第146話
2対1だった戦いが3対1となり、疲弊した優香を追い詰める。
もっとも、その内心を相手取る小林翼率いる『賢者連合』が読み取ることは出来なかった。
姉譲りのポーカーフェイス。
日常では笑顔が増えてきた優香だったが戦場において生の感情を曝け出すようなことは基本的にない。
涼しい表情で3人を相手にしていたが、攻勢に出れるほどの余力も残っていなかった。
『健輔が落ちた、か。予定通りでもあるが、優香行けるのか?』
『大丈夫です。あちらが落ちたということは全ての支援が私に集中するということですから』
『そういうことですよー、美咲ちゃんはプリズムの準備に入ってるから術式制御の支援に回りますね』
香奈の明るい念話が2人の間に割り込む。
健輔の撃墜に合わせてバックスは全ての力を優香に結集させる。
『賢者連合』もここまでの戦闘でかなり疲弊しているはずだった。
そこに制限時間付きとはいえフルスペックの優香が存在すれば負けはしない。
健輔が後事を全て託した形になるがそれが却って優香を奮起させていた。
疲弊して術式制御に粗が出てきていたが、そこを早奈恵たち3人が補う。
「はああああッ!」
「ぐっ、クソ、底なしかよ!?」
翼の叫びを無視して冷静に攻撃を見極めてカウンターを叩き込む。
消耗はあれど、依然として有利なのは『賢者連合』である。
今の優香の戦い方は慎重に慎重を重ねたからこそ、そうなったのだがこれには彼女も予想もしなかったある効果があった。
双方、特に優香は自覚なしに翼にプレッシャーを与えるのに最適な戦法を取っているのを知らない。
「はぁ、はぁ、くそ、くそ、なんで……」
翼からどんどん余裕が無くなっていくが無理からぬ事だろう。
彼はサブリーダーであってリーダーの器ではない。
自分の判断1つでチームの運命が決まるとなれば掛かるプレッシャーはサブリーダーの時とは比較できないものだ。
3年生であっても率いるものとして重圧を知るものは少ない。
むしろ、これは武雄が突出していた故の弊害であった。
武雄を中心に纏まっていたため、そこが崩れると一気に壊れる危険性があったのを知らずにここまで来てしまったのだ。
この点、真由美が崩れても誰かが主導権を握る『クォークオブフェイト』とは違うと言えよう。
「なんで……なんでッ!? 『不滅』の影がチラつくんだよっ!」
しかし、武雄はそのような部分を込みにしても翼ならば後を任せるのに不足ないと判断していた。
事実、彼は健輔が相手でも役割を果たしていたし、臆病に近い冷静さはチームを安定した勝利に導けるはずだったのだ。
その予定が徐々にずれてしまったのは偏に優香の存在、いや、戦い方が原因である。
体力が低下した優香は技量に物言わせて相手を捌く方向にシフトし、機動を最小限のものに限定した。
それだけならば特に動揺も見せずに翼たちも積極的な攻勢に移ったのだろうが、優香がカウンター戦法を選択したことが問題だった。
相手の動きを見極めて、必殺の1撃を叩き込む。
この戦法を扱っていた誰かがいなかっただろうか。
彼らを虫のごとく瞬殺した誰かが――
「無駄ですよ」
「な、何をッ!! な、舐めるなよ」
「つ、翼!!」
声が似ている。
魔力の色という違いはあれど容姿も似ていて、さらには戦い方まで被り始めた。
日常では気にも掛けていなかったものが急速に脳裏へと蘇っていく。
虹色の魔力を纏い、無機質な瞳で彼らを見つめていた――九条桜香の姿が優香に重なってチラつき始めたのだ。
優香の剣が鋭さを増す程に、影はドンドンと大きくなっていく。
鬼ごっこ後の敗北直後、桜香の強さに放心こそしたがそれ以外では特に問題はなかった。
彼らは歴戦の魔導師であり、敗北には慣れていたし桜香が理不尽だとも知っていたからだ。
状態が万全ならばこのような無様の動揺を見せることはない。
こんな事になってしまったのは偶然い偶然が重なっただけのものである。
