第173話
「あれ? 香奈さんだけですか?」
「あらら、健輔じゃん。早いねー。そっちこそ1人なの?」
「はい、珍しいですね。いつもは研究とか言って引き籠っているのに」
「ははっ、先輩にも容赦ないね……。流石、葵の秘蔵っ子」
「……ごめんなさい」
「……うん、いや、私もごめんね? そんなに落ち込むとは思わなかったよ」
サバサバとした様子で香奈は健輔に笑いかける。
『クォークオブフェイト』バックス3人衆の中で健輔ともっとも接点のない存在。
それが獅山香奈である。
話したことはあるし、まったくお世話になっていないわけでもない。
しかし既に半年を超える付き合いの中で未だに壁を感じるのは彼女だけであった。
美咲から話を聞くに多少テンションが高いが聡明な人物であることが窺える。
安定志向の早奈恵、同じく堅実、しかしそれでいて挑戦好きな美咲に対して安定を投げ捨てた最大効率の術式を追い求めるのが彼女だ。
1つの術式に詰め込められるだけの効果を詰め込むのが特徴であり、安定性や使いやすさなど一切考慮しない。
そこを早奈恵が微修正して使いやすくする、までは1工程になっている。
香奈の術式をそのまま使っているのは常に最大を求める葵ぐらいであった。
「およよ? これが気になる?」
「え、あ、いや」
実際は香奈を観察していたのだが熱心な視線に勘違いしたのか、作りかけの術式を指指して彼女は笑う。
常に笑顔が張り付いている印象があるのも健輔が苦手な点だった。
意図してそういう印象を作り上げているような感じがするのだ。
テンションが高く、同時に何を考えているのかわからない。
そう思えと誘導されている感じを壁のように健輔は感じているのかも知れなかった。
「ふふん、こっちじゃないとしたら。――香奈さんかな?」
「ぐっ……な、なんのことですかね?」
「あはははっ! ダメダメ、プライベートの健輔はポンコツだからね。香奈さんを騙すには功夫が足りないよ」
指を振るリアクション付きでのダメ出しである。
最近はマシになったと自負していたが本職からするとまだまだらしい。
健輔は先ほどまでの思案顔から仏頂面へと急速な変化を遂げる。
そういったわかりやすいリアクションが香奈のような他人の反応を操作するのが好きなタイプに受けるのだが、香奈は笑顔のままで忠告するようなことはなかった。
誰だって自分に都合の良い部分はそのままであって欲しいだろう。
香奈は不利益を被るならば注意はするが、元々他人に対して熱心なタイプではない。
典型的な内弁慶、興味がないことには欠片も関与しない研究者気質があった。
「ま、あんまりお話もしてないしね。美咲ちゃん経由でお手伝いはしてるんだけどなー」
「別に他意があったわけじゃないんですけど……」
「わかってるよん。ま、座りなよ。どうせ、真由美さんとかもしばらくは来ないしね」
「し、失礼します」
椅子はいくらでもあるのにわざわざ自分の隣を指定してくる。
厭らしい笑みを浮かべている香奈の思惑に乗らないように、かといって失礼にならないラインを見極めて健輔は正面に座ることにした。
ドヤ顔で見返すが予想通りだったのか。
呆れた視線を送る香奈の姿があった。
「……香奈さん。俺の事嫌いでしょ」
「え、なんで? むしろ好きだよ。私がこのチームに来たのは葵が理由だよ? あの子に似てるんだから嫌うわけないじゃない」
「へ?」
「あ、それも知らないんだ。真由美さん狙いが多かったけど私は違うよん」
チームに入った理由、ついこの間クラスメイトから似たような話題を提供されたがベストなタイミングでの暴露だった。
健輔は一体どういう経緯で先輩たちがこのチーム、『クォークオブフェイト』に入ったのか聞いてみたかったのだ。
健輔がこのチームを選らんだのには大した理由はない。
