第258話『女神』
魔導とは戦いによって成長する。
戦わずに練習するのとでは、成長速度が違う。
天祥学園に入学した魔導師たちが耳にタコが出来るほど聞かされる言葉だったが、彼らがその事を自覚できる機会というのは思ったよりも少ない。
練習の果て、その先で試合をすることでレベルアップをする。
国内大会では体感としてはそんな風になることが多いからだ。
健輔たちのレベルアップも冬休みによるもの、と時期的にはそう見えるだろうが、実際には国内大会を戦い抜いた事によるものと練習の相乗効果でのレベルアップである。
ゲームなどとは違い大会が終わったから経験値が入るわけではない。
そのため、タイムラグが起こるのだ。
しかし、ごく稀にだが直ぐに強くなれることがある。
クロックミラージュのアレクシスがそうであったように、スペックと経験、そして心境などあらゆる要素が1つに重なった時に、魔導師は覚醒するのだ。
そういう意味では葵のそれも、覚醒に近かった。
シューティングスターズという強敵との戦いを乗り越えたからこその力なのだ。
先の試合、僅か2日前だったがあの段階ではまだ健輔のシャドーモードが無ければ使えなかった力。
それを今、完全に自力で発動することが出来るようになっている。
「あ、う、うわあああああッ!」
「そんなもの、効くわけないじゃない」
カルラの炎を纏った拳を正面から受け止める。
葵の固有魔力がカルラの魔力干渉を完全に弾き飛ばしていた。
覚醒した彼女の固有魔力は格下――つまりは自分の魔力よりも薄い密度の魔力からの干渉を弾く。
魔力攻撃とは、相手にダメージを与えるために魔力で物理的に干渉しているもののため、実質的に葵に対して彼女よりも弱い人物は何も出来ない。
葵と戦うには、正面から彼女を超える必要があった。
彼女の心根が現れている性質であろう。
――私と戦うのは、高みにいく心のあるものだけでよい。
葵の心の声が聞こえてきそうである。
「ほらほら! 自慢の火が消えたわよッ! もう、おしまいかしら!!」
「っ、調子に、乗るなッ!」
変換系の恩恵を失おうとも、カルラの格闘能力は微塵も衰えていない。
突き出される拳、速度、威力共に軽く超人域にいる攻撃だが――
「そんな――嘘よ」
――葵の掌で軽く受け止められてしまう。
当然の結果だった。
カルラが変換系による攻撃力を失っているのに、葵は逆に固有化で能力が大きく上昇している。
元々、格闘戦能力では葵の方が優勢だったのだ。
ここでスペック的にも差が出来てしまえば、勝ち目など一気に消滅してしまう。
「これが、現実よ。自分が強いと思うのは結構だけど、ちょっと甘くないかしら? ここって世界っていう舞台なんだけどさ」
「な、何を!」
「自信も良いわ。敵を侮るのも良い。でも、戦いで自分しか見つめないってどうなのよ。ここは言葉を使わずに想いを交わす場所。やる気がないなら――消えなさい」
カルラの敗因はただ1つ。
自分の事だけしか見ていなかったことである。
世界――この最高の舞台で敵をしっかりと見つめられなかった事が、彼女に終わりを齎す。
「ま、まだ戦いは終わってないッ!」
葵の身体に蹴りを放ち、距離を取る。
掴まれた拳はあっさりと解放されていた。
葵に指摘された事に動揺を隠せないが、彼女も戦乙女の1員である。
先の敗戦を引き摺って、葵と真剣に相対していなかったと指摘されれば思うところはあった。
「……バカ、か。イリーネの言う事が身に染みるよ」
カルラには時間制限があり、終わりが見えている。
葵には時間制限はほとんどなく、それどころかまだまだ実力が隠れている。
どちらが優勢なのか、深く考えなくてもわかってしまう。
友人の言葉を思い出して、寂しげに笑い、覚悟を決めた。
「『掃滅の破星』! 『烈火の侵略者』――この名を持つ私が簡単に討ち取れるとは思わないで!」
「あら、良い啖呵。――ええ、それぐらいじゃないと潰し甲斐がないわ。――いくわよ!!」
迫る紫の武神を前に、持ち前の爽やかな笑みを浮かべる。
敗北を引き摺って、無様に負けてしまう。
そんな自分で終わるのだけは嫌だった。
「――負けないッ!」
勝率が1割を切る戦い。
圧倒的に不利な環境で戦う初めての経験を前に、少しだけ胸を躍らせてカルラは進む。
幾度か交差のはて、両者は同時に直撃を敵に与える。
カルラ――ライフ0%。
葵――ライフ80%。
下降した攻撃力と消耗を前にして、全体的に強くなった葵に大きなダメージは与えられなかった。
無様な敗戦、自らの失態を皆に詫びて赤の少女は天に還る。
ヴァルキュリア――1名撃墜。
ついに、試合の天秤が動き出した。
「……ある程度は予想通りとはいえ、こうなりますか」
戦いの中、フィーネは大きく溜息を吐く。
才能はあるが、逆境が足りない1年生がこういった場で粘り強さを発揮してくれることにあまり期待はしていなかった。