一旦は優位に立った状態から一気に五分近くまで持ち込まれた状況変化が知らずに心に負担を掛けたこと。
戦い方が桜香と似てきた優香が相手だったこと。
様々な要因が重なって極限状態に追い込まれたからこそ、刻まれた恐怖が浮き彫りになってしまったのだ。
こうなってしまってはもはや自力で抜け出すことは出来ない。
「終わりです」
「しまっ――」
「陸ッ!?」
そして、動揺の隙間を縫うように優香の1撃がチームの1人にクリティカルする。
障壁を展開もさせない鋭い太刀筋、桜香と比べるとパワーで劣っていたが技量では決して劣っていなかった。
双剣を合体させ、1つになった『雪風』をダラリとした感じで力なく持つ。
どこからでも打ち込んでこい、そういう挑発である。
その姿がまた、桜香と被り容易く蹴散らされたあのイベントが思い浮かぶ。
「ち、違う。飲まれるな、飲まれるなよッ! 俺!!」
必死で幻影を払おうと頭を振るうが1度想起してしまえば後は連鎖的に浮かんでしまうものだ。
優香が狙っていなくても一挙手一投足が重なって見えるようになってくる。
『やけに慌ててるけど、優香ちゃんは覚えある?』
「いいえ、特に思い当たるところはありませんけど……」
『混乱してくれる分には困らないし、放置で良いだろう。後は美咲だが』
『遅くなりました! 準備完了です』
『というわけだ。タイミングを見て決めに行け』
「了解です」
都合3名分の支援を名実共にエースの領域に来た優香が受けているのだ。
冷静に対処していても勝てるかどうかは5分だと言える。
にも関わらずありもしない幻影に怯えてしまった時点で勝負はついていたのかもしれない。
最後に、優香のプリズムモードが重なってしまえば――
「う、うわあああああ」
「お、落ち着け!」
言っている翼も体が震えそうになるのに必死に耐える。
戦ったのは一瞬だったが七色の恐怖は体にしっかりと刻まれていた。
それを振り払って優香を迎撃するも、正面の相手を見つめずに勝てる程魔導競技は容易いものではない。
「ふ、不滅の太陽ッ!?」
「――私は九条優香だ! 試合中に一体、誰を見ているんですか!」
優香が怒りと共に連撃を叩き込む。
『高畠選手、小林選手撃墜! 残りは1名ですが――』
『伊藤選手の狙撃が決まりました~』
『初撃でリーダーを含めて半数が打ち取られた中、残った1年生を中心に勝利を掴んだのは『クォークオブフェイト』です! 皆様、拍手の程をよろしくお願いします!』
――試合終了。
1度は『クォークオブフェイト』を追い詰めるも最後まで詰め切れなかった『賢者連合』が敗北を喫する。
この戦いは『クォークオブフェイト』の実力が飾りではないことを示した重要なものとなった。
国内大会優勝にもっとも近いチームとして、その名を確かに知らしめたのだった。
「お疲れ様! 優香ちゃん!」
「真由美さん」
試合を終えて戻ってきた優香と真希を真由美たちが出迎える。
後輩の思わぬ奮戦に感動でもしたのか、それとも己の不甲斐なさに涙したのか。
少し潤んだ瞳をしているリーダーを見て、優香は帰ってきたという実感を持つ。
「お疲れ様、これでもう名ばかりとは言われないわね」
「……はい。あ、あの、健輔さん?」
「健輔なら医務室だ。仲良く自爆したからな」
「自分で自爆はしなくなったのに今度は巻き込まれが増えたよねー。大丈夫かな、健ちゃん」
肉を切らせて骨を断つどころか、仲良く落ちていった2人は揃って検査のため不在だった。
健輔はともかく『賢者連合』はリーダーが不在というよくわからない事態になっているのだが優香はそんなことは知らず、健輔の元へ向かうことを伝える。
「じゃあ、お見舞いに行ってきますね」
「あっ、行ってらっしゃい。部室で待ってるって伝えておいて」
「はいッ!」
駆け出す優香を笑顔で送り出し、姿が見えなくなると真顔に戻る。
「なんていうか、あれだね。――若いね」
