第171話
清水大輔という人間は善人ではないが、さりとて悪人でもない。
積極的に他者を害したいとは思っていないし、そもそも大した理由もなく人を傷つけるのは好みではなかった。
他者から見ても明るく人付き合いのうまい人間であり、欠点をあえて挙げるならば女性に対してうるさいことだろう。
それも年齢を考えれば仕方のない面もあると大人からすれば笑って流す程度のものだった。
それが妙に拗れたのは彼がチームに入ってからだ。
まだ入って1ヶ月にも満たないが彼は抜けたくて仕方がなかった。
1年生がそこそこの人数で作った新規のチームの1つという触れ込みのそこは既存のチームではなく1年生が新しく登録したチームである。
チーム名もまだ正式に決まっていないチームが今更活動を始めたのは大体が大輔と似たような理由だった。
大輔に限らず、女性目当ての男子というのは一定数存在する。
1年生というのは余程やる気に溢れた人物以外はチームに初期から所属することは少ない。
内部生の1部と外部のぶっ飛んだ組の少数が所属するに留まっている。
それが半年も過ぎ、1年の3分の2が経った今になると、急に所属したくなる人間が増えるのだ。
とりあえず魔導を習いに来た。
それこそ大輔のように女子目当てで来たなどと理由はいろいろあるが大した目的のなかったものたちが魔導競技に目を付けるのである。
授業でそこそこ戦えるようになるのもこれを後押しし、言い方は悪いが彼らは増長するのだ。
「悪いな。……健輔」
大輔が入ったのもそんなありがちな経緯で誕生したチームの1つだ。
規模で言うのなら30ちょいと1年生チームでは最大級だろう。
だからこそ、ここに属したと言えるのだが中心人物が不味かった。
彼らこそが優香と美咲に声を掛けていた2名、中井颯太、桜庭陽斗である。
系統は共に身体・創造と割とオーソドックスな系統だが空中機動においてセンスがあったのだろう。
メキメキ伸びてチーム内でエースのような立場に収まる。
ここで仲良しサークル程度だったチームが徐々に彼らを中心とした構図に変化していく。
結果、大輔が健輔ひいては優香たちと面識があるとわかってたため、利用されることになったのだ。
「……でも、なんだろう? 健輔のやつ余裕があるな」
健輔が強いことは知っているが颯太や陽斗も強い。
映像でしか健輔を見たことがないため大輔はチーム最強クラスの強さについてよくわかっていなかった。
そもそも1年生の大半がまだ相手の実力すらも正確に判別できないレベルしかないということを考えれば左程不思議ではない。
授業の相手として呼ばれた『クォークオブフェイト』のメンバーを見ながら不思議がる大輔。
彼の基準が1年の常識である。
だからこそ、残りの2人はほくそ笑んでいたのだ。
優香の前で恥を掻かせてやろう、と。
大輔もそれを知っていたからこそ、些かバツが悪かったのだ。
同時に友人に面倒を掛けてしまったことを悪くも思っていた。
「……わりぃ」
とりあえず、全てが終わったら謝ろう。
大輔が思ったことはそれだけである。
この時、彼は気付かなかったが健輔が負けるとは露とも思わなかった。
もしかしたら無意識化でも力の差を感じていたのかもしれない。
その程度には彼は聡かった。
残りの2人は機動戦の才能はあっても致命的なものが足りていないということを嫌になるほど知ることになる。
「なんだか、あれね。すごくやる気のある男子多くないかしら」
「そう、ですね。戦闘はあまりお好きでない方の方が多かったのに」
男子からということで美咲と優香は地上から健輔たちの戦いを見守る。
既に戦闘授業でやることは分かれてきているため、美咲が直接戦うことはないのだが、バックスとして協力するとばかり思っていたのだ。
それが観戦を指示されてしまい、少し気が抜けてしまっていた。
「それは~ですね~」
「り、里奈先生」
「理由をご存じなんですか?」
「は~い~、簡単ですよ~」
ぼやく2人の背後からニッコリした里奈が声を掛ける。
「簡単、ですか?」
「ええ~麻疹みたいなものですから~」
「は、麻疹ですか?」
美咲の声にニッコリと笑って、
「はい~、佐藤くんに現実を~教えてもらえると思いますよ~」
断言するのであった。
『それでは模擬空戦を開始する。2名入れ』
男性教諭の声に従って並んでいた魔導師が空を飛ぶ。
早速、颯太と陽斗の2人が挑戦するようであった。
嫌な人間を見かけた美咲は露骨に顔を顰める。
彼女の嫌いな人間は大したこともないのに自分に自信がある人間なのだ。
その条件にあの2人はピッタリと当てはまった。
優香は既に記憶にないのか、健輔の方だけを見つめている。
「なるほど、そういうことですか」
「そういうことです~」
「でも、健輔でいいんですか?」
「と言うと~?」
里奈の不思議そうな声に美咲は少しだけ深刻そうな顔を浮かべて、
