第210話
クォークオブフェイトの部室。
普段はメンバーで賑わっているのだが、今は全員が所用で出払っていた。
代わりにこの場で資料を纏める2つの人影。
クォークオブフェイト応援団長――紫藤菜月は資料を見比べつつ、丁寧にデータを入力していく。
彼女以外にももう1人、放送部員というよりもチームメンバーだと言われた方が納得できる感じの女性が居た。
「菜月、こっちは終わったわよ」
「あっ、ありがとうございます! 田端先輩」
「良いわよ。今は私も1部員だしね。あー、あそこで部長に言い負かされなければなー」
「あはは、ご愁傷様です」
「菜月は良いわよね~。このチームで至福でしょう? 下手な策を弄するからこうなるのよね。純真さの勝利かしら」
先輩の発言に菜月は苦笑いで返答する。
何を言っても藪蛇にしかならない危険性があった。
心の中で先輩――年上であり、次期部長候補が部下になるという状況を作った現放送部部長へ恨み事の1つでも言いたい気分になる。
無論、菜月がそんな事を先輩に直接言うのはあり得ないため、愚痴の類でしかなかった。
「先輩は天空の焔がよかったんでしたっけ?」
「そ、クォークオブフェイトも後はアマテラスも完成度が高いからさー。焔はまだまだ未完成でしょう? 一緒に優勝しようって気分になるじゃない」
「はぁ、私はその……」
「あ、大丈夫だよ。ちゃんと今はやる気あるから。始まったら応援してるチームのために全力を尽くすよ」
「そこは心配してませんよ」
「そう? なら、いいんだけどね」
田端英美は応援団の決定前に第3出場チームのどちらかを希望していた。
本命は明星のかけらだったのだろうが、彼女たちは惜しくも敗退。
代わりに出場する天空の焔を次に希望したのだが、部長に却下され菜月の手伝いへと回されていた。
理由は多々あるらしいが、菜月が聞いたものはそれほど多くない。
英美が立夏の大ファンであること、後は過去に応援団関係で揉めた事くらいである。
英美がそういう事をするとは、部長も菜月も思っていないが過去に好きなチームが負けたらから腹いせをしようとした者がいたとのことだった。
菜月も深くは聞かなかったが、それ以来暗黙の了解としてそういう人物は放り込まないようにしているらしい。
その時には幸いにも未遂で終わったが、以後は選考が相当に厳しくなったとの事だった。
「菜月? 何か考え込んでるけどどうしたの?」
「す、すいません。世界戦の事を思うと、そ、その不安で……」
「ああ……。勝ってくれるか、どうか、とか? あるよねー、私も去年そうだったよ」
「先輩もですか? なんだか以外です」
「ちょっと、私にどういう印象を持ってるのよ」
口調は不服そうだが、顔は笑顔だった。
どのような評価なのか大体察しているのだろう。
健輔が苦い表情をしながら、「葵さんと似ている」と言っていた事を菜月は思い出した。
彼女もこの一ヶ月程で藤田葵という人物について知った事は多い。
その上で菜月も健輔の意見に同意見だった。
自他共に厳しいところなどは良く似ている。
「後輩が優しくないわ。ぐすん、お姉さん悲しい」
「泣き真似はやめてくださいよ! もう、私が悪い事したみたいじゃないですか」
「あー、はいはい、わかりました。菜月も図太くなってしまって……」
「ず、図太くって!」
英美のからかいに抗議の声を上げるが、先輩は笑って取り合わない。
真っ直ぐな反応を示す事がよりからかわれる理由なのだが、菜月が思い至る事はなくこのような光景が幾度も繰り返されていた。
「菜月は本当に可愛いわねー。癒される」
「人で遊ばないでくださいっ。それよりもデータは纏め終わったんですか?」
「Bブロックチームねー。正直、そこまで詰めなくてもいいと思うけど」
「決勝戦の相手なんですから、しっかりやらないとダメですよ! 私たちが手を抜いて、苦労するのは健輔さんたちなんですよ」
「それはそうなんだけどねー」
英美の煮え切らない態度に菜月は首を捻る。
Bブロックのチームと当たるのは最終的に決勝にいけた場合のみだ。
確かに全チームをやる必要性が薄いのは確かだが、決勝戦で当たる時にデータがありませんでは話にならない。
選手たちでは手が回らない部分を補佐するのが、応援団の役割なのだから手を抜くという選択肢は菜月の中になかった。
「……何か気にいらない事でもあるんですか?」
「う~ん、いや、そういうのじゃないんだ。データがいるのはわかるしね」
「はぁ、だったら別にいいと思うんですけど」
「ま、そうかな。ごめんね! 変な感じの態度になってさ」
「別に構わないですよ。いざ戦ったらわからない年も多いですけど、順当にいく時も多いですから」
「ん、ありがと」
世界戦に出場するようなチームはどこも土壇場の粘り強さを持っている。
