第266話
リタからの岩石攻撃を軽やかに回避して、葵は女神と交戦する健輔を思う。
葵たちにまで影響が来た激しい魔力の激突。
あの攻撃は間違いなく健輔の余力を全て絞り出したものだろう。
――つまり、健輔はピンチだということが葵には直ぐにわかった。
「香奈、状況は?」
『こっちも、結構必死なんだけどね! いやはや、空間展開は怖いわ。見事に遮断されてますよ。健輔ももう、こっちと繋ぐ余裕はないみたい。でも、最後の連絡はあったよ』
「最後の連絡?」
フィーネはドームを解放しても、バックスとの念話は遮断を続けていた。
流石に今は余裕がないのか、復旧しているが本当に先ほどまで使えなかったのだ。
間違いなくフィーネも疲弊している。
それでも味方全員に強化を施した上で、健輔を押し切るだけの力を持っていた。
そんなフィーネと戦っている健輔が、念話で伝えた最後の情報。
無意味なはずはない。
『ふふ、葵にはわかりやすいんじゃないかな。――なんとか、女神を動かして欲しいだってさ』
「……あら、そうなんだ」
敵の攻撃を避けながら、葵は笑った。
なるほど実にわかりやすい情報である。
この状況で、フィーネを動かす方法。
そんなものは1つしかないだろう。
「私の前にいる奴らを、1つずつ仕留めれば良いのよね」
そうすれば勝てる、と彼女の後輩が伝えているのだ。
ならば応えるのが、彼女の務めだった。
小癪な水の戦乙女。
彼女の愛する後輩の1人を落としてくれた礼をしたいと思っていたところである。
最高の機会と言う他ないだろう。
試合を動かして、その上で仇も討つことが出来る。
健輔にしては気の利いた贈り物だった。
「健輔もかなり弱ってるみたいだし、時間はあんまりない」
フィーネに積極策を取らせるには生半な方法ではいけない。
これほどの優位に立っても、慎重に事を進めているのは葵も感じ取っていた。
着実に、1歩ずつ健輔を潰そうとしているはずなのだ。
堅実に、確実に積み重ねたものだからこそ、今、クォークオブフェイトは敗北しようとしていた。
これこそが、フィーネの厄介さだと言えるだろう。
時間を掛けて力を削いで、その上でまだこれだけの力を秘めている。
ヴァルキュリアのメンバーを削っていないとフィーネは弱くならない。
しかし、削るために時間を掛けると追い詰められる。
かと言って、速攻しようにも防御型、と極めて手堅いのが女神だった。
それを焦らせる、驚かせるには葵もそれなりのプレゼントしないといけない。
健輔が葵に伝言を伝えたのもそのためだろう。
「真由美さんも結構手一杯だしね。余裕があるのは、私だけ。うん、どこから考えても状況を変えられるのは私だけだわ」
葵の中で淡々と計算が進む。
手品の種を見破っても、フィーネを倒さないとどうにもならない。
健輔が普通にやられてしまえば、勝負は決まってしまうのだ。
今の内に数を削るのは当たり前だが、そのために消耗することも避けないといけない。
中々に厳しいオーダーだったが葵は笑う。
本当に気の利いた贈り物だった。
返礼はド派手にいくべきであろう。
消耗に関しては、戦った後に考えれば良かった。
「香奈ー、ちょっといいかしら?」
『ほいほい、なんでしょうか』
「ちょっと良いこと思いついたから、真由美さんに連絡、お願いね」
『げえっ。マジっすか』
「……あら、何か問題が?」
葵は香奈の声に不機嫌そうに返す。
すると一転して、
『了解しました!』
「それでいいのよ。念話、切るわよ」
『あいあいさー!』
「気楽ね、もう」
と元気な返事が返ってきた。
どうせやる気だったのに、必ず遊びを挟むのは香奈の悪い癖である。
葵は余裕があるが、チームとしては切羽詰まってきているのだ。
いつでも余裕があるのは構わないが、節度を持って欲しいところだった。
この葵の感想を聞けば、香奈はツッコミを入れるのだろうが、残念ながらここに読心術の使い手はいない。
「さてと、そろそろ――潰しますか」
葵は気合を入れ直すと、遠くにいる健輔とフィーネの戦闘に視線を移す。
戦いは続いているが、どうにも健輔の動きが鈍く感じる。
疲弊の極みでよくやっているが、限界は近いのだろう。
「時間経過で固有化の干渉無効を突破、か。やっぱり、特殊能力は力技で突破が可能ね」
相性なども力関係によっては容易く逆転する。
敵に力を発揮させない、というフィーネの戦い方は合理的だった。
攻撃に耐えることや、避けることを考えるよりも、正常に出させない方が遥かに対処は簡単である。
奇抜に見えて堅実、規格外に見えて慎重。
フィーネの天邪鬼な気質を葵もしっかりと認識していた。
