第207話
世界大会まで後1週間。
対戦相手が発表された事もあり、どこのチームも張りつめた空気を醸し出いていた。
特に国内でそれが強いのはアマテラスだろう。
クォークオブフェイトへの雪辱と悲願の初優勝も含めて、果たすべき事柄は多い。
鬼気迫る様子の桜香もチーム全体のレベルアップために、日夜チームメイトたちと対戦を繰り広げていた。
天空の焔も同様である。
そんな中、健輔を含めたクォークオブフェイト面々は少しだけ趣が異なっていた。
調整をしているのは同じなのだが、各人に何処か余裕が存在している。
傍から見ている菜月が妙に心配になってしまうような緩さだった。
「け、健輔さん? その少しよろしいですか?」
「ん? 別にいいけど、どうしたんだ」
すっかり顔馴染になった菜月は部室で寛ぐ健輔に話しかける。
昨日は立夏と、今日は龍輝や勝たちと調整を行っていた健輔だが、早々に切り上げて部室で休息していた。
菜月としては、朝から晩まで戦い続けろとは言わないが、12月の鬼気迫った様子と比べると何処か余裕があるのが気になったのである。
「その、宜しいんですか? まだ時間はありますけど」
「ん? ああ、そっか。応援団には通達してないもんな。俺たち、真由美さんから練習の時間制限が掛かってるんだよ」
「時間制限? それは……」
「長時間使う事に慣れると、少し回路の性質が変わるんだってさ。あれだよ、長距離走と短距離走の違い的な感じのやつ」
「な、なるほど」
他のチームも把握している情報――と言われると実は微妙なところである。
少なくともアマテラスは把握していて、そろそろ健輔たちと同じようなサイクルになるだろう。
桜香の鬼気迫る様子は早い話ラストスパートを掛けているだけだった。
魔力回路を短時間で最大のパフォーマンスを発揮できるように、健輔たちは今から調整をしていただけである。
「本当に微妙な差異らしいけどな。1戦に全力を賭す世界戦と戦い抜く国内戦はそこら辺のやり方が異なる。まあ、焔もそろそろ調整に入るよ」
「クラウさんからの情報ですか?」
「おう」
休むのも魔導師の仕事であり、健輔も特に異論はなかった。
練習も常にやり続ければ良いという訳ではない。
魔導が超人的な体力を与えてくれると言っても限度は何事にも存在していた。
何より、世界戦では一戦ごとに限界を超える必要性がある。
1時間の間に最高のパフォーマンスを発揮出来るようにするのは重要なことだった。
「嵐の前の静けさみたいですね」
「実際、そんなところだと思うな。今は知識面で台風に備えてるわけだ」
「ああ、なるほど。勉強はしてはいけないと言われてないですもんね」
菜月の言葉に笑みで返事を返す。
健輔は練習後には勉学に勤しんでいた。
本を傍らに置いて、知識を溜めこんでいる。
万能系をさらに活用するために知識を溜めているのだ。
これは危険な事でもあったのだが、健輔は問題ないと判断していた。
イメージにキャップが掛かる危険性よりも、あらゆる場面に対応できる知識の方が重要である。
知っていれば、対処が可能な事は多い。
既知であるというだけで奇襲要因を減らせるのだから、やっておいて損はなかった。
健輔は自身が頻繁に使用する手段だからこそ、思考外からの奇襲を強く警戒している。
圧倒的な実力差で同じ事をやられた場合、対処可能かどうか怪しいからだ。
「しかし、あれだなー。去年の俺に勉強を頑張ってるとか言っても絶対に信じないぞ」
「ぷっ、そんなに嫌いだったんですか?」
「嫌いも何も大嫌いだよ。全然楽しくなかったからな。それが今や必死に頭に詰め込んでるんだから、人生何があるのかわからないな」
「年寄りみたいですよ。私たちまだ16歳なんですから、もっと若々しい感じで言いましょうよ」
「あー、すまん」
多重思考などで休みなく思考を続けていると微妙に達観した感じになる事が確認されている。
自分の感情を本で読んでいるような感覚と莉理子は称していたが、健輔も納得できる話だった。
感情がなくなるわけではないが、切り替えの早さや年齢にそぐわない思考を得るのは避けられない。
