第305話
敵の異変に最初に気付いたのはジョシュアの方だった。
戦場を把握する術に長ける男だからこそ気付けた些細な違和感。
敵の動きがまるで、自分の操作する人形のような動きをしている。
「これは……クリス!」
ジョシュアは素早く情報を編集して主に伝える。
全体の把握に努める彼だからこそ気付けたこと、支援能力、つまりはバックスの本業を果たすものとして、彼は最高位の実力を持っている。
直接的に魔導師を高みに至らせる莉理子とは、方向性からして異なった存在だった。
確かに魔導連携、という規格外の強化術には及ばない部分もある。
だが、何事にも方向性というものは存在していた。
今回の違和感は、ジョシュアでないと気付けない。
そして、彼から皇帝へ情報は速やかに伝達される。
全体の状況について、わかりやすく簡潔に纏めたもの、他の戦線についてなど、俯瞰の視点で得たものが全て伝えられたことで、戦場に立つ王者も敵の狙いを悟った。
「――自爆でもする気か。しかし、その程度では、俺は止められない!」
敵の動きは被害を顧みないものに確かに変化している。
健輔が個人単位での自爆マスターならば、皇帝は集団単位での自爆マスターだった。
自分の人形を使って、如何にして効率的に相手を巻き込むのかを肌で知っている。
その経験が唸ったのだ。
己の直感を疑うことなどあり得ない。
クリストファーが心のままに吠えた言葉は、多くの者にクォークオブフェイトの狙いを理解させた。
しかし――、
「さあ、どうかしらね!」
――敵は不敵に笑うのみ。
肯定されるとは思っていなかった。
同時に、読めない笑みを向けられるとも思っていなかった。
まるで、当てられるならば、当ててみろと言わんばかりの不敵な笑み。
狙いを看破されたと思われる者が浮かべる顔ではない。
「面白い、ここで笑うか! 貴様たちは!」
皇帝が見た葵の表情に余裕が戻っていた。
この絶望的な状況で何故、笑えるのか。
今の彼でもそれはわからない。
最強をイメージしたことで、確かに能力的には徐々に完成に至ろうとしている。
しかし、それらは『彼が想像した範囲内』で補われている。
皇帝が想像し、創造した最強の魔導師像でしかないのも事実であった。
読心術などは使えないし、問答無用で試合を終わらせるほどの理不尽さはまだ存在していない。
全能からは程遠い、ただの人間なのは変わっていないのだ。
故に、クリストファーは敵の選択肢を読むことをやめた。
彼が信じたのは、自分が最強であるということ。
最強が細かい雑事を恐れるなど、あり得ないことだった。
少なくとも、彼はそのように思っている。
「そちらがどういうつもりなのか、この際どうでもよい。ただただ、粉砕するだけだ!」
敵の狙いに僅かに驚いたが、冷静に考えれば葵が強くなった訳ではない。
隆志も元の力のままである。
この2人が全てを賭して、皇帝に自爆を成功させたとしよう。
それを防ぐ手段など、いくらでも存在していた。
そもそも自爆とはライフを攻撃力に変換することで、直撃すれば如何なる相手でも撃墜できる方法なのだ。
翻って、直撃させなければ意味がない。
皇帝を守る絶対の防壁はそういうものなのだ。
正面からの突破は些か以上に分が悪い戦いだった。
桜香ですらも、彼の護りを突破出来るかはわからない。
「自棄を起こしたのか。そうだとするならば、ここで終わらせるのが、慈悲というものかッ!」
「それは、どうかな? 窮鼠猫を噛む、だ。俺たちの全てを、受け止められるかッ!」
「愚問、答えるまでもない!」
隆志の剣を弾いて、皇帝は構えた。
攻防はリセットされて、再度の舞踏を行う。
タイミングを揃えて、無謬の連携で突っ込んでくる2人に皇帝は寂寥感を垣間見せる。
素晴らしい戦いが終わりに向かおうとしていることを、残念に思っているのだ。
魔導師として頂点に立ち、魔導を愛する男にとって、この試合はまさに夢のようだった。
「このような終わりになるとは、終幕はもっと華麗にしたかったよ。俺を追い詰めた勇士たちが、これぐらいで終わるとは思わなかったよ」
クリストファーの声には、真実の響きが籠っていた。
この最高の刹那に終わりを告げることを、本当に残念に思っている。
敵対者である葵たちにも伝わるほどだった。
