第193話
世界最強の魔導師。
最強というものは定義が難しいが、少なくとも1つの指標が存在している。
世界ランク1位、実績と実力などで総合的に判断されるため、純粋な実力でなら下位のものが上位を打倒することはないとは言わないがそれでも公式で最強を示されるのは大きな意味があるだろう。
このランク選出にはあまり知られていない事がある。
それは選出に苦労する年代とまったく苦労しない年代があるということだ。
魔導の基礎研究を行われるようになったのはそこそこ昔で100年程前。
実際に研究が加速して現在の魔導学園が整備され出したのが50年前。
そして、細かい変更は絶えず続けられているが大凡今の形が整ったのが30年前となっている。
世間へ本格的に露出し始めたのはここ10年程の話であるが、意外と歴史というものがあったりするのだ。
そんな中で最強の称号を求めて争ってきたのだが、大別して傾向は2つに分かれる。
圧倒的という言葉も生温いレベルの魔導師が君臨する年代と驚くほどの混沌に包まれる年代、大凡この2つに分かれることになるのだ。
新しく入る新星すらも踏み潰す強者、彼を多くの者がそう評したとしたし、事実として強力な魔導師ばかりの中で彼は頭1つ飛びのけていた。
健輔たちの2世代前、真由美たちの年代は王者の年代にあると誰も疑いを持っていなかった――たった1年程前まで。
事実上の1強、辛うじて2強と呼べる状況に割って入った『不滅の太陽』を含めて時代は混沌へと移り変わった。
そして、今年は『皇帝』の最後の年。
玉座を守り抜くのか。
それとも奪取されるのか。
先行きのわからぬ事態は魔導をエンターテイメントとして楽しむ者たちをワクワクさせていた。
多くの人間たちは自分が贔屓にするチームが敵を蹂躙してくれるのも嫌いではないが、それ以上に実力伯仲の名勝負を期待している。
「民の声に応えるのも王者の役割とはいえ、面白くないのも事実だな」
手に持った学内発行紙を燃やして、不愉快そうに呟く男。
アメリカ人らしく大きな体形と力強さに溢れた瞳を持っている。
同時に溢れる自信は彼の自負心の高さを感じさせた。
「そんなに不機嫌にならなくてもいいと思うけど。実際、君は去年『太陽』を落とせなかったからね。事実は事実だろう? 我らがカイザー」
「俺に喧嘩を売ってるのか? ジョッシュ」
本気で不機嫌そうな男に眼鏡を掛けた優男は肩を竦める。
仮に殴り合いになれば彼が100%負けるのだろうが、彼は相手がそこまで短絡的でないことをよく知っていた。
苛立っているのは本人も危険な匂いを感じ取っているからだ。
周りからはナルシスト、自信過剰などと揶揄される彼らのリーダーだが、強敵を侮るようなことはしない。
特に女神に関しては強い執着があった事を彼は良く知っていた。
だからこそ、ある意味で急に出てきた『太陽』とやらに敗れたことがより衝撃であったのだ。
自分に比する才能など彼女しかいない、言葉にすればその程度だろうが衝撃は言語に尽くし難いものがあったはずである。
「しかし……、君が1年生の時は2強の時代とか言われていたのに、今や混沌の年代とか言われてるよ。未来はわからないとはいえ、本当に怖いね」
「……ふん、まさか、太陽が敗北するなどと俺も予想外だったさ」
「素直じゃないね。まあ、僕も気持ちはわかるさ。万能系なんてちょっと器用な系統に負けるような女性ではなかったよ。油断があったとしても、だ」
「だろうな。相手の魔導師は余程の策士か、大バカだろうよ」
詰まらなそうに鼻を鳴らす金髪の男に苦笑する。
尊大でプライドが高く、何よりも自分の事を高みに置く男だが狭量ではないのだ。
強敵たちの匂いを感じ取っているのだろう。
先の試合、因縁の女帝との戦いでも彼は苛立っていた。
「女帝に手を抜かれたのが気に入らないのかい?」
「そんなつもりはない、と言ってもお前は信じないだろうが」
男――『皇帝』クリストファー・ビアスは吐き捨てる。
ここ最近の彼は荒れている、と参謀たるジョシュア・アンダーソンは感じていた。
下からの猛烈な追い上げを感じているのだろう。
頂に立ったものにしかわからない境地というものが存在している。
既に目指すべき場所が存在しない男の鬱屈した感情は同じ場所に立たない限り理解することは出来ないはずだった。
女神、太陽が微妙にわかるぐらいだろうか。
「彼女は来る世界戦に向けて手札を隠したんだろうね」
「わかってるさ。弱者の創意工夫、当然のことだ」
「でも、イライラすると?」
「俺の全てを理解した気分になってるのが癪なんだよ。研究は十分だ、っていう態度が気にいらない」
「君はあれだもんね。能力を鍛え上げるのが1番で他にすることはないしね」
「太陽のせいで俺は数頼みのチキン扱いだからな」
ジョシュアは笑った。
結局、1番気にしているのはそこなのだろう。
大したことのない人間の発言など聞き流せば良いのに、高いプライドがその話題を払拭することを望んでいるのだ。
