第177話
音も立てずに空を走る文字列。
何処にでもあるファミレスチェーンで健輔は緊張した面持ちを見せる。
真剣な瞳で裁定を待つが、喉が渇くのだろう。
頻りに唾を飲み込んでいた。
「ここが……。後は、魔力の性質が創造系だから」
ぶつぶつと呟きながら美咲は作業を進めて行く。
ゴーグル型の術式精査用の機器を掛けた美咲は手渡されたデータに目を走らせていた。
術式はプログラムと似たような部分が多い。
基本は波形なのだが、そこに魔力の質と文字列を追加することで多様な効果を齎すようになっているのだ。
だからこそ、僅かなミスで効果が変わってしまう。
もしもの際の事故を避けるために攻撃術式に関しては最低でも10のチェック機構を通過する必要がある。
そのため、余裕が出来た時期に魔導師たち――学生は大量のデータを追加するのだ。
今回はその前段階、提出するのと同等の基準で美咲のチェックを受けているのだった。
彼女の答えを待つ4人は奇妙な緊張感に包まれている。
「……3、4、5、うん。いいんじゃないかな。ちゃんと出来てると思うよ」
「よしッ!」
「健輔さん、おめでとうございます!」
「美咲はご苦労様でした」
健輔は思わずガッツポーズを取る。
自力で術式を作るのは労力の割に効果は付いてこない。
本職、バックスはそれらの基礎を授業で学ぶが、健輔たち戦闘魔導師は触りだけである。
分業した方が効率が良いのは当たり前なのだが、自力で出来た方が良い場面も多い。
自分にあった物となると自作するのが、1番手っ取り早いのは言うまでもなかった。
「もう、このタイミングで頼まないでよ。急いでやるのって本当はよくないんだからね?」
「わかってるよ。サンキューな」
「調子が良いんだから……」
晩御飯ついでにチェックをお願いしたのだが、美咲が不貞腐れたように抗議する。
本気で怒っているわけではないが、突然の事に驚いたのだろう。
健輔が素直に謝罪すると、納得したのか、あるいは飲み込んだのか。
目尻から力が無くなり、代わりに笑みが浮かんだ。
チェック用のゴーグルを外して、
「まあ、大分丁寧に作れるようになってきたわね。完結性と頑丈性なら私よりも上かも」
「あんまり褒めるなよ。……こう、照れるわ」
「あらら」
美咲は意外なものを見たといた感じでクスッと笑みを零す。
そのまま美咲は自分の隣に視線を送る。
術式のチェックを依頼したのは健輔だけではない。
彼の親友も同時にお願いしていた。
「圭吾くんは相変わらずお手本にしたいぐらいかな」
「そう言ってもらえると嬉しいかな。数少ない誇れる部分だよ」
健輔の術式は頑丈、言い方を変えると硬い部分が多い。
優香は全般的に優秀だが、優秀故のアレンジが入ることがあるため手本にならない。
クラウディアはカッチリし過ぎている。
美咲は高度過ぎてまったく参考にならないとなっている中で圭吾だけは全てが基準値になっていた。
悪い意味ではなくうまく平均を取れる、癖のない術式なのが特徴だった。
優香のように独自に高い効果を探すのもよいが用意された術式はそれこそ何人もの人物がバランスを考えて作ったもののため、特に目的がないのならこれで十分である。
まだ自分色を出す、という領域にない圭吾にとって必要なものは既存の物に既にあったのだ。
「性格が出るわね。こういう術式の構成は」
「私は健輔さんと似ていますし、きっと先輩方もそうなんでしょうね」
健輔とクラウディアが共に頑丈な術式を作るのは近接戦闘を行うためだ。
頑丈な術式は相手の干渉を弾くのに役立つ。
優香は術式構成および制御能力が高いため、干渉出来ないように妨害式などを仕込んであるためそういった小細工は必要ない。
クラウディアも人並み以上には優秀なのだが彼女はこういった方面では冒険しないタイプのため、オーソドックスに術式を頑丈にするのに留めていた。
「健輔は魔導関係の単位は座学でも優秀だね」
「でも、は余計だ。それにな! 俺がアホなんじゃないッ!」
圭吾の薄笑いに文句を付ける。
実際のところ、脳筋、脳筋と言われているが健輔の成績はそこまで悪い訳ではない。
特に魔導関係は十分に優秀と呼べる領域にいた。
ただし、周りと比較しなければ、と頭についてしまうのが玉に瑕である。
「お前らが頭良すぎるんだよッ!」
「そんなこと言われてもね」
「あ、そ、その……」
「健輔さんも十分だと思いますよ? それに理論よりも実践派なのにこれだけ理論的なことも理解出来ているなら問題ないでしょう」
「そうか? それなら……まあ、いいんだけど」
クラウディアの冷静な意見に少しボルテージを下げる。
美咲は座学で学年トップ。
どちらも優秀な優香とクラウディアは上位10名に入っている。
圭吾は健輔よりも実践以外は上。
結果として仲間内で彼が最下位になるという理不尽が待っていた。
