第187話
驚愕――という段階すらも通り越した表情が2人の顔に張り付く。
感情がマヒしているのか、それとも一周回って落ちついたのか無表情にも見える顔はまるで時の中に取り残されたようになっていた。
試合は既に終わっている。
周囲の人間も次の試合に合わせて入れ替わりを始めており、本来ならば彼女たちも退場しなくてはならない。
それをしないのは偏に驚きすぎて感情の動きが停止しているからである。
再起動には外部からの刺激が必要であった。
「……2人ともそろそろ大丈夫かな? もう入れ替わりが始まってるし、早く出よう?」
「……え。……うん、そうね」
「……え……。ああ……わかった」
虚脱したような表情のまま2人は立ち上がる。
歩夢はそんな夢から覚めたような友人たちを困ったように見つめた。
これから彼女たちのように思い違いをしている1年生が次々と現実へ帰還する。
他の生徒より結果的に少しだけ早く夢から覚めたような状態になったわけだが、彼女はそういう人物たちへの対処は慣れていた。
他ならぬ彼女が以前はそうであったし、最近はそのような場面を実況席から目撃することも増えている。
落ち着いて話すことが出来るような場所を探そう。
そう思って、ふらふらと外に出て行く2人を追いかけるのであった。
「落ち着いた?」
会場付近にある喫茶店に入り、飲み物を頼む。
ようやく衝撃も抜けてきたのか、多少ぎこちないながらも明美も瑞穂も普段通りの雰囲気が戻ってきた。
衝撃が抜けて今度は興奮してきたのか、頬が紅潮している。
滅多に見ることは出来ないだろう2人の様子に笑いながら歩夢は話し始めた。
「何かいろいろと聞きたそうだけど、どうぞ」
「あっ「ねえ、あれって何なの? 魔導? あんなに凄かったっけ? ほ、」ちょ、ちょっと、明美」
「あ、ごめんね。興奮しちゃったよ」
舌を出して謝る明美だが、興奮した様子のままなのは変わらない。
瑞穂はまだ落ち着いていたが、所在なさげな視線が緊張しているのを滲ませていた。
「1つずつ答えるね。魔導は以前のままだけど、あの戦いの凄さがわかったということは皆のレベルが上がったってことだと思うよ」
「レベル?」
「うん。魔導師じゃない人は当たり前だけど、魔力の流れも大きさも、何より術式の精緻さも入学したてではわからないから」
「え、ええ、そうね」
「視覚的に映えるものじゃないと価値を理解しにくいの」
入学前に映像などから魔導を知る者、試合を見て入学してくる者、入門の方法は各自異なるが何かしらの思いをもって天祥学園にやってくる。
後はそれの大小が問題であり、スタートラインは同じだった。
そこからの走り方が各自異なり、それが今の結果として表れている。
「……つまり、今の私たちは魔導の本質を掴んでいる、ってこと?」
「どちらかと言うと、普通はわからない凄さまでもわかるようになってきた、が正しいんじゃないかな」
「そっか……。魔導ってすごかったんだ……」
多少扱えるからこそ、凄さを実感しにくいのもあるだろう。
視力が良くなったことに感動しても、人生が変わる程の衝撃は受けない。
便利な道具が増えても、生活リズムは変わらないのと同じである。
道具たる魔導の良し悪しに頓着しなかったのがこれまでの彼女たちだった。
それは物の良さがわからない、何でも良いと思っていたのが大きな理由である。
よくわからないがすごい、ではのめり込みずらい。
「何をやっているのか、理解出来て、同じことが出来るとなると……どう?」
「どう、って何が?」
「思うところはない?」
「……それは」
瑞穂ですらあのように飛んでみたいとそう思ったのだ。
より強く思う者は絶対に存在するだろう。
歩夢は瑞穂の表情から思いを察したのか、笑みを浮かべて頷く。
「同じように思った生徒がチームに入ったりするのよ。そして、憧れつつ、追い越すことを望む。この学園はそんなサイクルだって先輩から聞いたわ」
「……憧れる」
「佐藤くんの本当の実力、凄さみたいなのもわかったんじゃないのかな? 戦闘授業では真面目にやっても本気ではやらないだろうから」
瑞穂は素直にカッコ良いと思った。
彼女など話にもならないレベルの綺麗で強力な術式をいくつも流れるように展開して、的確に相手を仕留める。
