第143話
『ご来場の皆様へご連絡です。埼玉県からお越しの鈴木様、4番ゲートの付近でお子様がお待ちに――』
「今日も人の入りはそこそこ、なんていうか皆暇だねー」
真由美がチームのメンツを見渡しそんなことをのたまう。
見に来てくれている観客に対してえらくぞんざいな物言いだったがメンバーは苦笑で同意を示す。
試合も30という数を超えて数字的にも後半を意識するようになってきた。
人間は慣れる生き物とはよく言うが大勢の前で戦闘を披露する行為にもあっさりと適応する辺り事実なのだろう。
初戦の頃はあれほど緊張したにも関わらずリラックスするどころか、待ち遠しくなる程に健輔はこの空気に馴染んでいた。
「作戦は伝えた通り。いつも通りを心がけましょう。下手に向こうの出方を窺うとかそういうのはいらないよ」
『はいッ!』
「相手は『知』を標榜するチームだ。表面から窺えることを信頼するな。嘘ばかり、とまでは言わないが表面上ならばいくらでも偽るぞ。飲まれないように細心の注意を払え」
「特にあの性悪には、ですよね?」
「ううん、全員に、だよ」
「りょーかい」
葵と真由美のやり取りに幾人かが顔を引き締める。
純粋な力では勝っているのだ。
下手な小細工も過度な怯えも必要なかった。
いつも通り性能を発揮すれば勝利できる試合。
注意すべきは慢心や油断などの内との戦いがメインになる。
誰もがそう思っていた。
「さ、この試合も勝ちにいこう」
『はいッ!』
『クォークオブフェイト』に死角はない。
油断、慢心と無縁なその姿は敵対者たちにとって絶望的な壁として立ち塞がることになる。
挑戦者から王者へ。
変わりつつある環境、追う者の必死さを今度は彼らが味わうことになる。
不気味な程に快晴の空はまるで、この後の展開を暗示しているようだった。
「健輔さん? どうかしましたか?」
いつもと変わらない待機時間、優香は健輔と共に開幕の時を待っていた。
リラックスしている、とまでは行かずとも帰ってきたと思う程度には彼女もこの空気に馴染んでいる。
傍らに存在する相棒もその点は似たようなもものではずだった。
優香よりも精神的な面では余程優れていると感じている。
そんな健輔が眉を顰めて何かを警戒していた。
「……なんだ……この、猛烈な違和感……」
「え、違和感?」
健輔が反応を返すもなのことなのか、優香にはさっぱりわからない。
言った本人も何に反応しているのかわかっていないのだろう。
警戒感だけは働いているが具体的な中身について思い当らない様子だった。
「なあ、優香」
「は、はい」
「ちょっと、作戦の変更を提案したいんだがいいか?」
「は、はい、大丈夫ですよ。真由美さんからは好きにして良い言われてます」
今回の作戦からは真由美が全体の統括を取るのではなくエレメントを基本にして各々が有機的に結合することで柔軟に状況へと対処するような形になっている。
個々の裁量が大きくなったと認識すれば大筋においては問題ない。
「それで変更とは?」
「おう、あれだ。初手は防御を固める形で行こうぜ。なんかすごく嫌な空気がする」
「空気……ですか?」
「ああ、根拠はないがな」
優香は理詰めで戦場を制するタイプで健輔も基本的には同類である。
違うのはいざという時に割と勘頼りになることだけだった。
葵が勘だけで戦術を組み上げるタイプなので健輔はある意味で中間的な存在だと言えよう。
葵ほどの精度はないが健輔の勘も悪いものではない。
ましてや、今回の相手については健輔の方がよく知っているのだ。
「わかりました。真由美さんには伝えますか?」
「いや、全員に教えたら悟られるかもしれない。あの人はそういう人間だよ」
霧島武雄は掴みがたい類の人間だが1つだけ確かなことがある。
健輔が知る限りにおいてもっともめんどくさい戦術を組み立てるのが彼であった。
最後で帳尻を合わせようするのが傾向と呼べるぐらいで後は一切の統一性が存在しない。