チームを紹介する簡易的なオリエンテーションがあって、そこで聞いた話が興味深かったこと、後はパンフレットやネットに上がっていた活動記録などに惹かれたのが理由であった。
チームは年間募集であり、面接と実技、最終的にはチーム側の認可を得ることが加入の条件となっている。
春頃の健輔は特に考えず、直感でここに突貫。
気が付けばチーム入りが決まっていて、顔合わせをした練習初日にボコボコにされた記憶が残っている。
次の日も負けじと突撃したら葵にイイ笑顔で殴られたりと大体今と左程変わらない始まりであった。
「真由美さん狙い?」
「ああ、健輔はあれだっけ。世界って聞いてみたいなあれでここに来たよね。真由美さんが嬉しそうに話してたから覚えてるよ」
「え……」
「『あおちゃん並みの逸材だよ』って喜んでたなー。私もこっそりと見たけどよくあのイジメに耐えられたよね」
「イジメ?」
「うん、葵と1対1の模擬戦で殴られ続けるとか、普通はとっとと別のチームに乗り換えるよ。実際に何人か乗り換えたしね」
「あ、やっぱりいたんですね」
「そりゃ、実績はないけどそこそこ有名だからね。勘違いした内部生とかが多かったかな」
健輔の知らない話である。
彼も大きく成長したがあくまでも魔導師としての戦闘力だけの話であり、人間的にはまだまだ発展途上であった。
そういった裏方の苦労などはまだ知らない。
健輔以外のやって来て離れて行った魔導師。
一体、どんな人物だったのか、興味は尽きない。
「そ、ま、来年には君もわかるよ。それよりも私の動機は気にならないの? お姉さん、せっかく開示したのに無反応だと悲しいなー」
「教えてくれるなら教えて欲しいですけど」
「いいよー」
「軽い!?」
「みんながみんな、そんな重い理由があったら嫌じゃない? 私の魔導は楽に気持ち良くが主目的ですよん」
ウィンクも付いた茶目っ気溢れる暴露だった。
普通の男子はときめいたりするのだろうが、健輔はまるで獲物を見つけた肉食動物の前にしているような気分になる。
後輩が妙に引いているのを理解しならが香奈は笑う。
反応が素直というか、わかりやすい人間は彼女の好みであった。
自分にないものというのがよくわかるからである。
「健輔は私があれだ、胡散臭いとか思ってるでしょ?」
「……わかります?」
「まねー。あ、怒ってないよ? 自分でも微妙にわかりにくいって思うしね」
「多重思考の弊害でしたっけ?」
「そそ、私は分割とかが得意なんだけど、ま、この技術の問題点として」
「自分を見失う、とかでしたっけ」
「おー、よく勉強してるね。えらい、えらい」
「ちょ、やめてくださいよッ!」
頭を撫でられて健輔が焦る。
その反応がさらに香奈を楽しませているのだが気付かない。
例え気付いても状況は変わらないのだが。
「し、思考のことについて教えてくださいよ」
「あーはいはい。まずね、私はちょっと、こう、なんていうのかな? 分割思考について天才すぎましてねー」
多重思考、分割思考、ほとんど同じ意味合いだが加えるのと割るぐらいの違いである。
香奈はこれに対する適性が極めて高かった。
深刻な事態にまではならなかったが香奈は常に思考のどこかで俯瞰する己、第3者視点を抱えている。
己はこうだ、そんな自負が彼女にはなかったのだ。
言い方は悪いが人間味が薄い感じが去年の彼女にはあった。
和哉などは薄気味悪いと嫌そうな顔を隠さなかった程である。
「去年の香奈さんはそんな感じの嫌ーな奴だったんだけどね」
「どんな進化ですか……。もう、別人じゃないですか」
「だよねー。いや、葵のグーが顔面に……」
「……良く生きてますね」
「いやー、私もそう思う」
けらけらと愉快そうに笑っているが、葵の拳を良く知っている身からすると笑えない。
脳にダメージを負ったのか、真剣に心配するところである。
「それで今みたいに?」
「ま、いろいろと悟ったというか。現実って俯瞰するようなものじゃないよねーってことですわ。こうやって友情を育んだ私は葵に付いて来た、と」