しかし、同時にそれが悪手だとも気付いている。
「わかってると思うけど」
「……俺がそっちに精を費やすことはないさ。わかってる」
「君の個体能力は意味がないからね。持ってきてプラスした方が早いよ。それを使いこなしているんだから十分だと思うよ。どれだけ粘ったところで太陽も君も倒せなかったんだし」
「……ふん」
「プライベートでは相変わらずいろいろ考えるね。戦場だとあれほどノリノリなのに」
「王者の進軍はそういうものだろうが。決断までは熟慮だが、決断したなら蹂躙だ」
遠いアメリカの地で最大の障害もまた、世界戦を憂いていた。
彼らもまた挑戦者である。
最強の誇りを掛けて全てのチームの前に立ち塞がるのであった。
「えーと、その、応援団長になりましたので、ご挨拶にきました! し、紫藤菜月と申します!」
「ようこそ! そんなに緊張しなくてもいいよー。同じ学園の生徒同士、世界を目指して頑張りましょう!」
「は、はい! び、微力ながら精いっぱい頑張ります!」
「うんうん、今日は顔合わせ、だよね? いきなり上級生とはやり辛いと思うから今日は健ちゃんたちとでお願いするね」
「け、健ちゃん!? は、はいッ! わかりました」
有力チームの情報開示を受けて、翌日。
応援団団長として菜月が部室へと挨拶に来ていた。
別にしなくても良いのだが、礼儀だからということでわざわざ来てくれたらしい。
一応、話を通したのは健輔であるが、戦い以外はからっきしのため、素直に菜月の手際を感心していた。
「健輔」
「ん? 美咲か。どうかしたのか?」
「どうかしたのか、じゃないでしょう。菜月さんに助け舟を出してきなさい。昨日から気合が入ってないわよ」
「ああ、うん。……すまん」
「気が抜けてるわね。もうっ、私がやっとくから座ってて!」
肩を竦めた美咲が変わりに菜月の元へと向かう。
情けない様だが、健輔はあまりにも衝撃すぎた『皇帝』の能力に今から頭を抱えていた。
空間展開能力だとは聞いていたが効果がインチキすぎる。
「いろんな意味で俺はマズイな……。あんなのどうしろって言うんだ」
発動されたが最後、真っ向勝負を強制されるインチキ能力。
昨日聞いたものだけでも反則だが、去年確認された別の戦法もあるらしくそちらの対処も考えないといけなかった。
健輔が世界の壁を思い、憂鬱になるのも仕方ないだろう。
「健輔さん? あまり、思いつめても良い結果になりませんよ」
「……ん、まあー、わかってるんだけどさ。こう、ね」
「姉さんを基準にすればそれほど怖くなくなりますよ」
優香の思わぬ発言に健輔は噴き出す。
「ぷっ、言いたい事はわかるが桜香さんに失礼だろうよ、それ」
「そうなんですか? 姉さんだったら私は強いでしょう、と喜んでくれると思うんですが」
優香の前では国内最強の魔導師も姉であるということなのか。
妹に褒められて喜んでいる姿を想像すると少し笑みがこぼれた。
健輔が知っている桜香と言えば、魔王なのかと言いたくなるようなラスボスオーラを纏っていることがほとんどである。
イメージとして、そのような可愛い姿が思い浮かばないのも無理はないだろう。
「……いや、そういえば」
「健輔さん?」
「な、なんでもないさ。菜月のところへ行こう」
「? はぁ、わかりました」
優香には慌てて誤魔化したが健輔の脳裏にはあの『アマテラス』戦での最後の桜香の姿が過った。
やめてくれ、と懇願した彼女の言葉が聞こえたのはおそらく健輔だけだろう。
今までも、そしてこれからも健輔は桜香を倒したことを後悔しない。
しかし、あの一瞬だけ見た姿を忘れることも出来なかった。
重荷を背負って、あそこまで必死に頑張っていた女性を横から体当たりして転ばせたのだ。
どちらが悪役かと言われれば、健輔なのは間違いないだろう。
「はぁ……皇帝も、女神、後は桜香さんもか。厄介な人ばっかりだよ」
最後にもう1度だけ溜息を吐いてから、健輔は意識をハッキリと切り替える。
これから一緒に頑張っていく相手に不景気な顔を見せるつもりはなかった。
「あっ、健輔さん」
「うっす、応援団長ありがとうな」
「いえ、光栄です! 微力ながら世界まで一緒に頑張りましょうね!」
菜月の輝かんばかりの笑顔に浄化されそうになる。
健輔の思考は昨日から皇帝などへの対策会議で占有されていたのだが、自分のやっていることに途端に疑問が湧いてきた。
煮詰まった頭で考えた策など言うまでもなく大したものにならない。
そんな当たり前のことを失念していた。
「……真由美さんとかの心配は杞憂じゃなかったんだな……」
「あの? どうかしましたか? 失礼だったら謝りますけど……」
「あっ、いや、なんていうか。あれだよ、こう菜月の頑張りに答えれるように頑張らないとって気合を入れてたんだよ」
「え? ふふっ、健輔さんはそんなことしなくてもいつも全力じゃないですか。変なの」
