第227話
微妙な沈黙が部屋を覆う。
勝者と敗者、分かたれた背景を持つ3人だが疲労などの諸々は立場に関係なく彼らを蝕んでいる。
それを解消するための場所は1つしかなく、この出会いはある意味では必然だったのだろう。
比較的余裕のある――心理的なものだが――健輔はぎこちなく声を掛ける。
「あー、うん、お疲れ様」
「……そうね。お疲れ様」
「お疲れ様です、アリスさん」
魔力回路というものは未だにその本質はよくわかっていない。
わかっていないが、疲労を取り除く手段など効率よく使うための解明は進んでいた。
此処、世界大会用に用意された医務室などは次の試合へ悪影響を残さないために用意されている施設群の1つである。
これらのバックアップが無ければ流石の健輔もホイホイ自爆したり、必殺の術式で限界を超えたりは出来ない。
最新の魔導医療の恩恵を受ける事で彼らは常に最高のパフォーマンスを維持出来るのだった。
大会運営側の意図はともかくとして、選手たちとしては助かっていると言えるだろう。
手厚い救護体制がなければ1試合で発揮出来るパフォーマンスを落とさないといけない。
手を抜くような試合では相手にも失礼であるし、何より自分たちが納得出来ないだろう。
健輔も運営側の方針は支持していたし、感謝もしていた。
しかし、世の中には予算というものが付いて回る。
魔導は金のなる木でもあるため、スポンサーなどにはまったく困っていないのだが、それでも予算の制約はあった。
魔力回路の安定化の機材などは最たるもので、あまりにも用途が限定されている場合は流石に各宿泊施設には置いておらず、場所を限定させないといけない。
だからこそ、このような事も起こり得るのだ。
「隣、いいかしら?」
「お、おう」
「そのまま座ってください。私がセットしますよ」
「ありがとう、優香」
健輔も腰かけているマッサージ器のような魔力回路調整機器にアリスは座る。
優香は気にした様子もなく、アリスの機器の準備を手伝っているが健輔の方はすごく居心地が悪かった。
何せ、アリスが先ほどからチラチラとこちらを見るのだ。
それだけならば別に耐えれたのだが、ある事に気付いてしまったために居づらくなっている。
上手く隠蔽しているが、健輔の目は誤魔化せない。
顔全体に隠蔽系の術式が掛かっている。
優香は戦闘型のため気付かなかったのだろうが、健輔はうっかり探知してしまっていた。
日頃から魔導を使うようにしていた癖がここで仇になってしまったのである。
涙の跡、少し赤い目尻余程のバカでも気付くだけの要素は揃っているのだ。
何があったのかなど、深く考えるまでもなかった。
気まずい沈黙が2人の間に漂う。
しかし、意外なことに先に沈黙を破ったのはアリスだった。
「……ねえ」
「お、おう。な、なんだ?」
微妙に言葉に詰まりながらも返答を返す。
アリスとは夏の合宿でもほとんど話した事がない。
最終日に少しだけ話して、宣戦布告をされたぐらいだろうか。
健輔としては別に嫌いでもないが、特に接点のない感じの女性だった。
夏に受けた印象としてはかなり快活な女性だったはずだが、重苦しい空気がその印象を感じさせない。
「……良い試合だったわ。それだけだから。……どうせなら、優勝してね」
表情は能面のような感じだったが、口調には強い思いが籠っていた。
負けても、女帝が率いたチームの一員として相応しい態度を取っているのだろう。
やせ我慢のようなものだったが、健輔には好ましく映った。
敵として、打ち破ったものとして相応しい態度で接するべきであろう。
彼女たちは敗者だが、負け犬ではない。
「ああ、勿論。1番を目指すのが、当然の事だろうさ」
「……そう、だったらいいわ。来年、借りを返すまで負けないでよ。私たちに勝ったんだから、無様な負け方をしたら――許さないわ」
勝気な物言いについ、笑みが浮かんでしまうのは何故だろうか。
健輔の周りには見かけないタイプの人間だった。
不器用な言い方が妙に自分と重なる感じがして心の中に残る。
健輔は自分が負けた事は数あれど、チームとしての敗北はまだ経験していない。
彼女たちも、全霊を尽くした試合で負けたのは今回が恐らく初めてだろう。
泣き腫らした痕を隠して、このように激励出来る精神に健輔は敬意を感じる。