距離を取っての戦いが、それを象徴している。
チームの力を集めている彼女にはその程度、造作もないことだった。
だからこそ、フィーネを大きく動かすために取り巻きを潰さないといけないのだ。
幸運にも、葵にはまだ切り札が残っている。
レオナの邪魔が入ると不味いが、そこは真由美を信頼するしかなかった。
「最高の花火を上げましょう。前菜としては、それで十分よね」
葵のリミッターの最終段階。
健輔のおかげで不発に終わった爆弾を使う時が来た。
シャドーモードで繋がっている健輔にも相応の負担があるが、それはそれ、これはこれ、の精神でいくつもりである。
自慢の後輩ならば、きっと耐え抜くだろうと信じて、葵はリミッターの全解除を実行するのだった。
「このままならば!」
イリーネは葵を果敢に攻める。
普段よりもずっと長く感じる試合だったが、ようやく終わりが見えたのだ。
彼女たちのリーダー、フィーネの強さによってヴァルキュリアは勝利する。
その一翼を担うものとして、高揚した気分は前半の憂鬱な思いを凌駕していた。
反省は後でも出来るし、後でやれば良いのだ。
今はただ前を向いて、チームのために力を尽くせばよかった。
「フィーネ様の下にはいかせません! 今はただ、それだけに集中します!」
水弾を中心として遠距離メインの戦い方でイリーネは葵と対峙していた。
フィーネの護りがあろうとも、両者の間には大きな格差が存在している。
先ほどの攻防でも理解出来たし、ほぼ同格であるカルラがあっさりと敗北しているのだ。
迂闊に近距離戦を挑むつもりはなかった。
牽制に終始し、ダメージを受ける機会そのものを極力減らしていく。
フィーネが健輔を倒すまでの時間稼ぎだと考えれば、些か消極的な面はあるが悪い作戦ではなかった。
葵は純然たる近接型。
近づかないと攻撃が出来ないのだ。
攻撃が無ければ、ダメージもない。
機会そのものを潰す戦い方は偶然にもフィーネとよく似ていた。
「水よ、ドラゴンよ! 敵の足止めを!!」
水で出来たドラゴンは葵に襲い掛かる。
葵を良く知らないイリーネからすれば、今の葵の戦いはそこまで不思議なものではない。
しかし、少しでも彼女を知っているものからすれば、今の状況は中々に気味が悪いものだろう。
遠距離からチマチマと攻撃されていて、偶に水の創造物が襲い掛かってくる。
そんな状況に葵が何も行動を起こしていないのだ。
これが国内大会ならば、確実に警戒感を呼び起こしていたのは間違いない。
世界戦の妙、とでも言うべきか。
チームの最強クラスのエースでも実力を直接確認するまでは、データの存在でしかなく、性格的な要素などが見落とされることが多い。
特に葵の場合は、1回戦が上手いことカモフラージュになってしまった。
誰だって、1回戦を見れば警戒するのは真由美と健輔の両名になるだろう。
フィーネなどはきちんと葵の危険性を認識していたし、それを受けてヴァルキュリアはチームとしては警戒していた方だった。
それでも余裕を失えばこんな状況が生まれてしまう。
今、葵と対峙しているのが実質的にイリーネだけ。
経験が少なく、敗北の経験が少ない1年生を彼女の前に差し出す。
天祥学園ではそれをこう言うだろう。
――鴨がネギを背負ってきた、と。
「よし、シュトローム、次の――」
水弾と龍による足止めが上手くいき、次の攻撃のタイミング。
隙とも言えない程度の些細なタイミングで、起きた変化を目の当たりにして、イリーネは完全に虚を突かれることになる。
距離はお互いに視認できる程度だが、後衛が後ろから援護できる程度には開いていた。
赤紫の魔力が一瞬だけ天に噴き上がり、それに対して槍を構えて防御に入ろうとした時にはもう、葵はイリーネの目の前にいたのだ。
「えっ――」
「じゃ、まずは1つ目で」
全身を魔力の色に染めた葵は気軽な挨拶のように朗らかに微笑み、
「おやすみなさい」
フィーネの防護を容易く粉砕して、呆然とするイリーネを瞬殺するのだった。
レオナがその攻勢に反応することが出来たのは、ほとんど奇跡による産物だった。
魔力探知を周囲に張り巡らせて、常に奇襲に対する警戒はしていた。
にも関わらず、その女性――藤田葵は転移陣でも使ったかのような速度でイリーネとの距離を詰めていたのだ。
電光石火の早業、気付いた時には既に遅かった。
「――総員!! 全方位、全力攻撃!!」
念話だけに切り替える余裕もない。
レオナは叫び声をそのまま念話に乗せて、全員に指示を出す。
真由美の攻撃が激しくなったことで警戒はしていた。
しかし、そんな警戒をまるで存在しないかのように突破してきたのだ。
