第260話
カルラと圭吾の撃墜により、戦場の様相は大きく変わった。
レオナ対真由美。
リタ対葵。
エルフリーデ対真希。
イリーネ対優香、そしてフィーネ対健輔と事実上戦場が5つに分断されたのだ。
この中で問題となったのはリタと葵の戦いだろう。
カルラを撃破した余勢をかって、葵がリタに肉薄したことで始まった戦い。
双方が転移を駆使する戦場では情報が目まぐるしく入れ替わる。
有利、不利を必要以上に考慮したような組み合わせを作ることがどちらにも出来なくなっていた。
後衛のリタに葵は有利だが、リタの戦い方は物理型の葵では突破が難しい。
結果として発生するのは膠着状態である。
「ああ、もう! さっきから鬱陶しい!」
「こっちのセリフよ! さっきの1年生といい、あなたたち、少しは自重をしなさい!」
リタが創造した岩石弾を葵は殴って砕くが、その間に距離を取られてしまう。
進路上に設置されれば対応しない訳にもいかず、その分距離を取られて再度近づき直す。
お互いの有利と不利が相殺しあい膠着状況になっていた。
双方にストレスが溜まり、口から飛び出る罵声はひどいことになっていく。
リタの物言いに癪に障るものを感じた葵は挑発の意も込めて言い返す。
「敵に遠慮なんてするわけないでしょう! そっちも無駄な抵抗しないでさっさと落ちてよ!!」
「む、無駄ですって! そっちもそのアホみたいな大振りをやめて早く沈みなさいよ! 痛くはしないわよ!」
「なんですってッ!!」
「こっちのセリフよッ!」
売り言葉に買い言葉。
攻防の主体が目まぐるしく入れ替わりつつ、どちらも有効打にならない。
状況を変えるにはどこかに合流すればいいのだが、両者が合流相手を決めかねていた。
リタの場合は理由は単純である。
葵は前衛なので対抗するには前衛、つまりはイリーネか、フィーネのどちらかが必要なのだがバックスの情報から考えるとどちらに行っても状況が改善しない可能性が高いのだ。
イリーネは完全に互角の戦いになっているらしく、そこにリタが加わったところで結局、敵の前衛のどちらかを相手にしないといけない。
それでは合流した意味がなかった。
対する葵はどちらの相手でも出来るようになってしまう。
葵はまだ大丈夫だが、優香が相手になるとリタでは対抗出来ない可能性が高かった。
エルフリーデにしても、レオナにしても事情は似ている。
結局、今回の敵の中でリタが相手を可能なのは圭吾か葵の2択になっており、片方が落ちてしまった時点で選択肢は無きに等しかった。
そして、対峙する葵も葵で事情があって合流を選択出来ない。
基本的に合流すれば有利になるのは確定しているのだが、だからこそ安易に合流を選択出来ない、というのが葵の事情だった。
リタはともかくとして、空間展開の範囲から考えてフィーネは内部で起こっていることは全てを把握しているはずなのだ。
健輔と呑気に1対1をやっているような状況なのが逆に不気味だった。
「めんどくさいわね! 存在をチラつかせるだけで、牽制になるとか!!」
健輔が抑え込める、と信じるのは容易いが葵はそこまで健輔を信じきってはいない。
実力が不足しているなどというレベルの話ではなく、全力を絞り出していない健輔ではフィーネには及ばない。
これは絶対の事実であり、誰にも曲げることが出来ないものだった。
健輔の実力を最も高く、そして正確に把握しているのが葵なのは間違いない。
だからこそ、今の状態の健輔が女神の攻撃を捌くことは出来ても、行動を阻害するまではいけないのがわかっていた。
フィーネの行動を全て封殺することは流石に不可能である。
「何かを狙ってる……。ああ、本当に苛々させてくれるわね」
全体を天から見下ろすように戦っている。
憎たらしいことだが、強さと有用性に関しては認めざるをえない。
フィーネの攻撃はこないと前に出るのは簡単だが、油断して背後から攻撃を叩き込まれる可能性を否定できないのだ。
より言うならば、リタを囮にして葵を同時に撃破しようと狙っている可能性もある。
むしろ、最も可能性が高いのはそれだろう。
フィーネが本当に健輔の言っていたようなタイプの魔導師なら、味方の命は最適なタイミングで使い捨てるはずだ。
葵とリタを交換出来れば、向こうに齎される利益は大きい。
一見は1:1の交換だが、どう考えてもクォークオブフェイトの支柱の1つである葵が落とされることの方が厳しいだろう。