だからこそ、葵は皇帝に満面の笑みと、言葉を送る。
彼が寂しく思った瞬間は、まだ訪れないと確信していた。
「――あら、だったら、この戦いは私たちの勝ちね」
「なっ――、お前は、何故……」
葵の言葉は不思議なほど自信に溢れており、確信に満ちていた。
『皇帝』クリストファー・ビアスの3年間の経験でも初めてのことが起こる。
微笑む葵に、その笑顔に王者は見惚れてしまう。
一切の揺らぎなどない、美しい顔にクリストファーも言葉を失う。
この状況で勝ちを宣言する。
どこから見ても、勝者はクリストファーなのに何故なのだろうか。
彼の口は自然と開き、問いを投げようとしていた。
しかし、問い返す前に、ひどく暴力的な方法で答えは皇帝の身体に叩き付けられる。
「餓狼、発動承認。『オーバーバースト改』!」
「自爆術式か! だが、そんなもので!」
「こっちにもいるぞ!」
「小賢しい! 『我、最強なり』!」
クリストファーを覆う空間展開の魔力が彼に集まっていく。
彼の魔力はこの空間全てに満ちているのだ。
最強、と強く信じた力は如何なる性質を持っていようが、力尽くで敵の力を遮断する。
自爆であろうが、この『ルール』は絶対だった。
異なる環境に生きる王者に、下々の力は届かない。
「失敗だな! 自爆など、この俺には――っ、なんだと……」
2人の自爆はほぼ無意味だった。
結果はそれを示している。
それなのに、皇帝の前にいる2人は楽しそうに笑っていた。
乾坤一擲の作戦が失敗したはずなのに、何故なのか、最強にはわからない。
「それが防御方法の1つね。最後に良い情報を貰ったわ」
「ああ、他の戦域も片付くようだし、ここからはあいつ次第だな」
身体の内側から輝く2人は勝利を確信したように笑う。
必要な情報は全て得ることが出来た。
先輩として、やれるだけのやった以上、後は提案者が責任を取る番である。
戦場で輝く5つ光点。
いや、それだけではない戦場の外、彼ら戦闘チームを支えるはずのバックス側からも激しい光が放たれている。
葵たちの攻撃を完全に防いだ皇帝も、事態の急変に付いていけていない。
「な、何が……起きている!?」
『クリス、早くその2人を撃墜するんだ! マズイ、これが相手の作戦だ!』
「っ、了解した!!」
この試合で初めて、皇帝が驚きを露わにして戦闘を行う。
余裕のない、焦った行動。
常の泰然とした様子とは異なる焦りからの全力。
――この時のジョシュアの助言は間違ってはいなかった。
最初から、この光景を実現するために、クォークオブフェイトの全員は力を尽くしていたのだ。
皇帝の最強たる姿にも劣らない切り札でなければ、全員が賭けには乗らない。
そう、これから此処に顕現するのは、創造の覇者にも負けない可能性の覇者だった。
「ウオオオォォッ!」
「ふふ、ダメよ。もう、遅い!」
葵は唇に指をあてて、色っぽく微笑む。
彼女の宣言通り、荒れ狂う魔力の波に阻まれて皇帝は2人に接近すらも出来ない。
「ならば、この一撃で!」
彼の手に集う黄金の光。
真由美の『終わりなき凶星』すらも大きく上回る力が葵たちに向かって放たれる。
ここでもし、2人が墜ちていれば、影響は大きかっただろう。
特に葵が脱落することには、大きな意味はあった。
同時にこの試合で、クリストファーに大きなミスがあったとしたら、それはこの瞬間だったと言える。
いや、もしかしたら、遥か以前からパーマネンスは失敗していたのかもしれない。
念入りな準備をさせたら、全系統中最も凶悪な系統を持ち、それを使いこなす者を強いとは認めても障害だとは思っていなかったのだから。
「残念、そんな当たり前の発想じゃあ、負けてはあげられないわね」
障壁のように葵の前に魔導陣が展開する。
健輔が名付けた術式名『砲撃魔導吸収陣』。
特定のパターンの魔力を吸収するという中々に凶悪な術式である。
発動タイミングはシビアであり、敵のデータを完璧にしておく必要があるなど、課題は多いのに、発動する機会は1回だけ。
普通に考えれば産廃にしかならない術式だったが、嫌がらせに魂を賭ける男は、こんなものを葵に預けていた。
その遊び心がこれ以上はないタイミングで解放される。
「っ、予想されていたのか!」
「だって、あなたたち単純だもの。まあ、これだけ強ければ作戦はいらないものね。――でも、ここから先の戦いについてこれるかしら?」
