第277話
休み、と言われた際にどんな行動をするだろうか。
ここに1人、休日の過ごし方を忘れたワーカーホリックの鏡のような男がいた。
大輔と約束をした日までよく考えると何もすることがなかった男。
健輔は陽炎を難しい顔で見つめ、一言呟く。
「……俺って、魔導を知らなかった時って何してたんだろうな」
『……マスター、データにないことは流石に答えられないです。ご自身に聞いてください』
「……だよな。うん、答えられるはずがないよな」
陽炎からの当然の返答に頭を抱える。
しかし、健輔本人にも身に覚えがないという由々しき事態が発生していた。
記憶からすっぱりと過去の休日の過ごし方が抜け落ちているのだ。
圭吾辺りにでも聞けばいいのだが、休日を如何に過ごしていたか、などという間抜けなことは聞きにくい。
「あー、俺ってこっちに来てから本当に魔導ばっかりだったのか……」
今更ながら、春から今日に至るまでの日々を振り返ってみる。
魔導を使わない休日など入学してからほぼなかったためこんな事態になっているのだ。
0ではなかったが、そんな日は基本的に1日休んでいた日である。
「やべえ、どうしようか……。流石に今日くらいは魔導の使用は自重しないとな」
本当ならば軽く身体を動かしたいくらいなのだが、今日くらいはセーブする必要があった。
そのせいもあって本気ですることがないのだ。
そう感じるほどに、健輔は常に魔導と使いまくっていた。
追いつきたい、追い抜きたい。
何よりも勝ちたい、負けたくないという思いがあった。
才能の差は幾度も感じたことがある。
それを埋めるには時間と執念しかないというのが健輔の答えだった。
間違いではないし、完全に自力とは言い難い部分もあるが、世界最強クラスとも互角に戦えるようになってきたのは日々の努力の賜物だろう。
「何かを得るには何かを失わないとダメなんだな」
健輔はうんうんと首を縦に振って、しみじみと言う。
『マスター、現実逃避はそこまでにして、早く話を進めませんか?』
「げ、現実逃避……。えらい言い様だが、せ、成長したな」
『マスターに合わせる武器が私です。マスターが成長する限り、私もそれは変わりません』
陽炎の言葉にはどこか誇らしげな響きが籠っていた。
言葉からこういった感情の機微、とでも言うものが感じられるようになったのも1つの進歩だろうか。
最初の頃は如何にもAIという感じだったのが大きく変わったものである。
陽炎が言うようにそうでないと健輔についてこれないらしい。
いろんな意味で健輔に相応しい相棒になってきていた。
この相棒になら任せられる、と健輔も信じている。
全力を尽くして、その上でこの相棒との敗北ならば、きちんと受け止められるだろう。
「……再確認だねー。なんか、身辺整理みたいだな」
『ちょうど良い機会ですから、ご自身の立脚点を見つめ直すのも良いではないのですか?』
「あー、そうだな。……そうするか」
意図的に避けていたが、そろそろ話してみるのも良いだろう。
ここに来ることになった最大の原因。
ある意味で健輔と魔導を結びつけた存在とそろそろ話してみるの悪くなかった。
休みの初日は各々が既に好きなように過ごしている。
圭吾辺りも顔を出しているような気がするが、クラウディアなどと会うよりは気楽だった。
彼女たちは今からが、残りの戦いなのだ。
余計なことを言って、気を使わせるつもりはあまりなかった。
「じゃ、陽炎。頼むわ」
『了解です。彼女に連絡を取ります。マスター、それまではどうしますか?』
「ゆっくりと休むよ。昼まで寝るとか、あれだな贅沢な感じだろう?」
『確かに休息は必要ですね。連絡は私が対応します』
「お、おう。……頼んだわ」
時刻は午前5時30分。
体がいつも通りの時間に起きてしまった故の事だった。
陽炎に冗談が冗談として取られなかったので、仕方なしに健輔はベッドに戻る。
圭吾は学園に戻っているためにいない。
妙に広く、寂しく感じる視界を最後に収めて目を閉じる。
健輔はそのまま直ぐに眠りに落ちていく。
陽炎は主が眠ったのを確認してから、
『……肉体疲労度は相当なものですが、やはり無理をされていますね。行動をどこまで誘導できるでしょうか』
相棒の努力を知らずに健輔は呑気に寝息を立て始める。
陽炎に限らず、多くの者が彼を支えていた。
だからこそ、健輔は思うのだ。
――もっと、強くなりたい、と。
夢中になるものを見つけた子どもの心で健輔は駆け抜ける。
結末の1つが姿を見せようとしていたが、まだ詳細は何もわからない。
