第147話
11月も半ばを過ぎて肌寒い季節となってきた。
装いは冬へと変わりゆき街も徐々にクリスマスなどのイベントを意識したものへと変わり始める。
そんな中、佐藤健輔は完全に季節感を逆行した装いで登校していた。
袖のないシャツに薄い生地、ズボンも冬物ではなく夏の風通しがよい素材とどこからどのように見ても真夏の装いである。
仮に日本本土でやったならば浮くどころではない恰好だったが周囲の生徒は健輔の顔を見た後に納得したように頷くと特に気にした様子を見せなかった。
例外なのは共に登校してきた圭吾ぐらいのものである。
「……こう、見てるだけ寒くなるんだけど本当に大丈夫なの?」
「仕方ないだろうが! 術式の制御練習の時間が取れなくなるから仕方なくやってるんだよ!!」
「定期テストの事をスッカリ忘却の彼方にするのも僕はどうかと思うよ。仕方ないから日常でもなんとかしようとしてそれとはね」
呆れたような親友の視線を睨み返す。
健輔とてこのような姿は不本意なのだ。
冬服の群れの中で夏服がいるなど不自然極まりない。
それでも、少なくない時間を捻り出すためにはこうするしかなかったのだ。
「クソ、テストのやつめ。何度俺の前に立ち塞がるんだ」
「多分卒業するまでずっとじゃないかな」
「真面目にツッコむなよ! 虚しくなるだろうがッ!」
「健輔、試合の時みたいに現実を直視しないとダメだよ」
「生暖かい視線で俺を見るなああ!!」
学園最強の魔導師『不滅の太陽』――九条桜香を打倒し、この間の試合において『賢者連合』の『盤上の指揮者』を知恵で打ち破ったものもテストには勝てない。
そう考えるとやはり学校最強の存在は教師なのかしれなかった。
試合の熱量もどこへやら、今日も学び舎は静かに其処へ佇んでいる。
「それでそんな愉快な恰好になってるんだ。……ねえ、健輔。あんたのそのアホなのか、賢いのかよくわからないところなんとかならないの? 優香もそう思うでしょ?」
「わ、私は別に……そ、その夏服は似合ってると思いますよ?」
「ああ、うん。ごめんなさい、聞いた私がバカだったわ」
昼休み、季節感を間違えた真夏の男に辛辣な物言いの美咲がいた。
同意を求められた優香は困った表情で健輔のフォローに回る。
却ってそうされる方が肩身が狭くなるのだが、健輔は無言で耐えていた。
この程度、夏服での登校を考えた時点で織り込み済みなのだ。
『陽炎』に頼んだシミュレーションにより、反論する準備は万全である。
「ちゃんと理由があるんだからいいだろうよ」
「それも圭吾君から聞いたわよ。なんで、そこで夏服なのよ」
「だから」
「練習、でしょう? そんなことしなくても普通に負荷術式をかけるとか、それこそ冬服で快適に過ごすとかあるでしょうに」
「あ……」
「やっぱり……」
健輔のうっかりに美咲は頭痛に耐えるかのように額を押さえる。
優秀な発想力も明後日の方向に向かえば能力の無駄使いと何ら変わらない。
事前にテスト勉強をしようとするだけ夏よりも大きく進歩しているが踏み外す方向性も大きく逸脱していた。
仮にも学園最強を打倒した3名の1人がこれでは下手をすれば学校の名誉が損なわれかねないだろう。
「はぁぁ……。圭吾君も恋に全力だし、この子たちは本当にもう……」
「美咲?」
「え、ああ、ごめんね。何か言った?」
「ううん、さっきから頭が痛そうだったから大丈夫かなって」
「……ありがと。優香は名前の通りに優しいね」
「そ、そうかな? ありがとう、褒めてくれて嬉しいよ」
そう言って微笑む優香に美咲は何も言えなくなる。
泣く子には勝てないとよく言われるがそこに追加して欲しいものだ。
天然ものにも勝てない、と。
親友の行く末を母親にように心配しながら彼女がご執心のアホに視線を送る。
「な、なんだよ」
「……勉強も術式制御も私が見て上げるわよ。そうね、ちょうどよく知り合いの女の子たちで勉強会を開こうと思ってたの。――あなたも参加しなさい」
「うえい!? ちょ、なんで」
「借りがいっぱいあるでしょ? ここらで1つ男気を見せてもらいましょうか」
「うげ、マジかよ」
美咲にそう言われてしまえば健輔には何も言えない。
こうして健輔は何故か女子の勉強合宿に強制参加させられることになるのだった。
脇で少し嬉しそうにしている優香に気付かず健輔はこの世の終わりのような顔を作る。
三者三様の心境を描きながら、その日は恙なく1日を終えるのだった。
学園に用意された一角に剣道道場がある。
普通の部活が行われない天祥学園で何故こんなものがあるかと言えば、授業で用いるからだ。