元は寡黙で世界を舐めているような人間だったとの自己申告を信じるならば、葵のパンチは文字通りで世界を変える1撃だったのだろう。
沈黙美少女が今やこのアッパーマッド魔導師である。
葵はヤバイと思っていたが、その偉業がさらに追加されてしまった。
もっとも、殴られた本人は幸せそうだから問題ないのだろう。
健輔は葵に「私の暴力は良い暴力」とか言われたことがあったが、こんな近くに実例があるとは思っていなかった。
「葵は私とは真逆な人だからね。そこに好かれると言いますか」
「あー、はい。わかりました。……つまるところ」
「そうそう突き抜けたあの感じがビビッと来てね。後はそのまま友達ですよ」
香奈の突き詰めた趣向の根本がわかった。
葵と相性がいいはずである。
冷めた感じの女性を叩き起こすほどの自尊の塊、それが藤田葵だったのだ。
「……俺ってそんなに葵さんに似てます?」
「うん、魂の姉弟レベルだよ。香奈さんは楽しいので問題ないけど」
「うわ……」
葵を追いかけてチームに加入、居心地も良かったため彼女はのびのびとこのチームに尽くすことになる。
話を聞き終えた健輔は裏にあった歴史に微妙に気分になった。
「……胡散臭くなったのは意識して明るくしてるからってことです?」
「そうだねん。ま、キャラ作りって大事でしょ? 別に素はすごく冷めてるってわけじゃないよ? ただ、理想の自分を作るのって楽しくない?」
「思って実行するところが葵さんの親友ですね」
「……褒めても何も出ないよ」
「褒めてないです」
照れながら言う香奈に突っ込みを入れる。
2年生は2年生で真由美たちとはまた違う感じなのがあれであった。
葵を筆頭に微妙にわかりにくいのが2年生たちの特徴である。
真由美たち3年生が真っ直ぐだからこそ、よりそう思うのだろうか。
愉快犯的な部分があり、健輔は頻繁に遊ばれるが、そんな相手でも尊敬すべき部分を備えてはいるのが厄介ばところであり、このチームの特徴である。
12月の頭、まだチームとしての戦いは終わっていないが既に先は見えている中で彼らは取り留めもないことを語り合うのであった。
翌日、授業が空いた時間を見て健輔はある場所へと足を運んでいた。
「人がいっぱいだな」
広大なフィールド全てを見ることが出来るように別の地点の映像を投射する大型結界。
他にも万が一でも観客席に攻撃が飛びこまないように多層式の防護結界を健輔が視認できるだけでも10~20は展開してある。
最新の魔導技術を惜しみなく注ぎ込んだ最新の魔導競技用観戦スタジアム。
普段は見られる側である健輔は久々に味わう見る感覚に戸惑いを覚えていた。
「確かに、それだけこの試合が注目されているのだと思います」
「……そうだろうな。『天空の焔』対『賢者連合』。残存の席争いでも注目の一戦だろうさ」
隣に座る透明感のある美女、出会った頃よりも大人びたように感じるのは健輔の贔屓目だろうか。
春のように余裕のない振る舞いではなく、どこかゆとりのある笑みが清潔感のある少女とよく似合っていた。
優香は冬物らしいコートを着込み、穏やかな笑みを浮かべている。
クラウディアという共通の友人にしてライバルを応援するために今日は2人で会場にやって来ていた。
「さて、優香はどうみるよ」
「……そう、ですね」
優香は何かを考えるように目を閉じる。
彼女は熟慮する時にこういった様子を見せることが多い。
健輔はその集中を邪魔しないように右手で頬を付きながら自分も思考を纏めていた。
健輔たち『クォークオブフェイト』は余程の大ポカをしない限り、世界大会への出場はもはや確定事項である。
問題となるのは残りの2枠。
大本命である『アマテラス』は復帰した桜香の元、相手を確実に撃破して1敗を維持している。
その他のチームもある程度、そこから動いていない。