しかし、この戦いの果てに1つの終わりが待っているのは確実だった。
「……それで2度寝したら今度はこんな時間になったんだ?」
「……ご、ごめんなさい。セットはしてたけど、こう昨日の試合が……」
『申し訳ありません。私も指摘するのを忘れていました』
「ふーん、そういう理由なのね。なるほど、納得です」
喫茶店で年上の女性の前で小さくなる男が1人。
健輔は珍しく額に汗を浮かべて謝罪していた。
人間は頭が上がらない人物の1人か2人、人生の中で出会うことがある。
健輔にとって、その女性は頭が上がらない人物の筆頭だった。
小さい頃に世話になって、今も間接的に世話になっている。
おそらく、生涯頭が上がることはないだろう。
葵や真由美とまた別のベクトルだが、きっちりと心の根っこの部分を抑えられていた。
「別に20分ぐらいの遅刻は気にしてないのよ? でも、健輔くんがこういう約束を守らないのって珍しいなって、思っただけ。だから、そんなに恐縮そうにしないで欲しいかな」
「……か、顔に出てる?」
「バッチリ。お姉さんを怖い人みたいに扱うのは傷つくなー」
「ぐっ……。ご、ごめんなさい」
「……はぁぁ、もう変なところが真面目なんだから。気にしてないよ」
朗らかに笑う人物は先代の『太陽』。
アマテラスが誇った最高のエース、藤島紗希である。
現在は天祥学園大学部の1年生であり、健輔が魔導と出会った切っ掛けとなった出来事にも深く関係している人物だった。
真由美のチームとの出会いも彼女の勧めだったことを考えると、健輔の魔導に関することの凡そ8割ほどは彼女がいなければ成立していなかっただろう。
そういう意味でも絶対に頭が上がらない人物だった。
――最も、健輔的に1番大きな理由は小学生の時の出来事とはいえ、お嫁さんにする宣言などをしたことが頭が上がらない理由の筆頭である。
健輔以外では紗希しか知らぬであろう秘密。
幼少期のあれこれをほぼ把握されていることはそれなりに辛いことだった。
「ふふ、それにしても健輔くんは変わらないね」
「そ、そうかな。紗希さんも変わらないよ」
圭吾がそうであるように、健輔にも初恋だった。
とっくの昔に破れた思いだが、未だに目の前にすると緊張する。
健輔の好みの女性像に黒髪などの要因が入っているのは、間違いなく紗希の影響だった。
「そう言えば」
「ん? 何?」
「ベスト4、おめでとう」
「あ、ありがとう」
紗希が何かを思いついたようにニッコリと微笑む。
長くて黒い髪、クールなように見えて朗らかな笑み。
変わらない雰囲気で紗希は健輔の健闘を讃えてくれた。
「あっ、照れてる。健輔くんは昔から顔に出やすいね。戦闘ではあんなにカッコいい感じだったのに」
「最近よく言われるよ。直そうと努力してるんだけどなー」
「自覚はしてるってだけ? ふふ、本当に、小さな頃と変わらないね」
「……す、少しは成長してない?」
健輔の言葉に紗希は少しだけ思案顔になるが、
「変わらないかな。昔も何か熱中すると極めるまでは我武者羅だったよ。ほら、体育で鉄棒出来なくて、家に帰らずに練習してたでしょう? おばさんが心配して私の家に電話を掛けたぐらいだったしね」
「い、いや、あれって1年生の時ぐらいじゃん。こう、周りが見えてなかっただけだよ」
出来るようになるまで帰らない、と宣言することはあってもが本当に帰らず、あまつさえ、学校に侵入するような奴はそうはいないだろう。
健輔の中では若き日の過ちだったが、周りからすれば飛び抜けていた。
そんな言い訳を聞いて、紗希は何かを含むように笑い、
「ほら、変わってないよ」
「ぐっ……。ま、参りました」
と言い切ってしまう。
やられっ放しだが、もう勝とうという気すらも湧いてこないのは相手が憧れた相手だからだろうか。
健輔にもその辺りはよくわからなかった。
「あーあ、紗希さんには勝てないなー」
「昔みたいに、紗希ねえ、でもいいよ?」
「い、いや、もういいよ。うん」
「そうなの? 圭吾くんもだけど、残念だな」
この学園に来てからメールなどではそこそこ連絡を取っていたのだが、直接会わなかった理由がこれだった。
いろいろとお世話になった過去から考えて、この人にだけは勝つことが出来ない。
健輔の恥ずかしエピソードを知られすぎている。
圭吾ならば双方が知っているので問題はない。
しかし、紗希はダメだった。
健輔の相棒たる少女と雰囲気だけでなく、才能などの部分でも似ているこの女性は本当に傷が存在していない。
仮にあったとしても、健輔とは違って微笑ましい感じのエピソードになってしまうのだ。