「……今回も楽ではなさそうですね」
「いつも通りだろ。まあ、おそらく個別に研究されてるのは今回が初めてかもしれないけどな」
『大変お待たせしました! 選手入場の時間です!』
歓声が響き、時間が来たことを2人は悟った。
お互いに頷き合い、2人は戦場へとその身を躍らせる。
国内大会の後半戦、乗り越えるべき3つの壁の1つにして、『知』を司るものとの戦いが始まるのであった。
健輔の予感。
戦場フィールドに漂う嫌な感じを空気と称して彼は優香に警告を発した。
彼が感じたのだから、葵や真由美といった歴戦の魔導師たちも兆候は掴んでいたのだ。
万全の準備など戦場にはあり得ないとはいえ、やれるだけのことはやって此処まで来ていた。
『――それでは、『クォークオブフェイト』対『賢者連合』』
『試合スタートです~』
もはや専属と言ってもよい程に『クォークオブフェイト』の試合を実況してきた2人の声が響き、真由美が流れるように砲撃態勢に入った瞬間にそれは起こった。
「え――」
それは誰の驚きだったのだろうか。
呆然としたような、あり得ないものを見たような声に惹かれて空を見上げる。
そこには大きく描かれた魔導陣が神の裁きの如き威容を持って、彼女たちを見下ろしていた。
『ば、馬鹿なッ! 試合開始と同時にあんな巨大な陣を展開することなど不可能だ!!』
早奈恵の声に緊張感を取り戻した面々は慌てて防御態勢に入るも――既に相手の策は形を成していた。
「おうおう、喜んでくれてるみたいだの。俺らのとっておきのプレゼントじゃ。――しっかりと受け取ってくれや」
人を小馬鹿にしたような声が響き、そして――
『マズイっ、来るぞ!!』
――空から閃光が落ちる。
大規模戦術魔導陣、魔導の効果を拡大強化するそれは一言で言えばMAP兵器である。
展開に時間が掛かり魔導競技では使えないと言われ続けてきた術式が牙を剥く。
真由美や早奈恵が完全に意識の外へ追い出していたこと、彼らがバックス主体のチームであるという点。
そう、彼らは全員がバックスを持っているチームなのだ。
戦闘についても高い錬度を持っているが当然、そちらも高いレベルにある。
真由美ですら、否、多くのチームが『賢者連合』のバックス要素とは戦闘でバックス系の系統を使うことだと誤認していた。
それが今、完全に仇となる。
『賢者連合』の切り札が致命の1撃を『クォークオブフェイト』に刻み込む。
「お主たちにとっては壁であっても正念場ではない。でもな、こっちはここが天王山なんよ。すまんがここで散ってくれや」
『藤田葵、近藤真由美、杉崎和哉選手、撃墜判定です! い、一撃で『クォークオブフェイト』が半壊、半壊しました!!』
『う、嘘~』
大番狂わせもいいところであった。
無傷の『賢者連合』と1年と平均より僅かに上の魔導師が残っただけの『クォークオブフェイト』どちらが優勢なのかは火を見るよりも明らかである。
――この状況に燃え上がるような男さえ、いなければと注釈が付くのだが。
「かっ!! ハハハ」
空を飛びながら自陣で笑い転げる。
不利な状況を好機と見る精神、如何な苦境も上に昇るためのものだと思っているポジティブさ。
武雄からすれば『クォークオブフェイト』の1年でもっとも怖いのは言うまでもなくその男である。
『不滅の太陽』から勝ちを拾ったのはまぐれでもなんでもない。
昔のデータがもっとも役に立たない成長する男。
凡人だからこそ、この状況でも彼は生き残っていた。
「いいなッ! お前が居るから、ここでこの札を切ったのよ。おうよ、博打を打つなら全部賭けんとつまらんからなあ!!」
表面上は激しく興奮した様を見せながら策士は次の段階へと状況を進める。
如何に相手が足掻くのか、それを肴に彼は試合に酔いしれるのだ。
「おう、小林。行ってこいや。――これで8割は詰めれる」
『ああ、ここで必ず勝利をもぎ取るぞ』
武雄は動かない。