相手の上級生も瑞穂からすれば、遥か天の高みにいるのだ。
2人の戦いはすごい、ということしかわからなかった。
それでも目が奪われるのものがあったのは、自分もやってみたいという欲求からか。
今までは考えもしない思いが胸から湧き出ていた。
「あれがチームに所属するってことなの?」
「ううん、あそこは知って通り、世界戦へ行くから1段上のレベルかな。佐藤くんも九条さんとかと比べると流石に……」
「あれよりも上がいっぱいいるんだ……」
「世界、かー」
明美の表情はイメージすら湧かない人間が浮かべるものだった。
瑞穂も彼女と同感である。
世界で戦う。
言葉としては理解できるし、実際にそうなるのもわかる。
しかし、教室で船を漕ぎながら授業を受けている健輔を知っていると、そんな凄い場所に行くような人物には見えなかった。
何より、どれほどの力を持っていようとも同じ高校生なのだ。
距離が近いからこそ、客観的に見れていない部分も間違いなくあるだろう。
「魔導は奥が深いものだよ? 私は自分で極めようとは思わなかったけど、極める人を応援したいとは思ったから、放送部に入ったんだもん」
「私はあんな風にカッコよく決めてみたいな!」
「私は……」
選ぶ道は人それぞれだろう。
何かを決意したように笑う明美、ニコニコと微笑む歩夢、そして悩む瑞穂。
乙女の悩みに答えはない。
ただ1つだけ正しいことがあるとすれば、それは後悔しない決断をすることだろう。
かつて健輔が空を舞う魔導師へ憧れたように、彼の背を追いかける者が生まれる――かもしれなかった。
廊下を颯爽と歩く。
彼女を見つけると男女問わず一瞬目を奪われる。
輝く金の髪に、強い意志を秘めた瞳。
彫の深い顔は外国人の特権だろうか。
伸ばした背筋は一振りの剣のように芯が通っている。
「……浮ついた空気が減りましたね」
一時期、と言っても2週間程前の話だが妙に学園の空気が緩くなった。
それまでクラウディアを遠巻きに見守っていた者たちが自信満々に彼女に絡み出すなどと、聡明な彼女をして原因がさっぱりわからない珍事が頻発していたのだ。
後日、理由を香奈子から聞いた時はこの学園特有の行事に呆れてしまった程である。
彼女の母校は魔導学園ドイツ校。
数ある魔導学園でもっとも堅苦しいところを選べ、と言われれば間違いなく1位になるだろう学園である。
このような出来事は完全に無縁だった。
向こうに居た時からファンなども存在したが、あちらは分を弁えていて積極的なスキンシップなどはなかったのだ。
文化の違いなのか、遠慮なく接してくる気質に若干だが辟易としていた。
「落ち着いてくれたのなら幸いですが……」
他にどんな出来事が待っているのかわかったものではなかった。
最近の情報交換も含めて彼女は一路、『クォークオブフェイト』の部室へと急ぐ。
一時期は完全に連絡を絶っていたが、既にその必要性は大分薄れている。
変わった校内の空気に僅かに戸惑いながら、金の少女は歩みを進めて行く。
その後ろ姿が視線を集めるのは仕方がないことだろう。
もはや自然の事として、そこには興味を示すことすらないのが彼女だった、
「……あっ、美咲から」
前もって送っておいた美咲から部室にいるとの確定情報が届く。
クラウディアは返信のメールを送り、歩を早める。
彼女をよく知る人物でないと気付けない程の僅かなものだったが、その足取りは浮かれたものを感じさせるのであった。
「おっ、いらっしゃい」
「お疲れ様、クラウ」
美咲に連れられて部室に入ったクラウディアを健輔と優香が出迎える。
飲み物を準備しに行った圭吾を入れて、今日は1年生チーム4名が部室を占有していた。
最上級生組は個々で研究エリアに出立し、2年は葵による練習ツアーに連行。
1年生は難を逃れたおかげでこうしてゆっくりと英気を養っていた。
「お疲れ様です。しかし、緩んでますね」
暖かい部室に入ってクラウが感じたのは弛緩した空気だった。
魔導に関するものは一切なく、机の上に載せられた雑誌が唯一の魔導の痕跡と言えるだろう。
「特集……。ああ、この間のインタヴューですか」
「そ、皆でそれを見てたんだ」
クラウディアは雑誌――ではなく国内の広報誌を手に取る。
天祥学園のエースたち、と書かれたそこにはクラウディアだけでなく優香や桜香などのメンツが綺羅星の如く列記されていた。