あの移動速度とフィーネの護り『エレメント・アーマー』を障害などなかったかのように突破する力。
魔力固有化でも普通は不可能だろう。
だからこそ、この突然の変化は1つの理由しか考えられない。
「リミッターの解除による魔力の強制暴走……!」
魔力が暴走する状態というのは魔素の魔力への変換を制御できない状態のことを指す。
試合の中で葵が暴走させているのは見たが、あれも中々に難易度の高い術式だった。
魔力を生み出すという行為は自分にあったレベルというものが存在している。
闇雲に質の高い燃料を使っても、エンジンが耐えきれない場合があるのだ。
葵の1段階目はこの制限を外したものだった。
安定して稼働できるよりも上のラインにすることで、限定的に力を発揮する。
試合後にそこそこ負荷が残るだろうが、得られる恩恵は凄まじかった。
だが、今度のモノはそれを容易く上回る代物である。
「魔力の干渉を弾く――つまりは、周辺の影響を排除するということ。だったら!」
葵の固有魔力が本来求めるべきレベルまで到達すれば、そういうことが出来るのだろう。
当然、『今』の葵には出来ない。
それを解決するものがあるとしたら、どうだろうか。
元々の状態でもエースとして、最高クラスの魔導師だったのだ。
それが1つの到達点に届く。
「シュトラールッ!」
『準備完了。『ジャッジメント・レイ』』
レオナの最大火力だけでなく、他の2名も持ち得る最高術式を以って敵の迎撃に移る。
視界に映る範囲を全て巻き込んで放たれる光の1撃。
凝縮された嵐が内部に迷い込んだものを圧殺する風の1撃。
極限の密度を持つ『終わりなき凶星』でようやく破砕が可能が大地の1撃。
フィーネの力もあって実力以上のものでありながら、大した消耗もなく放たれる攻撃は如何なる魔導師の防御も許さない。
自負と自信。
火力を担う役割だからこそ、真由美に隙を晒そうともここで災厄の種を潰すことを選んだのだ。
咄嗟の判断だったが、レオナは正しかった。
ここで葵を放置することの方が真由美に隙を見せることよりも遥かに危険であろう。
ただ1つ。
ただ1つだけ、ミスがあったとするならば、葵の力量を読み違えたことだった。
天空の焔戦でかつて示した勘による攻撃の撃墜。
今の葵ならば、より確実に、そして完璧に実行することが可能だった。
周囲を覆う力はもはや障壁――壁というレベルではなく、断絶というべき空間の溝である。
本来威力ではなく範囲や速度で勝負する属性。
風の狙撃手程度では、葵を止められない。
最大の攻撃を放つために、姿を見せてしまったスナイパー。
2度目の失策。
狩人は――否、野生の戦士はそこを絶対に見逃さない。
「しまった……! シュトローム!」
『シューティング・レイ』
葵の防御力が想定を上回っていたため、生き残ってしまっている。
そして、エルフリーデは致命的な隙を見せていた。
ここから起きる光景はレオナでなくても簡単に想像が可能だろう。
焼き直しのような光景。
ほぼ万全に近かったはずのライフが一瞬で削り切られ、風は天に還っていく。
「私の、ミスだ……! 目を離しちゃ、ダメだった」
レオナの嘆きは大きい。
この攻勢でまた試合がわからなくなってしまった。
赤紫の光は一気に萎み、もはや見る影もない。
カルラのモード『スルト』とほぼ同様の原理であろうリミッターの解除。
予想しておくべき状況で安全策故の腰が引けたところを完全に持っていかれてしまった。
ここで重要なのは2名の撃墜により、人数が並んだことではない。
『ヴァルハラ』――より言うならば『ヴァルキュリア』という術式は仲間の人数が多くないと本来の力を発揮できないのだ。
今のフィーネは極端に力が低下した状態になっている。
遠距離から安全に、そして確実に健輔と戦うような余裕はもうないだろう。
リスクを承知しての接近戦。
おまけに相手は先ほどのリミッター解除による一時的な恩恵を受けてある程度力を回復させているはずだった。
『レオナ! 敵がくるよ!』
「っ、わかってる。……『凶星』は私が! リタは」
『任せて! 絶対に行かせないから!』
心を落ち着けて、次の戦いに思考を移す。
真紅の凶星もまた、レオナたちを狙っているのだ。
先ほどの一瞬、隙を晒したのに攻撃されなかったのは、向こうも大分弱ってきている証拠だった。
まだ優位は残っている。
諦める必要など、なかった。
何より、チームには『元素の女神』フィーネ・アルムスターが残っているのだ。
彼女の加護がある限り、絶対に負けることはない。
「光よ、敵を貫け!」
迫る真紅の凶星を迎え撃ち、レオナは主の道を守り抜く。
光はまだ、彼女たちを照らしていたのだった。