チームが状況を詰みに動かすのをゆるりと観戦しつつ、健輔に視線を送る。
「はんッ! どうやって、儂の策を食い破るのか。楽しみにしとるよ」
儚く散るのか、こちらを食い破るのか。
どちらにせよ、良き見世物になるに違いない。
武雄は確信だけを抱いて戦場を見る。
状況はまだまだ確定していない。
そこをどのように引き寄せるのか。
楽しみで仕方がなかった。
「優香は一緒に! 真希さんはそのままポイントAー3へお願いします!」
「了解ですッ!」
『わかった、気をつけてね』
1撃で半壊したチームを立て直しつつ、健輔は先ほどの攻撃について考える。
大規模戦術魔導陣、仰々しい名前の限りだが名に恥じないだけの力はあった。
狙いは真由美だったのだろうが余波で葵と和哉が落ちている。
葵、和哉のどちらともが誰かを庇ったことによるものだが、どちらにせよチームが壊滅することは避けられなかっただろう。
「おいおい、やってくれたな」
通常、仮に試合で大規模魔導陣を発動させるならば10分はかかる。
それも妨害が掛からなければ、という但し書きが付く。
バックスからの直接攻撃は禁止されているがこのような魔導陣系はルールの隙間というか許可されている範疇だ。
当然、数多のチームが用いたのだがメリットをデメリットが上回ってしまうようになる。
まず大体試合時間に対して平均して半分ほどの時間で決着が付く魔導競技でその3分の1の時間を用いるのはリスクが大きい。
また、せっかく発動させても試合が進んでいると混戦状態になっているため、その威力の半分も発揮出来ないとダメな要素がいくつも揃っていた。
だからこそ、真由美たちも選択肢から除外していたのだ。
いつから準備していたのかは知らないがこういう事が出来るとここまで隠していた辺り、『賢者連合』は恐ろしい。
意識の隙間を突く、まさに奇襲であった。
「……戦術魔導陣の正しい使い方だな」
「はい、先制攻撃に扱えるならばこれ以上のものはそうはないでしょうね」
「そうだな。……もう1つ、有効に使える方法があるが、今はいいか」
「健輔さん?」
「あ、ああ、すまん」
如何な方法を用いているのかはわからないが『賢者連合』は上記の問題を解決したようである。
おかげでチームは半壊したまま敵と交戦に入ろうとしていた。
状況は不利、初めての敗北が首をもたげている。
「ふ、ふふ、なあ、優香」
「はい?」
「俺たちが負けるとチームが負けるような状況の訳だが。――どう思う?」
「そう、ですね」
言葉に詰まり、目を閉じる。
刹那の時間、静寂が場を支配し――
「楽しい、でしょうか」
――健輔と同じ思いを彼女は口にする。
先輩の大半が脱落して、相手は無傷という絶対絶命のピンチには相応しくないかもしれないが楽しくて仕方がなかった。
緊張とそれを上回る興奮。
今まではどこかで先輩たちが残っているという保険があった。
彼らは託す側であり、決して託される側ではなかったのだ。
それが今、逆転した。
「――ああ、そうだな。まったくの同感だよ。不謹慎極まりないが俺は楽しい」
「私もです。真由美さんたちには大変申し訳ないですが……楽しい」
『あー、私を除け者にしないでよね! ハブにするのは良くないよ』
「わかってますよ、真希さんは態勢を固めておいてください。相手がどう出るか、わかりませんから」
『ん、オッケー。でも、それだと援護は出来ないよ? 焼け石に水だとは思うけどなしでいいの?』
真希の疑問に健輔は自信を持って返した。
「相手は良くて5です。ましてや、バックス主体の後衛は火力に優れません。どうとでも出来ます」
『……わかったよ。油断はしないでね?』
「ちゃんと根拠があるから大丈夫ですって」
「私もいますから、安心してください」
『うー、早奈恵さんー。なんかこの2人、不安だよー』
『じゃれている場合かッ! 数は3、来るぞ』