尊大に過ぎず、しかし卑屈にならないように頷き、
「ああ、勿論。お前たちが誇れる敵であるように努力するさ」
「……そこは断言するのが、良い男よ。逃げ道を作らない方がいいわ」
「はは、わかったよ。アドバイス、ありがたく」
アリスの顔はまだ無表情だが、健輔はもう気にならなくなっていた。
必死に涙を耐えているであろう女性に指摘をするような、ダサい男にはなりたくない。
何故か反対方向を向いて話をする2人を、優香は笑って見守っていた。
これもまた、勝者と敗者の1つの形。
次代が紡ぐ、両チームの新たな絆となるのであった。
美しい金の髪を靡かせて、颯爽と歩く女性。
彫の深い顔には常にはない緊張を張り付けていて、女性の精神状態が普段とは異なる事を示している。
世界大会第1試合を終えて、続く第2試合の準備が現在行われていた。
緊張感とは無縁に見える彼女――クラウディア・ブルームも流石に普段通りとはいかなかったのだ。
1週回って落ち着いては来ているのだが、対戦相手を思うと心には漣が立つ。
かつて、欧州から逃げるように日本に来た理由。
勝てないと思ってしまった相手といきなり、初戦でぶつかるとは思ってもみなかった。
しかし、好機であるのもまた事実。
中々に複雑な心境だった。
「……クォークオブフェイトが勝った。そう、この戦いに勝てば、健輔にリベンジ出来るのね」
試合の準備をチームメイトに任せて、海風に当たりに来たのは試合前の精神統一のためである。
敵はヴァルキュリア、彼女の古巣。
何とも奇妙な縁だと、クラウディアは試合の組み合わせを見る度に笑ってしまう。
未だに遠い存在であり、憧れの魔導師であるフィーネと正面から戦うのだと昨年の彼女に言っても信じないだろう。
留学など考えてもいなかったのだから、当たり前なのだが転機というものはいつも唐突にやってきてしまう。
留学を決意したのには、いろいろと理由があったがその中の1つ、フィーネと戦いたいというのが本当に叶うとは思ってもみなかった。
ヴァルキュリアと戦うには1回戦しかチャンスはない。
例年の傾向から、1回戦でヴァルキュリア以外と当たった場合、別ブロックにいるのか、もしくはより強大な敵と戦う可能性の方が高かった。
それが運よく、と言ってよいのかは微妙だが戦う事が出来るのだ。
「今の私がどこまで通用するのか……」
先ほどの試合を見ていてわかったが、クォークオブフェイトは格段に強くなっている。
優香の新しい姿を見て、感嘆と対抗心を覚えたのはおそらくクラウディアだけではないだろう。
同年代の魔導師ならば、皆が目を見張る強さだった。
同じことをやれと言われて、クラウディアに出来るかは自信がない。
「……世界大会を勝ち抜いて、もっと、もっと強く」
プレッシャーは大きい。
同時に期待感もある。
冬の間の特訓は格段にチームを強くした。
香奈子とクラウディアだけではなく、皆で戦えるチームとして形にはなっているだろう。
クラウディアから見ても、仕上がりは十分であり、易々とやられるような事はない。
しかし、それでも不安が消えないのは相手をよく知っているからだろう。
クラウディアが居たのはもう、1年近く前の話なのだ。
大まかな方向性は一緒でも、実力は変わっている。
集めたデータの段階で、それはわかっていたことだった。
「欧州1位、相手にとって不足なし。ただ、全力を尽くすのみ」
日本第3位、明星のかけらを破り、世界に来たチームとして簡単に負ける訳にはいかない。
うだうだと悩んでいた事などが、心の中消えていく。
試合前の定例行事はこれで終わり、クラウディアは戦地に赴くのに相応しい心となった。
立ち塞がるかつての友たちを敵として倒す覚悟は出来ている。
先に勝利を決めた友人たちに、自分たちも勝利を報告出来るように、全力を尽くそう。
クラウディアの中では、勝利と共に宣戦を布告する自分が見えていた。
それを幻にしないために、欧州の頂点に勝たねばならない。
「さてと、私も準備をしないとね」
クラウディアは普段の自信に溢れた笑顔でチームの元へ帰る。
そんなエースの様子を見て、天空の焔の面々も戦意を高めていく。
彼らは国内大会でも常に挑戦者だった。