成長と取るのか、変化と取るのかは人それぞれだが、健輔はおっさん臭くなったとは思っていた。
「同級生におっさん臭いって言われると結構凹むな……」
「え、いや、おっさんって言ってないですけど……」
「はぁぁ……いやー、傷ついたなー」
「ちょ、ご、ごめんなさい! そんなつもりじゃなかったんです」
慌てる菜月の声に笑い、健輔は本を閉じる。
魔導に浸かり過ぎるのも問題だと、最近は思っているのだ。
ここいらで学生らしさを学んでみよう。
知り合いの中では1番年相応な菜月をからかいつつ、健輔はストレスを発散するのだった。
ぶつかり合う2つの閃光。
光が駆け抜けた後は海が裂け、ぶつかり合った地点では巨大な光が発生する。
強力な砲撃魔導師がぶつかり合った際に生まれる光景。
似たような2色の魔力が凌ぎを削り合う。
それを見守る複数の影、その中で最も年長であろう女性は長い溜息を吐く。
「……ハンナもアリスも好き放題してるわね」
「どちらも楽しそうね。そうは思わない? ヴィオラ」
「ええ、お姉様。とても楽しそう。サラ様もそう思いませんか?」
「思いますよ。ただやりすぎだとも思いますけどね。……私だけかしら?」
サラはマイペースなラッセル姉妹へ曖昧な笑みを向ける。
彼女らの独特のペースは国内大会を乗り越える事で、逆に強化されたと言えるだろう。
後輩の風格漂う姿に頼もしさすら感じる。
「2人とも対戦相手が発表されて、やる気に満ち溢れてますからね」
「ええ、真由美様たちとなんて、運命を感じてしまいますね」
「そうね、お姉様。健輔様たちがどれだけ強くなったのか。今から楽しみですわ」
「本当に楽しみだわ」
「……あなたちもですか。仕方ないとはいえ、些か好戦的過ぎますね」
敵が強くなって喜ぶような神経を守る側であるサラは持ち得ない。
タイプの違う魔導師だと言うのもあるが、1番の理由は異なる価値観こそが重要だと思っているからである。
様々な情報を集めて決断するのがハンナの役割ならば、それに反する意見などを述べるのがサラの仕事だった。
それこそが親友に必要な事だと、彼女は信じている。
「あら、サラ様は楽しみではないと?」
「いいえ。ただ、楽しむような余裕があるのかは微妙なところだと思ってますよ」
「そうなのですか? 私たちも強くなったと思いますけど」
夏休みに負け越したが、あれは予定通りの部分も強い。
1年生を主軸に据えていたシューティングスターズと最初から全力全開のクォークオブフェイトでは有利なのは後者である。
言い訳するつもりもないので、負けは負けとして認めていたが、再度戦って負けるとはヴィオラは思っていなかった。
アメリカ第2位にして、最強たる皇帝の強さも体感したのだ。
強くなった自負がある。
しかし、後輩の思いなど見抜いていたのだろう。
サラはいつもの笑顔のままバッサリとヴィオラの思い上がりを断ち切った。
「そこが、ダメですよ」
「……サラ様?」
ヴィオラは笑顔のサラに少しだけ不満そうな顔を向ける。
ゴーレムの操作や、多重思考の錬度。
ヴィオラは夏からは考えられない程に強くなっていた。
サラの言葉はその努力を否定するようなものである。
姉と力を合わせればランカーにも劣らないと思っているヴィオラにとっては聞き逃せないニュアンスが籠められていた。
「……少し、不満を感じますわ。敵をそこまで評価しますか?」
「勿論。客観的に見て、この大会で私たちの総合力は5位と言ったところでしょうからね」
「……如何な根拠が?」
「経験則ですよ。奥の手を隠したとはいえ、『皇帝』に惨敗した私たちと『太陽』に勝利した彼らでは後者の方が上です。――1つだけの切り札だから秘匿したわけですしね。それを隠せない相手と最初に当たる事になってしまいました」
国内大会で温存を選んだシューティングスターズはメンバーこそ全力だったが、いくつかの札を伏せたままにしている。
対して、全力でアマテラスに当たったクォークオブフェイトは1段階上に進んでいると言ってよいだろう。