ヴァルキュリアで言うならば、レオナが撃墜されるのに等しいことなのだ。
それらの懸念が葵に中々大胆な行動を取らせてくれない。
「思考が堂々巡りになる。ちっ、本当に嫌になるわ」
頭をからっぽにして、正面から立ち向かうような戦いが好みなのだが、フィーネはそういうのを許してくれる相手ではないようだった。
葵は大きく溜息を吐く。
好みの問題であり、出来ない訳ではない。
気乗りしないのは事実だが、それで役割を投げるほど彼女は子どもではなかった。
「はぁっ、結局は健輔の作戦待ち、か。先輩は辛いわね」
葵さんならやれます、と言われると応えたくなるのだが、ホイホイと辛いところを放り投げられるのも考えものである。
それでも応えたくなるのは先輩の矜持だろうか。
去年の真由美は同じような心境だったのだろうかと、戦いの最中に別の事を考える程度には余裕があった。
自分の珍しい思考につい苦笑を漏らすも、身体は真っ直ぐにいつも通りに動き続ける。
「我ながらよく鍛えたわね」
頭を振って、意識を集中し直す。
リタはそこまで相性の悪い相手ではないが、意識を逸らして勝てるような相手ではない。
しっかりと叩き潰すには、集中していることが必要だった。
固有化の力を上手く調節しながら爆発の時を待つ。
今はただ、それだけを信じて葵は空を駆けるのだった。
「っああああッ!」
「はああああッ!」
周囲の状況が大きく変わっても此処にだけは何も変化がない。
お互いに実力が近いからこそ、後衛の援護も簡単には行なえず、2人の全力がぶつかり合うだけの場になっていた。
「くっ、っあああああッ!」
イリーネの叫びに呼応して、海面から大量の水弾とドラゴンが優香に襲い掛かる。
圧倒的な物量、その上で1撃の威力も高い。
シンプルに完成された強さ。
創造系という汎用性の高さも持ちながら、安定した強さを持っているからこそイリーネは次期女神の呼び声が高かったのだ。
ムラが多いカルラに比べれば、遥かに安定しているからこその評判。
しかし、眼前の相手はイリーネの積み重ねてきたものなど、知らぬとばかりに暴れ回っていた。
「わ、私が……こんなッ!!」
イリーネは知らないことだが、この構図は相手のタイプこそ違えど2年前にフィーネが遭遇した事態と類似していた。
安定した力、国内で挫折を知らず自負を持って挑んだ最初の大会。
そこでフィーネは自分を上回る怪物に圧殺されたのだ。
歴史は繰り返す。
イリーネは自分と同じタイプの格闘型であり、彼女よりも格上の優香の能力に押し切られようとしていた。
「み、認められるものですかッ!!」
「甘いッ!」
「なっ、ぐっ!?」
感情の高ぶりに生じて生まれた隙を的確に突かれる。
己の迂闊さを呪いながら、直ぐに離脱を図るが容易く相手がそれを許してくれるはずもなかった。
『マスター、ライフ40%』
「わかってますッ!」
魔導機に怒鳴るような無意味な行動に唇を噛み締める。
優美さなど欠片もない自身の状態に、イリーネは青い瞳に涙を溜めていく。
「っ……ま、まだ!」
「はあっ!」
槍と双剣がぶつかり合う。
心理的にかなり追い詰められているが、まだ身体はイリーネの思う通りに動いていた。
ここに来て、フィーネの言っていたことが実感を伴って思い出される。
「自分を謙虚に見つめる。そんなことが、ここまで難しい――」
フィーネの言葉の1つ1つがこの状況を正確に表している。
全てが彼女の実体験なのだろう。
愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ。
まさしくイリーネの状況は愚者である。
わかったつもりになっていた。
これ以上に笑える話はないだろう。
彼女がもっとも大きな笑い声を上げたい気分なのだ。
イリーネを信じていた人たちの気分がどんなものなのかなど想像も出来ない。
しかし、そんな情けない魔導師でもやるべきことは残っていた。
「それでも、私はヴァルキュリアのメンバー!」
「――見事!」
槍を構えて優香に向かって全力で突撃する。
技を捨てた速度による攻撃、自棄になったようにしか見えないがイリーネなりの考えはあった。
現状、優香との間には能力と技量で確かな差がある。
同じタイプの魔導師であり、全てが少しずつ超えられているのが、イリーネが優香に苦戦している理由だった。
さらには2人の戦い方の噛みあわせも悪い。
イリーネは創造系を自在に操ることで、相手の隙を生み出してしかるのち、物量でそれを押し切るタイプ。
