第284話
滝川瑞穂は自分のことを勝気な性格だと認識している。
早い話、彼女は負けず嫌いなのだ。
その部分では師匠にも劣らぬ程度には、高く聳え立ったプライドが存在していた。
健輔からのスパルタ飛行講座修了後も、彼女は彼女なりに研鑽を積んできた。
嫌らしい言い方になるが、同年代の女性で彼女に勝てる魔導師はそこまで多くないだろう。
少なくとも、まだチームに所属していない魔導師として、彼女が頭1つ飛び抜けた位置にいたのは疑いようのないことである。
しかし、彼女は知っていた。
この学園には、まだまだ上の存在がいる、と。
人間、壁にぶち当たった際の行動は大きく分ければ3つ程だろうか。
諦める者、後はある程度は折り合いをつけて挑戦と諦めの狭間にいる者。
そして、最後に何が何でも壁を突破しようとする者。
大体、こんな感じに分ければ良いだろう。
当たり前、と言うべきか。
瑞穂は最後の壁を突破するまで諦めない者であり、密かに九条優香――1年生最高の女性をターゲットに努力を重ねてきた。
そう、努力を重ねてきたのだ。
「瑞穂、少し怖い顔してるよ」
「……そう、かな。ごめん、直ぐに隠すよ」
久しぶりに対面したもう1人の師匠はまた綺麗になっていた。
魔力の扱いがさらに上達しているのだろう。
天祥学園に多くの女性魔導師が存在している理由の1つが、美しさを保てることだ。
瑞穂はそこまで主眼においていた訳ではないが、こうやって実例を見ると何となくだが、納得できるし、体感もしていると理解も容易かった。
実際のところ、彼女も魔導が上達してから肌の調子が良かった。
「……でも、これは」
健輔が引き連れてきた軍団を見て、唇を少し噛む。
世界トップクラス、試合は見たが直接見るとさらに凄い集団だった。
特に目を惹きつけるのは、銀の髪を持つ女性だろう。
普通、銀の髪など似合う人物は多くない。
しかし、神々しく輝く髪を見て、彼女を美しくないと思う人はいないだろう。
『女神』。
大層な2つ名だと思っていたが、こうして試合を見て、間近で見れば名付けた人物の気持ちも理解できる。
他のメンツも多かれ少なかれ美人揃いばかりだ。
自分の可愛さを自覚していても、これには気後れする。
そして、気後れするという事実が瑞穂にはひどく気に入らない。
「……これに囲まれて、何も思わないとか。……実はホモとかじゃないわよね」
「いや、健輔は普通に女好きだぞ。そこは流石に否定するわ」
「本当に、そうなのよね?」
「ああ、マジだ。というか、気持ちはわかるが信じてやってくれ」
瑞穂の呟きにクラスメイトの清水大輔が反応する。
何故か断定系なのは、おそらく同じ疑問を抱いたことがあるからだろう。
瑞穂だけでなく、健輔のプライベートを知った者の多くは思う疑問である。
優香が明らかに好意を見せているのに、舞い上がるどころかスルーなのだ。
仮に勘違いしても誰も責めない状況で、眠そうな顔をしたりしているのだから疑いたくなるのは無理もなかった。
「1回好きなタイプを聞いたことがあるしな。……まあ、聞いた時にホモ疑惑が高まったりもしたが、女性が好きなのは間違いない」
「……ああ、なるほど、そういうことね。ふーん、へー、ほー。――何か、納得いかないわ」
「ほ、ほどほどにな。た、楽しく過ごそうぜ」
地獄から響いてきそうな瑞穂の声に大輔は震えながら、戒めの言葉を掛ける。
瑞穂もそこは理解していた。
自分のせいで、この集まりを台無しにするつもりは微塵もない。
それは、彼女の中では負け、である。
無様な行為は趣味ではないのだ。
「……ふん、女は役者なんだからね。甘く見てると痛い目を見せてやるわ」
割と初期の目的から逸脱しようとしているが、瑞穂はそれに気付かない。
可愛らしい怒りを感じ取った女神が微笑ましそうに、同時に少しだけ申し訳なさそうに微笑んでいるのにも気付いていなかった。
1つの物事に視線が囚われてしまうのも、若さの特権である。
変なところで怒りを買っているとは知らぬ男は、レオナの相対に集中していた。
絡み合う思い、それがどのような絵を描くかはまだ決まっていない。
楽しい1日が始まろうとしていたのだった。
「すまんな、こんな感じになった」
「いや、それは構わないんだが……うん、健輔、お前は凄い奴だよ」
「はぁ、それはありがとう、でいいのか?」