健闘空しく、『魔導戦隊』が『天空の焔』との戦いに敗北し出場が危うくなるなどの事態は起きているがまだ残りの2枠に入る余地のある強豪は多かった。
そして、最終試合も近い今日を皮切りに残りの有力チームが一気にぶつかっていくことになっていたのだ。
「健輔さん」
「ん? 纏まったか?」
「はい。……現状では『天空の焔』が有利、と判断します」
「その心は?」
「香奈子さんに対する対策を『賢者連合』が示せていませんから」
「ま、順当だな」
これまでで開示された情報から判断すれば限りなく正解に近い予測が可能になる。
既に試合も終盤なのだ。
どこも基本的に切り札を使ってしまっており、露見した札には当然対策が練られる。
しかし、露見した状態でも神通力を失っていないものあった。
香奈子の破壊系を基点とした各種の固有能力はその中でも最たるものである。
遠距離で彼女に優るのは国内でも魔力固有化を発動させた真由美しかいない。
戦いは距離を制した方が強い、という原則から判断すれば『賢者連合』の不利は否めないだろう。
何より、接近したから彼女に勝てるのかと言えばそれは別の話である。
近接戦でならば学園でもトップクラスのクラウディアが前衛にいるのだ。
健輔が見てる前ではあまり成績が振るっていないが、基本的に彼女と相性が悪かった敵が多かっただけで彼女が弱いわけでない。
純粋に格上なため、相性が悪い宗則、全てが隔絶している桜香、いろんな意味でジョーカーの健輔と勝てる人間の方が少ない組み合わせであったのが問題であり、『雷』は未だに他者の追随を許さない強力な能力であった。
エース2人が突出して強いのが『天空の焔』の特徴である。
前衛、後衛とバランスも良くあらゆる局面に柔軟に対処もでき、それでいて単純に強いため攻略困難。
仮に魔導が単純な能力のぶつかり合いならば確実に勝利出来たであろう。
しかし、『天空の焔』にクラウディアと香奈子がいるように『賢者連合』にも彼がいる。
「武雄さんがその程度のことを考えてないなんてあり得んと思うけどな」
「……それは」
「今まで戦ったチームで、『アマテラス』を除けば正しくこっちのチームを追い詰めたのは『賢者連合』だけだよ。それぐらいにはあの人の能力は優れている」
「……しかし、まだ隠し玉がある、と? あの大規模魔導陣は香奈子さんには通用しませんが」
「戦術魔導も使いようじゃないかな。俺ぐらいでも攻撃以外の使い道を思いつくんだ。あの人が気付いてないとかありえんだろ?」
優香も霧島武雄という魔導師が厄介なことはよく知っている。
運も味方して勝利することは出来たが、上級生を根こそぎ連れて行かれたあの試合は薄氷の上での勝利だったのは疑いようもなかった。
「……健輔さんも高く評価してらっしゃるんですね」
「そりゃね。俺はあの人もよりもうまく戦えるようにならないとダメだからな」
「なるほど。では、目的は霧島選手の?」
「いや、もう1つあるよ」
『ご来場の皆様――』
聞こえてきたアナウンスによって会話はそこで途絶える。
己が目指す道の先達たる魔導師。
不利な状況で彼がどのように対応するのか。
健輔はもしかしたらクラウディアの応援よりもそちらを本題として来たのかもしれない。
もしくは――、
「俺と戦った時より、どれだけ強くなったのか。……だな」
――クラウディアの強さを見極めるためだろうか。
直接的に本気で戦ったのは3ヶ月程前になり、鬼ごっこでもかち合わなかった。
さらに最近は宗則に師事しているため、手合せもしていない、
そのため、クラウディアがどれほど強くなったのか、健輔と優香の2人は知らなかった。
「もしかしたら、世界でも戦うかもしれないしな」
「向こうは雪辱戦ですね」
「ああ、きっと面白い戦いになるさ」
何かと縁のある相手である。
それもきっと楽しいに違いない。
好戦的な笑みを浮かべ試合を待つ健輔であった。