試合で活躍してるのだからいいじゃないか、という者もいるがこういうのは理屈ではなく感情の問題なので中々割り切れるものではないのだ。
「先輩たちも普通に優秀だしさ」
「頭悪くても世界は狙えないからね。早奈恵さんとかは戦闘抜きなら1番優秀なんじゃないかな」
術式の改良能力などにも関わってくる以上、アホでは上位チームには入れない。
脳筋はやれるだけのステータスがあるならば問題ないが普通に考えれば世界最上位クラスばかりなのだ。
圧倒的な差があることなど稀である。
無論、例外的な人材もいるにはいるが例外とは普通から外れているからこその例外だった。
そこを常識とするわけにはいかないのである。
「まあ、健輔が私たちに勝てるかは今後の努力次第ね」
「私たちも負けるつもりはないですので」
「あ、わ、私もです」
「はいはい、わかってますよ。冬の合宿もお願いしますってね」
「よろしい」
美咲の偉ぶった返事に膨れるも頼り切っているため、何も言えることがない。
勉強時間も足りないようだ、と遠い世界を思い健輔は溜息を吐く。
元より男女比が3:2なのだ。
こういう場面で男が勝てることは早々ないが既に不利であった
そんな中、1人だけこの場にいた部外者がある単語に反応する。
「冬の合宿、ですか?」
「ん、ああ、そうか。そりゃあ、クラウディアは知らないわな」
「あ、ごめんね。内輪で盛り上がるような事しちゃって」
「いえ、でも、宜しければ教えていただけると嬉しいです」
クラウディアの申し出に対して、特に隠す必要性もない健輔が軽く答える。
「大会終了後に年明けの試験対策をするんだよ。2学期の分もあるから年明けのテストは難しいらしいからね」
「ああ、そう言えばほのかさんが同じことを言っていました」
「で、我がチームではテスト対策その他諸々を兼ねて冬休みに合宿するんだよ」
「合宿と言っても部室に集まるだけですけど」
「なるほど、それは楽しそうですね」
クラウディアは感心したように頷く。
健輔もそのような場でなら多少、勉強も身に入るだろうと思っている。
何より葵がいることが大きいだろう。
真面目にやらなかったら健輔の寿命、下手をしたら生命が天に旅立つことになる。
飴と鞭ならぬ鞭と鞭と言うべき葵の存在だった。
「どうしたんですか?」
優香が微妙に顔を青くしている健輔に気付く。
勉強でサボった時のことを考えて自爆したとは言えず、無難に誤魔化す。
「い、いやなんでもない」
「どうせ、変な事でも考えたんでしょう? 今回は勉強オンリーだから気にしなくても大丈夫よ」
「……俺、夏の勉強合宿もかなり絞られたんだが、それは」
「……あの頃から少しは進歩しなさいよ」
「進歩してるだろ!」
健輔の叫びに美咲はジト目を向ける。
その視線に健輔の勢いは一気に萎んでしまう。
優香が相棒、真由美と葵が師匠ならば美咲は先生である。
術式などもそうだが、健輔のそっち方面に関して彼女が知らないことはほぼないと言っても問題なかった。
「健輔、夏から通常科目はずっと暗記よね? これで成長した、って本当に言えるかしら」
「ぐっ……」
言い訳出来るはずもなかった。
健輔は未だに数学などの通常科目は魔導に物を言わせた暗記戦法なのだ。
天祥学園は魔導の学び舎である。
とはいえ、通常の勉強を一切やらないわけにもいかない。
しかし、本来の目的は魔導を収めることなのだ。
教師も基本的にそちらを優先しているため、仕方がない部分も多いが流石に力押しするぎるのも事実だった。
魔導と通常の勉強、両立させるのは中々に難しいとはいえ放棄して良いものではない。
「すごいね。というか、この時期にもそれをやれるとか実力の無駄使いすぎる……」
「うっさいわ!」
「……健輔さん、その、私ももう少しなんとかした方が良いと思います」
天祥学園では通常科目は信じられない速度で進む。
予習は当たり前、1ヶ月で普通の学校の半年分は進むのだ。
そんな無茶苦茶がやれるのも魔導の恩恵であるのだが、一旦遅れてしまうとどうにもならないという欠点もあった。
魔導の方に力を割きたいのはわかるが無茶すぎるスケジュールである。
そして、健輔はその無茶なスケジュールで進む通常科目のテストで一夜漬け丸暗記という驚くべきアホな方法で乗り越えていた。
実力が上昇したからこそ、出来る芸当だったが優香たちが言うように実力の無駄遣いという表現は的を射ている。
「ふふ、その合宿で遅れを取り戻せば良いと思いますよ」
「……お、おう」
いろいろ言われるのもあれだが正面から激励されるのも微妙な感じであった。
クラウディアが善意で言っているのはわかっているために変な答えを返すわけにもいかない。
答えに窮した健輔は、
「さ、サンキュー」
「いえ、どういたしまして」
そんな2人を他の3人は呆れたように見て、お互いの目を合わせ笑い合うのだった。
