第190話
「なっちゃ~ん」
ふんわりとした柔らかい声が廊下に響く。
脳に直接くるような甘い響き、学園広しと言えどもこの声を持つ人物はただ1人。
「萌技? どうしたの嬉しそうね」
天祥学園放送部の妖精、もしくはロリ巨乳などと1部では呼ばれている美少女、斉藤萌技だった。
放送部の諸先輩方、それも性別を問わずに愛される日向のような少女だが、今日は一際笑顔が輝いている。
満面の笑みが周囲を明るく照らしているかのようだった。
「え~とね~。う~ん~、その~」
「落ちついて。あなたはこういう時は要領が悪いから」
何を言おうか悩んでいる友人に菜月が助け舟を出す。
言いたいことがたくさんあるのだろうが、どれから言えばよいのか本人もよくわかっていないのだ。
話を纏めようとして詰まっている。
「あのね~。そうだ~! なっちゃん、おめでとう~」
「……えーと、ありがとう? どうして急におめでとうなの? 何かあったっけ?」
「だって~昨日の試合で~『クォークオブフェイト』の世界戦出場が決まったじゃない~」
「そうね。それは素直に嬉しいけど。それであなたが嬉しそうなのは理由がわからないわ」
昨日、『クォークオブフェイト』が試合を行い勝利を飾った。
これだけならば今まで通りだったのだが、残りの試合数が重要となる。
残る試合数が後1戦となったのだ。
即ち、この段階で『クォークオブフェイト』は最終戦に負けても世界戦には出場できることが決まった。
菜月も我が事のように喜びを感じていたが、萌技がわざわざその事だけで嬉しそうである理由がわからない。
「え~とね~、なっちゃんがね~」
「そこからは私が言いましょうか? 萌ちゃんは本当に可愛いわね」
「え? ……部長?」
菜月が背後からの声に振り返るとそこには眼鏡を掛けた女性が微笑んでいた。
放送部部長、大会運営の責任者の1人でもある菜月の上司というべき女性である。
新入生にもバンバン仕事を押し付ける容赦のない人物だが、同時にいろいろな事をやらせてくれるため部内の尊敬も集めていた。
いつも根拠のない自信に溢れた表情が今日はさらに輝いている。
何か良いことがあったのだろうか。
「えーと。萌技が嬉しそうな理由をご存じなんですか?」
「伝えたのは私だもの。ね~」
「はい。ね~」
「ああ、はい」
気が合うのか萌技と部長はこのような行動が割と多かった。
既に対処方法も心得ている菜月は努めて平静に問いかける。
「私も関係あるんですよね?」
「バッチリよ! ま、簡単なことですけど。応援団長お願いね」
「へ?」
「だから、応援団長、よ。国内からしっかり支援しないとね。今年はかなり良いチームが揃ってるから、そろそろ優勝してもおかしくないもの」
瞳に怪しげな光を輝かせ、部長は呆然とする菜月に笑いかける。
応援団、言葉通りの意味だがこれは放送部公認サポーターのことを意味していた。
天祥学園には文化系の部活動、すなわち吹奏楽部なども存在している。
魔導と音楽の融合を掲げているため、少し普通の吹奏楽とは異なるが基本は普通の吹奏楽部と違いはない。
学校の吹奏楽部などがよく大会など演奏していることがあるだろう。
スポーツの大会などではお馴染みの光景が世界戦でようやくお披露目になる。
1年に1度の晴れ舞台を前に吹奏楽部などを筆頭に文化系部活動は気合を入れて練習をしていた。
応援団とはそれらを含めて世界戦へ向けてのサポートを全体的に統括を行う組織の事を指す。
このような組織がある理由は簡単である。
世界へは3チーム出場することになるが、これらのチームが世界戦で戦う可能性もあるのだ。
どちらが勝っても問題はないがどちらも応援するのは心情的にやり辛い面もあるだろう。
そのため、事前に割り振っておくようにしたのが応援団の成り立ちである。
