第248話
「いらっしゃい、わざわざ来てくれてありがとうございます」
「……あれ?」
「ああ、やっぱり」
健輔と圭吾を出迎える金の髪を持つ女性。
自信に溢れた笑みはいつもと変わらず敗戦の影響など微塵も窺えない。
しかし、健輔の目は誤魔化せなかった。
こういうところでも彼の無駄な観察眼は発揮される。
アリスの時もそうだったが、見えすぎるのも問題があった。
上手くやれるかと自問しつつ、健輔はいつも通りを心掛ける。
「なんだよ、驚かそうと思ってきたのに。誰かから情報のリークでもあったのか?」
「こっちには頼りになる参謀が居ますから。こんなところで話すのもあれですし、食堂の方に行きませんか?」
「健輔、お世話になろうか」
「おう。……そうだな」
「じゃあ、付いてきて」
いつもと変わらないやり取り、ショックはあってもそれを見せないのはクラウディアの強さである。
心の強い友人に健輔は尊敬の念を禁じ得なかった。
もう少しで勝てたのかもしれない、全然届いていなかったのかもしれない。
本当のところはまだわからないが、それでも彼女たちは全力で勝利に手を伸ばしていた。
それは誰も否定することの出来ない事実だろう。
かつて健輔はまだまだ未熟だった時に天空の焔と戦った。
強豪という文字の意味さえ、まともに理解していなかった健輔にエースたる者の在り方を教えてくれたのはクラウディアである。
鮮烈な雷光の姿は今でも瞼の裏に焼き付いていた。
「……美咲か」
「気を使ってくれたんだろうね」
クラウディアに聞こえないように小声で圭吾と確認し合う。
今回の情報漏洩、確実にそこが穴だと2人が認識していた。
表向きは健輔たち2人がクラウディアにアホな事をしたりしないように予防線を張るため、裏はあまりにも調子が悪そうなら2人を制止するためだろう。
美咲の細かい気遣いに2人は苦笑した。
「面倒な役回りを引き受けるよな」
「そうだね。……それよりも僕がちょっと気になるのは、健輔と一纏めの扱いな事かな」
「おい、どういう事だよ」
「……? 2人とも、どうかしました? 内緒話ですか?」
「あ、ああ、驚かせようと思ってきたのに、情報漏洩をした相手について、ちょっとな」
クラウディアに本当のところを言う訳にもいかないので、適当なラインを見極めて話題を提供しておく。
努めていつも通りにしなければいけない。
おまけに感づかれてもいけない。
難題と言えば、難題だったが遣り甲斐はあった。
「あら、怒らないでくださいね。……彼女は優しいから、いろいろと気遣ってくれました」
「そうか。……ま、今度メシでも奢ってもらうさ」
「僕は最初から連絡を取ってから行こうと言ってたしね。ドッキリを仕掛けるつもりだったのは健輔1人だよ」
「ここで裏切るんかいっ!」
圭吾の裏切りに割と本気で驚きつつ振り返る。
悪戯が成功した子どものような瞳を見て美咲の共犯者が此処に居たことを悟った。
「お前、だからあっさりと付いてきたな……」
「今日は僕の作戦勝ちだね。ま、偶にはいいだろう?」
「クソっ」
「ふふ、相変わらず仲が良いですね」
まだまだどこか元気がないが、笑みを見せてくれたクラウディアに少し安心する。
天空の焔にもまだ試合は残っているのだ。
彼女たちは出場チームの中でも厳しい方である。
下位の順位決定戦に出るのは、シューティングスターズ、ナイツオブラウンドが確定しているのだ。
この中で少しでも上に勝ち残るには、落ち込んでいる状態ではダメだろう。
「……クラウ」
「何?」
「空元気でも良いから、もっと笑えよ。エースは常にチームを照らすのが使命だ」
「っ、そうね。……うん、ありがとう」
このタイミングで中々に厳しい事を言っていると自覚があったが、それでも誰かが言うべきだろう。
本当に友達だと思っているからこそ、時には厳しい事を言う必要がある。
古臭い考えかもしれないが、健輔はそう思っていた。
微温湯のような関係は居心地は良いがどちらのためにもならない。
「……悪いな、あんまり優しくなくて」
「……気にしてたんですか? ……気にしないでください。健輔さんはこういうところは不器用ですから。ふふ、葵さんとそっくりですよね」
「げっ、そこに繋げるのかよ!」
隣を見れば、今度はクラウディアの瞳が笑っていた。
やったらやり返される。
耳に痛い事を忠言したからこそ、同じ事をやり返されたのだ。
自分に厳しく、他人にも厳しいのは何処かの誰かの特徴であり、相手は健輔が尊敬している人物だった。
口に出す事はないが、かなり影響を受けている自覚がある。
「両者、1本。引き分けかな」
