第170話
ノートに鉛筆が走る音が静かな教室に響く。
教師が黒板を模したスクリーンに魔導式を書き込み、解説を行う声をBGMに健輔は夢の世界へと旅立とうとしていた。
「……眠い」
世界戦への出場が決まった。
まだ、確定というわけではないがここからは余程大きなミスをしなければ問題なく勝てるチームばかりである。
油断はしないが実力的にどうこう出来るチームは存在していないのだ。
既に決まったものとして騒いでしまうのも仕方はないだろう。
特に健輔は遠足に向かう小学生の如くベッドの上で世界での自分の活躍を妄想してゴロゴロしていた。
誰かに見られていたら悶死ものの行動だが、幸いにも彼の奇行を知るものは表面上おらず今日も普通に登校している。
そんなこんなで寝不足な健輔は授業で眠りに就こうとしていた。
真由美から魔導を封印されているため、魔力での無理矢理な覚醒も無理なため大人しく眠るしかないと自分を慰めていたのだが、
「佐藤、お疲れのようだな」
「へ……?」
太い男の声が彼を現実に引き戻す。
半分寝ているような脳だったが危機にはある程度活動するらしく、その『声』が届く前に健輔は意識を正常化させた。
「お、大浦先生」
「ああ、今は魔導式の授業なんだが……なんだ? 俺の授業は詰まらんか」
「い、いえ、そんなことはないです」
「ほぉ、あれほど眠そうに船を漕いでいたのにか?」
「せ、生理現象なんで許して欲しいなー、なんて……」
威圧感のありすぎる男性教師の笑顔に引き攣った笑みで健輔は応対する。
担任の里奈と違って優しくて良い先生ではなく、厳しくて良い先生の男性教諭はいろいろと健輔の苦手なタイプだった。
葵と同類の感じがして逆らおうとする気力が湧いてこないのだ。
健輔の脳裏に葵のよくわからない肉体説法の数々が思い浮かぶ。
葵のクラス担任教師らしく彼女が良い先生と言っていたことがあり、その日以来この先生も脳筋ではないのかという疑惑を抱えている。
「……ふむ」
「はは……」
笑って誤魔化すが、騙されてくれるような人物には見えない。
これは戦闘訓練でも個人的に課されるか、と健輔が思っていると、
「まあ、いいだろう。今回は世界への道に免じて許してやる」
「あ、ありが――「ただし!」え……」
「ただし、1つ付け加えておこう」
「は、はい」
「授業は真面目に受けろ!」
怒鳴り声を上げて教師は何かしらの式を起動する。
効果はわからないが嫌な予感がした健輔は咄嗟に妨害のために体が動き、
「見事な干渉術式だが、罰に抵抗してどうする」
「ぐっ」
「……昨日の今日だ、今回は大目に見てやろう。まったく……」
と呆れたような視線を向けられることになる。
健輔とて好きで眠くなったわけではないのだが、そんなことを言ったら雷が落ちるのは確定だろう。
そこまで迂闊ではなかった。
「実践に傾倒するのも構わんが理論もしっかりと収めろ。少なくともお前は我が校の代表の一員になるかもしれんのだからな」
「う、うっす」
「はい、だろう?」
「はい……」
クスクスと笑う周囲の声に恥ずかしくなるが己の不始末である以上文句も言えなかった。
大きな溜息を吐いて今度こそ授業に集中する。
そんな健輔の様子を教師は静かに観察していたのだった。
「えらい目にあった」
「健輔の自爆じゃないか」
授業が終わって力を抜いていると圭吾が愚痴に反応する。
言われるまでもなく自覚していることではあったが他人に言われるとそれでもイラつくのは何故だろうか。
ここで圭吾に八つ当たりするのはカッコ悪いため怒りを抑えて飲み込んでおく。
「わかってるよ。ったく、寄って集ってさ」
「戦闘の時ぐらい頼りがいあるなら考えるけどね」
「うっさいわ」
自分でも戦っている時は頭が冴えていると思う。
他人から見るとより顕著になっているらしいが健輔にはわからないのだ。
戦闘時の己が頼もしい、という感覚だけは永遠に共有できないだろう。
それこそ、健輔がもう1人でもいない限りは不可能な所業だった。