今では世界の他のチームの情報や、後は3学期における施設管理などの代行とドンドン役割が増えていき、今のような形になった。
「わ、私が団長? クォークオブフェイトの、ですか……」
「ええ、だってクォークオブフェイト好きでしょう? 放送部の鉄則を覚えている?」
「……担当するチームを好きになれ。でも飲まれるな、ですよね。それは覚えてますけど……」
「今の放送部であそこが1番好きなのは疑いようもなく菜月ちゃんだよ? 私はアマテラスの担当になるから、出来ないし。最後のチームはまだわからないからね」
「あっ……で、でも1年生ですよ? わ、私の不備でチームに影響があったら……」
応援団長の能力の有無は確率的には小さいが優勝にも関わってくる。
サポートの質が僅かな差を生んでしまえば、そのまま負けかねないのが世界という舞台なのだ。
アマテラス、クォークオブフェイトと国内最高クラスのチームでも油断して勝ち抜けるような甘い場所ではない。
菜月が怖気づくのも無理のないことだった。
「だからこそ、だよ。じゃあ、聞くけどさ。仕事だって命令で割り振られた人がそこまで真面目にやれる? いや、やるんだろうけど、自発的にやるのと比べればどっちがいいかはわかるでしょう?」
「それは……」
「世界戦になれば私たちは中立じゃない。応援したいチームに全力で貢献しても問題ないんだよ? 1番近くで応援出来る。――そのチャンスを捨てる?」
意地悪な言葉だったが部長の顔は優しかった。
年齢による経験不足や準備不足も確かにあるだろう。
しかし、それらは情熱で補える。
やる気があるならば補佐に上級生を付ければ問題ないと部長は考えていた。
現に、菜月はみるみると瞳に力を取り戻していく。
「やりますッ!」
「うん。よろしい! 副団長にはうちの副部長をつけるから扱き使ってやって。萌ちゃんは悪いけど私のところに貰うかも。次の放送部を背負っていけるようにこういう経験はみんなに積んで貰う予定だからそうするつもりなんだけど……。まだ、本決まりじゃないから、念頭に置いてくれたらいいかな」
「わかりました~」
「ご配慮ありがとうございますっ! ――そ、その、早速ですけど!」
「やる気に溢れてよろしい! なんでも言ってね!」
周囲の状況も次の季節へ移り変わる。
健輔たちだけでなくその周囲も動き出す。
1つの戦いが終わりに向かい、新たな戦いへと流れは動く。
次に相対するであろう、世界の強豪たちも徐々に準備を始めていた。
「そうですか。アマテラスは無事に出場出来そうなのですね」
「はい。広報部が向こうに確認を取ったのでほぼ確実ということです」
日本から遠く離れた欧州の地で2人の美女が語り合う。
深い海のような青い髪が印象的な美少女は畏まった口調でもう1人の美女に報告を行っていた。
ティーカップを持ち上げる手は驚くほどに白い。
銀色の長髪は女性の持つ雰囲気と相まって不思議な空気で周囲を満たしていた。
「イリーネ」
「はい」
チーム『ヴァルキュリア』所属の1年生、イリーネ・アンゲラーがこうまで畏まる相手。
彼女こそがチーム『ヴァルキュリア』所属にして、3年間欧州最強の魔導師の座を守り続けている『元素の女神』。
フィーネ・アルムスターその人である。
髪の色と相まって妖精などと言われることもある彼女だが、イリーネは見た目通りの女性でないことを良く知っていた。
桜香と同じように虫も殺せないような顔をしておいて大地すら割るのが彼女である。
魔導競技のルールに縛られていなければ欧州全ての魔導師にも勝てるなどと言われているのは伊達でもなんでもなかった。
「ふふ、そんなに固くならないで。私のティータイムに付き合わせて悪いけど、もう少し楽しくお話したいわ」
「も、申し訳ないです」
「イリーネ」
優しい声色だが名前を呼びかけられただけで心臓が止まりそうになる。
それほどまでに今の欧州で彼女の名前は大きかった。
「……す、いません」