サラはヴィオラにそのように語っているのだ。
穏やかな笑顔の裏にはチームを守る壁として、冷徹なまでの計算がある。
必要ならば己を捨てる防御役だからこそ、彼女は思考を辞めない。
彼女のこのような姿勢は夏合宿である人物で大きな影響を与えているが、彼女がそれを知るのは再度の激突の時となる。
自分がいろんな意味で厄介な奴を育てたとは思っていないサラは不服そうな後輩に困ったように笑う。
「別にあなたたちが弱いという訳ではないわ。ただ、実力が近い勝負は何が起こるのかわからないし、次の戦いの不安があるということよ」
「……それは、わかりますが」
ヴィオラとて、勝てるが無傷とは思えなかった。
それこそ世界戦用に用意している切り札の1つや2つは使わないといけないだろうし、何より確実に勝てる保証がないのは事実である。
「如何に勝ち抜くか。初戦、いえ決勝戦まではそれも求められます。激戦区だからこそ、気を使わないといけないのです」
「ヴィオラ、難しく考えるからダメなのよ。上手く勝てば良い。サラお姉さま、そういう事ですよね?」
「ふふ、ヴィエラの言う通りね。ヴィオラもごめんなさい。少し意地悪な物言いだったわ」
「い、いえ……」
「ふふ、健輔様たちとのダンス、楽しみにしましょう! きっと負けても素敵だわ」
姉の心底信じているという表情にヴィオラは表情を崩す。
自分とは違う半身たる姉をこの世の誰よりも愛しているのだ。
ヴィエラが言うことならば、それが真実である。
「そう、ですね。良きダンスになるように頑張ります」
「ええ、丁寧にエスコートしていただけると嬉しいのだけど」
「彼にそこまでの甲斐性があるかはわかりませんね」
ヴィエラの言葉に笑って、サラは少し否定的な意見を出しておく。
健輔がそこまで女心に敏感に反応するタイプとは、彼女には思えなかった。
同時に魔導師としては機微に優れているとも、思っていたが口には出さない。
今はまだ、この2人に告げるのは早すぎるのだ。
「……ハンナ、あなたはどう思うのかしら」
妹と限界を探るかのようにぶつかり合う親友に視線を送る。
万能系、健輔の強さに誤魔化されているがあれの本当の恐ろしさをまだクォークオブフェイトは見せていない。
共に合宿を行ったからこそわかる真由美の健輔育成方針。
そこから推測するに、世界戦の要は間違いなく健輔だろう。
「……夏の決着。私とあなたと真由美の青春の決着。……良い思い出になればいいけど」
悔いだけは残したくない。
心の中にそれだけはしっかりと刻みつけておく。
ぶつかり続ける閃光を見つめ、サラは戦いへ思いを馳せるのだった。
「うーん、どういう編成で行こうか」
「……基本ラインは優香、健輔、葵の前衛。後衛は和哉、真由美、真希の順で良いと思うが……相手チームの事を考えると少し弄る必要があるな」
「私としては前衛は基本的にそれでいいと思うわよ。相手の切り札がなんであれ、健輔なら軽減ぐらいはしてくれるでしょ」
「お前にしては高い評価だな。何かの心変わりか?」
「うるさいわね。私事は私事、先輩としての役割はきちんと果たすわよ」
「そこの2人、脱線するな。いい加減話を纏めたいんだ。脇道で揉めるのは参謀として許さん」
夜も遅くなり、日付が変わる時間も迫っている中、クォークオブフェイト首脳陣は組み合わせが発表されてから飽きる事なく行ってきた議論を今日もしていた。
平行線、のように見えて既にある程度の結論は出ている中で今も揉めているのは、細かい部分、敵チームの特性に合わせたスタートメンバーである。
前衛は健輔を筆頭に汎用的に強く、対処能力にも優れた3名を基本とし、相手に合わせて葵や優香を入れ替えていく編成に決まった。
真由美と健輔、この両輪を以ってクォークオブフェイトは世界戦に戦いを挑むのである。
「早奈恵の言い分もわかるが、これ以上はお互いに譲れんだろう? 既に意見は出尽くしてるからな」
「む……、しかしな、多数決をするのか? 世界の舞台でそれは流石にどうだろうか」
「言いたい事はわかるが……」