クローンだの、なんだのは魔導でも普通に禁止技術であるし、何より仮に作るとしてももっとマシな魔導師はいくらでも存在している。
健輔が選ばれることだけはない。
「とりあえず、次の授業に行きますか」
「そうだね。戦闘カリキュラムだっけ」
「そうそう」
次の授業は里奈が担当する戦闘カリキュラムの授業である。
既に11月も終わり12月に入ろうとしているため、授業の方の戦闘も段々と高度化してきていた。
空中機動戦などの実習も入ってきたのには驚いたがそれが日常である健輔は難なくクリアしている。
6月の時に、鬼ごっこで趣旨を理解しろと言って怒られた彼らはもういなかった。
1年生でも最高レベルの能力を存分に駆使して授業に受けている。
「さてと、優香たちと合流だな」
「連絡はしておいたから多分向こうで待ってるんじゃないかな」
「そっか、じゃあ待たせないように急ごう」
戦闘実習では魔導機を用いるわけだが専用機を持っている健輔はあまり準備というものが必要ない。
魔導スーツを着込むこと以外の基本的なことは全て『陽炎』がやってくれるためだ。
圭吾はまだカスタム仕様の魔導機のため健輔ほど便利ではなかったが学校支給のものよりは余程よかった。
1部の生徒の中では差別されているように感じている者もいるらしいが、これはどちらかと言えば区別だろう。
実力のステージが違うのだから、用いる物も必然良い物となる。
健輔の場合は特殊な系統も絡んでの待遇だが、努力を怠ったことは1度もない。
分不相応な相棒だと健輔が1番思っていた。
何せ、里奈に聞いたところ学園の魔導機の中でも5本の指に入る性能、とのことだ。
健輔でも流石に少しは萎縮する。
相棒に相応しくあろうという思いも、健輔がここまでこれた原動力の1つなのだ。
魔導機に頼っている、などという風評を流されないように常に彼は全力である。
「よっしゃ、今日も頑張るか」
そんな風にいつもの如く、気合を入れて授業に行こうとすると、
「な、なあ、健輔」
クラスメイトの清水大輔から声を掛けられる、
「うん? なんだよ、大輔」
「なんだよって、次は一緒の授業だろう? お、俺も一緒でもいいか?」
「あー、そういや、そうだったな。うんじゃあ、一緒に行こう」
「そ、そうか。悪いな」
バツの悪そうな表情を浮かべて大輔はそそくさと先を急ぐ。
一緒に行こう、声を掛けたのはあちらなのに何故かあまり乗り気ではないように見える。
大輔の普段の様子からは考えられない態度に健輔は首を少し傾げた。
「なんだ、あれ」
「……ふーん、大輔ってどこのチームだったっけ?」
「へ? どこだったかな? 今回出てるかもわからんけど」
圭吾の問いかけに曖昧に返事を返す。
この間の大輔曰く、モテ談義から彼はどこぞのチームに所属したと聞いていた。
その話題が今出る理由がわからなかったのだ。
「この時期だったからかな……。大輔も運が悪いね」
「……どういうことだよ?」
「勘違いが増えるってことさ。大体この後の世界戦で消えるけどね」
「は、はあ」
「ま、直ぐにわかるよ」
圭吾は意味深な含み笑いを浮かべていた。
健輔が大輔の行動について理解を示すのは優香たちと合流してからである。
自分を取り巻く環境の変化に気付かない戦闘以外では割とポンコツな健輔はこの後に起こった出来事を振り返った時にこう言うのだった。
――マジであんなのいるんだな、と。
季節は12月。
この時期の風物詩の1つに1年生チームの大量増殖がある。
それまで戦闘を敬遠していた、もしくは本腰を入れていなかったものが自分の実力を知り調子に乗り始めるのだ。
天祥学園ではチームに所属していない場合は個人的な知り合いでもいない限り、上級生と触れ合う機会はそこまで多くない。
また、既に伝統になっているのか上級生たちも1年生で勘違いしているものに対して、何も言わないのであった。
それが結果としてより芳ばしい者たちを増やしているのだが、そのような事情までは健輔は知らない。