「呑気に審判しやがって、というか2本先取とかじゃないのかよ」
「確実に健輔が負けるけど、いいのかい?」
「どういうことだよ!!」
「ふふ、わからないなら実演しましょうか?」
「っう~~~~、わかったよ、負けでいいよ! つか、なんで俺で遊んでるんだ!」
健輔の叫びが響き、その後に笑いが起こる。
意味などという大層なものはないが、落ち込んでいる友人を慰めるのには大いに役立ったようであった。
目尻に昨日までとは違う意味で涙を浮かべた少女の心は彼女にしかわからない。
敗北は事実として彼女に重く圧し掛かる。
それでも前に進んでいくのだ。
彼女の世界への挑戦は終わりを告げたが、まだ高校生活は終わっていない。
敗北は終わりだが、終わりは次への始まりでもある。
雷光の少女は天から地までを駆け抜けていった。
今度は地から天へと駆け上れば良いのだ。
笑いの中で、少女は決意を新たにして、次の戦場へ挑む事を決意するのであった。
クラウディアと共に昼食を摂った後、健輔は圭吾とも別れて1人で街をふらついていた。
目的は特になく、軽い気分転換のようなものである。
「よく考えると俺って趣味とかないな……」
健輔は暇な時間を潰す手段がない事に今更ながら気付いた。
普段であれば、魔導の練習もしくは新しい術式開発にでも時間を使っているのだが、ここには練習する場所がない。
術式開発も下手な術式を開発して、試合前に自爆する訳にもいかないので却下。
そうなると本格的にすることが何もなかったのだ。
学園に帰れば体ぐらいは動かせるだろうが、それをやるつもりはなかった。
昨日の試合は健輔にかなりの負担を残している。
連戦が続く間は自重すべきだろう。
「……陽炎はデータの整理。仕方ないか。散歩してほどよく疲れたら寝よう」
「あら、では少し時間をいただいてもよろしいですか?」
「ああ、別にいいけど……ん?」
独り言を喋りながら歩く不審者のようになっていたが、背後から誰かに話し掛けられる。
嫋やかな女性の声、気品に溢れていて同時に余裕があった。
聞き覚えがない訳ではない。
しかし、知り合いの声ではないと断言できる。
健輔は僅かに警戒感を感じるが、直ぐに隠して背後に振り返った。
そして、思いもよらない人物と対面することになる。
「……あなたは!」
「ふふふ、やはり評判というのは当てにならないものですね。自分の目で見るのが1番信じられる。こういうのは変わらない真理でしょうか」
「……そうですね。俺もそう思いますよ。――フィーネ・アルムスター」
銀の髪に豊満な体つき、今まで映像、もしくは遠目でしか見たことのない人物が健輔に向かって微笑んでいる。
何も知らない男子学生なら舞い上がってもよさそうなものだが、健輔はそんな気分にはなれなかった。
この女性の微笑みは少々危険である。
そうやって警戒心を起こすのも計算の内なのが余計に腹立たしい。
「初めまして、と挨拶したいところですが」
「こちらもです。よろしかったらお付き合い願えますか?」
「ふふ、素敵なエスコートをお願いしますね」
いろんな意味で一筋縄ではいかない女性。
狙いが何なのかはわからない。
もしかしたら、クラウディア辺りにでも会いに来たら、偶然出会っただけかもしれなかった。
それでも、いや、だからこそこの出会いは運命である。
敵を知るのには良い機会だろう。
向こうもこちらを覗いているだろうが覚悟の上だった。
虎穴に入らずんば虎子を得ず、ここは勝負する場面のはずである。
暇な時間から一転して、健輔の心の中は騒がしくなっていく。
第4試合開始まではまだ時間がある中、静かな、それでいて重要な出会いがあったのだった。
フィーネが健輔に声を掛けたのには大した理由は存在していない。
次の試合、クォークオブフェイトとの戦いでキーマンになるだろう魔導師。
警戒はしていたが、直接観察するほどの意味はない。
そう思っていたのだが、まさしく運命のイタズラによって、彼女の考えは変わった。
今日、フィーネが来たのは遠目で良いからクラウディアの様子を見に来ただけである。
そこへ同じように様子を見に来たであろう健輔を確認して予定を変えた。
同類の匂い、直接見たからこそ感じたものがフィーネにはあったのだ。
結論から言えば、この時点でフィーネの目的はほとんど達成出来ている。
自分と会話する年下の少年――この少年が彼女の宿敵『九条桜香』を倒せた理由が得心出来たからだ。
「ふふふ、なるほどね」
「……どうかしましたか?」
「いえ、年下でも男性は男性なのだな、とそう思いまして」
「はあ、何か変なところでもありましたかね?」