本当に最後の瞬間まで勝負がわからないため、事前予想が無駄になる事も多い。
彼女たちが纏めたデータも一切役に立つ事なく、仕事を終える事もあるのだ。
影であり、目立たない彼女たちの仕事。
しかし、重要度は極めて高かった。
真由美たちが経験豊富とはいえ、海外チームの全てを知っている事などあり得ない。
情報を制するものが戦いを制するのだ。
データからではわからない事もあるが、それはデータを知った上での前提である。
理解出来ないとわかっている事が重要だった。
「それにしてもめんどくさい。早く始まらないかなー!!」
「もう、とりあえず今日は終わりにしますから、ちょっとだけ頑張ってください」
先輩の雰囲気が緩んできたのを見て、菜月は他のメンバーを呼び寄せる。
時間を見れば、そろそろクォークオブフェイトのメンバーもやってくる頃だった。
休憩にはちょうど良いだろう。
菜月は席を立って飲み物を取りに行く。
その際に英美が作成していた資料が一瞬だけ、目に入った。
詳細な各チームの勝敗予想と根拠が描かれた資料。
何だかんだできちんとやっている先輩に少しだけ笑いがこみ上げた。
裏方の仕事も終わりが近い。
いざ試合が始まれば彼女たちは何も出来ないのだ。
だからこそ、この日常で全力を尽くすのであった。
アルマダ、この単語を聞いた事がある日本の学生は多いだろう。
教科書に乗るぐらいには有名な単語――無敵艦隊。
この名を冠した魔導師のチーム、それが『アルマダ』であった。
チームの傾向としては砲撃タイプの流行に乗ったチームである。
天祥学園における『ツクヨミ』とよく似ているチームだった。
データ上では差異を探す方が大変だろう。
しかし、決定的な違いが1つある。
「ふわぁ、眠い」
「提督。眠いとかやめてください。一応、ミーティングなんですよ」
「や、悪い悪い。昨日も遅くまで実験してたからさ」
ツクヨミとの違い、それは明確な指揮官が居ることだった。
リーダーという立場ではなく魔導師たちを統括して戦場を制する存在。
欧州強豪の伝統に沿った受け継がれる2つ名持ち『提督』――マルティン・センテーノの存在が大きな違いとなっている。
上位10名、すなわちランカーではないが『提督』の2つ名は有名だった。
何故ならば、彼らは格下の魔導師をエースの領域にまで引き上げるからである。
似たような存在は国内だと、魔導戦隊の『司令』星野勝が上げられるが、彼の場合は固有能力ありきでの評価だ。
しかし、『提督』は違う。
技術のみ、技のみで通常の系統だけを用いてチームを集団として機能させる。
世界でも類を見ない術式を成立させることが出来る人材――それが『提督』の名を持つ魔導師だった。
「さて、我らの相手はクロックミラージュ。まあ、未知数のチームだね」
「今年結成されたばかりのチームで『皇太子』の固有能力ありきのチーム。私たちと似たところも多いですが」
「あまり考えすぎても仕方がないだろう? いつも通りの戦いだよ。我々はそうあるべきだし、そうすべきだ」
集団術式『意識共融』。
これの存在がアルマダを上位クラスとも遣り合えるようにした最大のものだろう。
彼らは提督であるマルティンですら、準エース格というべきチーム。
本来ならば総合力では1歩劣る。
そこを埋めたのが受け継がれる提督の技であり、彼らの伝統だった。
「凡人らしく?」
「ああ、我らは凡人だよ。しかし、世の8割は凡人だろうさ。天才にその事を教えてやらないとな」
「まったく、ではいつも通り。癖から何までを叩き込んでおいてくださいね」
「当然。クロックミラージュだったかな。皇帝の成り損ない程度には負けんよ」
一糸乱れぬ行動と力を結集した時の強さ。
それがアルマダの強さである。
チームとして、ツクヨミよりも1段階上の完成度を持っていた。
堅実、かつ現実的な彼らは能力予想が容易い。
そこで油断してしまえば、彼らに踏み潰されてしまう訳である。
凡人の強さと天才の強さ。
アルマダ対クロックミラージュ。
相反する性質のチームがぶつかり合う。
無敵艦隊は時の幻影を突破出来るのだろうか。
衆目に晒される時は近かった。
『皇太子』――今年、流星の如く現れた魔導師に与えられた2つ名。
皇帝の後を継ぐ者と言われる魔導師に与えられたこの2つ名だが、貰った本人はあまり喜んでいなかった。
アメリカを代表するのはあくまでも『皇帝』。
言外にそう言われているのを自己顕示欲が強い彼は受け入れられなかったのだ。
受け継がれる称号よりも確固たる自身の実績を評価されたい。
多少前のめり過ぎる感じはあったが、悪い思いではなかった。
誰だってそういった思いを何処かに持っているものだろう。
強い感情を燃料にして、若き俊英は玉座を狙う。
彼にとってのベストは自分自身を評価される事、皇帝の後釜に収まる事ではないのだ。
