第194話
放送部が所有する部屋の1つに資料作成を行える教室がある。
試合の進行状況の管理など、天祥学園では魔導機から思考入力を行い、学園統括システムに保存することが一般的だ。
この部屋に籠り、一心不乱に資料を作っている彼女――紫藤菜月も普段はそのようにしている。
しかし、わざわざこちらで資料を作成して、紙に印刷しているのには当たり前のことだが理由があった。
情報の管理という点が1点、他にはなんだかんだで紙という物に対する安心が残っていることが大きいだろう。
誰かに見せるのならばデータよりも紙の方が良い。
そう思う程度には菜月は古風な感性を持っていた。
「これで、よし!」
勢いよくキーを叩き付けて、印刷を始める。
これまで彼女が観戦してきた試合、実況してきた試合、そして最近見た練習から感じた『クォークオブフェイト』を客観的に纏めた資料がついに完成した。
これから先を進めるに当たって役に立てば良いと彼女が自主的に作成したものである。
「うんうん、我ながら良い出来!」
扱う情報が情報のため、誰も手伝わせることは出来ず、1人での作業になったが菜月は後悔していなかった。
大好きなチームに対して貢献できるのならば、むしろ燃え上がっていた程である。
日常の方には一切影響が出ないよう、完璧に進行したのだから大したものであった。
よくぞ、ここまでと言いたくなるほどに細かく纏められたデータは真由美たちへと送られる。
これが後に今年の2つ名を選定する際に役に立つなど思わず、解放感も相まって菜月は浮かれに浮かれるのであった。
「さてと、これを持っていかないとダメだよね」
「あら~? 何を持っていくの~?」
「わっ!」
突然背後から掛けられた声に驚き、菜月は資料を落としてしまう。
間延びした甘ったるい感じの声、里奈と似ている感じもするが里奈と違い幼さを孕んでおり、何よりも包容力に欠けていた。
そして、菜月にはとても馴染のある声でもある。
「も、萌技……、お願いだから後ろから声を掛けないでよ」
「ごめんなさい~。とても集中してたから乱したらダメだと思って~」
ニコニコした様子の萌技に菜月は肩を落とす。
親友は菜月を驚かせるのが楽しいらしく、隙を見つけてはこのように声を掛けてくる事が多かった。
ここに悪意があるのならば、菜月も怒るなりなんなりをしたのだが、善意というか基本的には悪気はないのが性質が悪い。
1度本気で怒ってからは声の掛け方は考えているらしいので、以前ほど心臓に悪くはなくなっていた。
「もう、どうしたの? こんなところに来て」
「なっちゃんのお手伝いでもしようかと思ったんだけど~」
「……もしかして、決まったの?」
「ええ~、部長がやっぱり私はこっちでいいよ~だって~」
「本当に!? よかったー、やっぱり1人じゃ心細かったんだー」
「喜んでくれたなら嬉しいわ~」
ワイワイと騒ぎ合う2人。
応援団長という重責を1人で背負い、メンバーが誰なのかわからない状況は菜月も辛かったのだ。
気を許せる友人が来てくれるのならば、心強い上に安心出来る。
直接接するようになって知った事をマシンガンのように語り出す菜月へ萌技はニコニコしたままの状態で話を聞き続けていた。
そのまま10分程、2人は話し合っていたのだが、ノックもなしに唐突に扉が開かれる。
「……悠花? どうして、あなたまで?」
「不機嫌そうな顔が見えたよ。君が無礼な態度が嫌いなのは知っているけど、今回は許しておくれ」
「……別に友達に噛み付いたりしないよ。それで、何か急ぎの用?」
「萌技が何も聞かずに急ぐからさ。私が代わりに細かい伝言を聞いてきたの。後で魔導機の方にも連絡が入ると思うから」
「悠花も入ってくれるの? 心強いな」
「まあ、今回の事は先輩に感謝かな」