爽やかな空気に包まれた朝。
健輔は寮監からある通告を受けていた。
『佐藤さん、体に残留魔力が溜まっています。そろそろ1度浄化することをお勧めします』
「へ?」
昨夜、晩御飯を共にした後、5人は解散した。
圭吾と共に足早に帰宅した健輔は寮に帰ると直ぐにベッドイン。
そのまま夢の世界に旅立っていった。
後は昨日の汚れを含めて綺麗に洗い流そうと早起きをしたのだが、そんなところにいきなり寮監から冷や水を浴びせられる。
「あー、頑張りすぎ?」
『正確には使いすぎです。視力強化をして暗視などを行えるようにするのは結構ですが、休むのも大切な事ですよ』
「……ですよねー。あー、……はい、わかりました」
健輔の今の住居は寮であるため、当然就寝時刻などが定められている。
そこまでガチガチの拘束ではないため、申請さえすれば別に夜更かしも構わないのだが、当たり前のことだが制限回数があった。
夜中に申請をせずに隙を見て、勉強をしていたのだがバッチリとばれていたのだ。
健輔なりに隠蔽を頑張ったのだが、寮監側も慣れたものだった。
高位魔導師の中にはその高い技能を無駄に活かして学校側を欺くものがいる。
過去、学園でも大きく話題になったのは『賢者連合』の夜間学園侵入作戦だろう。
学校側からの依頼、というかセキュリティの安全性確認を行ったのだが、彼らがあっさりと学園を出し抜いてしまったのだ。
このように生徒側も侮れないため、学校側もいろいろと準備している。
健輔は知らないが寮には何故か設置された魔力レーダーや、何と戦うつもりなのか障壁発生装置など設備だけは充実していた。
「うわ……。恥ずかしい」
隠しきれるとは思わなかったが完全にバレているとは思わなかった。
自信が付いてきたことと、日常の1部にすっかり魔導が浸透した故の失敗である。
強くなったことで力は大きくなり、やれることは格段に増えた。
使いたくなる心情は誰にでも理解出来るだろう。
特に健輔は雌伏の期間が長かった。
ひたすらに負け続けた反動もあるにはあった。
「ちゃ、ちゃんと自覚して制御しないとな……。やりすぎは良くないな、うん」
落ち着いたつもりではいけないのだ。
戦闘時は勝手に落ち着いていたがその分の反動が日常生活に来ていた。
自身でも理解しているが日常における健輔は割とポンコツである。
春頃に比べれば十分に成長しているがそこで立ち止まるわけにもいかなかった。
「まあ、とりあえず飯にしよう」
朝から妙に反省するのもあれな感じになる、と頭から先ほどの考えを追い出して朝食を食べに行く。
部屋着から着替えて真っ直ぐに食堂へと向かうと圭吾はそこにはいた。
「おはよう」
「うーす」
「聞いたよ。注意されたらしいね」
「げっ……。まさか」
「こうやって逃げ場をなくすわけだね」
「えげつないな……」
向こうは健康管理も兼ねているので本気の退路遮断であった。
それだけ心配はしてくれているのだろう。
寮監の思いやりに頭痛を感じるが、その思考を追い出す。
過ぎ去ったことをいつまでもグダグダと考えるのは時間の無駄だった。
適当に食事を摂って、1日の時間割を思い浮かべることで無理矢理にでも考えを切り替える。
「あっ、今日は戦闘講義あるじゃん」
「忘れてたの? 珍しいね」
「最近、勉強に追われてたからなー」
「まあ、試合中はどうしてもそっちに気を取られるよね」
健輔も魔導中毒と言ってよい程に練習していたが、11月だけ見るならば圭吾も大概な練習量だった。
和哉の監督がなければ真由美も許可を出さなかっただろう。
それだけやっても『暗黒の盟約』戦では撃墜されたのだから、悔しさも大きかったはずである。
日常生活においては弱音どころか、消沈した姿を見たこともないが内心はいろいろと思うところもあるだろう。
健輔は自分の前では弱い姿を一切見せない親友を誇りに思っていた。
「同感だけど、互いに学生の本分はまっとうしないとな」
「うわ、健輔に言われるのは嫌だね」
「どういう意味だよ」
春からどころか、もうここ数年変わらないやり取りをしながら食事を終えて学校に向かう。
一時の凪、激戦に次ぐ激戦を乗り越えた彼らには風格があった。
しかし、周囲はそんな『クォークオブフェイト』を置いて激突を加速する。
今日だけでも『暗黒の盟約』対『魔導戦隊』、『賢者連合』対『スサノオ』などの試合があったがもっとも注目されているのは週末にある試合だろう。
――『アマテラス』対『明星のかけら』。
事情を知る者にとってはこれ以上ないと言っても過言ではない因縁の対決。
いよいよ、新旧『アマテラス』がぶつかる時が近づいている。
それは同時に世界戦に向かうチームをも決めることになる大きなうねりを生み出すだろう。
争いから1歩引いた位置で健輔たちは事態を静かに見守るのであった。