「戦闘で彼が妥協するとか、あり得ませんよ」
「あらら~? でも~それぐらいは織り込み済みですよ~」
「後、もう1つあります」
「ふむふむ~」
「彼に魔導を仕込んだのは真由美さんですよ? 後は葵さんも、です」
「……あ、あらら?」
美咲の深刻そうな声を肯定するかのように、開始の合図と同時に爆音が響く。
健輔から白い光が放たれて、陽斗を容赦なく飲み込む姿が周囲に示される。
その光景を見て、美咲は里奈の表情に珍しく浮かんだ焦りの色を見逃さなかった。
「手加減、あると思います?」
「あ~、う~ん。でも~佐藤くんくらいに怯えるようなら~チームは入らない方がいいです~」
「それもそうですね」
軟派な男が嫌いな美咲はあっさりとそこを肯定した。
この時点で彼ら、哀れな男たちは健輔に勝利するしか逃げる道が無くなったと言える。
戦闘授業で撃墜、つまりは空から落ちる恐怖はない。
曲りなりにも授業なのだから当然だが、その経験もなしに自分は強いなどいうのが既に思い上がりである。
あの桜香でさえ、初期に落ちているのだ。
誰もが初めは初心者、この言葉の意味を改めて体に刻まれることになるのだった。
彼――中井颯太にとってそれはそこまで大それたことではなかった。
チームとやらで幅を利かして学年1の美少女と仲が良い相手に見せつけるつもり程度だったのだ。
お前がそこにいるのは運が良かっただけだ、と。
実際、空中機動に限る才能ならば彼は健輔に優っていただろう。
逆に言えばそれ以外の全てで負けていたのだが。
「う、うわああああ」
地上ならばへっぴり腰で、と表現できそうな慌てて斬りつけた気合の入っていない斬撃。
桜香との戦いを生き延びた男がそんなものを喰らうはずもなく。
カンッ、と金属にぶつかったような甲高い音を周囲に響かせ、颯太の魔導機は素手で健輔に掴まれる。
「う、え……、す、素手?」
「やり直し」
そのまま颯太を地上に投げ返す。
その際にチラリと男性教師を見てみるがニヤリとした笑みを返されるだけだった。
もっとやれ、と受け取った健輔は遠慮を投げ捨てる。
彼ら2人は前座なのだ。
今の健輔の役目は他の1年生に空中戦の恐ろしさを教えることである。
普通に飛ぶことに慣れたのなら次は恐怖を知らなければならない。
同じことを真由美から叩きこまれたのが健輔である。
己の体に刻まれた方法を忠実にやり返していた。
「ほら、お前も」
「ひっ」
すぐさま魔導砲に飲み込まれた陽斗も既に復帰している。
体にダメージは一切存在しない。
しかし、全てを飲み込む魔導砲撃の恐怖は精神に刻まれていた。
「こんな段階でビビッてどうするよ。俺が実力的に大したことないのは事実だぞ。どうするんだよ、俺以上のやつと戦う時にさ」
「あ…う、うわああああ!」
「良し」
ビビっているが意地で前に出る辺りただのビビりではなかった。
健輔はニヤリと笑う。
先ほどの出来事など彼の脳裏には既に残っていない。
戦いにそういったものは無粋、という葵と似たような武人思考をしている男は誰かに教えるという行為を割と楽しんでいた。
これが傍から見れば完全にただのイジメにしか見えないことを置いておけば中々に微笑ましい光景だろう。
「次、入れ。佐藤、いけるな」
「これぐらいなら別に大丈夫ですよ。増えたら圭吾に回しますし」
「頼もしい限りだな」
誇張でもなんでもなくこの程度の実力なら100人束になろうがどうとでも出来る自信が健輔にはあった。
技量という部分で鬼ごっこから1ヶ月を経てさらに上達した男である。
真由美をして技なら既に3年格と認めるほどだった。
「力が入ってない。もう1回」
「うわああああぁぁぁ」
健輔に受け止められて投げ返される。
離れてチマチマ攻撃すれば砲撃が、逃げ回れば高機動が、相手に回してもっとも嫌なやり方を選択して潰す。
万能系本来の、もっとも強い使い方で健輔は模擬空戦を行う。
もはや試合というよりも蹂躙であったが、本来の役目だけはきっちりと果たしていた。
「お、大輔か」
「け、健輔」
幾度、同級生を投げ飛ばしたか数えていないがどうやら大輔も加わったようだった。
友人だから一切手を抜かないでおこう、と大輔にとっての死刑宣告を健輔は心の中で行う。
ありがた迷惑などというレベルを超えた行動に健輔は出る。
「よし、お前は真面目に戦ってやるか」
「は……え……、い、いや、て、手加減を」
「『陽炎』」
『シルエットモード『葵』発動します』
恐怖の腹パンモードに入った健輔を蒼い顔で見つめる大輔。
友人が実は怒っているのではないかと顔を見るが、そこに怒気はない。
純粋な親切心で相手をボコるつもりなのだ。
ここで大輔は魂から理解した。
あ、こいつ脳筋だ、と。
「よっしゃ、行くか」
気軽な挨拶と共に健輔は容赦のない腹パンを叩きこむ。
