第226話
「う、嘘……」
撃墜選手が転送されるバックス陣地の傍で、アリスが呆然とした表情で呻くように言葉を漏らす。
ハンナの撃墜によってシューティングスターズは全滅。
世界大会の初戦敗退が決定してしまった事になる。
敗北――試合という形式上必ずどちらかに訪れる事だが、常勝のチームであるシューティングスターズには経験の少ない事だった
負けた事がない訳ではない。
負けても次がある事ばかりだったと言うべきだろうか。
アリスが経験した敗北とはそういうものであり、本当の意味で負けたのはこれが初めてかもしれない。
膝から力が抜けて地面に手をつく。
もうどうしようもない、と言う事がアリスには何よりも辛かった。
幾度頭を振ろうとも、頬を伝う雫がアリスに現実を突きつける。
「ま、まだ……もう1回やれば……」
「アリス、いいのよ」
意味のない言葉、実現するはずのない妄言をサラは優しく否定した。
アリスはサラの方に顔を向ける。
「サラさん……」
「もう、いいの。私たちは負けて、私とハンナの3年間は終わったのよ」
「っ……」
サラも悲しいだろうに、寂しそうにアリスに微笑み手を伸ばす。
ハンナをもっとも支えて3年間の苦楽を共にした女性。
アリスが周囲を見渡してみれば、ハンナと同じ3年生たちは皆優しそうに後輩たちを見ている。
「不思議? 私たちがなんで泣いてないのかって」
「え……それは」
ハンナたちと3年共にやって、最後の試合に出場すらも出来なかった人たち。
アリスは実力で勝ち取ったと思っていたが、本当にそうなのだろうか。
今回の試合でバックスを入れても出場していた3年生は僅かに3名。
特にバックスに関しては全員を3年生で固める事が出来たにも関わらず、あえてそれを避けるかのように次代の人員を入れていた。
試合前にでは不思議に思わなかったが、アリスは今は強く思う。
どうして、この人たちは出場すらも出来なかったのに泣いていないのか、と。
「悔しいし、悲しいわよ? ここにいる皆も後できっと泣くわ」
「お姉様も?」
「ええ、勿論。あなたがどう思っているのかは知らないけど、2年前の敗戦でハンナも号泣したんだから」
「……お姉様が……」
サラは懐かしそうに語る。
ハンナの敗北はサラが彼女を守れなかった時であり、いつも後悔に彩られていた。
私がもっと頑張れば、双方そんな事を思っていたとアリスに優しく告げる。
それは、1年生たちが知らない姿だった。
自信に溢れて、女帝の2つ名の如く真っ直ぐ進むのがハンナのイメージである。
敗戦を悔いるような姿は想像出来ない。
「そうやって、私たちも前に来たの。だから、あなたにとって、ここからが始まりよ」
「……始まり? 何が、ですか」
「私とハンナ、後は3年生の皆で作ったシューティングスターズは此処で終わり」
「っ……はいっ」
「あなたちのシューティングスターズは、ここが始まりよ。来年、頑張りましょう?」
「はい、はい……」
それは区切りの儀式である。
ハンナを中心としたチームは此処で終わり、次の世代が幕を開けていく。
今度はアリスが中核となっていくのだ。
他の誰でもなく、彼女がハンナとも違う形でチームを導かなければならない。
決断はまだ、先輩がしてくれる。
しかし、チーム自体は彼女の双肩に託された。
サラの一言にはそういう意味が込められている。
「もう、泣かないの。ほら、ハンナが返ってくるわ。――笑顔で、ね」
「わ、わかりまちた……」
泣きじゃくるアリスの肩に手を据えて、優しく前を向かせる。
アメリカ第2位にして、世界ランク第4位の『女帝』ハンナ・キャンベル率いるシューティングスターズは負けた。
事実は事実として覆る事はないが、それでも残るものはあるのだ。
誇り高いチームは新しいエースの元、再出発をする。
まだまだ泣き虫なエースだったが、素質は十分だった。
この敗戦を糧にして、姉を超えるようなレベルに必ず至るとサラは確信している。
敗者とは思えないほど、堂々とした態度でシューティングスターズは退場していく。
こうして、3年間に及ぶ女帝の挑戦は終わりを迎えるのだった。
「やった! 勝った、勝ちましたよ!!」
「そうですね。……本当に、勝ってくれてよかったですよ」
実況席で菜月が喜びの声を上げる。