「私たちは2つしか変わらんぞ。ま、その意見には同意するがな」
「ちょっと、私まで年寄り臭くなるからやめてよ」
「……俺はノーコメントだな」
「あっ、隆志さん逃げた」
瞬間、笑い声で満ちる控室。
妙に盛り上がっている先輩たちを尻目に美咲は親友の背に見つめる。
「なんというか、優香はワンコだよね」
「そうだね。健輔は飼い主?」
「香奈さんとしてはご主人様でいいと思うなー。こう、恋愛っぽいのになんか違う感じがする独特な2人だよね!」
優香には聞かせれないような事を言いながら彼らも勝利を祝う。
不器用な2人にやきもきした気持ちを抱えるも暖かく見守るチームメイトたちであった。
「……」
「……」
一方の医務室。
和やかな雰囲気があった控室と違い、重苦しい空気が漂っている。
仏頂面をした男2人はお互いに相手を視界に入れないよう目を逸らしていた。
2人とも既に検査は終わっており体に異常がないことは確認してある。
一体何度目になるかわからないお世話に養護教諭が苦笑したぐらいが唯一語るような出来事だった。
「……」
「……何か言ったらどうですか。俺をそんな目で観察しても何も出ないですよ」
同じような状況にいた武雄も大したことはなく2人はこうして仲良く並んで解放を待つことになったのだ。
それからというもの何故か武雄が健輔を見つめて一言もしゃべらない。
真面目な様子をあまり見ない、といったら失礼になるかもしれないが実際、武雄はそんな感じの人間である。
それがかつてないほど真剣な様子で何かを考えているのだから気にはなるだろう。
健輔は何度か勇気を出して話しかけてみたのだが一切の反応を返さない。
いい加減にしろよ、と内心で思っているのが表に出てしまってからは妙な圧力を武雄から感じるようになり、重苦しい空気が部屋を満たすようになってしまったのだ。
「もしもーし。聞いてますか?」
目の前で手を振るも反応しない。
実は死んでるじゃないのか、と疑い始めた時、
「お前さん、今日の試合はどこまで読んでたのか教えてくれんかの」
と沈黙を破るのだった。
「はああ? いや、まあ、別にいいですけど。……ぶっちゃけ何もわかってないですよ。自爆というか味方ごとやるんだろうなーぐらいで手段はさっぱりでしたし」
「ほぉ、その割には迷いなく動いたし、うまくこっちの攻撃も防いだの」
武雄が感心したように声を上げる。
実際に傍から見ていたら健輔は武雄の策を全て読み切った上で対処したようにしか見えない。
しかし、事実はそれほど都合の良いものではない。
初撃を防ぎ切れたのも半ば運であった。
嫌な予感はしたが実態は掴めていなかったのだ。
生き残っただけでも大したものである。
「ぶっちゃけた話するとそっちの策とかどうでもよかったですし。勝ったと思って気が緩んだ時を狙えらたいいかなーぐらいですよ。ま、この辺りは味方にも言わなかったですけど」
「ハッタリじゃろう? それは俺もよく使うわな。さもわかったというような顔をしておけば勝手に嵌ってくれる」
「ですよ。というか、これはあなたの真似ですけど」
「何?」
今回の試合で健輔が心掛けたことなどそれほど多くない。
元より健輔はそこまで優秀ではないのだ。
優香などは健輔を高く評価してくれているが実際のところはかなり贔屓目で評価しても中の上が現在の立ち位置だろう。
その程度の実力で上を倒すにはいろいろと小細工が必要なのだ。
『ダブルシルエットモード』などの必殺技も究極的にはそのための小道具である。
使いづらい道具にはそれなりの役割を与えれば良い。
健輔が実力以上の力を発揮出来るのはその辺りの割り切りがうまいからだ。
過大評価も過小評価もしない。
そんなものをしていたら負けてしまう。
武雄の真似とて涙ぐましい努力の1つなのだから、周りが思う以上に懐事情は厳しいのである。
仮に健輔を強いと思うのならば彼の演技はよく出来ているということであった。