「おう、受け取っておいてくれ。――俺の予想とか、無意味だったな。まさか、女神をフィッシュしてるとか、完全に想像の外側だわ。……おまけもいっぱいだし」
大輔のフィッシュという単語に良からぬ響きを感じ取るが、健輔はツッコミを耐える。
ここで妙な言葉を差し込むからこそ、弄り倒されるのだ。
泰然自若とした、山のように大きな心で受け入れれば良い、と心を落ち着ける。
その際に、試合を想定して強敵との戦いを思い浮かべた。
すると健輔は自然、不敵な笑みを顔に浮かべることになる。
「そ、その笑み、凄く悪い感じだぞ。……勘違いするやつが出るから、やめた方が良いような」
「うん? そうか。まあ、お前がそう言うなら自重しよう」
大輔の態度に少し不思議なものを感じるも、取りあえずは置いておくことにする。
確認しないといけないことは多いのだ。
健輔はある程度の希望を出した上で、途中経過は聞いていない。
大輔が楽しみにしておけ、と頼もしそうに引き受けてくれたので、細かいことには触っていないのだ。
「それで、今日は何をするんだ? 遊ぼうぜ、しか聞いてないけど」
「ああ、そっちはバッチリだぜ。ご希望通りに身体も動かせる完璧なプランを組んできた」
「ほう、流石だな」
大輔からは事前に魔導機を、それも戦闘仕様で持ってきてほしいと言われていた。
健輔の陽炎は持ち運びも容易であり、武装部分も展開が楽だが、そうではない魔導師も多い。
正確には、そちらの方が多数派であった。
陽炎は見た目に反して、かなりの予算を使った高級機なのである。
これも健輔が戦う万能系であるからこその特権とも言えるものであったが、生活での便利さは別に性能には直結しないので問題ないだろう。
わかりやすいとこでは、フィーネのテンペストなどがそうだろうか。
彼女の能力を受け止めるために、専用のチューンが施された魔導機はかなり変態的な性能を誇っている。
世の中、上には上がいるものだった。
どんな狭い範囲であれ、頂点に立つというのは中々に大変なことなのである。
「おっ、楽しそうな目つきになってきたな」
「そりゃね。ガチの戦闘ではないが、戦闘クラスが必要って、少し楽しい匂いがしてるからな」
「ふふん、期待しているがよいさ。それに、ちょっとは試合の役に立つかもよ」
「へー、それは本当に楽しみだよ」
大輔の自信ありげな様子に健輔も期待感を高めた。
フィーネのお願いに付き合うのも別に嫌ではないが、こういう感じの企みはもっと大好きだった。
好みの匂いを嗅ぎつけたのなら、なおさらである。
「じゃ、説明を頼むわ。何か、妙に空気が重いけど」
「任せとけ! ……しかし、この空気を妙に重いで済ませるとか、あれだな。健輔、苦労してるんだな」
「へ? ……ま、まあ、そうかな?」
「うんうん、わかったぞ。今日は普段の疲れをしっかりと癒してくれたたまえ」
「あ、ありがとう」
肩を強く叩いて、大輔は生暖かい目で健輔を見つめてきた。
よくわからないが、どこか力強い視線に微妙に気圧されながらも激励は有り難く受け取っておく。
「じゃ、早く行こうぜ。予約とかはしてるしな。いやー、持つべき者は強い友人だな。健輔、ありがとう」
「は、はぁ。……一体、何のお礼なんだ?」
健輔は頭を傾げて、大輔の後ろに付いて行く。
向かう先にあるものが、本当に健輔の望みと合致しているとは、この時の彼は知らなかったのであった。
現在、魔導技術の総合的な学習環境が整っている国というのは意外と少ない。
主要なのは3つの地域だけであり、その他は準備中という国やまだ体制が整っていないところばかりである。
先行しているとはいえ、天祥学園を含めた学園群もまだまだ完全とは言い難く多くの問題点を抱えていた。
逆に言えば、まだまだ発展の余地があるとも言えるのだが、現状では問題を抱えていると表現する方が、発展の可能性があるというよりは正しいだろう。
いろいろな背景を持つ魔導の学び舎たちだが、目下最大の課題とされているのは、戦闘経験の蓄積に関するものだった。
健輔たちのように最高レベルの環境で戦っていれば良いが、チーム入りのルートから僅かに逸れると戦闘経験を取得する機会は大きく下がってしまう。
チーム内の練習よりも、他チームとの試合の方が上昇は早いのだ。
仮定の話だが、香奈子にもっと戦闘経験を積む機会があれば、彼女は2年生には覚醒出来ていた可能性がある。