試合中には1人落ちる度に悲鳴を上げていたのだが、勝った時には嘘のように血色も良くなり明るく笑っていた。
莉理子は菜月の様子に苦笑する。
隣の喜びが凄すぎて、自分は却って落ち着いてしまったのだ。
水を差されたとも違う妙な感覚に僅かに眉を顰めてしまう。
「簡単な仕事だと思ってましたけど、意外と難しいものですね」
溜息を吐いてから、莉理子は改めて試合について整理を行う。
来年を考えた時に、直接見た先ほどの試合は大きな武器となる。
彼女が実況を引き受けた理由の1つは、世界大会での情報収集なのだ。
来年を見越して、莉理子は既に行動を開始していた。
いつまでも落ち込んていたところで現実は変わらないのだから。
「あれが世界レベル……クォークオブフェイトはともかくとして、シューティングスターズには見るべきところが多かったですね」
「何がですか?」
「あっ、いや、その……、癖と言いますか試合の分析をしてしまって」
「莉理子さんの、ですか? よかったら聞かせてほしいです」
情報収集と言っても、試合観戦しかしていないのだから後ろ暗い事などないのだが、菜月の視線で見つめられると何故か悪い事をしている気分になってしまう。
莉理子は罪悪感で痛む心を落ち着けてから、ゆっくりと話し出した。
「クォークオブフェイトは置いておきますね。いろいろと評価はありますが勝者ですので」
「はい!」
「シューティングスターズの敗因、とでも言いますか。それはチームの構造欠陥です」
「へ? すごく強かったけど、欠陥ですか」
「ええ、少し言いすぎな面もありますが、大凡はあってるかと」
結局のところ、高すぎる完成度が仇になったとも言えるのがシューティングスターズだった。
ハンナ、サラの軸を中心にしてヴィオラが上手く回したチームだが、完成度が高すぎた故に柔軟性に欠けてしまったのだ。
チームの基本構成をほとんど弄っていないのも不味かった。
この試合だけに限るならば、サラを出場させない方がよかったのである。
剛志は彼女には強いが、他の魔導師ならば割と楽に仕留められるのだ。
柔軟なチーム運営が出来なかった。
無論、これは長所でもある。
試合中に見せた『ツインバースト』などの術式を見れば、皇帝打倒も不可能ではなかっただろう。
軍勢を火力で上回れる可能性を保持する時点で凄まじいとしか言い様がない。
しかし、不幸な事に今回の試合に限ってはそれらのプラス要因が尽くマイナスになってしまった。
一言で言うならば、クォークオブフェイトとは相性が悪かったのである。
それを覆すだけの準備が足らなかったのが、最大の敗因であった。
「盾であるシューティングスターズ。矛であるクォークオブフェイト。矛盾の関係ですが、試合に限れば、矛の方が強かったようですね。盾らしい戦いを封じられると厳しいのでしょう」
「な、なるほど」
菜月がメモを書くのを見て、少し笑ってしまう。
莉理子の意見を真由美たちに伝えるのだろう。
せっかく見つけた弱点なども補強されるかもしれないと思うが、直ぐにそんな考えを破棄する。
来年のため、などと言ったが本心ではないのだ。
こんな事をして、私はまだ戦っていると主張したいだけの浅い心とチームを思う熱い気持ちでは後者の方が素晴らしいに決まっていた。
「陣を乱して、個々で撃破する。この戦法は欧州で主流のものです。日本は中間みたいなポジションですが、クォークオブフェイトは欧州寄りというわけですね」
「へー」
チーム単位での戦力構成はアメリカにおいて主流であり、日本ではツクヨミやかつてのアマテラスが該当していた。
賢者連合なども部類で言えばこのタイプである。
「まあ、言葉遊びな面もありますが、一応はそんな分け方が出来ます」
「はい! すごくわかりやすかったです! あっ、でも、結局、見るべきところって何なんですか?」
「ああ、それはチーム構成の作り方ですよ。ハンナさんとサラさんのどちらかが欠けると一気に崩れる可能性もありますが、撃墜によるデメリットは共通のものですからね。見えている弱点ならば対処も容易いですから」
仮にだが、世界戦が陣地戦のルールだと試合の結果はまた変わっていた可能性がある。
人数が絞られる基本ルールだと、チーム力に長けたチームはタレントの力に押されがちになってしまう。
