、正しい戦術。
息の合った2人の姿は、多少――いや、かなり羨ましかった。
自分が持てなかったもの、もしくはあったのに可能性を切り捨ててしまったもの。
今は決して手に入ることがない輝きに、目が焼かれてしまいそうだった。
「なんて、浅ましい心」
己の醜さに笑いの気持ちが湧いてくる。
今だって仁と亜希が必死に時間を稼いでいるのに、呑気に戦いを楽しんでいるのだ。
2人の奮戦よりも、こちらの戦いの方が桜香の中での比重が高く、その天秤が揺らぐことはない。
度し難い性分。
優香に尊敬してもらえる要素などあるはずがないだろう。
どこまで自分は、自分という単位でしか世界を見れないのかと、桜香は呆れてしまいそうだった。
それでも、いや、だからこそ桜香は勝利でチームに恩を返す。
この性分を自覚しても変えられぬというならば、桜香に出来ることはそれだけしか存在していない。
傲慢に、醜く生きてきたのだ。
踏み躙った心たちのためにも、もはや引き返すつもりなどなかった。
優香に嫌われてしまうのは、少しだけ怖く、健輔に興味を持って貰えないと想像すると心が軋むが、これだけは譲れない在り方なのだ。
「優香、先に謝るわね」
「っ、何を!」
「――ここからはお姉ちゃんじゃなくて、ごめんなさい」
桜香の告白に、優香が瞳を大きく見開く。
しかし、彼女の自慢の妹は直ぐに自分を立て直し、逞しく言い返してきた。
「謝る必要なんてないです。今、私たちは敵同士!」
「……そうね。そうだった。ええ、一切の手加減なく、全力で」
「手を抜いたら優香には悪いけど、俺が瞬殺しますよ。性根なんぞどうでもいいから、全力でやってください。無意識の慢心なんて、言い訳の中でも下の下でしょう?」
健輔の中々にきつい言葉に頬が緩む。
物凄く遠回しに、気にするな、と励ましてくれているのだ。
不器用なやり方に、心が温かくなるのは、彼女も人間である証だった。
「――ええ、勿論です。存分にやらせて、いただきます」
魔導機を握る手に力が入る。
柄を握りつぶしてしまいそうなほど、強く力を籠めていた。
高揚する心。
ここでこの2人を倒すと思うと――どうしようもなく興奮してしまう汚らわしい自分。
それでも、受け止めて見せると大切な2人は宣言してくれたのだ。
ならば、もう躊躇はいらない。
広がる感知範囲が、仁と亜希が撃墜されようとしているのを教えてくれた。
この戦場に太陽は1人だけ残り、他の仲間は墜ちていく。
極限まで追い詰められた状況と最高に高まった心。
つまるところ、これで準備が整ったということだった。
知らない、ということこそが最高の奇襲。
健輔から学習した戦法が、元の持ち主に牙を剥く。
「発動――!」
己の才能を信じて、孤高の道を突き進んだ。
果てに、彼女は全てを解放する力を手に入れる。
固有能力『極限解放』。
既に複数の固有能力を保持しているにも関わらず、桜香は新たな力を覚醒する。
覚醒した能力と彼女は予め用意していた術式と合わせて、世界の頂に手を伸ばす。
「『オーバーカウント・エクストリーム』」
『全能力解放。魔力ブースト』
「これが、私の全身全霊。加減はなし。必ず相手を打倒します」
2つの固有能力と術式を組み合わせた力。
九条桜香が持ち得る全てのスペックを解放する。
桜香という規格外の才能がついにある程度の完成を見せたのだ。
使いこなすための努力は十分にした。
経験もあり、覚悟もある。
不足していたものを全て揃えて、彼女はついに『最強』へと至った。
本当ならば、もっと時間が掛かったはずである。
桜香は、1度完璧な敗北を経験しないと完成しない器だった。
皇帝のように、己の全てを把握しての強さに至るには、絶対の条件がそれであり、同時に最大の難関でもあったのだ。
「天照、魔力の充填を開始しなさい」
『了解。戦闘態勢、準備完了』
虹の魔力が彼女の全身を染め上げる。
光景自体はそれまでとそこまで変わらない。
決定的に違うのは、魔力の質であり――彼女の力の強大さだった。
皇帝の黄金すらも上回る。
健輔は、笑みを浮かべながら確信した。
今までぶつかった魔導師の中で、1番強いのは、間違いなく桜香だと。
「おおう、これは凄いな。ああ――やっぱり、お前のお姉さんは怪物だよ」
「今更ですよ。それでも、勝たないといけないのでしょう?」
「当然だな。負けると思って戦う腰抜けには、なりたくないね。相手が誰だろうが、常に掲げるのは勝利だよ」
肌で脅威を感じている。
『最強』と対峙したからこそ理解できた。
これは皇帝とは進む方向性こそ違うが、確かに王者を凌駕しかねない『才能』だった。
持ち得る全てで、桜香はクォークオブフェイトに立ち向かう。
たった1人、しかし、最強の1人が彼らの前に立ち塞がっていた。
全ての準備を整えて虹の覇王は、厳かに宣言する。
「さあ――試合を始めましょうか」
本当の戦いが、ついに始まる。
優しき『姉』は消えて、暴虐の『太陽』が牙を剥く。
健輔にとっても、優香にとっても、何よりチームにとっても正念場となる戦いがやって来たのだった。