「イリーネ」
「……わかりましたわ。これでよろしい?」
「ええ、ありがとう」
イリーネは降参を示すように肩を落とす。
フィーネは満足そうに笑みを浮かべると、片手を振って彼女の前にお茶を注ぐ。
着席するように勧められたと理解したイリーネは緊張しながら席に着く。
椅子が彼女の動作に合わせて勝手に動き、イリーネが何かをするまでもなく2人の茶会の準備は終わる。
精密な浸透系の精密動作、日常の小さな行動でレベルの差を見せつけられる事に内心の苛立ちを隠す。
「ありがとうございます。……相変わらず見事な操作ですわ」
「そうかしら? 私としてはそこまで特別な事をしているつもりはありませんよ」
「ご謙遜を。私に同じことは出来ませんわ」
「ふふっ、それは戦闘に特化しているせいよ。力加減が違うもの」
何気ない言葉、イリーネは僅かな反発心を隠して問いかけてみた。
「フィーネ様に私たちは野蛮に見えますか?」
「いいえ。でも、もう少し、戦闘以外も楽しんでほしいと思うわ。変換系もせっかく協力したのに戦闘系ばかりで少し残念だもの」
小さな生活魔導だったが、そこからでも錬度は読み取れる。
椅子を動かす、ティーカップを浮かせて上手く紅茶を入れる、その間に自身もお茶を楽しむ。
最低でもこれだけの動作を完璧にやり切るだけの同時制御能力を持ち、多重思考を平衡して実行できることがわかる。
イリーネの実力ではでは2番目の紅茶を入れるが難しい。
魔力を流し込む浸透系は加減間違えれば、操ろうとする物体が弾け飛ぶ場合もある。
ティーポッドのような物にイリーネの魔力を加減なく注ぎ込めばは一瞬で砕け散るだろう。
必要な行為に必要な分を与える精緻な魔力操作。
それこそがフィーネを頂点に立たせる要因の1つである。
イリーネも水の操作では負けていないが特定分野に特化した彼女と全てに優れたフィーネではどちらが優秀なのかは素人でもわかることだった。
「……また、怖い顔するわね」
「っ、……いえ、実力差を感じて……申し訳ありません」
「3度目よ。もう、そんなに緊張しないで」
「わかっています」
「口調ももっと砕けて良いのよ? 次代を背負うかもしれない後輩とはもっと仲良くしたいものだわ」
朗らかな笑みで促されてイリーネの口元が引き攣りそうになった。
それだけは出さないように出来たのは努力のおかげか。
「……わかりましたわ。それでご用件をお伺いしても?」
「ふふ、イリーネは素直だから好きよ。頭も良いわ。だから、ただの世間話、で納得してくれない?」
「納得は出来ますわ。しかし、フィーネ様の考えがそれだけとも思えませんの。好いていただけるなら、教えていただきたいですわ」
イリーネの言葉にそれまであった余裕めいた態度が薄れる。
その言葉を捻り出すのは、フィーネでも辛いものがあった。
「……桜香が負けたチーム。確か、『クォークオブフェイト』だったかしら」
「……ええ、その通りです」
フィーネにしては珍しい絞り出すような声だった。
自信と気品に溢れる彼女が人間らしい怒りや悔しさを見せるのはある人物に関する話だけだ。
今名前が出たチームは言うまでもなく、その人物に関係している。
「真由美は知っているわ。でも、断言できるの。彼女では勝てない。知っている他のメンバーもそれは同じはず。……報告では万能系のそれも1年生に負けたとあった」
「はい。事実のようですわ。私も幾度も確認を取りましたし」
「……クラウ?」
「覚えてらっしゃったのですか?」
「あなたと同じで将来有望だったもの。だから、留学した時は正直、何を考えてるのかわからなかったけど」
『女神』の称号を受け継ぐ事を望むのならば今年の戦いはとても重要になる。
既に欧州で次代の女神として認知されてきているイリーネだが、ライバルは多い。
日本に劣らず欧州も女性魔導師で強い人物は多かった。