健輔も1年の筆頭として堂々と名を連ねている。
「意外です。健輔さんはもう少し」
「悶えてると思ったか? そこはな……まあ、慣れかな」
クラスメイトの攻勢の強まりなどが健輔のメンタルを平時でも強く鍛え上げていた。
美咲などは呆れた顔をしていたが、優香はニコニコと笑みを浮かべている。
クラウディアの心理としては美咲よりなのだが、優香の心理もなんとなくだが理解出来た。
評価に一喜一憂するような男よりもどっしりとした芯のある男性の方が彼女たちは好みなのだ。
優香ははっきりと明言はしていないが、似たような傾向があることを見抜いていた。
「しかし、日本のエース、ですか。違和感がありますね」
「物凄く馴染んでたからあれだけど、クラウってドイツだもんね。本籍は」
「ええ、……まあ、今年いっぱいだけですけど」
「あれ……、それってまさか」
「はい。転入することを決めました」
クラウディアは技術交流も兼ねた交換留学生である。
当然、期限が設定されていたのだが、彼女は転入を申し入れることで諸々の問題を回避していた。
健輔に勝つ前に学園を去ることなどあり得ないし、彼女はここが己を高みに導くのに最高の環境だと確信を持っている。
優香という好敵手、健輔という宿敵。
そして宗則という師に、武雄という壁、といろいろな者が彼女を成長させてくれた。
来年以降の『天空の焔』の行く末も含めて、去るという選択肢はとっくの昔に消滅していたのだ。
「へー、これからもよろしくな。……来年も負けんよ?」
「それはこちらのセリフです。来年は負けません」
健輔の好戦的な笑みにクラウディアも挑発的な視線を持って応える。
彼女がここに残留を希望した理由の半分は間違いなく正面の男性であった。
向こうにもライバルは残っているが、健輔ほど重要ではない。
良くも悪くも互角の才能、それを認めているからこそどちらが勝ってもおかしくないのだ。
それよりも、確実に負けるだろう試合をひっくり返す男の方に勝ちたかった。
それが残ると決めた理由である。
「ま、その前に今年ぶつかるかもしれんな」
「……そうですね。このままいくならば『明星のかけら』との戦いが分岐点になります」
「なんだ『アマテラス』は諦めたか?」
「……意地悪な人ですね」
立夏の『明星のかけら』に勝利してから勢いにも乗っている『アマテラス』を止められると信じられるほどクラウディアは楽観的ではなかった。
そして、彼女たち『天空の焔』はあることを決意していたのも大きい。
「なんだ、やっぱり棄権するのか?」
「……まだ、決まりではないです。香奈子さんが反対してますし、私もです。でも」
「ほのかさんが反対している、でしょうか? お2人は大丈夫でも他の方にはオーバーワークですよね」
「……その通りです」
ほのかはまだ余裕があるが、チーム内に疲労が蓄積しているのは見過ごせない要素だった。
勝利で誤魔化しているが『アマテラス』に負けて勢いを削がれると一気に崩れる可能性がある。
アマテラスで全力を出して、『明星のかけら』にも勝利するのも目指すか。
それとも――。
クラウディアの深い葛藤を読み取ったのか、健輔たちはそれ以上触れることはなかった。
『クォークオブフェイト』も残り試合数が2つ程になっている。
国内大会、最終局面が近づいてきていた。
盤面は大きく整理されて残りの2席の内、1つは『アマテラス』がほぼ確定している。
ならば、残りの席を取ろう。
状況から考えれば、『天空の焔』メンバーの判断は間違っていない。
『アマテラス』よりは『明星のかけら』の方が組し易いのは事実である。
「難しいものだな」
「……はい、最後まで主張はしますが。チームの決断には従うつもりです」
「笑わんさ。俺たちの時とは状況とかも全然違うからな」
ここで乾坤一擲とばかりに全てを吐き出してしまい、世界で燃え尽きてしまうなら意味がない。
状況判断として間違ってはいなかった。
ただ、美観に沿わない者たちもいるにはいるだろう。
「どっちにしろ。俺たちは待ってるぞ。……頑張れよ」
「はい。そちらも最後まで油断せずに」
「おう」
2人は笑ってお互いに忠告を送り合う。
それを最後に話題は別の物へと切り替わっていくのであった。