悠花は菜月に向かって説明を始める。
本来ならばもう少し後に加入するはずが、予定が早まったのには理由がああった
一言で起こったことを言うのならば、集まりが悪かったのだ。
正確には3席目のチームにも注目が集まっていて、『クォークオブフェイト』に呼び辛くなっていたのである。
当初の予定では、2年生などが幾人か参加してくれるはずだったのだが、2年生の大半が最後に勝ち残るチームを希望。
しかも、きちんと理論武装まで固めてきていた。
曰く、『盤石に近い世界戦最有力候補だからこそ、ここで経験を積むべきだ』である。
3チーム目は実力や期間などから優勝チームなどには劣る面が多い。
そこを補えるのは、2年生クラスの応援団だろうという次期部長と名高い女生徒が声を上げたのだ。
そこに同意した2年生たちのおかげで人手が足らなくなり、部長命令で強制的に萌技たちを放り込んだのが、今回の顛末である。
「部長は一理あるって思ったらしいよ。だから、私たちを菜月のところに早めに放り込む事にしたんだってさ」
「なるほどね……。でも、もしかして?」
「発案者の田端先輩はこっちだってさ。そこまで言うならば、監督してみせろ、だって」
「あー、そうなるわよね」
菜月は発案者の名前を聞いて、納得していた。
今期の担当実況が『明星のかけら』と『天空の焔』の女性である。
どちらが来ても良いように策を巡らせたのだろうが、それが部長には逆効果だった。
狙いを見抜かれて結果として、望みが絶たれたわけである。
策士、策に溺れるというべき結末に菜月は苦笑いを浮かべるしかなかった。
「というわけで、同じチームなのだから、見せてもらってもいいよね?」
「はぁ……。まあ、そういう事情なら問題ないよ。ちゃんと感想も聞かせてね」
「勿論だよ。萌技も一緒に見よう」
「は~い。なっちゃんと同じチームに成れて嬉しいわ~」
「同じチームじゃないんだけどね」
菜月の言葉はもう耳に入っていないのは2人は静かに資料に目を通し始める。
菜月としても結構な自信作だったため、他人の目にどう映るのかは興味があった。
2人を集中を妨げないように菜月は静かにその場を後にする。
資料作成室には2人のタイプの違う美少女が真剣な表情で何を読む姿だけが残ることになるのであった。
チーム『クォークオブフェイト』。
結成から1年目の所謂新興のチームだが、今回の国内大会において『不滅の太陽』九条桜香擁する『アマテラス』を打ち破り、見事無敗で優勝を勝ち取ったチームである。
このチームの特徴として最初に取り上げられるのは、一般的、視覚的には近藤真由美のド派手な支援砲撃であろう。
言うまでもなく、彼女は国内最高にして、最強の後衛魔導師である。
新たに『破壊の黒王』赤木香奈子が出現した事を考慮に入れてもその座は揺るがない。
また、魔導関係者から見てもこのチームで最初に聞ける言葉は間違いなく真由美に関するものだった。
そのように断言できる程に知名度、実力で頭1つ飛び抜けた魔導師。
近藤真由美とはそのレベルに至った数少ない魔導師でもあった。
資料を読み進める悠花も菜月が書いたのと同じ感想を持つ。
「流石は『終わりなき凶星』だね。これは当然の評価だと思うよ」
「そうなの~? 私もすごい綺麗な攻撃だとは思うけど~」
「世界ランク10位以内というのは当たり前だけど偉業だよ。ましてや、特化型の普通の魔導師が5位なんだから凄いとしか言いようがない」
魔導師というのは本来は特化していくのが正しい形だ。
系統の組み合わせによっては変わることもあるため、絶対とまでは断言できないが本来はそういうものである。
しかし、魔導競技という戦場に視線を移した時、特化型だと当然ながら勝てない場面も出てくるものだった。
真由美を例に取ればわかりやすいだろう。