仮に、もしなどは試合を戦った選手たちに失礼な話だが、傍から見ている者たちからすれば考えずにはおれない可能性だった。
「……試合を見てるだけでもいろいろわかるんですね」
「参謀ですから、私にもまだ来年がありますからね。精進の日々ですよ」
莉理子は菜月に微笑む。
シューティングスターズはここで敗退したが、まだ試合自体は残っている。
彼女たちが何位で終わるかはわからないが、奮闘に敬意を示す事に否はなかった。
「……とりあえず、菜月は皆さんのところに顔出したらどうですか? 午後の試合にはまだまだ時間がありますよ」
「あっ、はい! ありがとうございました! また後で」
「ええ、また後で」
勢いよく駆けていく菜月に笑みが浮かんでしまう。
「若い、というのですかね。一応、私も肉体的にはまだ17歳なんですけど、エネルギーが違いますね」
この発言も年寄りみたいだ。
自分で自分に笑って、莉理子も席を立つ。
立夏はまだ話しているみたいだが、慶子たちが勢いよく手を振っているのが見えたのだ。
合流しないといけなかった。
「……天空の焔。頑張って欲しいですが」
次の試合には自分たちを破って世界に行ったチームが出る。
勝って欲しいと思いつつ、今は意識から追い出しておく。
ふと空を見上げてみる。
快晴の空に不安な要素など何もないが、どこか胸がざわめく莉理子だった。
「もう、無理……吐きそう」
「あー、私もきついよー」
死屍累々といった様が広がる控室。
勝者の義務として、笑顔で会場に手を振ってから退場した健輔たちクォークオブフェイトだったが、内情はボロボロだった。
シャドーモードのフィードバックで健輔は控室に入った瞬間に倒れてしまう。
同じように魔力固有化のぶり返しで真由美も辛い表情を隠せない。
砲撃で見事に消し飛ばされた真希などもしんどそうな表情は変わらなかった。
「外では頑張ったが、まあ仕方ないな。初戦からこれはハードだよ」
「そうね。傍から見てるだけでも心臓に悪かったもの」
「決断した私はさらに心臓に悪かったよ。健輔、真由美、もう少し優香を見習ってくれ。安定しているというのはああいう事言うんだぞ?」
「ぜ、善処します……」
「右に同じく……」
早奈恵は冗談のような、半分は本気のような感じで懇願する。
2人も悪いとは思っているのだが、もう直せないとも思っていた。
力なく腕を振る両名に3年生たちは肩を竦めて頷きあう。
冗談に反応する余裕もないということは早く宿舎に移動した方がよかった。
休みはそれほど多くない。
明日は休みだが、明後日には次の試合が待っていた。
回復に専念すれば問題ないだろうが、万が一があってはいけない。
早奈恵は諸々の手配をするために、控室を後にする。
隆志は早奈恵が退出するのを見届た後にサブリーダーとして、周囲を見渡してから矢継ぎ早に今後の指示を出した。
「九条、お前は健輔と一緒に回復のために看護室へ行け。次の試合まで入ればある程度は復活するだろう」
「わかりました」
「圭吾、服の準備など頼む。午後の試合は自由だ。部屋で観戦するのも、こちらに来るのも好きにしろ」
「了解です!」
隆志は1年生たちがテキパキと動き出すのを見て、真由美に振り返る。
「これでいいか?」
「あー、うん。ありがと。……あおちゃんは?」
「ランニング、だとさ。直ぐに戻るらしい」
「タフだねー……。じゃ、私もお願いね」
「ああ、ゆっくり休め」
瞼を閉じる妹に隆志は優しい笑みを向ける。
気丈に振る舞っているが、妹の気持ちが複雑な事くらいは察していた。
勝ったのは嬉しい、でもハンナとはもう少し戦いたい。
どうにもならないとわかっていても、そのように思う事を止める事が出来ないのだろう。
僅かに残る涙の跡が、勝利のものだけとは思えなかった。
真由美を背に背負って、隆志も控室を後にする。
この軽い身で背負う重荷を考えると、自分の力の無さに情けなくなるがそれを表に出すことはない。
彼は彼の戦いを続ける。
それが自分への誓いだった。
勝者たちは一時の解放に身を任せる。
世界大会第1試合は終わった。
しかし、午後には第2試合が待っている。
世界大会第2戦『ヴァルキュリア』対『天空の焔』。
頂点の一角たる実力を直接目にする最初の機会。
戦乙女たちに、雷光と黒き王が戦いを挑む。
試合開始まで、後3時間程だった。