彼女も1年生の時は似たような感じだったのだ。
イリーネたちが例外だと考える方がおかしいだろう。
健輔や圭吾のように役割に徹するように成れるのは、本来ならば2年生あたりからである。
その1点だけでも、健輔と圭吾は優れた人材だった。
「さて、このまま流れを持っていかれるのは、些か困りますね」
後衛の3名がレオナも含めて翻弄されるのは、完全に予想外としか言いようがなかった。
余裕を見せているが、所々で流れは外されている。
「……やはり、私が相手をした方がよい。そう、ここでやるべきなのでしょうね」
『ヴァルハラ』は今、この瞬間も正しく起動している。
既に十分な記録は集まってきていた。
対『皇帝』用の能力でもあるこの術式の真価は、時間が経過して初めて発揮される。
フィーネが圭吾の足止めに素直に乗ったのも、この辺りの打算がある。
圭吾は足止めしているように見えて、実態としてはフィーネの時間稼ぎに利用されている側面もあった。
多少、無理をすれば振り切れないわけではなかったのだ。
「……良い魔導師ですが、些か以上に地力が不足しています。私が相手でなければ、もう少しマシだったでしょうけどね」
圭吾を援護する真紅の輝きを風で防ぎつつ、その能力を高く評価する。
そして、その上でまだ足りない、と結論づけた。
浸透系を用いた妨害は見事であり、確かな将来性を感じる。
見覚えのある術式『魔素割断』も中々に様になっていた。
しかし、今はまだ、フィーネと戦うには足りていないのだ。
この先、圭吾の2年後を想い、フィーネは口元を綻ばせる。
例え敵であっても、可能性を見るのは良い気分だった。
「無様な負けにはさせませんよ。――負けて当然だった。そう思えるような力をお見せしましょう」
フィーネの宣言と共に、魔力がドンドン高まっていく。
圭吾による妨害は今も続いているが、決定的に密度が足りなかった。
皇帝の展開範囲には及ばないが、フィーネの空間展開範囲も常識を超えている。
試合フィールド全体を包む程度は、容易いし範囲だけを考えるなら、日本の四国全域を覆う規模は展開可能だった。
その場合は規模だけの話なので、皇帝と違って能力面では微妙になってしまうがそれでも脅威的な力であるだろう。
1人が落ちて、女神は試合の流れに引き寄せるために動き出す。
桜香率いるアマテラスがそうであるように、フィーネを倒さないとヴァルキュリアは倒せない。
その事を全てのチームに見せつけるべく、フィーネは『ヴァルハラ』の真の力を解放するのであった。
圭吾が違和感を感じたのは一瞬だった。
どこか、感覚が鈍いような気がする。
先ほどまでは鋭敏だったのに、今はまるで膜にでも包まれたかのように感じづらくなっていた。
普通ならば、気のせいとして流すところだが、試合の最中にそんなことをするつもりはない。
「女神の攻撃、だと思うけど、これは……」
『高島、どうかしたのか?』
「早奈恵さん、少し感じがおかしいです。解析を――」
お願いします、と続けようしたが悪寒を感じて、圭吾は咄嗟に高度を下げる。
彼が先ほどまで居た場所を駆け抜ける真紅の光。
真由美の砲撃が圭吾に向かって放たれていた。
「真由美さん!?」
『何だと……あいつが、誤射――いや、違う』
『圭吾くん、それは私の攻撃じゃないよ! 避けて!』
「っ、これは! そんな、まさか……」
事態はそれだけに留まらない。
真由美の真紅の砲撃が幾つも圭吾に降りかかるのは変わらず、他にも攻撃の種類が増えていた。
優香の蒼い閃光、イリーネの水龍召喚、リタの巨石招来、レオナの偏光レーザー攻撃。
チームの垣根を越えて、あらゆる攻撃が一切の兆候なく圭吾に迫っていた。
いや、正確には兆候はあるのだ。
攻撃が放たれる前に、フィーネの魔力と思わしきものが、真由美の魔力などに変わっている。
「な、何なんだ! これは、どうやって……!」
敵と味方の判別が出来ない。
圭吾の感覚では、真紅の砲撃は完全に真由美のものなのだ。
それが援護攻撃なのか、フィーネによるものなのかが判別できない。
おまけとばかりに、圭吾にとっても信じられない出来事が起こる。
「糸が、消える……これは、そんな、僕の魔力が……」
絶句するしかなかった。
圭吾が展開した糸の結界が、少しずつ消えていく。
消えていく理由は簡単である。
圭吾の魔力と思わしきものが、勝手に結界を消滅させているのだ。
当然、圭吾はそんな事はしていない。
自分の魔力が、勝手に誰かに使われている。
「環境操作、ヴァルハラ……もし、これが、本当の能力だとしたら」
空間内にあらゆる自然現象を発生させる。
空間展開の能力、それもフィーネのものとしては妙に弱いため、まだ底があるのは覚悟していた。
それがこんな能力だったのは、圭吾の予測を完全に超えている。