香奈子による撃墜劇。
鬼ごっこでの健輔の奇襲からの即墜ち。
追加で賢者連合からの戦術攻撃による1発退場、と並べて行けば格下に撃破されていることがそこそこ存在している。
これは彼女が特化型――砲撃魔導師であることが原因と言い換えてもよかった。
機動力に劣る彼女たち砲撃型は避けるという選択肢が取り辛く、どうしても攻撃を受けることが前提になる。
防御を突破する方法が多く存在する魔導にとって、それは割と致命的なことだった。
基本的に攻撃の方が防御を上回っているのだ。
己の得意分野ではないため、対抗策も限られるという厳しい状況の中でそれを上回る程の脅威であると認定されたからこその世界ランク5位である。
才能が限界突破している桜香を除けば努力でそこに至った魔導師は片手で数えられるほどにしかいない。
基本的に特異な才能で上位に入るものが多い世界ランクでも魔導師としての実力で入っているのは今代では彼女を含めて3人だけだった。
「表の顔も裏の顔も兼ねている『クォークオブフェイト』の看板だね。まさしく」
「この人のことは良く知ってるわ~。他の人はどうなの~? 3年生の人とか、あまり聞かないけど~」
「勿論、優秀だよ。やっぱりエースっていうのは評価されやすいけど脇役が優れていてこそのチームだからね」
悠花の言葉が示す通り、『クォークオブフェイト』はチームとしての実力がかなり高い。
国内で優勝した今では日本ナンバー1だと言っても良いだろうし、世界クラスでも明確に劣っていると断言できるのは『ヴァルキュリア』と『パーマネンス』だけであった。
それらの評価を脇から支えるのが妃里と隆志である。
ベテランとして常に安定した実力を発揮する両名は痒い部分を補える貴重な人材であった。
「安定した2人が脇を固めて、エースが相手を食い破る。基本構造のシンプルさがそのまま強さに繋がっているね」
真由美は強力な壁が存在するほど、圧力を増していく。
そういう意味では現時点の真由美も1年時に劣っているところはあった。
先代の太陽は桜香に匹敵するほどの天才だったのだ。
葵、優香、健輔の3人が揃っても単体の硬さで及ばないのは明白である。
代わりに変幻自在の対応力と格上殺しを手に入れたと思えば、悪くない取引ではあったがそういう評価もまた存在していた。
「2年生の層も厚いねー」
「藤田さんはカッコいい人だと思うわ~」
2年生は筆頭である葵を中心にタレントが多い。
真由美たちが早奈恵も含めてオーソドックスな魔導師層だとするのならば、葵たちは癖が強い魔導師ばかりである。
筆頭である葵が遠距離戦を完全に捨てているなど例を挙げていけばキリがない。
香奈の術式が攻撃に偏っていることも含めて、普通の魔導師とは言い難かった。
「葵さんはエースとして安定してるね。近接戦ではほぼ負けなしだし、他の人も役割をきっちりと果たすタイプだね」
「こういう魔導師も増えてるらしいわね~。流石、なっちゃんよく見てるわ~」
和哉と真希は単体で戦えば戦闘力的にはそこまでではないが、両名共に決定的な場面で厄介な事になる場合が多かった。
仕事はきっちり果たすタイプの魔導師なのが、2年生の特徴と言える。
エースである葵も敵を撃墜するのが仕事だと考えれば、この例からは漏れない。
役割に特化した集団、真由美を中心として纏まっている3年生と比べると些か灰汁が強いとはいえ、葵が仲間を上手く制御しているため問題にはなっていなかった。
「付け加えると真由美さんの継嗣が葵さんである、か。流れを受け継いでいるのはなんとなくわかるわね」
「そうね~。皆さん、素晴らしい魔導師ばかりだわ~」
そして、最後の1年生。
どこぞの誰かなどに対する評価は他の魔導師の3倍ぐらいは記述されていた。