堂の入った態度だが、女性が苦手なのが行動の端々から見受けられる。
僅かに首筋をチラつかせると目を逸らす。
胸元などが見えれば露骨に動揺する。
フィーネでなくても少しはからかいたくなるだろう。
どこから見てもただの純情な男子学生だった。
フィーネに声を掛ける軟派な男性は良く知っているが、この手のタイプはあまり見た事がない。
特に動揺していても視線を逸らさない辺りに――敵愾心を感じる。
真っ直ぐにフィーネを観察する視線に笑みがこぼれてしまう。
「健輔さん、とお呼びしても良いですか?」
「ええ、それで良いですよ。フィーネさん」
「私はフィーネ、で良いですよ。あまり堅苦しいのは好きではないので」
「いえ、礼儀ですから」
「あら、日本の殿方は生真面目なんですね」
「自分の性分なので、気にしないでください」
フィーネは心の中で感心した。
何処から見ても、普通の学生にしか見えない。
まだ完全ではなかったとはいえ、桜香に勝てた魔導師とはとてもじゃないが思えなかった。
彼女のチーム――ヴァルキュリアの面々でも本質を見抜けそうなのはレオナぐらいしかいなさそうである。
イリーネ辺りは上手く引っ掛かってしまう可能性が高い。
しかし、化かし合いにはフィーネにも一日の長がある。
欧州で戦い抜いた経験を些か甘く見ている感じはあった。
「……あるいは、そういう振りかもしれない」
健輔に聞こえないように小声で呟く。
純情なのは間違いない、直線で進むのも間違いない。
あり方は真っ直ぐだが、手段的にはどんな方法でも好む万能の魔導師。
事前の情報と正面の人物が合わさり、フィーネの中で最高の警戒度を示した。
それだけでもこの出会いには意味があっただろう。
「健輔さん」
「はい?」
「あなた、私を警戒していますよね? 理由を聞いても?」
「……初対面なのに、警戒しているとか俺ってそんな変なやつじゃないですよ」
「ふふふ、私の笑顔は怖い、って評判なんですけどね」
「どっちかと言うと俺は怖い、よりも面白いですかね」
そこでフィーネは初めて予定外の事態に固まる。
思いもよらない言葉だった。
面白い、今まで生きてきて言われた事のない言葉である。
「……理由をお聞きしても?」
「必死に作り上げた感じで」
わざわざそこで言葉を区切って、健輔は不敵な笑みを見せた。
「大物ぶっている感じ、ですかね」
これ以上ない程にわかりやすい挑発だった。
フィーネ・アルムスターという魔導師をよく知っていて、その上でこの男は喧嘩を売っているのだ。
最初期、それこそ1年生の頃にはよくあった光景に懐かしい思いと同時に激しい怒りが湧いてくる。
彼女の原点、見返してやるという思いが湧き出てくるのだ。
「――あら、女性の化粧について指摘するなんてマナーがなってないですよ」
「それは失礼。何分、餓鬼なもので。女心とかよくわからないんですわ」
「ふ、ふふふ――なるほど、よくわかりました。あなたも面白い殿方みたいですね」
「女神にそのように言っていただけるとは、恐悦至極に存じます」
負けたくない、フィーネの心に去年の屈辱が蘇る。
相手は自分と同じタイプの人間のようだった。
両者は似たような笑みを向け合ったまま深く頷く。
「良い出会いになりました。クォークオブフェイト、遠慮はいらない相手ですね」
「むしろ、手を抜かれると困ります。後で負けた時の言い訳になりますから」
「ええ、少々過小評価に過ぎたようです。きっちりと潰していきましょう」
「ありがとうございます。――それで、俺のエスコートはどうでしたか?」
自信ありげに問いかけてくる。
満点、とはいかないが80点ぐらいは上げても良いだろう。
男性としては中々に壊滅しているが、魔導師には悪くない話の持っていき方だった。
しかし――、
「0点です。女心がわかってないですね」
「そ、そうですか」
僅かに崩れる表情を見て内心が窺える。
この女、などと思ってそうだった。
先ほど驚かされた分はこれでお返し出来ただろう。
「では、これで失礼します。ああ、それと1つ忠告を」
「何でしょうか」
「あまり女心を弄ぶようだと、あなた刺されますよ? 私はともかく周囲の女性にはきちんと接してくださいね」
「え……あっ、はい」
素の表情になって固まる健輔に背を向けて、フィーネは歩き出す。
次に邂逅するのは試合の時、決着の時である。
特に意味のない、しかし大事な出会いはこれで終わり。
歩む女性の背に視線をぶつけて、反対方向に健輔も進む。
双方の胸にはしっかりと刻まれた敵の姿。
共に笑みを浮かべて、相手のいない宣戦を行う。
決着は明日。
今大会でも最大級の嵐は間近に迫っていたのだった。