対して優香は有り余る魔力などを存分に活かした1撃離脱戦法である。
隙を見出そうにも速度で優越されている現状だと厳しい。
「優香様、最後まで私と踊っていただきますッ!」
「望むところです。私の勝利で、ここを終わらせていただきます!」
総合値でどうにもならないなら、局所的に何とかするしかない。
結果として、ジリ貧にしかならないが、抵抗した上で磨り潰されるのと、抵抗も出来ずに磨り潰されるのでは過程が異なる。
例え無様であろうが、最後まで試合を捨てるわけにはいかないのだ。
前衛という壁を預かった1人として、誇りもそして責任も感じていた。
敵の前衛を剥げないまま、ここで落ちることは出来ない。
「刺し違えてでも!」
「雪風!」
『プリズムモード発動』
優香が一瞬にして、4人に増える。
イリーネは分身の全てを無視して、本体に向かって突撃を行う。
驚いたような表情が見えるが、イリーネはそこに頓着しない。
過去最高の1撃が慌てて展開された障壁を突き破って優香に直撃する。
イリーネは追撃を仕掛けるが、同時に背後から分身体たちが体当たりで妨害を行ってきた。
「この程度で、今の私を!」
空気中の水分を集めて、イリーネは周囲に一気に放出する。
刃のような勢い――ウォーターカッターと同じ原理の技が優香の分身たちを容易く両断してしまう。
体術関係が優香を模していようとも総合値で超えないとイリーネには勝てない。
両者には確かに差があるが、その差は決定的なものではないのだ。
本当に僅かな差異、分身程度には流石に負けられない。
「貰います!」
優香は既に体勢を立て直しているが、これを最後の攻勢としてイリーネは全力を用いて戦いを挑む。
向かってくる水の乙女を前にして、優香もまた、覚悟を決めるのであった。
『マスター、ライフは60%です。一時撤退を推奨します』
「ダメですよ。ここで、逃げるのは出来ません」
『マスター』
雪風の勧告にいつも逆らってばかりいると、優香は心の中で自嘲した。
冷静に状況を見た場合、正しいのは雪風である。
イリーネと優香の消耗度合から考えれば、お互いのモード解除後に撃墜すれば高確率で優香は勝てるだろう。
高機動は相応の体力を消耗はするが、創造の連打よりは少ない。
イリーネはあれだけ高度が術式を連発した上に本来ならば、出来ないはずの遠隔操作を技術を持って成し遂げいているのだ。
優香とは比べ物にならない消耗度だろう。
下がって、しかるのちに倒す。
選択肢としては正しい、と優香も認めていた。
しかし、それでも選べないのだ。
「ここが、命を懸けた本物の戦場なら雪風の言う通りでいいと思うの。でも」
『ここは、誇りを掲げた戦場だから、逃げは出来ない、ですね』
「うん、ごめんね」
『マスターはずるいです。……わかりました。勝負に関しては理解しました』
「ありがとう」
もう1つ、まだ雪風に言っていないことがあった。
葵がそうだと看破したように、優香もまた気掛かりに思っていたのだ。
この状況でフィーネが何もしない、というのに違和感を感じている。
仲間の奮闘を思って、待っているのだとしたら、戦うのをやめた瞬間に攻撃がくるだろう。
あのレベルの魔導師を最も身近で見てきたのは優香なのだ。
フィーネという怪物の力を見間違えるようなことはなかった。
「狙いは終わり間際、でしょうか」
イリーネを撃破した瞬間を狙ってくることはあり得る。
気を引き締めて挑もう。
この時、もし仮に健輔が傍にいて、彼女の思考を知ったなら確実に止めていたはずだった。
現実には健輔はおらず、優香はフィーネを警戒してイリーネを迎え撃つ。
手負いの獣の厄介さ、最後の最後まで油断してはならないはずの相手を視界から僅かとはいえ、外してしまうその愚行。
実際に何か行動をするわけでも、ましてや攻撃を行って援護するわけでもない。
フィーネ・アムルスターという女性はそんな単純ではないのだ。
警戒する、という意識を割いた段階で彼女の仕事はほとんど終わっている。
葵がフィーネを忘れてリタに挑んだのは、その間隙を突かれないためだった。
女神の巧みな誘導が若き天才を惑わす。
これに対抗するには、経験かそれに比する悪巧みの才能が必要だった。
どちらも持たない優香では、対抗することは出来ず罠に囚われていく。
新鋭たる2つの蒼が才能を持ち、己を研磨した領域の凄さを体感することになるのは、そう遠い出来事ではなかった。