世界でも同じように挑戦を続けるだけである。
格上である事に怯みなどしないと、全員が覚悟を決めていた。
欧州最強――ヴァルキュリア。
総合力ではアマテラスを超えるチームに彼らは挑む。
そして、クォークオブフェイトに雪辱を果たすのだ。
程よい緊張感と共に、ベストコンディションで戦いに臨む彼らに不備は一切存在しない。
開戦の時をゆったりと待つのであった。
ヴァルキュリアは欧州最高のチームとして知られている。
実力もそうだが、スター性に溢れた選手が多いこのチームは見るものを魅了してしまう。
美少女のみの集団――空を舞う美しき戦乙女たち。
彼女たちを形容する言葉はいくつもあり、その全てが彼女たちを強く美しい存在と見做していた。
名門、最強、そして美しい。
ここまで並べば所属選手たちのプレッシャーも相当だろう。
おまけとばかりに幾つもの枷を背負っている。
歴史あるチームは代々の誇りを汚す事が許されない。
それは欧州の頂点に立つ魔導師も避けられない義務であった。
「フィーネ様、準備はどうですか?」
「ええ、ありがとうイリーネ。こちらは問題ないわよ」
流れる美しき銀の髪。
魔力適合率が高すぎたため、染まってしまい戻せない髪の色。
欧州の魔導に大きな転換点を与えた偉大な魔導師――フィーネ・アルムスターは変わらぬ笑顔で後輩を労う。
余裕に溢れており、気品あふれる所作。
イリーネが尊敬してやまない、欧州最強の魔導師に相応しい気品だった。
「どうしたの? 私の事をマジマジと見つめて」
「申し訳ありません。……少し見とれてしまいまして」
「あら、上手ね」
試合前の緊張感などフィーネは微塵も感じさせない。
世界大会に3度目の挑戦となる彼女は才能だけでなく、経験でも他を圧倒している。
経験と才能、どちらかで彼女に優る相手はいるだろうがどちらでも優る存在は片手の指で足りるだろう。
敗北も経験した天才に心理的な動揺などあり得ない。
イレギュラーに弱い、と評された彼女はもういないのだ。
「イリーネ、少し良いかしら?」
「はい、なんでしょうか?」
「次の試合、予定ではあなたは後半からの出場だけど、やっぱり最初から出てもらうわ」
「それは……」
試合の準備は滞りなくやっているが、急な決定であった。
事前のミーティングで世界に慣れさせる意味も含めて、他の1年生を出す事になっていたのだ。
来年を見据えた差配に急に変更があるとは思い難かった。
「ああ、ちゃんと決まったことだから安心して。日本は思ったよりも強くなってそうだわ。少なくとも、アマテラスだけが脅威ではない」
「先ほどの試合ですか?」
「ええ、固有化なんてこちらでも発現者は多くない。ましてや、それを強制覚醒させるなんてもっとレアよ」
イリーネから見ても先ほどの試合は良いものだった。
負けはしたがシューティングスターズも良いチームであり、アメリカ第2位に相応しい強豪だったと言える。
使用された術式もレベルが高い物が多く、見ているだけでも楽しめるものだった。
中でも健輔のシャドーモードはチーム全員がどよめいたくらいである。
どこまで出来るのか、何が出来るのかを予測するしかない恐るべき術式だった。
既存の枠組みにいないという事がどれだけ凄まじい事かを彼女たちはよく知っている。
フィーネもまた既存の枠に収まらない魔導師なのだ。
方向性などは違うが軽視してよい事ではなかった。
「これだけでわかってくれる辺り、あなたは優秀ね」
「全力で刈り取れ。そういう事でよろしいでしょうか?」
「ええ、後、無理しなくていいのよ。普段通りに振る舞いなさい」
「うっ、はい……。わかりましたわ」
クスクスとフィーネは笑う。
イリーネは美しく白い肌を赤く染めて、下を向いてしまった。
王者にして、挑戦者。
2つの属性を備えたチームは優雅に戦場へと出陣する。
見据える先はただ1つ、悲願の玉座を手に入れること。
途上にある障害はただ破壊するだけのものにすぎなかった。
固有能力『ナチュラル・ディザスター』――天災。
女神の力が戦場を蹂躙する。
火力の範囲と対応の難しさにおいて、真由美やハンナですら足元に及ばない災害が天空の焔に襲い掛かるのだ。
穏やかな日差しと気候絶好の試合日和の中に、僅かな暗雲が漂い始めるのだった。