隆志が皮肉を込めて、早奈恵に尋ねる。
どれほど議論に努めても、自分の思うところと違えば最善は異なっていく。
既に意見は出尽くしているのだ。
今必要なのは決断だけだった。
「2人とも、ここで熱くならないの。おさらいしましょう? 世界戦の死守ラインは健輔と真由美。ここは大前提。意義はない?」
「ああ、続けてくれ」
「オッケー。問題は個々の戦闘での入れ替え。どうしても相性がある以上、ぶつけたい相手は限られるわ。健輔みたいに誰とでも戦えるというのはそれだけでメリットになる」
健輔が前衛の要に選ばれたのはそれが理由の1つである。
より言うならば、表向きに納得しやすい理由がそれだった。
どんな相手にでも不利なのが万能系だが、裏を返せば誰にでも有利に戦えるのも万能系である。
尤もらしい理由として使えるのは疑う余地がなかった。
「じゃあ、後はチームに合わせて考えれば良いけど……。いくつかブレがある。まずは1回戦、剛志君は確定で、後衛はいつも通り。問題は前衛の最後」
「俺は葵推しだが」
「私は九条」
「そして、私は葵。真由美は優香ちゃん。……綺麗に割れたわね」
妃里は呆れたように言うと肩を竦める。
偶数故に起きる可能性は普通にあったが、国内戦では纏まっていた。
流石世界と言うべきだろう。
真由美たちですら、絶対の自信を以って話を進めることが出来なかった。
「どっちにも等しくメリット、デメリットがあるけど……」
「……難しいな」
シューティングスターズは強い。
その上、クォークオブフェイトの事を良く知っていた。
真由美たちが優香を入れたいのは、情報の問題である。
葵は良く知られているが優香にはまだまだ未知の部分が残っていた。
実力伯仲であり、お互いに良く知っている身だからこそ、小さな積み重ねが必要だと真由美と早奈恵は判断したのだ。
隆志たちは逆の判断だった。
このような拮抗状態だからこそ葵が必要となる。
そのように考えていた。
エースとしての力量や経験を加味すれば、遠距離が苦手と言う事は覆い隠せると期待していたのだ。
「第2戦もこれまた意見が分かれているしね~」
「他人事みたいに……真由美、あんたが決断するんでしょう? 良いのそんな感じでさ」
「今は焦っても仕方ないでしょう? 意見が出尽くしたと思うまでは悩むよ。時間はまだあるよ」
世界戦優勝は真由美の悲願である。
即断即決が真由美の長所だが、今回だけは熟慮するつもりだった。
相手はどこも同格であり、余裕は存在しない。
その中で如何に決勝まで余力を残すかを考えるのは重要なことである。
反対のブロックから駆けあがってくるのがアマテラスである可能性がある以上は気を抜く事など出来なかった。
「……とりあえず、今日はここまで! 続きは明日にしよう」
「了解だ。ただ、真由美」
「うん? 何、お兄ちゃん?」
「自分らしさを見失うなよ。……それは敗北の道だ。いつも通りやれば良いんだよ」
「……大丈夫だよ。それはわかってるから」
真由美らしくない悩んだ顔に隆志は視線を険しくする。
いざとなれば、殴ってでも引き戻すつもりのため、そこまで心配はしていなかったが、警戒することは決めていた。
泣こうが笑おうが世界戦は1度終われば終了なのだ。
警戒しすぎるぐらいがちょうどよかった。
「……やはり勝手が違うな」
「ああ、私たちも世界戦を主導するのは初めてだからな。……いろいろと不安にもなる」
頼れる先輩たちも初めてのプレッシャーを前に己らしさを見失いそうになる。
彼らは必死に自分を見つめながら、後輩たちには余裕な姿を見せ続けていた。
不安、恐怖、渦巻く思いを胸に真由美は悩み続ける。
自分への問いかけに解答がないとわかっていながらも続けるしかなかった。
「世界、か。大変だね」
「そうだな」
「ま、覚悟の上よ」
「同じく」
各々、不安はあれど今は前を向き続ける。
進み続ける時間の中で、ギリギリの葛藤を彼らは続けていく。
その先に、勝利が待っていると信じて――。
他のチームと同じく、クォークオブフェイトもまた運命の流れに沈むのであった。