美人は得だとこの学園に来てから強く思ったものだが、美人で性格が良くて、おまけに雰囲気も良いとなると男では絶対に勝てない。
圭吾は事情があるといえ、よく頻繁に会話できるとこの部分に関しては心底尊敬していた。
健輔が同じことをやると過去の重荷で潰されてしまう。
しかし、朗らかに笑う紗希の顔が少し曇る。
「……健輔くん」
「ん? 何?」
紗希が先ほどまでとは違って、少し言いづらそうに健輔を見る。
健輔としても渡りに船だったが、今回の邂逅は元々、紗希から日程を送られたものだった。
向こうも何か言いたいことがある。
流石の健輔もその程度は悟っていた。
紗希の真剣な表情を見て、いよいよかと気合を入れる。
あまりこういう空気は得意ではないのだが、得意じゃないと言っている場合ではなかった。
「黙っていたというか。まあ、知っていることだとは思うんだけど」
「ああ――アマテラスのことですか」
「うん。まあ、わかっちゃうかな」
苦笑する紗希に頷き返しておく。
正直なところ紗希がアマテラスに所属していて、先代の『太陽』だったことなど調べればすぐにわかる類の話だった。
健輔は圭吾に教えてもらうまでまったく知らなかったが、別に困ったことはない。
紗希が言わないということは何か理由があるのだろうと勝手に納得していた。
「言わなかったというかね。こう、協力が少なかったのは……まあ、私なりの償いだったんだけど」
「いいですよ。別に気にしてないですし。アマテラスを紹介されるよりも、こっちの方が性に合ってます」
「へ……? ……そっか。うん、ならいいかな。いろいろと私も失敗した話だったから、ちょっと言い辛くてね」
何やら深刻そうな顔をしていたが、割と健輔にはどうでもいい話だった。
紗希はアマテラスにはそれなりに協力しているらしいとは圭吾から聞いていた。
クォークオブフェイトも彼女の後輩が多数所属しているため、何故合宿などで見ないのかなどと気になってはいたが、紗希なりに何かを考えていたようである。
それならば健輔から言うことは何もなかった。
シャドーモードの完成のために少しだけやって欲しいことがあるのだが、それは急ぎではない。
今回の件はそれで清算して貰おうなどと考えておく。
「ふふ、何か楽しそうだね。悪いことでも考えてる?」
「人を悪人みたいに言わないでくださいよ。……でも、ちょっと聞きたいことがありますね」
「うん? 何かな。今ならスリーサイズとかも教えちゃうよ」
「そんなものを教えてもらっても……」
「そ、そんなもの……。ちょ、ちょっとショックかも」
健輔の率直な感想だったのだが、紗希が何やら深いダメージを受けていた。
マズイと思うが、口から出てしまったものは仕方がない。
あっさりとフォローを諦めて、次の話題に進むことで流すことを試みる。
「それよりも、どうして俺をアマテラスに紹介してくれなかったんですか?」
「え……ああ、うん、それはね。……それは良いけど、ちょっと女として傷つくなー」
「紗希さん?」
小声で何かを呟く紗希に健輔はもう1度、問いかける。
ここで話題が戻るのは面倒臭い。
無駄に磨き上げられた直感がそう訴えていた。
何だかんだ言って、紗希は幼き頃の理想の女性象なのだ。
未だに引き摺っているところは健輔にもある。
そんな人からスリーサイズとか現実的なことを言われるのは避けたかった。
このまま幻想に居て欲しいのだ。
割とダメなことを言っている自覚はあるが、イメージというのは守りたかった。
壊れても別に構わないと言えば構わないのだが、積極的にぶち壊す趣味はない。
「あ、ごめんね。私がアマテラスを勧めなかった理由はね」
「理由は?」
――あなたには、合わないと思った。
そんな解答を最後に、雑談は日常のくだらないことを報告する形になっていく。
話ながら思うことは、紗希の慧眼についてだった。
桜香で纏まり、桜香を中心にしているあのチームは健輔にはやり辛いだろう。
アマテラスに義理立てするなら、それでも健輔を紹介して潰すような方法もあるだろうに、結局は1番力を発揮できるチームを紹介しているのだから、紗希は根が良い人すぎた。
彼女の古巣との戦いが行われるのかはわからない。
しかし、健輔は信じていた。
あの優香の姉が出来ないことを宣誓するような人物だろうか。
最強の『太陽』に直接宣言されたことは、健輔にとっても誇りだった。
今、このような状況に成れたのは紗希が切っ掛けである。
彼女にとっては複雑だろうが、感謝の思いも込めてアマテラスは必ず倒してみせよう。
笑顔で雑談しながら、健輔は心に強く誓うのだった。




