第19話
「は~い、みなさ~んお疲れ様で~す」
のんびりとした可愛らしい声が教室に響き渡る。
気の抜ける声だが、このタイミングにはピッタリの声であった。
「皆さん~本当に~お疲れ様でした~。私の数学で~テストは終わりです~」
テストからの解放感にクラスにいる生徒たちは、思い思いに身体を解すなどの行動に移る。
そんな生徒の中の1人である健輔は、力尽きたかのように机の上に突っ伏していた。
「……終わった」
文字通り1夜で詰め込んだこの男は許容量を超えた知識の山に撃墜されていた。
魔導に関する勉強はまだよかったのだ。
興味があったし楽しかった。
1番難しいが同時に1番楽しいのも魔導なのは間違いなかった。
問題は一般教養の部分である。
普通の数学、国語。
そして、襲い来る物理と社会。
早奈恵が知っていると魔導に役立つと言っていたため、健輔は物理を選択したがさっぱり頭に入ってこなかった。
魔導師に役に立つ学問の数学と物理が完全に鬼門だったのだ。
教科書を完全に丸暗記するという魔導の恩寵がなければ、不可能な所業を以って力技で突破を図った今回のテスト。
赤点を取って補習なんぞ食らったらどれだけ真由美が怒るだろうか。
健輔は想像しただけで身体が震えてきていた。
「では~、皆さん体調には~お気をつけてくださいね~。大会に出る方は~頑張ってください~」
『起立! 礼!』
『ありがとうございました』
やれるだけのことはやった。
残りはテスト返却という名の結果報告を受け取り試合に臨むだけである。
今はただテスト終了後の解放感に身を任せる健輔だった。
テスト期間が終わり週明けのテスト返却期間。
完全に夏といった空気になっている学園で優香と健輔は2人で登校していた。
目的は朝練のためである。
本来ならば、この朝練は強化期間の終了と共に終わりを向けるはずだった。
しかし、今後のレベルアップのためにも健輔はやめたくないと思い始めていたこもあり、優香がいやでなければこれからも続けたいと伝え、2人の朝は続いている。
「最近は美咲と仲良いみたいだな? なんか買い物とか行ったらしいって聞いたけど」
「はい。美咲さんにはいろいろなところに連れて行ってもらってます。同年代の女性と遊ぶのに慣れてない私をリードしてくれてすごく助かってます」
「そっか。よかったな」
「はいッ!」
嬉しそうで弾んだ声で優香は答える。
模擬戦の後、優香たち女性陣はすごく仲良くなっていた。
少しあった距離感はなくなり、友人として自然体の付き合いをしている。
健輔もそのお零れに預かって、美咲とも最近よく話をしていた。
「返却は担任が一気にやるって聞いたけどその通りなのか?」
「合ってますよ。詳細な解答は後で公開されるので、各自復習は自分で行うように、ということです。なるべく、魔導に触って欲しいからそれ以外での拘束時間は減らしたいという思惑あるらしいですよ」
「へー、学校も大変なんだな」
そうこうしている内に教室に辿りつく。
別のクラスである2人は一旦ここで解散する。
「では、また後で」
「おう、お疲れさん」
去りゆく優香の後姿を見て、健輔は溜息を吐く。
今朝ももはや日課と言ってもよい1対1の決闘が行われたわけだが、敗北数をまた1つ増やしてしまった。
未だ彼方にある背中を見て、ついつい暗い気持ちになってしまう。
連敗記録がついに30を超えようとしているのは、健輔としても辛いことだった。
「まだまだ、道は途上で、先は険しく遥か遠い、か。嬉しいような、悲しいような。複雑な気持ちってのはこういうことなのか」
まだまだ挑める事を喜べば良いのかもわからず、健輔は思考を切り替えて教室の中へと入るのであった。
「お疲れ、健輔」
席に向かうと先に来ていた圭吾が声を掛けてくる。
練習期間中の寝不足気味な表情とは違い、スッキリとした表情をしていた。
