第312話
「王者は敗れて、新時代が幕を開ける、か。実に良い出来のストーリーだの。お前さん、どこまで考えていた?」
「私を腹黒のように言わないでください。……まあ、クリストファーの限界くらいは予測していましたよ」
試合が終わり、観戦していた面々も解散している。
既に観戦室は閑散としており、人影は少ない。
残っている人間の1人、銀の輝きを持つ女性は穏やかに微笑み、試合について振り返る。
わざわざ彼女に問いかける辺り、厄介な性格をしている賢者に内心で警戒しつつも笑顔は崩さなかった。
それに意見は最初から出すつもりだったのだ。
ある意味では話をし易くするために、向こうから話題を振ってくれたと言ってもよい。
女性――フィーネから見てもここにいるのは1流の魔導師ばかり、彼らとの意見交換は彼女にとっても刺激が多い。
特にある男性の視点は、頭脳を武器にしている1人として見逃せない要素を多々含んでいた。
「限界って、あの『最強』モードのこと?」
わからない組、というと語弊があるが、詳しくはわかっていない人間の代表として、立夏がフィーネに問いかける。
知勇のバランスが取れている立夏だが、それでも武雄やフィーネほどではない。
健輔の戦略が、本来ならばフィーネのやろうとしていたことだと見抜けるほどではなかった。
これは立夏がダメというよりも純粋に経験の問題である。
フィーネが『皇帝』の究極を予想出来たのは、別に優れた頭脳だの特別な経験ではない。
たった1つ、必要なことは王者と戦う。
それだけであった。
「ええ、立夏。あなたは彼と対峙したことがないのでわからないでしょうが、彼と戦うと最終形態はなんとなくですが、予想できるようになります」
「ま、イメージで至れる究極の領域はあそこだろうよ。実際、かなりの強さだったしの。正攻法で突破するのは厳しかろうさ」
「ええ、でも、彼の気性まで考えれば、正攻法が正着なんですよね。本当に厳しい相手です。良い意味でも悪い意味でも忘れられない王者ですよ」
『最強』のイメージとはいえ、あくまでも魔導のルールに沿っている。
試合中に健輔が一時的に魔導を封じたように、燃料自体をなんとかしてしまえば、突破は不可能ではない。
しかし、あの方法は健輔が万能系だったからこそ出来たことであり、あれすらも決定打になっていないのが王者の規格外さを世に知らしめていた。
最後の最後に至っては完全にただの博打であり、健輔の方にも勝率があったが同じぐらいクリストファーにも勝率があったのだ。
魔導の頂点にいたものとして、その強さは確かに『最強』であった。
「1番戦闘回数が多い身として言うなら、あいつの能力の厄介なところは成長性の高さよね。戦うほどに、強くなるのよ。普段は大したことがないけど、ここ1番では絶対に負けない、って感じかしら」
「理屈があればそこを封じることで対処可能ですが、理屈がない強さですからね。私も攻略法には頭を悩ましました」
「火力が最適解とか、そんな風にわかりやすいなら本当に助かったんだけどね」
想いで強くなる。
皇帝の強さはその1点に集約されている訳だが、それをやられる側としては堪ったものではない。
この世の大抵のものには理屈が存在しており、知っていれば対処可能なことばかりである。
皇帝の厄介な点はこのルールに反していたことだった。
桜香のようにわかりやすく強い、などではないのが彼の危険な部分であったのだ。
捉え難く、形容し難い。
そんな相手に同じように、挑んだのが健輔だった。
「健輔さんの戦い方は答えの1つ、ですか?」
この中では1番年少であるクラウディアはフィーネに向かって尋ねる。
観戦していた者たちも多くのことを考えさせられる試合であった。
健輔のあらゆるバトルスタイルを取り込む『可能性』も恐ろしかったが、祈りだけであそこに至った皇帝はそれ以上の怪物である。
たった1人で、全ての魔導師に優ってしまう。
文字にすればそれだけだが、籠められた意味は深刻なものだった。
「皇帝のイメージを制限しつつ、彼の力を逆用する。まあ、1番わかりやすい解答でしょうね。問題は万能系にしか出来ないということでしょうか」
「いや、それだけだと、健輔の奴も勝てなかっただろうさ。最後にものを言ったのは、やはり想いだろうて」
「あんたが想いとか言うとちょっと、背筋が寒くなるわね」
立夏の割と失礼な発言に、武雄は大笑いをする。
中々に辛辣な意見だったが、彼にも自覚のある発言だった。
似合わないことを言っている、しかし、事実は事実として語るのが彼の信条である。
教え子、弟子の1人たる健闘を讃える気持ちも僅かではあるが存在していたのもあるだろうか。
「儂には、似合わないものが試合を分けたのさ。どうしても、決勝に行きたい奴と」
「義務感から勝利を目指すもの。どちらが勝つかは明白ですか」
「あいつがどこまで狙ったのかは、儂にもわからんよ。だが――」
「――意思で勝っていた。そういうことですね」