圭吾は真由美から託された術式により、なんとかフィーネに抵抗していたのだ。
この空間内、本来の姿を見せ始めた『ヴァルハラ』を前にしてはもはや意味をなさない。
桜香とは違う、個体の強さではなく特殊能力の厄介さが際立っている。
「名前から悟るべきだった……。戦士の楽園、そういうことか!!」
名前というものは、イメージを行う際に重要になる。
普通の術式ではそこまで気を使わずとも、術式に魔力を流すだけなので心配しなくてよいが、創造系、それも空間展開となると気を遣う必要があった。
圭吾は『ヴァルハラ』という名前はチーム名に引っ掛けたものであり、そこまで深い意味はないと思っていたのだ。
何せ、本来の意味は戦士たちが死後に集う館である。
如何に魔導でもそんなものを再現できるはずがない。
しかし、これは圭吾が迂闊だったと言えるだろう。
再現は不可能でも、ニュアンス程度なら取り込める。
優れた戦士――敵の魔導師の力を取り込む結界のイメージとして、『ヴァルハラ』という名前は至極妥当であった、
「これは……」
カルラの撃墜でフィーネが本気で動き出した。
いや、準備が整ったという面もあるのだろう。
無条件で敵の魔力をホイホイと使用出来る可能性は高くない。
最低でもある程度は空間内で使用される必要があると考えられた。
いろいろと手間が掛かる術式なのは事実だが、1度その真価を発揮し始めたら誰にも止められない。
「雷――、っこれは!!」
戦場を駆ける雷光。
圭吾は咄嗟によけるがその魔力から嫌な感じがしていた。
敵の能力の全貌はまだ掴めていないが、本能の部分で感じるのだ。
この段階でも、まだ本当の姿が隠れている、と。
「早奈恵さん、健輔を前に出してください。真由美さんが後衛をお願いします」
『高島……。わかった。真由美に連絡する。どれだけ持つ?』
「2分もないかと。こちらは魔力に干渉するのが、精いっぱいですが自分の魔力が何故かこちらに抵抗していますので」
『そこまでか……。相手の力を自分レベルで発動させられるのか。……すまん、時間稼ぎは頼んだ』
早奈恵の申し訳なさそうな言葉に苦笑する。
生還の可能性は0。
圭吾の撃墜と同時に、敵は相手の入れ替えなどを図ってくるはずだった。
先ほど一瞬とはいえ、こちらに傾きかけた天秤が今度は敵に大きく傾いてしまっている。
むしろ、こちら側の状況は悪化の一途を辿るだろう。
自由になった女神が遠慮などするはずがない。
『ヴァルハラ』を最大限に活用して、強力な火力攻撃を行ってくるはずだ。
場所も、距離も選ばず反応だけは味方を示す。
本物ではない、しかし、威力などは限りなく本物に迫っている偽物。
もはや真偽の判断に意味はない。
「健輔の言う通りだね。性根が悪い、なんてレベルじゃないよ」
根本の部分を上手く偽装してある。
偽装――より言うなら装うというのが、この能力の本質だった。
「斬り裂けッ!」
魔素を斬り裂くことで、発現を阻止するが周囲全てのフィーネの魔力であるためキリがない。
真由美かと思えば、フィーネが魔力パターンだけは似せた攻撃だったりするのだ。
ダメージが少しずつ累積して、圭吾のライフを削っていく。
「……これが、真価の1つ。時間経過で発現するのか!」
敵の力も味方の力も等しく取り込んでいく。
変換系の大本ということは創造系の専門家でもある。
敵を惑わし、本気を出させない。
純魔力系の攻撃と能力では対抗のしようがなかった。
『ヴァルハラ』のこの能力は間違いなく『皇帝』を意識した能力だろう。
圭吾が知っている皇帝の能力から推察が出来る。
「それなら、僕も皇帝レベルの魔導師、と己を誇ってよいかな」
上手く作れない糸。
敵と味方の魔力も読めない空間の中で、圭吾は親友の到着を待つ。
ただ時間を稼ぐだけしか出来ない自分に苛立ちを感じると同時に、圭吾は健輔の勝利の可能性も感じていた。
フィーネのこの能力は結局のところ、去年桜香に敗れた時よりも能力を強化しただけにすぎない。
女神はまだ知らないだろう。
圭吾の親友は輝きが強ければ強いほど、強くなるのだと言うことを。
仮に知識として知っていても、実感してはいないはずである。
圭吾は国内大会で桜香を破った時のように、今度は女神を落としてくれると信じていた。
「いくぞ! 僕の足掻きに、最後まで付き合ってもらうッ!」
「まだ闘志が持ちますか。……それに敬意を示して、仲間の力で叩き潰して差し上げます」
空間に糸が走り、蒼い閃光がそれを飲み込む。
決死の思いで避けた先には赤き凶星。
光に飲み込まれて、天に転送の輝きが立ち上る。
両チームから撃墜者が出て、試合は一気に中盤戦に向かう。
檻から解き放たれた女神が、全力で敵の殲滅を開始する。
立ち向かうは万能の魔導師。
欧州最強と、クォークオブフェイトの食わせ者の激突が間近に迫っていた。