「そっちは3年生で真正のエース、こっちは下駄を履いて誤魔化しているエースキラー。純金と鍍金なんですから、いろいろと使わないと」
「く、くくくくははははっ。なるほどの、鍍金とは良く言ったの。外見は同じに見えるのが厄介なところだわ」
「結局強さは主観的で相対的なものでしょう? 武雄さんは今日の試合らしくないところも多かったですからね」
「お前からもそう見えるということは重症だの……。何、チームの行く末に思うところがあっただけよ。折角の切り札も勝利に繋がらないとは思わなかったわな」
「強かったですよ。ここまで追い詰められたのは初めてだと思います」
「『アマテラス』はいいのかよ?」
武雄も調子が戻ってきたのか、ニヤリとした笑みで問いかける。
世界を目指すのならば必然立ち塞がる壁となる彼女のことについてだった。
「怖がってもどうにもならないでしょう? 強いのは認めて、どうするかが問題ですから」
「……お前はこういう面では優等生すぎてつまらんの。……ま、その通りだ。うちのボンクラどもみたいに実はトラウマになってた、なんてのは笑えないわな」
冗談めかして言っているが武雄なりに忸怩たる思いはあるのだろう。
まさか、鬼ごっこでの桜香の強さがこんなところで祟るとは思ってもみなかったに違いない。
いや、1番そこを不甲斐なく思っているのは翼などのチームメイトだと思い直す。
実際、五分にまで押し戻した天秤が優香に傾いた1因に過ぎないのだ。
疲労と思いもよらぬほどに重なった優香と桜香。そこに焦りが重なりこの結果となった。
一言だけ何かを言うならば運がない。
「……なるほど。運が重要ってのはその通りだな」
「聞こえとるぞ。ま、同感だがの」
「げっ……」
「そんなに警戒をするな。お前のところの『破星』ではあるまいし、八つ当たりなどせん」
不敵な笑みを浮かべ、武雄は健輔に簡単なアドバイスを贈る。
それは彼相手に戦い抜いた後輩へのささやかな贈り物だった。
「世界に行くなら覚えておくといい。格上殺しに必要なのは度胸と機転だ。お前には釈迦に説法だろうが、一応な」
「はあ……」
「自覚のあるなしは重要よ。今回、無自覚で沈んだ奴らを見ておるだろう? 自分のことはしっかりと把握しておけ。お前の本質は臆病だからの」
「……」
「自覚があるようで何よりだの。……余計なお節介だったようだの」
武雄はやりたいことをやり終えたのか快活に笑って席を立つ。
養護教諭が席を立っているため、戻ってくるまで待たねばならないのだがそれを守るつもりはなさそうだった。
「……怒られるの、俺なんですけど」
「悪いな、これでもチームリーダーなんでな。図体ばかりはでかいやつらを慰めないといかんのよ」
そういって笑うと武雄は部屋を出て行く。
健輔は憮然とした表情でそれを見送った。
「面白いやつだの」
くく、っと軽く笑い部屋から少し歩いたところで見覚えのある顔が元気よく走ってくるのが見える
「あ、お疲れ様でした。健輔さんはいますか?」
「ん、ああ、『閃光』か。中におるよ」
軽く挨拶をしてから武雄は背を向けて歩き出す。
中から聞こえる賑やかな声に僅かに表情を緩めて、
「おうおう、青春しとるの。なるほど、これは勝てんわ」
王道を歩む者と邪道を歩む者、どちらも覚悟を固めた時、勝利の女神がどちらに微笑むのかなど考えるまでもないだろう。
「最後まで負けないことを祈ろうか。儂らもまだ終わったわけではないからの」
しょぼくれているだろうチームに活を入れなければならない。
この戦いはまだ終わってはいないのだから。
「最後の年、届くか、届かぬか。どちらも一興よな」
勝者の栄光を祈って、敗者は静かに退場していく。
『賢者連合』対『クォークオブフェイト』は後者の勝利で幕を閉じた。
彼らは無敗のまま駒を進める。
次に立ち塞がる壁は3貴子が最後の1つ、古豪『スサノオ』。
一息つく暇もなく新たな戦いの狼煙が上がろうとしていた。