「ここからは菜月の愛に溢れているね」
「なっちゃん、1年生の人たちが大好きだから~」
記述の量もさることながら、詳細に分析されている。
健輔の特徴はまさしく万能であること、この1点に尽きていた。
万能系という魔導の分野における1つのジョーカー。
これだけならば、器用貧乏にしかならないのを健輔の腕、実力で補ってようやく完成する。
特出すべきは戦闘中の系統切り替え能力、これの汎用性の高さだった。
他の万能系の安定した状況ならば、系統を切り替えることは出来る。
しかし、健輔は攻撃が当たる瞬間、回避の度などで切り替えを行っていた。
系統の切り替えとは言うならばエネルギー配分を弄る行為である。
厳密には異なるが走りながらコップへ適量の水を注ぐことが出来るか、そういう部分が重要となっていた。
「ここをセンス、と菜月とかは言っているわけだ」
「慣れれば出来るってわけじゃないから~ってなっちゃんは言ってたわ~」
丁寧に纏められた所感は菜月がどれだけ健輔の試合を見てきたのかがよくわかる。
ただし、彼女はファンで信者になりかけているが盲目ではない。
健輔の弱点への言及も行っていた。
「佐藤健輔選手はやはり、世界戦での純粋な力不足が懸念される、か。まあ、アマテラスみたいに上手くいくわけはないね」
「そうね~。桜香さんは1人で相手をしてくれたけど~」
「そこがネックになるのは疑いようもないか」
健輔の対応能力、センスについては言うまでもないことだが、それだけではどうしようもないこともあった。
わかりやすいところでは『ヴァルキュリア』である。
チーム力で互角の状態では桜香戦のような事が出来ない。
健輔がバカ正直に以前と同じ戦い方をすることはないが、手札が1つ潰れてしまうのは問題だろう。
菜月はそのように分析をしていた。
また、健輔自身の伸び悩みも指摘している。
「万能系のネックたる力不足。配分などを弄ってなんとかしてるみたいだけど、やっぱりそこは隙になるよね」
「世界だと~やっぱり大変でしょうね~」
健輔が魔導を発動する上で必要な工程は以下のようになる。
系統を選択、さらには力の配分を決めて制御を行う。
そこから必要なバトルスタイルへと移行して、攻撃を行うのだ。
ざっと大きく分けて攻撃までに3工程が必要だった。
しかもこのパターンには魔力の動きや術式の制御が入っていない。
通常の魔導師が魔力を高めて、攻撃するという短い工程であることを考えれば世界トップレベルでは問題になるのは間違いないだろう。
「努力でなんとかしてるのは素直に尊敬するけどね」
「そうね~。私もそう思うわ~」
菜月が絶賛するのもその部分だった。
健輔は常日頃から回路の切り替えを意識して行っている。
日常の些細な部分まで魔導の鍛錬に用いていることをとても気に入っていたのだった。
「それにしても、本当に愛に溢れてるね」
「うんうん~。流石なっちゃんだわ~」
丁寧な言葉で書かれているが途中で熱が入りすぎたのか、情報に主観が混ざり始めていた。
それを消そうと一生懸命に客観視点を保とうとしているのが資料からでも読み取れる。
悠花と萌技が顔を見合わせて笑った。
この応援団で、このチームを応援するならばきっと楽しくなるだろう。
そんな思いが胸に湧き出たからだ。
「菜月に負けないようにしないとね」
「足手纏いにならないようにしないと~」
決意も新たに2人は更なる資料の読み込みを開始する。
愛で劣ろうとも同じようにサポートする以上、知識で負けていては話にならない。
やるからには世界大会で優勝してもらいたいのは2人にも共通する思いだった。
無言で静かに資料を読み込む背中には確かな責任感が見え隠れする。
強力なサポータを加えて、『クォークオブフェイト』は世界の舞台へと歩みを進め始めるのだった。