「ぐっ!?」
周囲に激しい閃光が放たれると同時に、葵は意味深な言葉を残して、光の中に消えていく。
魔力で防御しているため、クリストファーにダメージはない。
だが、鈍い王者にも理解出来ていた。
「……ここからが、本番ということか」
「――ああ、そういうことだよ。皇帝陛下」
天に立ち上る光は見えるだけでも都合5つ。
さらに、戦場の外にある場所からも3つの光が立ち上っていた。
敵側の光が8つ。
つまりはこの戦場には1人しか残っておらず、クリストファーに声を掛けられるのは当然ながら、その1人しかいない。
ゆっくりと振り返り、最強の魔導師は唾を飲み込んだ。
全身を白に染めた魔導師がそこにはいた。
魔力は穏やかに流れているが、激しい力を感じさせる。
白に染まった髪、そして、所々にクリストファーと同じ黄金の輝きもあった。
瞳の色は、様々な色が窺える。
全身を静かに染め上げる力は、間違いなく『最強』に比する領域にいた。
「……固有化でも、そこまでの変化は起きないはずだ。先ほどの術式が原因だな。貴様、一体、何をさせた」
「おいおい、手品師に種明かしを望むのか? だったら、俺は種も仕掛けもありません、って答えるだけだな」
飄々とした態度、言外にわからないのかと挑発している。
世界最強に対して1歩も引かぬどころか、自分の方が強いと確信しているのだ。
目の前の男にクリストファーは明確な敵意を抱いた。
同時に、彼は認めたこれは、己と同類である、と。
同族嫌悪ではないが、最強は1つだけあればよかった。
ならば、どちらかが敗北するしかない。
立ち塞がる『敵』に王者は、笑みではなく、視線を以って覚悟を表す。
「不敬、許そう。この俺と、戦える領域にいるか、試してやろう」
「ああ、見せてやるさ。そろそろ重荷だろう? 『最強』の看板、下ろしてもいいんだぜ」
「抜かせ、1人で戦えぬ者がッ!」
「ほざけ、1人でしか、戦えない奴がッ!」
どちらも自分を最強と信じる者同士。
チームの命運を背負って、ここに至っていた。
至極わかりやすい戦いが始まる。
勝った方が、勝者であり、今代の最強に近づくのだ。
『過去』――クリストファーが勝利するのか。
『未来』――健輔が勝利するのか。
もはや、お互いに策など残っていない。
純然たる正面決戦、この大会でも最大級の激突が始まるのだった。
先に動いたのは健輔だった。
この試合中、この瞬間に至るまで只管に我慢し続けた男は、既に臨界を超えている。
極上の獲物を前にして、行儀よく待てが出来る訳がなかった。
「陽炎おおッ!!」
『術式選択――『終わりなき流星』』
健輔の周囲に13のスフィアが展開される。
スフィアの前には砲塔のような魔導陣。
溜まっていく魔力の色は『真紅』。
戦場から消え去った輝き、消えてなお彼女の威光は陰らない。
ここに後継者がいる限り、星が輝き続けるのだ。
「潰れろォ!! オールバレット、ランダムシュート!!」
『了解。掃射します』
一撃が真由美の全力に等しい攻撃がその名の如く、流星群となって皇帝に迫る。
規格外の火力を前にして、皇帝もまた魔力を高めていく。
敵が披露した弩級の技、相応の返礼をせねば、王者の格が疑われる。
「我が一撃に、滅せぬものなし! 『覇者の極光』!」
『我らが陛下、存分に!』
「無論、勝つのは、俺だッ!」
クリストファーの右手に黄金の輝きが集い、圧倒的な輝きを放つ。
健輔の流星に対して、黄金の恒星は1つで全てを塗り潰すだけの力があった。
数多の流星と、1つの恒星が戦場を照らして、駆け抜ける。
「いけええええッ!」
「させるかァッ!」
真紅の流星と黄金の極光がぶつかり合う。
ゆったりと、しかし、確実に前進する輝きと、夥しい数の流星がぶつかりあって弾け飛ぶ。
「くっ!」
「ぬぅ!」
両者にダメージはない。
攻撃が防がれたことを確認すると、そのまま流れるように両者が突撃を再開する。
あれほどの攻撃でも、2人にとっては挨拶に過ぎない。
「陽炎、ツインソード!」
『イエス、マスター!』
健輔の手には双剣。
「我が刃よ、ここに顕現せよ!」
皇帝の手には、黄金に輝く斧。
2つの輝きが、近接戦闘に突入する。
「ピカピカしやがって、鬱陶しいんだよ、この老害!!」