「あれ? 今日は早いな。どうしたんだよ?」
「昨日は部室に居たのさ。妃里さんや、佐竹先輩もいたよ」
「ああ、研究会だったっけ? よくやるよな」
「僕は僕なりにいろいろ考えるんだよ。健輔に負けた分も取り返さないといけないしね」
「ぬかせ」
練習期間中の研究会は熱が入っていたこともあり、夜遅くになることが多かった。
しかし、流石に強化が終われば落ち着いたようで睡眠時間も増えたのだろう。
密かに体調を心配していたので、健輔も一安心だった。
「そっちは九条さんと例のやつかい?」
「ああ、テスト期間中は流石に自粛してたけど、もうすぐ公式戦があるからな」
「そっか、調子がいいみたいでなによりだよ。テストの結果もそうだといいんだけどね?」
圭吾がテストについて笑いを含んだ様子で聞いてくる。
1年生で勉強がやばいのは健輔だけという悲しい格差がそこには存在した。
何故か健輔を除いたメンツが割と頭がいい。
優香は普通に優等生、美咲は学年上位クラス。
目の前で笑う圭吾も彼女らと似たようなものだった。
「うっせ。これでもやれるだけやったんだよ」
「1夜漬けは勉強したとは言わないんじゃないかな?」
「普通に勉強もしてたわ!」
「わかってるよ。それで? 実際のところどんな感じだったんだい」
それでも圭吾のようにからかわれるぐらいはまだマシだった。
優香や美咲、果ては真由美のようにまるで母親のごとく心配されると流石に恥ずかしさを覚える。
「魔導関係は大丈夫だと、思う。武居先輩もお墨付きをくれたしな。『魔導ならお前さんは大丈夫だろう。魔導に関わってるならな』って感じでさ」
「それって、もしかしてさ……。いや、健輔がそれでいいなら大丈夫だと思うよ、うん」
「なんだよ?」
「いや、ごめん。話の腰を折ったよ。続けて」
「まあ、赤点はないと思う。うん、流石にないと信じたい」
改めて振り返ると自信が無くなってくる。
中学生の時は2年から魔導に夢中でかっこいい妄想ばかりで授業を疎かにしていた。
澄ました顔をしている圭吾も同じような病気を発症していたのにこの成績の差はどこで生まれたのだろう。
健輔は地頭の良さというスペック差について考える。
そんな事を悩んでいると里奈が教室に入って来た。
「は~い、皆さん、おはようございます~」
「起立、礼!」
『おはようございます!』
「おはよう~ございま~す~」
ほわほわした感じの里奈がテストの束を空中に浮かせながら挨拶をする。
全科目を全員分一気に返却するため、結構な量のプリントが浮いていた。
「皆さん~よく~頑張ってくれました~。うちのクラスからは~補習の人は出ませんでしたよ~」
里奈の宣言で教室が沸き立つ。
健輔も真由美が激怒する未来が遠ざかりほっと胸を撫で下ろした。
「では~返していきますね~」
少しだけわくわくしながら健輔はテストの返却を待つのだった。
「それで補習は逃げ切れたけど里奈ちゃんからは呼び出しってわけなんだ」
「ああ……」
健輔がわくわく気分で答案を見ることができたのは魔導関連のものが終わるまでだった。
一般教養のテストにはあるトラップが仕掛けてあったのだ。
長年の経験から教科書丸覚え軍団が多数発生することを理解している先生たちは赤点にならない程度に丸覚えでは解けないもしくは、全て覚えているとひっかかりそうな内容の問題を用意していた。
「卑怯だろ……、ちゃんと教科書覚えたのに」
「魔導を使って丸暗記も大概だと思うんだけどね」
「あら、部室に行くの? お2人さん」
圭吾に愚痴を言っていると突然背後から声を掛けられる。
健輔は聞き覚えのある声に恐る恐る振り返った。
そこには見覚えのある女性がニコニコしながら立っている。
「やっほー! お久しぶりですよー」
「ふ、藤田先輩……」
「葵さん、お久しぶりです」
彼女の名前は藤田葵。