彼女だけではなく、より多彩な可能性を持つ者が経験する機会の喪失により花を咲かせられないとしたら、それは大きな問題だった。
「――ですから、欧州ではこういう施設を建設しているんですよ。大輔さん、でしたか、日本の方なのによくご存じでしたね」
「あっ、いえ……あ、ありがとうございます」
フィーネからの賛辞に大輔は顔を赤くして返事を行う。
健輔たちがやって来たのは、ある目的のために建設された施設。
一言で言えば、より少人数での戦闘――魔導競技での『体を動かすこと』に適した施設だった。
チーム制度はいろいろな経緯を経て誕生した魔導におけるスタンダードルールである。
ここから大きく逸脱しても効果は薄いとなっている以上、新しい制度の構築は現実的な発想ではない。
しかし、戦う機会は多く設けたい。
そんな発想から生まれたのが、この少人数用の戦闘施設である。
組み合わせや人数で細かくルールを変えて、大規模な魔導の力ではなく技術を磨き、経験を磨くための施設。
早い話が、魔導に慣れた中間層向けの施設であった。
「まあ、日本ではまだ馴染みがない感じですかね? 施設の建設は終わってるらしいですけど、稼働は来年度でしょうから」
「話は聞いたことがあります。来年度の世界規模でのルール改訂に合わせて、いろいろと環境も変更される、とか」
「認識はあってますね。戦闘経験云々、と難しく言いましたけど、簡潔に言えばチーム制度はちょっと、そうですね。……重い、とでも言いますか」
「重い……ですか」
美咲の返答にフィーネは笑顔で頷く。
重い、というのは比喩的な表現であるが、人数や求められる連携の質など高レベルになるには普通のチーム制度は時間が掛かる上に選手への負荷も大きい。
また、何試合かこなしたからなんとかなるというものでもないのが問題だった。
数をこなすのが必要なのに、数をこなすのが大変でその上、自分だけの力では勝てない。
勝てないからモチベーションが上がらないという負のスパイラルに突入するのだ。
「その点、ペアとかトリオだったら友人レベルでいけますからね。1年生同士などに限定したりすれば問題はさらに減るでしょう?」
「なるほど、いろいろと個人でも出来るようにした。そんな感じの方向性なんですね。やっぱり進んでるんですね」
「日本よりも規模が大きくて、名門化が進んでいる、というのが欧州の問題点ですから。安定して名門が勝つのは、ファンは楽しいかもしれないですけど、緊張感に欠けますよね」
フィーネは何でもないことのように言っているが、緊張感の欠如はそれなりに大きな問題だった。
負けず嫌いが多いため、まだそこまで大きな問題になっていないが、最終的には魔導の一般化を目指しているのだ。
母数が増えれば、やる気のない層というのが一定数は生まれるため、やる気のある層を伸ばすのは死活問題であった。
実際、欧州での新興チーム減少はそれなりに深刻に捉えられているようで、個人単位での戦闘ルールや施設の建設が急ピッチで進められていた。
「まあ、背景はこんなもので。健輔さんが凄く眠そうにしてますしね」
「……き、聞いてたよ? あれだろ。いろいろな戦いをしよう、ってことだろ?」
「あらあら。まあ、大筋では間違ってないですよ。実際に体感した方が早いと思いますし、軽く汗を流しますか」
いつの間にかフィーネに先導されて、一行は施設の中に入っていく。
健輔がヴァルキュリアのメンバーの様子をこっそりと窺うと、珍しそうな日本組とは違い自然な感じで施設を佇んでいる。
慣れている感じから、おそらく既に経験済みなのだろう。
「……ふーん、確かにこれは楽しそうだ」
大規模なバトルは禁止されているが、この程度は許容範囲だろう。
体が鈍らない程度に動かすには最適そうだった。
何より、来年度から天祥学園でも使えるというのならば、体感しておいて損はない。
健輔は口元を吊り上げて、楽しそうに前を見つめる。
ペアやトリオ、後は様々な相手。
これらの単語を聞いた時から心は疼いていたのだ。
フィーネの下で戦うのも悪くない。
先の試合で健輔はそんな事を言ったが、あれは掛け値なしの本音である。
思いもよらぬ形で、その願いは成就しそうであった。
ワクワクする心を抑えつけながら、冷静さを装って健輔はフィーネの後を付いて行く。
その様子を計画通り、と大輔は笑みを浮かべて見つめるのだった。