通常の格闘技を覚えておくことは決して魔導師戦においても無駄にはならない。
主に使用するのは中等部だが大学部ではサークル活動が許可されているため、魔導を用いない運動などで使われたりしていた。
今日は授業も大きなサークルの活動もないのかそこそこ広い道場は閑散としており、人の姿はまばらである。
男女含めて数人の姿がある程度で全員が竹刀を持たずに座禅を組んでいた。
彼らは剣道をしに来たのではなく精神を集中させる場として道場を選んできたものたちである。
その中に一際存在感を放つ金の少女の姿もあった。
和風な道場にいるのにこれ以上ないほど空気とマッチングしている少女は何をするでもなくひたすら瞑想を続けている。
それを見守る1人の男。
彼は僅かに目を細めてこれから起こることに期待しているような、そんな不敵な笑みを見せていた。
そのまま静かな時間が流れ去り、2、3分程した時だろうか。
バチッ、バチッ、と何かが弾け飛ぶような音が周囲に響き渡る。
それからさらに3分程待つと今度は少女周りを激しい音を立てながら電気が、いや『雷』がオーラのように噴き出し始めたのだ。
「そこまでだ。やめろ、クラウディア」
「はい」
それを見た男性が少女――クラウディアに制止を命ずる。
『暗黒の盟約』のリーダーにして学園最強の男性魔導師――宮島宗則。
イベントでの約束通り、彼はクラウディアに自分が持つ技術を教えていたのだ。
健輔とはまた違った形の関係であり、双方最低限の干渉しか相手に行わない。
そんな冷めた関係に見える2人は真剣な表情で意見を交わしていた。
「ふむ、これで大分基礎は出来たみたいだな」
「ありがとうございます。こんなやり方があるとは……」
「創造系の基本だ。と、言いたいが普通は瞑想から入るのはいないな」
宗則の練習は健輔のような体に叩き込むものではなく精神的な修養が多かった。
例えば、瞑想であり、座禅でありと伝統的な精神修養ばかりである。
宗則の実家が寺なこともあり中々に本格的なものとなっていた。
もっとも、彼がこの修行で重要視しているのは悟りを開くためではない。
過程にあるもの、心を無にする、という事に重きを置いていた。
「イメージ次第で創造系はどんなものにもなる。当たり前のことでしたが、私はそこまで詰め切れてなかったですね」
「変換系は最初からフィルターを通すようなものだ。汎用性は失ったが自然の形である限り、どんなものでも生み出せるだろうさ。そこを削ったらわざわざ新しい系統として独立させる意味がなくなる」
「そのためにまずは鮮明なイメージを焼き付けるのが大事、ですよね?」
「基本形がないと応用など不可能だよ。特に『風』なんてものは捉えどころがないものだしな」
このイメージ修行の大事なところは何も本物を焼き付ける必要はないということだ。
宗則は『風』の使い手だが彼の『風』は自然現象としての『風』から考えれば不自然な部分が多い。
想像上の物を魔力で実体化しているのだから当たり前といえば、当たり前なのだが宗則はこの性質に目を付けた。
つまり、創造系というのは正しくある必要はないのだということに気付いたのだ。
正しいものはイメージの補佐に役立つが、同時に現実という壁に阻まれる。
出来るはずがない、と思ってしまえばそこに壁が生まれてしまうのだ。
ならばいっその事、都合の良いイメージで生み出してしまえば良いとある種の開き直りをすることになる。
その結果として彼は理想の『風』を手に入れたのだ。
勿論、これは言うほど容易いことではない。
あり得ないとわかっているものを心の底から信じろ、と言っているのに等しいことなのだ。
例えば良くも悪くも割り切りが良い健輔はこの手の事は無理である。
出来ないから別の手段で、と思ってしまう以上これを実践することは出来ない。
その点、クラウディアは優秀だと言えるだろう。
あり得ないことを自分なら出来ると強く信じることが出来るのだから。
「創造系は芸術家肌のやつが強いと言われているが、それはイメージが強固だからだ。お前たちの世代だとアメリカのヴィエラ・ラッセル、そして『ヴァルキュリア』の」
「イリーネ、ですか」
「そうだ。欧州最高峰たる脅威の『水』の使い手、良く知っている相手だろう?」
「……そうですね」
宗則の揶揄めいた問いにクラウディアは沈黙で返す。
そこには何人も触れさせないという彼女の強い意志があった。
彼女が日本にいる理由、そこに強く関係する親友との間柄をホイホイと語るつもりがなかったのだ。
「……まあ、いいさ。咀嚼出来ているのならば言うことはない。『天空の焔』が世界戦にいけるからはわからないが出来るだけのことはしてやるさ」