早奈恵の言葉に従って視線を移すと、3人の魔導師がこちらに向かっているのがわかる。
優香に視線を投げるとすぐさま彼女は行動を開始した。
以心伝心、2人の絆はチーム内でも随一のものとなっている。
言葉は最小限で連携を取ることが可能となっていた。
「いくぞッ!」
「はい!」
2人は勢いよく空へと舞いあがる。
数の上では多少不利でも簡単にやられはしない。
「小林さん!」
「健輔か!」
特徴的なスキンヘッドから相手を特定する。
小林翼、特出すべきことは光輝く頭――ではなく彼のメイン系統が固定系であるということだ。
『賢者連合』は必ずバックス系統が入っている。
通常の組み合わせではあまりない戦い方が彼らの特徴なのだ。
翼は固定・浸透系。
どのような戦い方かと言うと、
「うわ、きもい。やっぱり最悪ですね。禿げ先輩」
「禿げじゃないし、うるさいわッ!!」
健輔を魔力で作られた触手のようなものが襲う。
翼がポイントした場所から彼の意思で動く魔力の塊、実際はそういバトルスタイルなのだがどこから見ても触手にしか見えない。
『賢者連合』というチーム名も相まって裏で『エロ触手』というありがたくない2つ名が定着している魔導師でもある。
もっとも、その外見に反してこの触手は強い。
「そらそらッ! 避けきれるかよ!」
「男相手でもいけるんすか? まさか……!?」
「いい加減そのネタから離れろよッ!! お前、なんでそんなに余裕あるんだ!!」
言動はふざけていても戦闘は真面目に行っている。
四方どころか、あちらこちらに設置された触手は貫通効果を持って健輔を襲う。
なかなか速度も持っており、翼の操作技術の高さが窺える。
これを阻止するのに1番良い手段は発生元を潰すことなのだが、何せ数が多い。
1つ1つ、やっていたら日が暮れてしまうだろう。
また潰している間もどんどん数は増えていくのだ。
単純明快な物量戦、決定力は微妙でも単純故に対抗するのも難しかった。
「……ふむ、なるほどね」
決定的な分はうまく避けながら健輔は敵の観察を行う。
翼は良い魔導師であり、後輩のボケにも乗ってくれるノリが良い人間だが作戦で必要がないことは行い人物でもある。
つまり、翼の試合中の行動には必ず背後に武雄の意図が隠れているのだ。
初手でこちらを壊滅させた『賢者連合』の切り札。
知られていないという最大の奇襲を持ってこちらを粉砕したがあれが本命の策とは健輔には思えなかった。
派手な札で気を逸らして本命を仕込む。
この間の『鬼ごっこ』もそうだったが武雄は結果的に勝利につながるならば味方の犠牲を勘案しないことは間々ある。
その心情に健輔は賛同は出来るが納得はしなかった。
いかなる手段を取るのも自由だし、健輔も自分の犠牲は問わないが味方にそれを強要する様はあまり良いものではない。
葵が気に入らないと言っているのはその辺りが理由であった。
「とはいえ……」
武雄の性根がそういうタイプだとわかっていても評価は変わらない。
ならば彼がこの局面でどうするのか。
もしくはどうされるのが『クォークオブフェイト』にとってマズイ事かを考える。
「……足止め」
翼の行動は明らかに足止めを狙っている。
優香の側も同様だろう。
この状況で敵の後衛は申し訳程度の火力支援のみ。
仮にここで健輔たちが翼たちを突破した場合、せっかく切り札を投入してまでもぎ取った優位が水の泡となってしまう。
武雄はそんなバカではない。
ならば、彼らの行動には必ず意味があり、それは――
「ははん、そういうことか。3-3は0だもんな」
狙いは読めた。
ここからが逆転の始まりである。
『早奈恵さん、こういうのをお願いしたいんですが』
狙いに気付いたことを悟られぬようにうまく翼たちをあしらい続ける。
健輔たち1年生は逆襲の準備を開始した。
武雄の策が奮戦する彼らを飲み込むのか、はたまた食い破られるのか。
戦いは次のステップへ。
静かに、そして激しく移り変わっていくのであった。