健輔たちのチームに所属する2年生の1人であり、真由美と優香に続く3人目の2つ名持ちである。
性格は真由美と良く似た楽天家――と健輔も最初はそういう風に思っていたのだが先輩方の話を聞いているとどうやら違うらしいということがわかる。
1言に楽天家と言っても様々なタイプがあるだろう。
その中でも大きく2つに分けられる。
考えた上で前向きに考えるのと、何も考えていないの2つ。
葵は後者、真由美は前者で、健輔は中間だった。
「健輔、私のことは葵で良いっていったじゃない」
「ぐっ、すいません。と、ところでこんがり焼けた肌してますけど、どこ行ってたんですか? 2年生はなんか別の課題を振ったって部長から聞いたんですけど」
他にも違いはある。
真由美が冷静に戦局を判断して叩き潰しにくる軍人みたいな人物だとしたら、葵は直感で相手を仕留める野生の戦士みたいな人物なのだ。
早奈恵には「早い話、お前と同じタイプだ」と失礼なことを付け加えられている。
健輔は最近の周囲の人間からの評価について真剣に悩み始めていた。
葵は完全無欠の脳筋であり、女傑だが、健輔はごく普通の男なのだ。
葵ほどぶっ飛んでないと思っている。
「いやー、こっちは楽しい日々だったよ! なんせ毎日毎日、バトルバトルって感じでさー。海外組はこっちと定石も違うから、新鮮ですごくおいしいバトルばっかりだったよ」
「そ、そうっすか」
葵は上機嫌で姿が見当たらなかった理由について教えてくれる。
健輔はそれは普通地獄と言うのではないかと思ったがそれを本人言うことはなかった。
言ったが最後、実際にやってみようとか言い出すことが目に見えている。
健輔は心の中で乾いた笑いを浮かべながら葵を連れ立ち部室へと向かうのだった。
「ぶちょー!! 藤田葵、帰還しました! 他の奴らは疲れたから寝る! 後は任せたとか軟弱なことを言ってました。だから、来ないそうですー」
元気溌剌で気持ちのいい感じの挨拶だった。
小麦色に焼けた肌と葵の雰囲気も合わせて夏を謳歌するスポーツ美少女と言っていいだろう。
焼けた肌が良く似合い、茶色のショートヘアは快活な印象を裏切らない。
女性らしい豊満なスタイルも彼女の魅力だろう。
チーム内でもトップ3に入るそのスタイルを惜しげもなく晒す彼女は青少年には目に毒だった。
そんな美女にも関わらず先程の発言と組み合わせると、途端に可愛くなくなるのだから不思議なものである。
「はーい、お疲れ様でしたー。向こうは楽しかった? あおちゃんには後半にはいっぱい仕事してもらわないといけないからね。なるべく面白そうなメニューにしといたんだけどどうだった?」
「サイコーでしたよ! やっぱりアメリカはいいですね。大味と言うかすごく私に近いメンタルを感じました! 外国に伝手があるなんて真由美さん尊敬します!」
微笑ましさと実態を知っている故に感じる寒々しさが同居したよくわからない悪寒を押さえながら、健輔は空気に同化する。
話し掛けられたらよくないことが起きそうな気がするのだ。
魔導に携わってからどう考えても強化された健輔の第6感が唸りあげている。
しかし、哀れな子羊は狼の群れからは逃げられないのだった。
真由美から後輩の成長具合を聞いたのだろう。
葵が嬉しそうな様子で絡んできたのだ。
「へー、健輔、真由美さんに傷つけたんだー!! すごいね! 私も去年の夏だったけどもうちょっと後だったわ。よし! 1回私とも戦ろうよ!」
「え……いやですよ」
葵はご飯を食べに行こうというノリで戦闘を持ちかける。
拳でぶつかればわかりあえるとか、葵は確実に生まれる性別を間違えていた。
「あおちゃん、ダメだよ! 健ちゃんはもうすぐ公式戦に出場するから疲れさせるようなことはちょっと見過ごせないなー」
「あ、やっぱりダメですか? ちょっとだけ、摘まむ感じなのも?」
「少なくと今はだーめっ」