彼はただ、売られた喧嘩を買うだけであった。
「なんだあれ?」
健輔がまったりした感じで合流場所に行くと、そこには先を急いだ大輔が居た。
別にそこまでは問題ないのだが何やら見覚えのないおまけが2名付いている。
強化した視力でわかるのは相手の顔がそこそこ良いということだろうか。
知り合いの記憶を当たってみるもヒットすることはない。
優香の冷めた表情から見ても向こうの友人というわけではないはずである。
大輔が申し訳なさそうに小さくなっているのが印象的だった。
「うわ、予想以上にひどい……」
「……ああ、もしかしてそういうことなの?」
「うん、美咲ちゃんがそろそろキレそうだし先を急ごうか」
美咲の顔が殺す笑みになってきているのにまったく気付かないのか、見覚えのない男2名はペラペラと喋り続けている。
無知とはすごいな、と健輔が感心していると向こうもこちらを見つけたのだろう。
優香がホッとしたような顔でその場から逃げ出してくる。
「健輔さん」
「おう、悪いな。まさか、あんな人間がこの世に本当にいるとは思わなかったわ」
「えーと、その」
「気にすんなよ。多分、俺当てだろう? あれって」
「だろうね。万能系は弱いので有名だから」
表面上の情報だけならいくらでも情報を集められる。
国内で同じ学校なら猶のことだが、それで全てを判断するアグレッシブなアホがいるとは健輔の予想を大きく上回る事態であった。
12月は妙に勘違いする奴が出ると葵から言われていたが実際に前に来られると逆に感動する。
「美咲、すまん」
「いいよ。では、チームメンバーが来たのでここで」
「あっ、ちょっと」
「……おい、空気読めよ」
美咲がその場を立ち去り、圭吾や優香の方へと行く。
その場には謎の男2名と健輔と大輔が残されることとなる。
美咲がいなくなった途端に凄みを出しているのだろうか、睨みつける男Aに大した感慨も抱かずに用件を問う。
「じゃあな、大輔。こっちは気にしてないから早めに辞めておけよ」
「あ、ああ、すまん健輔」
「おい、無視かよッ!」
「はいはい、じゃあな」
そもそも結果の見えている勝負など詰まらないことこの上ない。
魔導を使おうが使わなかろうが健輔は戦闘ならば早々劣るものではないのだ。
チンピラにすら達しない男たちの凄みでは欠片もビビることが出来ない。
視界を埋め尽くす真紅の暴虐や容赦のない腹パンの方が余程怖かった。
ましてや授業がもうすぐあるのだ。
こんなのと関わるよりもそっちの方が優先なのは当たり前である。
背後で健輔の背中を睨みつける2名を放置して、健輔は歩みを進めていく。
そんな健輔を男2人は口元に笑みを浮かべて見送るのだった。
「は~い~、皆さん~準備は~いいですかね~」
間延びした可愛らしい声。
大山里奈のマイペースな喋り方は今日は健在であった。
授業の前の出来事で微妙に不機嫌な美咲に健輔が頭を下げるという事があったが、何とか、彼ら『クォークオブフェイト』の4名は普段通りに授業を受けていた。
今日は里奈だけでなく先ほどの授業を担当していた男性教師もサブとして付いている。
それ以外にも妙に教師の人数が多い感じがするのは気のせいだろうか。
「なんだ? 人が多い。それに……」
里奈が説明をしている最中も妙にこちらへ意識を向けている人間が多い感じがする。
試合中における敵側の監視と同じ感覚。
おそらくだが、探索術式などが普段よりも多いのだろう。
あまり試合に出ていないのならば感じれないだろうが、第一線でバンバン戦闘している健輔にはハッキリと感じられた。
「圭吾」
「これが葵さんの言っていた年末の催し物、じゃないのかな?」
「うわぁ……最悪だな」
年末の催し物。
言葉は軽いが内容は軽くない。
この時期になると1年生でチームに所属していないもの、所属はしているがあまり強くないチームに所属するもので勘違いする人間が出てくるのだ。