「ありがとうございます。しかし、変わっていますね」
「何がだ?」
「師事をして下さる理由ですよ。『俺たちはもう終わっている』でしたか? 『暗黒の盟約』はまだまだ世界を狙える位置にいると思うのですが」
「いろいろと事情はあるし、諦めたつもりはないがな……ま、男にもいろいろあるのさ」
クラウディアが知っている『暗黒の盟約』の内情とこのリーダー像が一致しない。
何か独自の考えがあることはわかるがまるで世界に行くことを諦めているように見えるのは何故なのだろうか。
もっとも、クラウディアはそこから踏み込もうとは思わなかった。
誰だって知られたくないことの1つや2つはあるものだ。
不用意に心を踏み荒らそうとするのは騎士たるものがすることではない、と彼女は信じている。
「では、続きをお願いします」
「ああ、次は先ほどの容量で――」
着実に1歩ずつクラウディアは歩みを進める。
敗戦が目立とうとも彼女にも確かな実力があるのだ。
心が折れなければいくらでも這い上がれるチャンスは転がっていた。
『雷光の戦乙女』、この名に恥じぬ美しさで彼女は駆け抜ける。
愚直なまでに真っ直ぐな視線と心で。
重苦しくギスギスとした空気で満ちている1室。
ここは天祥学園が誇る3貴子が1つ古豪『スサノオ』の部室だ。
多くのチームはその成立過程から考えても仲が良く和気藹々としていることが多い。
その数少ない例外がここである。
少数精鋭の実力主義、ストイックな集団である彼らに馴合いはない。
ある意味で軍隊染みたチームであり、上下関係はかなり強い。
女子禁制になり男性だけとなったことに容易に納得出来るチームである。
「リーダー、チームのエースとして何か言うことはないのか」
「……何がだ? 今日の試合でも俺は相手を粉砕したが」
「格下などどうでもいいだろう。……問題は格上だよ」
「何が言いたい?」
「手を抜かれていた気分はどうだい? 君の言うところの妹に、だ」
「貴様ぁ、リーダーにその暴言、覚悟出来ているのかッ!!」
「うるさいぞ、健二」
「なっ……」
チームが険悪な空気に包まれているのはこの間の試合、『クォークオブフェイト』対『賢者連合』が原因である。
鬼ごっこにおいて九条優香と激突した健二は大したことがない魔導師だと報告していた。
それが蓋を開けてみれば疑いようもないエースとしての実力を見せつけていたのだ。
年齢による上下関係の固定などと古臭いが日本的な面も目立つ『スサノオ』だがもっとも重視されるのは実力である。
このチームは信義などよりも結果を重視するのだ。
その点、健二は完全に落第であった。
実力はあるがそれを発揮しきれていない。
選民思想、エリート染みた優越感が抜けないせいでくだらない敗北を喫することが多い。
『天空の焔』に負けたのは痛恨の事態としか言いようがなかった。
優勝争いから完全にフェードアウトしてしまった最大の原因があれである。
チーム内に溜まった不満は流石に隠せない領域まで来ていた。
同級生ですら健二に異議を申し出るのだから来るところまで来たというべきだろう。
「お前はリーダーでエースだ。それは誰もが認めている。だがな、その侮りはなんとかならないのか!!」
「侮りなど、ないッ! 正当な評価を下しただけだ! 妹など相手にもならん。あのチームは『凶星』にのみ注意しておけばいいッ! 一体どこが間違っている!!」
「全てだよッ! 脳味噌湧いてるのかッ! 『蒼い閃光』の近接格闘能力で数が増えてみろよ、こっちは半壊するぞ!」
「それは貴様らの修練が――」
「てめえも勝てないだろうがッ! 手を抜いてた妹すら仕留めきれなかったやつがアホを抜かすなよッ!」
チーム内に亀裂が入ってしまったのは出だしから躓いてしまったからだ。
何より彼らは『アマテラス』と比べ続けられてきた。
卒業した先輩たちから掛かるプレッシャーも大きいものである。
正しく体育会系の負の側面が出るようになってしまったというべきか。
強かった時はあらゆる面がうまく循環していたのだが、一旦転落を始めると後は早かった。
上位10名に名を連ねることすら出来ないエースを抱えて決死に喰らい付いたが6年間に渡って世界戦への出場は出来ていない。
「……これは今日も纏まらないな」
「飯島さん……」
サブリーダーは後輩の心配そうな視線い笑い返して、安心させようと努力するも不安な表情は消えない。
『クォークオブフェイト』との戦いの前に自壊しそうな『スサノオ』。
そんな状態でも時間は容赦なく進む。
各々の立場で彼らも最善を目指して努力する。
その結果がチームに何を齎すのか、わからないままで――。