「貴様こそ、白、という人間か。この腹黒め!」
皇帝の最強たる姿は一挙手一投足が既に最強の攻撃である状態を指している。
如何な障壁も砕き、如何な攻撃でも傷つかない。
理屈上では、空間展開の内部にさらに空間展開を行い、自己強化を行っているのだが、固有能力によりその出鱈目が具現化しているのだ。
『魔導世界』――創造系の固有能力であり、普段は空間展開の補助程度の役割なのだが、この能力には限界が存在しない。
イメージが及ぶ限り、系統の垣根を越えて再現するのが『魔導世界』である。
故に、今の皇帝はまさに最強の魔導師、であるのだが、ここに真っ向勝負で対抗してきた規格外の可能性が存在した。
「今の俺の攻撃を弾く。貴様、一体、どんな手品を使った!」
「また同じ質問か! 敵に聞くなよ、バカがッ!」
返答とばかりに剣が空を翔けていく。
ここで信じられないことが起きた。
展開された黄金の魔力が、砕け散ったのだ。
障壁代わりの無敵の防護――そう信じ抜いたものが砕かれる。
起こったことはそれだけでも、皇帝にとっては重大なことだった。
現実が、彼の想像を凌駕している。
「あり得んぞ! 俺は、己を疑ってなどいない!」
「これは、葵さんの分だ。とりあえず、喰らっておけよ!」
「グハっ!?」
剣の軌跡が重なるように、宙を舞い、皇帝に『直撃』した。
この試合で、否、この世界大会で初めて皇帝のライフにダメージが入る。
10%のダメージ、まだまだ余裕はある数字だった。
しかし、1度でも無敵の防御が破られてしまえば、2度目が起きないとは誰にも言えなくなる。
それは、王者である本人すらも否定できない可能性だった。
絶対、とは1度も許さないからこそ強いのだ。
1度でも失ってしなえば、脆いというのが宿命だった。
「ッ、認めよう。今の貴様は、強い。2つの太陽にも、劣らぬ程に!」
「はっ、ようやく俺が視界に入ったか!」
「無論だ。貴様は潰す、ここで確実にだ!」
ダメージが入る危険性すらも無視した皇帝の一撃が、今度は健輔の脇腹を捉える。
ダメージは10%。
双方が同じだけの傷を負って自覚した。
お互いに敵を倒せるだけの牙を持っている、と。
「ジョシュア、解析に専念しろ。軍勢はいらん!」
『了解したよ。必ず、君の望む情報を見つけてみせる』
王者は必勝の誓いを胸に、無限の軍勢を捨て去る決意を固めた。
クリストファーが宣言すると共に、周囲の魔力が彼の下に集まっていく。
彼の空間展開は膨大なフィールドを覆うことが可能である。
ならば、それを桜香のように等身大にまで集めれば密度は信じられない領域に到達するだろう。
最強のイメージを更なる高みに導くため、黄金の王者は全身を染め上げていく。
「決勝戦のために温存するつもりだったが、貴様相手に手は抜かない。全身全霊で砕いてみせよう。クォークオブフェイト、というチームをな!!」
皇帝の宣言に白き影法師は笑う。
チームの光と敵の輝きを受けて、『影』はかつてない領域まで己を高めた。
文字通り、チームの全てを結集した今の健輔は桜香にすら匹敵する怪物である。
チームメイトの全員を特攻させて、生贄にして、ようやく見えた桜香や皇帝の存在している領域。
此処に至るために、この試合の全てを計画した。
「温存? そんな心境だから、俺に追い詰められるんだよ。ああ、そうさ、この力で負けるとか、あり得んだろうよ」
チームの全てを物理的にも背負っている。
皇帝に勝つためには、まず同じ舞台に上がる必要があった。
桜香もそうだが、魔力の干渉を遮断していく防御を突破するには、相性による絡め手か、力押しによる正面突破しかない。
当たり前だが、後者が出来るのなら多くの人間は深く考えずに済むだろう。
様々な作戦などは天秤が揺れ動く時に勝敗を決するものであり、最初から絶望的な差がある状態では意味がない。
「差を埋めるために、チームを捧げた。俺には、もう退路はないんだよ!!」
「見事な覚悟だ。それを超えて、俺は再び頂点に立つ!」
「ほざけよ。絶対にいかせない!」
歯を剥き出しにして、健輔は笑う。
自爆をして終わるなどという選択肢を今回は選べない。
託す側ではなく、託される側に来たのだから。
両者は勝利の誓いを胸にぶつかり合う。
本当の戦いが、始まった。