「お前が望んだ通りにな」
武雄の揶揄に応えず、フィーネは試合会場を映すスクリーンに視線を向けた。
この戦いは、フィーネの敗北に続き、新時代の到来を全ての魔導師に実感させただろう。
これまでの王者が新時代の影に負けた。
これが持つ意味は本当に大きい。
「男の意地、確かに見せていただきました。ふふ、本当に、本当に……強い人ですね」
試合の転換点はいくつもあった。
健輔はその流れを全て制することで、なんとか勝利を掴んだのだ。
己との些細な約束もその一助だと思うと、暖かい気持ちになるのは何故だろうか。
「……今は、お休みください。次の戦いはもっと、厳しいですよ」
最強は崩れて、頂点は空席となる。
次の戦いは、今回以上のものになるのは間違いない。
影は光源が強いほどに深さを増す。
皇帝は最強の光源だったため、健輔に敗北した。
王者と挑戦者は互角、だからこそ仲間の分の想いが勝敗を分けたのだ。
僅かな重みの差で勝負は覆ったはずである。
もし、皇帝が戦いを楽しむのではなく、勝利を求める性格だったならばどうだっただろうか。
綴ることの出来る『もしも』はいくつもあったが、そこを指摘するのは無粋だろう。
男と男が意地を賭け、その果てに勝利を掴んだ。
あの戦いは、ただそれだけであった。
男同士の夢の果て、そこにあった美しい結末。
だからこそ、フィーネは次の相手が不安だった。
「桜香……」
健輔は強くなった。
しかし、今回の強さは敵の存在も大きい。
なんだかんで他者を率いる者だった皇帝とは違う。
真実、孤高の存在たる相手が彼を待っている。
桜香に対して、健輔は今回のように戦うことは出来ないだろう。
『不滅の太陽』は影を滅する意思を携えている。
全能力を以って、彼を潰しに掛かるのは明白だった。
「あなたが勝つのか、私にももうわからない。だから――」
フィーネはただ祈る。
己との約束と、ヴァルキュリアが至れたかもしれない可能性を魅せて貰ったことに最大の感謝を捧げて。
彼女の直感は嵐の到来を感じている。
影が濃くなるほどに、それを払う光も強くなっていく。
まだ最後の戦いが残っているのだ。
「……最後の試合は、きっと『アマテラス』とのものになる」
最強を突破したが、死力を振り絞ったクォークオブフェイト。
健輔にも、隠されたものはもう残っていない。
消耗した状態で、最後の最強が再び立ち塞がるのか。
全ては次の試合に掛かっているのであった。
「……健輔さん」
次の試合、『アマテラス』対『クロックミラージュ』を待つ控室で、1人の女性が椅子に腰かけて、来るべき時を待っていた。
彼女の頭を占有するのは、たった1人の男性のことである。
最強の魔導師、『皇帝』クリストファー・ビアスと互角以上に戦った男。
佐藤健輔の勇姿が彼女――九条桜香の頭から離れない。
彼女は確かに健輔に宣戦を布告した。
桜香が決勝で待つ、と宣言した時の虚を突かれたような表情と――嬉しそうな顔をよく覚えている。
「……私との決戦を見据えて、優香を残した。もし、そうだと言うならば」
健輔は『皇帝』との決戦で限界以上の力を示した。
素晴らしい戦いの全てが優秀すぎる桜香の脳内には焼き付いている。
1つの動作すらも見逃さずに、彼女の心に残っていた。
そう、健輔は冬に鍛えあげたほぼ全てを曝け出している。
「――簡単には終わらない。……でも、それだけでしょうか。あなたのことは、ずっと考えてきましたが、答えが出ません」
健輔を最も意識している強豪は間違いなくアマテラスであろう。
そして、健輔を最も警戒している魔導師は桜香である。
パーマネンスとの戦いは、桜香にとっても非常に有意義な試合だった。
至るべき場所が、眼前に見えたのだ。
ならば、自分ならば辿り着ける、と桜香は根拠もなく確信する。
王者の領域を超えて、健輔に胸の痛みを伝えないといけない。
同時に桜香は優香に応えないといけない。
やるべきことが、彼女には2つも存在していた。
「――今は、この疑問を胸に沈めます。先の試合のメッセージは受け取りました。……だったら、私はそれに応えるだけです」
最強は砕かれて、新しい時代が始まる。
次の世代を導くのは自分だ、などと言うつもりは桜香にはないが、彼女にも自負はあった。
『太陽』の名を真実、最強にするために桜香も努力を重ねてきたのだ。
その全てが次の戦いで問われる。
「……約束、確かに果たしていただきました。次は私の番です」
決勝で待つ。
健輔に宣誓した言葉を嘘にしないために、桜香は心を研ぎ澄ませる。
次の相手が誰であろうが、全てを蹂躙して押しとおる。
決意を胸に秘めて、静かに時間が過ぎるのを待つ。
心はもう、最後の決戦場に辿り着いている。
「全て、私もお見せします。だから――」
あの時のように、正面から受け止めて欲しい。
その言葉は口にはせず、少女は精神を集中していく。
『クロックミラージュ』が聞けば怒りに震えるだろう心境。