さらっと重要な話題が飛びだしつつ、物騒な会話が続く。
健輔の細い神経と胃に多大な負荷を掛ける会話だった。
お互い笑顔なのにこの2人は恐ろしいまでのプレッシャーを撒き散らしているのだ。
巻き込まれないように圭吾も必死に空気と同化しようとしているのが視界の端に写る。
他の先輩が来るまでの間、2人のつらい戦いは続くのだった。
「葵ちゃんが2年代表として来てくれたので一応これで全員になるのかな」
妙に怖かった空間も人が増えた分だけ薄まり今では普段と変わらない空気となっていた。
早奈恵が葵を止めてくれなかったら、憐れな健輔は食べられてしまっていたかも知れない。
小さいけど威厳溢れる早奈恵に健輔は感謝を捧げる。
「それじゃあ、3年生で決めた公式戦のメンバーについて発表するね」
「前衛からいくぞ。石山・九条・隆志」
優香があっさりと出場を決める。
真由美がぽろっと零した言葉から考えるに後衛のメンツは想像が付いていた。
健輔は期待感で胸をいっぱいにしながら続きを待つ。
「続きだ、後衛は真由美、佐藤、高島。バックスに丸山、私、獅山」
「以上かな、後のメンツは交代要員になります。今後の試合も序盤の基本系はこれで考えてますよー」
少し場の空気が悪くなった。
発生源は当然のごとく葵である。
2年生が軒並み交代要員になるとは予想していなかったのだろう。
交代が重要な要素とはいえ最初から出られるのならその方がいい。
「質問いいですよね?」
有無を言わさない感じの葵の発言だった。
真由美は笑顔で待ってましたと言わんばかりに勢い良く答える。
「いいよ。ただ先回りさせてもらうけど、決定は変わらないし、何より勝つためにはあなたは隠しておかないとダメなんだよ」
その言葉に思い当たる節があったのか、葵が黙る。
「そこまでのレベルにいってますか? 私かなり安定してきたと思ってるんですけど」
「正直、小細工の類でしかなくてあなたたちに、特にあなたには不自由な思いをさせてるとは思うけどぶっちゃけると余裕がないの」
2人の間だけでしかわからない内容のやりとりがなされる。
葵は納得したのか、似合わない溜息をついて矛を収めた。
「わかりました。前半のオーダーってだけですよね?」
「うん、少し出し惜しむってだけだよ。じゃあ、みんなもそういうことだから準備をよろしくね!」
真由美は場の空気を変えるためか、殊更明るい様子で終了を宣言する。
張りつめた空気から真剣な空気へと変わっていく。
「では次だな、武居頼んだ」
「承った。ではいくぞ。私たちの初戦の相手は登録チーム名『黎明』となっている」
早奈恵が静かに対戦相手の情報を述べていく。
「2つ名持ちの所属はないがバランスの取れたチームで去年も総合順位で20位に入ってる。最上位チームではないが十分以上に強力なチームだ」
「注意すべき点は向こうのリーダー新山昇さんかな。スサノオのメンツにいてもおかしくない前衛だよ。正直なところ、葵ちゃん以外で確実に勝てる人はうちにはいないかな。妃里と互角ぐらいだと思ってくれるといいと思うよ」
初戦の相手として手ごわい相手だった。
しかし、彼らに勝てないようなら優勝など夢のまた夢だろう。
相手にとって不足なし。
健輔を含めてその場にいる1年生が興奮した様子を見せる。
「今回、作戦としては後衛中心の砲撃陣で行く。健輔と真由美を核にして他のメンバーでそれを守る形で行く」
「突破されたらやばいからみんなちゃんと守ってね。健ちゃんはギリギリ自分でなんとかできるかもしれないけど私にはスサノオクラスの前衛を捌くのはしんどいからお願いね」
作戦には何も難しいことはなかった。
今まで練習してきたことを発揮すればいいだけである。
学園に入ってから練習の日々が続いてきたが、ついにその成果を発揮する時が来たのだ。
健輔は高揚した気分で試合への決意を新たなものにするのだった。