イリーネは頭1つ飛び抜けているが、万全かと言えばそこまでではない。
その差は詰め切れない程開いているわけではなかった。
仮にクラウディアが欧州に残っていたのならば、双璧として鎬を削ることになったいたはずである。
だからこそ、最大のライバルが戦う前に舞台を降りた時は何事かと思っていたが、
「日本は去年は桜香が出てきた。もしかしたら今年も何かあるのかもしれない」
「クラウがそれを感じて欧州を出た、と?」
「ええ、だって、言い方は悪いけど欧州は停滞してるもの。それはあなたも感じているでしょう?」
「……はい。私もそう思っておりますわ」
欧州のみならず、アメリカも勢力の固定が激しく競争が健全に機能しなくなってきている。
これらの兆候は数年前から出ていた。
それを打開するために新しい大会編成になるのは有名な話であるが、フィーネはその中で日本だけは毛色が違うと感じていたのだ。
「去年の桜香は本当に劇的に登場したわ。日本に注目してなかったから……。いいえ、先代の太陽を警戒こそしてはいたけど……」
「ダークホースが潜んでいましたね。今回もそれがあり得ると?」
「新陳代謝が激しいのがあの国の特徴です。出てきてるチームで近年安定してるのはアマテラスだけ。他はまったくと言ってもよいほどバラバラです」
「今年も新興のチームが2つ。というのが高い確率になると聞きましたが」
「事実です。真由美が作ったチームとはいえ、新興であることは間違いありません」
強豪チーム同士の戦いでも既に明暗は分かれてきている。
魔導戦隊が3敗、賢者連合もアマテラスと当たり3敗目を刻みほぼ脱落。
暗黒の盟約が明星のかけらに敗北して3敗。
残るところ世界にいける2席をアマテラス、天空の焔、明星のかけら。
以上の3チームが争う状態で固定されている。
1敗のアマテラスが飛び抜けた状態だが、天空の焔が彼らに勝利すればまだ状況はわからない。
詳細な報告をイリーネから聞きながらフィーネの表情が曇る。
「フィーネ様?」
「……ああ、ごめんなさい。少しだけ考え、事をね」
「お気持ちはわかりますが……」
「見えない強敵が多い、というのが不安なだけよ。……私も今年が最後のチャンスだから」
欧州の女神として歴代最強と謳われてそれに相応しい実力もあるが、彼女を取り囲む環境は厳しかった。
彼女はその実力と名声に反して、優勝経験が1度もない。
欧州では圧倒的でも世界では勝てないなどと心無い輩は彼女を嘲笑っていた。
「……勝ちましょう。私も微力を尽くします」
「そうね。うん、そうだわ……」
どこか安心したようにフィーネは笑みを零す。
泰然としたように見えて感じるプレッシャーも相当だろう。
チームの1員として、若輩ながらもリーダーを支えるのが後輩としての義務だった。
「見えない敵に怯えすぎるのは私の悪い癖かしら?」
「フィーネ様は試合に入れば余計な考えは消えますけど……」
「あら、そんな風に見えていた?」
穏やかな、しかし、どこかに緊張感が孕んだ会話は終わり世間話を変わっていく。
欧州最強の魔導師もまた背負う物がある。
彼女だけでなく、世界の頂点に立つには他の願いを踏み潰す必要があった。
才能と実績、全てに恵まれながらも唯一、頂点を持てなかった女は勝利に餓えている。
昨年の雪辱相手もいきなり出てきた新興チームに1敗を刻み、フィーネが味わった屈辱を桜香に味あわせることはもほや不可能であった。
「ええ、今もとても楽しそうに笑っていますよ」
「そう? ――ええ、楽しいわ。どうやって倒すかを考えるかは、本当に、ね」
浮かぶ笑みは凄惨なものだった。
遥か東の方向へ視線を向けて、フィーネは笑う。
健輔たちが頂点に立つ際に必ず壁となるであろう女性はその時に備えて、悔しさなどを全て押し殺す。
解放するのは試合の時、恋でもするかのようにその日を待ち焦がれるフィーネであった。