つまり、自分は強いんじゃないか、ということである。
空中機動や系統の特性を掴み、飛躍的に伸びる時期だからこそ起こる問題だった。
健輔も夏の手前の戦闘授業で似たような事を患ったことがある。
直ぐに先輩たちにボコボコにされたことで矯正されたが。
あれが無ければもしかしたら思い上がったままだったかもしれない。
「重症だな」
「……大輔の話によると、こう、あれらしいからね、僕らの代はさ」
女子が強すぎる弊害で男がモテない。
大輔から聞いたことはあったがこんなところでそれを知ることになるのは悲しかった。
「男子、必死すぎだろ……」
「ま、まあ……思春期的には死活問題じゃないかな。本土と切り離されてるのもあると思うよ」
校内でモテない場合、実質的にこの島全体でモテないという悲劇が待っている。
ある意味で閉鎖されたコミュニティのためこういった情報の共有は早いのだ。
一発逆転を狙って健輔を狙うのも納得できる世知辛い理由がそこにはあった。
「……やる気が削がれる」
「頑張って。大体、この時期に実習があるのはチームの主力との差をわからせるのもあるみたいだしね」
「この学園真っ黒すぎやしませんか?」
「そこは今更でしょう?」
息抜きも狙いとしてあるのだろう。
チームに所属していない、もしくは大会に出ていない学生はあまり全力で暴れる機会がない。
未熟とはいえ超人的な能力はあるのだ。
自分の身を傷つけないレベルに来れば使いたくなるものだった。
全力で暴れさせて、その上で身の程を理解させる。
チームの前線で活躍する魔導師と明確に実力差も生まれている時期なのも狙っているのだろう。
学校の意図を悟って微妙にブルーな気持ちになる。
「こんなことで同級生を沈めるとか悲しいわ」
「向こうは健輔に勝てばバラ色の学生生活なんだし、いいんじゃない? 報酬的には十分でしょう」
「俺に勝ってもそんな簡単にバラ色にならないだろう?」
「クラウディアさんには好かれる、かも?」
「なんであいつがそこで出るよ」
里奈がルールの説明を終えて注意事項へと話を移す。
圭吾と話しながらも意識の1部はきちんとそちらに向けていた。
大凡通常の試合と差がない。
違う部分はライフがなく教師の判断による撃墜判定になっているぐらいだろう。
教師を増員したのはそのためだと思わせる小細工である。
裏側が透けて見えると学園が腹黒すぎてやばかった。
「やるからには負けるつもりないけどな」
「毎年の恒例行事らしいし、派手に行けばいいんじゃないかな」
「ちなみに今までのは?」
「3年生の時は武雄さんと宗則さんと健二さんが居たらしいから、こう悲惨なことに」
「今の男子が女子に勝てないのってその3人のせいじゃない?」
「……」
「そこは否定して欲しかった」
自分たちをボロボロにした男のエースをボコボコにする女子のエースと付き合いたいなどという猛者は少数派だろう。
今の男女のヒエラルキーになった一端を知ってしまったようでさらにテンションが下降する健輔であった。
「え~と『クォークオブフェイト』の皆さん~」
「呼んでるみたいだよ」
「行くか。美咲、優香」
「わかってるわよ」
「了解です」
里奈の呼び声に答えて4人は前に出る。
戦闘カリキュラムの空中機動戦実習、そのために有力なチームとして選抜されるのだろう。
結果として多くのチーム、もしくは所属外の魔導師と戦うことになる。
「少しでも楽しめればいいんだけど」
「あなた、その戦闘思考を少しは収めさないよ……」
「や、無理」
「……優香はこうならないでね」
「え、は、はい」
余裕ある態度で彼らは前に出る。
未だにチームで戦うということに実感のない1年生にベテラン級の魔導師の実力を教え込む大事な役目であった。
結局のところ、授業内容も戦闘カリキュラムは妙に脳筋染みたところがあるのを考えると葵が優等生であることに納得がいく。
これから因縁を吹っ掛けられる立場だと言うのに健輔は呑気にそんなことを考えていたのであった。