そんな思いを彼は信頼する仲間に吐露する。
相手は参謀――サブリーダー、彼の親友とも言うべき相手だった。
「言いたい事はわかるが、こんなところで憤っても仕方ないだろう。俺たちが国内大会で皇帝たちにあっさりと負けたのは事実だしな」
「わかっている。……今のままではただの戯言だというのは理解の上だよ」
眉間に皺を作り、吐き捨てるように言う。
『皇太子』――アレクシス・バーン。
1年生ながらにチームを作り、ここまでやって来た行動派の人物である。
経緯が『皇帝』クリストファー・ビアスとよく似ていた事と、発現した固有能力まで同系統だったのが災いして次世代と見られてしまった。
アメリカの魔導師界において、『皇帝』の名はそれほどまでに重い物だったのだ。
「実力で今度こそ勝利する?」
「ああ、都合が良い事に決勝の相手はあの老害になるだろうさ。若手がいつまでも強いと思っている老人に引導を渡すのは世の常だろう?」
「そこに至るのに、超えるべき壁があるけどな」
友人であり、参謀でもある男の言葉にアレクシスは表情を歪める。
自信満々に語る彼だが現実問題として、世界戦の難易度は承知していた。
初戦の相手――アルマダ。
傾向がハッキリしているため、やり易い方ではあったが特化型のため総合型である彼らには相性の悪い相手だった。
超火力チームと、普通に優秀なチーム。
嵌れば後者はあっさりと叩き潰されるだろう。
おまけとばかりに、彼らのチーム『クロックミラージュ』は1年生オンリーのチーム。
国内大会で多少経験を積んだが歴史が深い欧州の名門に対応能力や経験値で優っているとは流石に思っていなかった。
「アルマダは特化型のチーム。上位にくると尖っていてもある程度は総合力が上がるものだが……」
「あそこは完全に突き抜けてるな。……俺の能力とは相性が悪い」
アレクシスの固有能力は一言で言えば、星野勝の創造系バージョンになる。
彼が魔導戦隊を世界大会に導いたようにアレクシスもメンバーを高みへと連れてくる事に成功した。
問題はここからである。
アレクシスが危惧しているのは、必殺技というべき固有の術式を自分たちが持っていない事だった。
メンバーも国内大会で経験を積んだとはいえ1年生ばかりだ。
この状況で世界大会まで来れたのだから彼らの潜在能力、実力などは十分に高いことがよくわかる。
しかし、高いだけでは足りないのが世界大会だった。
自分こそがナンバー1になるという強烈な上昇志向を持っているが、アレクシスはこういう部分に関してはいっそ冷徹と言ってよい程に客観的に判断する。
「冬の間にいろいろと考えたが……」
「そこまで容易く己の武器は手に入らない、か。他チームも参考したが、合うかどうかもわからないものを試す訳にもいかないからな」
「アレク、俺たちはお前を信じている。とはいえ、お前1人で勝ち抜ける程、世界は柔くない。とにかく、今は連携などを鍛え上げるべきだろうな」
「わかっている。初期の頃に突っぱねたのがここで響いているな……。無意味に敵を作りすぎた」
才能がある若者にありがちな視野の狭さ。
大会期間中に幾分矯正出来たとはいえ、チームに何も影響がない訳ではなかった。
ノウハウの入手先が限られてしまった事はまさしく痛恨と言っても良いだろう。
他にも練習相手にも事欠くような現状は問題でしかなかった。
パーマネンスのように全てを自前でどうにか出来るならばともかく、将来性はあるが現時点では新興チームの一角に過ぎないクロックミラージュにとって、敵がいないというのは死活問題だ。
経験を積みたくても積めないという事態に陥っている。
アレクシスの固有能力のおかげで最悪には至っていないが、一歩手前までは進行していた。
無論、彼も解決のために手は尽くしている。
無礼な事を言った相手には謝罪したし、協力も請うた。
事態は改善しているのだ。
しかし、世界という未知の領域を思えば、まだまだ足りなかった。
「国内では女帝と皇帝が睨み合ってただけ。俺たちは世界の強豪を良く知らない。映像だけでは不十分な点も多いからな」
「ああ、それでもアルマダは似た傾向のチームがあるから良い。参考に出来る部分は多いだろうさ。問題は……」
「ナイツオブラウンド。そして――アマテラス、九条桜香か」
「個体の極致とも言われる魔導師だ。女帝にあしらわれてるようでは無理だろう」
「懸念は多いな」
「ああ、だが、それでも俺は優勝を狙う」
己だけでなく世界に命令するように、アレクシスは断言した。
若き天才は仲間と共に頭を悩ませる。
全てを己たちで行う困難と達成感、双方を味わいながら『皇太子』は『無敵艦隊』打倒をそして、世界大会優勝を狙うのだ。
健輔の知らないところで同年代の――これからのライバルとなる者が牙を研ぎ澄ませていたのであった。