それは彼が夏に先輩からプレゼントされたのとまったく同じ角度から入った素晴らしい1撃だった。
友人の1人が幼馴染兼親友に容赦なく叩きのめされるのを圭吾は傍から見つめる。
「まあ、こうなるよね」
自身も教師から回された幾人かを適当に捌きながら圭吾は当たり前の結果だと嘆息する。
葵から聞く限り伝統ということなので問題ないだろうが、健輔が敵を千切っては投げる光景は中々に刺激的だった。
空を飛べる、というレベルの現段階の1年生では空で自在に戦える健輔に触れることすらも困難である。
系統に対する理解も浅く、7年間で学ぶというコースに乗っているだけに過ぎない段階で既に実践のレベルを超過している健輔に勝つのは厳しいを通り越していた。
鬼ごっこの段階で2年生が手も足も出なかったのだ。
1年生ではこの結果も当然だった。
「楽しそうなことで」
向かってくる魔導師たちを相手取る健輔は心底楽しそうであった。
自分の時のことを思いだしているのだろう。
圭吾は基本的に妃里に教えてもらっていたため、普通だったが葵と真由美が初期の担当だった健輔は文字通り地獄を見ている。
それをそのまま再現すれば死屍累々になるのも当たり前だった。
「後で怒られるんじゃないかな」
美咲や優香が居る方向を向いて、圭吾はそんなことを心配するのだった。
「大山先生」
「あ~大浦先生~。その~佐藤くんは~」
里奈は自分の元までやって来た初老の男性教師に弁解しようとする。
例年の恒例行事とはいえ、健輔にボコボコにされた人数が多い。
これでは今後空を飛べなくなる人間もいるかもしれないと里奈は心配していた。
健輔なら大丈夫だと推薦したのは彼女なのだ。
仮に何かあった場合の責任も彼女が取ることになる。
叱責程度はあるだろうと覚悟していたのだが、
「良い生徒を選びましたな」
「え~?」
と予想外のことを言われて里奈は固まってしまった。
そんな年若い女性教師の様子が面白かったのか、男は笑って種明かしをする。
「無茶苦茶をやっているように見えて相手を選んでます。鼻っ柱の強いやつにはより大きな恐怖を、多少気が弱いのには投げ技を、と言った具合に。先生は後衛でしたからわかりづらいでしょうがね」
「そうなんですか~」
「これでも黎明期の魔導師です。若造の動きを見抜くぐらいなら訳はないですよ」
実際に魔導開発初期の人材である彼は経験では里奈を2倍しても足らないレベルである。
本当ならもう少し上の立場に居てもおかしくないのだが、威厳のある男性教師が不足している現場を補うために今の地位に留まっているのだ。
里奈もその立派な姿勢を尊敬している。
彼女が学生だったときも教師をやっていたのだ。
魔導に欠けているベテランの教師という貴重な存在だった。
「佐藤くんの~やり方に問題はないのですか~?」
「ええ、あれぐらいでちょうど良いでしょう。動機はなんであれ、ここに半年も居れば負けず嫌いに染まるものですよ」
「あらら~」
実際、健輔にホイホイ投げられてた連中も連携などを覚えたのかあの手この手で健輔に立ち向かう。
それを笑いながらいなして健輔は楽しそうにしていた。
「……なるほど、あいつには『万能系』がぴったりですな」
「先生?」
「いえ、良い若者です。やはりこの学園は楽しい」
「そうですね~。みんないい子です~」
もはや授業の体をほとんどなしていない光景を教師たちは笑って見守る。
毎年、流れに任せてうまくいくのが常であるのだ。
結局のところ負けず嫌いばかりが揃っている場所のため、憤りなどが正しい方向に向かえば特に心配する必要はなかった。
「あの中から来年、活躍する生徒も出るでしょう」
「そうですね~」
「我が校が世界を取る日もくるかもしれませんね」
「大丈夫ですよ~。真由美ちゃんも桜香ちゃんもいい子ですから~」
のんびりした里奈の物言いに苦笑しながら魔導の歴史と共にここまで来た教師は嬉しそうに笑う。
魔導の始まり、此処に来るまで決して楽な道のりではなかった。
人に作用する技術であり、同時に規格外の暴力でもある。
その力を安全に、生活に役立てるために犠牲となった人間も確かにいるのだ。
彼も友人を亡くしたことがある。
それでも彼らの努力で今の若者が魔導を正しく学べているとしたら、犠牲には意味があったと信じることが出来た。
「まったく、歳を取ると涙腺が緩くなる」
『魔導においてもっとも重要なものは努力です』、今では当たり前の言葉。
それを伝えてきた意味もあったのだろう。
あそこに張り切って暴れ回る弱いとされた系統の魔導師がいるのだから。
世界戦という嵐に向かう凪の中で、健輔たちは知らないところで何かを託される。
学園の代表になるということは、そういう事でもあった。
楽しそうに戦う健輔はそんな事など知らずに己の役目を完遂する。
授業が終わるまでこの小さな祭りは続くのだった。