「そうか? は、ハハハハ、はぁ……」
菜月がクスクスと笑うのに乾いた笑いで返す。
こんな事しか言えない自分の語彙力もそうだが、コミュニケ―ジョン能力に文句を言いたくなった。
何よりも追い詰められていないつもりだった自分のアホさ加減に腹が立っていたのだ。
立ち向かう気概も行き過ぎればただの気負いである。
何事もバランスが大切なのだ。
前のめりなのは重要だが、他を疎かにしても何も良いことはない。
「なんか、急に元気になったわね。……現金。ふーん、へー、菜月は可愛いもんねー」
「いっ、おい、そういう言い方はやめろ、というか、違う!」
「か、可愛い!?」
「可愛げのある子が応援団でよかったですね」
健輔が急に元気になったのが気に入らないのか、美咲の冷たい物言いに本気で冷や汗を流す。
ジト目からはこれだから、という単語が読み取れる。
無駄に上昇した観察眼の成果と言っても良いのだろうか。
どうしてそこまで不機嫌になったのかは理解出来ないが、逃げの一手しかこの場面では選択肢がなかった。
「そ、そういえば、応援団の仕事だが、具体的には何をやったりするんだ? 情報とかをくれるといっても大変だろう?」
「え、あ、そうですね。上級生の皆さんは知ってても皆さんはあんまり実感ないですよね」
「……そうね、教えてくれると助かるわ」
美咲の目は笑ってないが矛をこちらに向けることはないらしい。
健輔は後日のお詫びを心に決めていた。
不機嫌になった理由に思い当たる事はないが、予想が正しければおそらく大したことがないはずである。
文頭に健輔にとっては、と付くことを無視すればという条件が付いてるのだが。
恐らく、悩んでいた健輔が菜月を見ただけで微妙に上向いたのが気に入らないのだろうとは思っていた。
「えーと、ですね。まずは健輔さんも知っている情報提供からですね」
「そちらはお世話になりますね。よろしくお願いします」
「あ、は、はい! よろしくです」
優香の綺麗な礼に菜月が声を上擦らせて返礼する。
僅かに赤く染まった頬は健輔の見間違いでなければ見惚れたのだろう。
優香の美貌は男女問わずに目を奪うものである。
慣れたとか言って平気で斬りかかる健輔は間違いなく少数派だった。
「せ、世界戦になると各国が情報封鎖、といっても公式の応答はなくなる程度ですが試合データの提供などが無くなります」
現在、国内戦に限るならばあの選手の試合データが欲しいと申請を出せば、大体2日程で許諾が下りて借りることが出来るようになっている。
健輔もこの制度にはお世話になっていたが、世界戦ではこの方法が使えない。
必然として、私用のデータなどが主流になるわけだが、当たり前の話だが数が足りなかった。
撮影自体は許可されているため、皆無ではないのだが、広大すぎる魔導のフィールドを余すことなく素人が収めることなど不可能である。
そのため、情報としては微妙な物しか見つからない。
噂や言葉などで凄さを調べることは出来るが具体策を検討することは難しかった。
これは正直なところ学生の分を大きく超えていることがまず最大の課題だと言えるだろう。
この部分をクリアしてくれるのが応援団である。
「だから、私たちが放送部のネットワークを使って、直に交換などをしてきます!」
「なるほどね。普通に渡すのはダメだけど、一工夫すればいいってわけなのか」
「はい、学園の方針とも合致してますから。大体10年程前からこのやり方が主流になったそうです」
この交換もただデータを貰ったり、渡したりするだけでない。
集めた情報からどこの試合が欲しいやあれが欲しいなどを要望し合うのだ。
当たり前だが煩雑な仕事がある上に、役得は少ないと普通ならば誰もが嫌がる仕事なのだが、放送部は放送部で魔導バカの集まりだったのが功を奏した。
ファンとして、最大級の貢献が可能なこの制度に飛び付いたのである。
後は徐々に整えられて、日本の物を真似した各国が同様に制度化した結果が現在の形だった。
「壮大なスケールなのに、やってることはただのファン活動じゃん」
「私はいいと思いますけど……。美咲は何か思うところが?」
「……なんていうか、魔導師は昔からそうだったんだなって思っただけよ。気にしないで」
「私も皆さんのお役に立てるように一生懸命頑張りますね!」
満面の笑みで宣言した菜月に健輔たちも笑みを返す。
ここまで好かれて悪い気はしない。
全員で顔を見合わせ、健輔が代表して、
「ようこそ、『クォークオブフェイト』に。しばらくの間、よろしく頼むわ」
「――っ、は、はい!」
――新しいメンバーとして迎えることを表明するのだった。
制度的にはあり得ないし、何かが変わるわけではない。
それでもこれから世界と戦う一員として、健輔たちは菜月を迎え入れるのだった。
まだまだ未完成だが、健輔たちの世代の輪も姿を見せ始める。
それがどんな姿になるのか、ここにいる誰1人としてわからないのであった。