しかし、桜香に恥じる気持ちはない。
一途に、そして強く彼女は念じ続ける。
皇帝とは違った方向性だが、だからこそ籠められた念の強さは本物だった。
「あぁ……本当に――楽しみ」
技術と策、そして心の全てを賭して決着を付けることに意味がある。
桜香の心は静かに弾む。
楚々とした容貌からは考えられないほどに、淫靡な笑みを浮かべる。
敗北の痛みが、未だによくわからない傷を彼女に残していた。
払拭するために、否、超えるためにも健輔との激突は不可避だった。
――そこに妹が立ち塞がるとわかっていても、桜香にも譲れない理由が存在している。
「健輔さんも、優香も。必ず、私が倒す」
アマテラスは決勝を見据えて、次の戦場を待つ。
ベスト4に残るほどの敵を視界にすらも入れていない。
侮りと取るのか、それとも必勝の誓いなのかは、個々の見解に分かれるだろう。
1つだけ確かなことは、九条桜香の準備は万端であり、次代を代表する魔導師として不足のない実力を備えている、と言うことだった。
世界が、『不滅の太陽』の名を忘れられなくなるまで、そう時間は残っていない。
国内最強から、世界最強に至るための道筋は確かに彼女たちの目の前に存在している。
優しい微笑みに、確かな戦意を隠して桜香は待つ。
来るべき決戦を、恋でもしているかのように、ただ只管に待っているのだった。
「……今回は大人数で此処にいますね」
「当然だな。健輔のオーバーバーストは自爆術式。相応に体に負荷が掛かる以上、仲良く検査は避けられんよ」
「人数が多い分、男女で分かれたのは良かったんじゃないかな? 葵さんと真由美さんに何か言われずに済むよ」
「まあ、それは確かに」
健輔としてはもはや恒例となってしまった試合後の医務室。
今回はクォークオブフェイトの試合に出ていたメンバー全員という中々に起こり得ない事態のおかげもあり、不意の遭遇なども特になかった。
そういう意味では健輔もホッとしていた。
何故か試合後に、予想もしない出会いがあったりするのは彼も自覚していたからだ。
今回は初めて尽くしのことが多すぎて、中々に疲労している。
おまけのような修羅場はいらなかった。
「健輔、ご苦労だったな」
「あっ、いえ……。ちゃんと、やれましたかね?」
健輔は魔導競技が大好きであり、戦いにも忌避感など存在しない。
天祥学園では魔導も学業であるので、似合わないことではあるが、健輔はかなりの優等生だと言ってよいだろう。
魔導に関して、彼ほど真剣な者はそれほど多くない。
隆志たちも認めるほどに、全てを注ぎ込んでいた。
だからこそ、健輔は不安だったのだ。
自分がきちんとやれたのか。
勝利というのはあくまでも結果に過ぎない。
喜ばしいことではあるが、主題ではなかった。
チームの代表として最後に残った以上、健輔はチームに恥じないあり方を示す必要がある。
それがきちんと出来ていたかが、彼の中で最も不安なことだった。
「ふっ、ふふふ、はははは! お前でも、エースとして戦うのは不安だったか?」
「そ、そりゃあ、まあ、そうです」
「素直だね。僕にはまだまだ遠い話だよ」
エース――チームを背負う称号。
健輔にとっては初めての経験、勝利を確定させるために最後まで生き残る戦いに身を投じた。
後悔はないが、流石にプレッシャーは大きかった。
今までの戦いで、どれほど隆志たちが気を使ってくれていたのかを魂で理解したほどである。
「楽しかったけど、心臓に悪い戦いでしたよ」
「そんな風に振り返れるならば、問題はないだろうさ。お前はやっぱり、魔導に向いているな」
「うっす、ありがとうございます」
隆志の賛辞に僅かに顔を赤らめる。
健輔にとって、戦い方の師匠と言うべきものは2人いた。
1人は霧島武雄。
エースキラーとしての在り方、戦い方などは強い影響を受けている。
直接的に師事した訳ではないが、尊敬もしているし、今でも及ばないと思っていた。
そして、もう1人。
今の健輔の方向性を生んでくれたのが、隆志である。
己を捨てる戦い方、常に最善を考える思考などは健輔が隆志から盗みとったものだった。
「良かったね、健輔」
「おう。……あー、なんか、実感ないなー」
「今はまだ、それでいいさ。お前の力と可能性、確かに見せてもらった。本当に良い戦いだった」
「今度はもっと良い戦いに出来るように頑張りますよ」
「よく言う。ああ、だがお前の言う通りだろうさ。このチームのエースならば、それぐらいは言って貰わないと困る」
男3人が誇らしげに笑い合う。
まだ戦いは終わっておらず、最後の壁が待っている。
それでも今は、最強に勝ったことに浸ってもよいだろう。
激戦の後に訪れる心地よい倦怠感。
全てを出し切った彼らは、次の戦いまで僅かな休息を体に許す。
泣こうが、喚こうが、最後の戦いは迫っている。
その時が来た時に、やり残したことがないように、今はただ前だけを見つめるのだった。




