第142話
澄み渡る空。
どこまでも広がっていそうな雄大な蒼を前にすればどんな人間でも己の矮小さに気付く。
そんな風に思わせる程、その日も変わらず空はあった。
かつて彼が系統を決定しある程度まともに扱えるようになった時、背後を追いかける少女と戦ったことがある。
当時の己は未熟そのものであり、天才の名を欲しいままにしていた少女へ一太刀浴びせることもなく地へと墜ちた。
あれから半年、先の鬼ごっこというイベントでも彼は決定的な勝利を掴めずこの日まで来ている。
胸に去来する思いは1つ――勝ちたい、だった。
『不滅の太陽』に勝つよりも、『曙光の剣』に勝つよりも、そして『雷光の戦乙女』に勝つよりも『蒼い閃光』を制したい。
しかし、それと同じくらいに己に勝ち続けても欲しかった。
相反する矛盾。
その思いの根源がどこから来るのか、わからないまま彼は今日も剣を振るう。
「おおオオオォォッ!!」
「はッ!!」
交差する剣と剣、それはイベントの焼き直しのごとく対角線を描いてぶつかり合う。
無論、かつてと完全に同じではない。
前は優香が力で押されていたのに対して今は彼女が力で押している。
攻撃をテクニックで捌いてるのは健輔であり、役割が綺麗に逆転した状態となっていた。
額に浮かんだ汗と、余裕なく周囲を見渡す様は常の健輔からは想像出来ないほどに追い詰められている。
「『雪風』!」
『フェイク起動』
「『陽炎』、バレット展開!」
『散弾モード、発動します』
しかし、優香にそのような敵手の事情を勘案するつもりは微塵なかった。
彼女が頼まれたのは全力の模擬戦。
試合に支障が出ないように『プリズム』モードなどの体に負荷が掛かる類のものは用いないがそれ以外は全てをぶつける心持ちでここにいる。
健輔も優香の真剣な様子に触発されたのか、苦しそうな表情は徐々に消えて普段通りの野性児染みた笑みが浮かぶようになっていた。
互いが互いを高め合う。
意図したものでなくても2人は既にそういう関係になっていた。
「はあああああッ!」
「いけえええええッ!」
一方的に空を追い散らされた彼はもういない。
まるでそう主張するかのように健輔は全身で歓喜を表現する。
幾度目の交錯だっただろうか。
まだ慣れていない系統の変換制御に戸惑った隙を突かれて敗北するまで2人のダンスは続くのだった。
「お疲れ様です」
「はぁ、はぁ……お疲れー、いやーやっぱり強いな……」
いい汗をかいたという程度の優香に対して全身から汗が噴き出している健輔。
対照的な2人だが浮かぶ表情は共に笑顔だった。
「良き試合でした」
「おう、急なことで悪かったな。休日に呼び出す形になっちゃたしさ」
「まあ、急な話で驚きましたけど、気にしないください。それよりも今回の呼び出しは妙に力強かったり、系統の変化に戸惑っていたことと関係あったりするんですか?」
何がない雑談だったのだが優香は鋭く痛い部分を突いてくる。
健輔としてはその観察眼に舌を巻くしかなかった。
僅かな変化すらも見落とさない眼力は決して彼の専売特許ではないのだ。
「……ま、説明するとそこそこ長いんだが」
「言いづらいのでしたら別に構わないですけど」
「ああ、いや、そんなことはないぞ。そうだな、最初に本題を言っておくとだな」
「はい」
「あれだよ、万能系の制御難易度が上がったんだ」
「はあ」
不思議そうな優香の顔に噴出しそうになるのを耐えながら健輔はしっかりと説明を続ける。
そんな時だった。
グーっと周囲に響き渡るほど大きな腹の虫が鳴く。
朝1、うきうき気分で処置を受けに行った健輔は昨夜から何も食べていなかった。
念のため食事を制限されていたのである。
思ったよりもレベルダウンせずに済んだ安堵感もあってか猛烈に空腹を感じるようになっていた。
「あー……その、……なんだ? ……すまん」
「え、あ……ご、ご飯にしましょうか? 私、お弁当持ってきましたから」
「へ、あ、うん。ありがとう」
「いいえ、どういたしまして」
期せずして何故か1年生のアイドルの手作り弁当を食べることになる。
折角、作ってきてくれたというならば貰わない方が失礼だろうと理論武装を行い遠慮なく腹に書き込んでいくを決めた。
「そ、それじゃあ、着替えて場所を移動するか」
「はい、では失礼します」
育ちの良さを窺わせる綺麗な礼をして優香は去る。
その後ろ姿をぼんやりと見つめていたが正気を取り戻したのか、首を振ってから自身も更衣室へと向かうのだった。
「ふわー、食った食ったー。すげーおいしかった。ごちそう様です」
「量が不安でしたが足りたみたいでよかったです。お粗末様でした」
まるで熟年の夫婦のようなやり取り。
意識してやっているわけではないのに堂に入ったものだった。
まるでわかっているとばかりにお茶の準備をする優香を特に気にすることなく健輔はそれを自然に受け取る。
「それにしても優香は料理もうまいんだな。寮に入って長いんだろう? どこで習ったんだ」
「寮のキッチンは申請すれば私たちでも使えますから。昨日、連絡をいただいてから予約して準備させて貰いました。勉強の方は独学ですね。レシピ通りに作ればいいので以外と簡単ですよ」
「それが出来ないやつがいるんだよ。此処にな」
「そうなんですか? 意外です。健輔さんは料理が出来ると思ってました」
「あー、男料理でいいならやれるんだけどな。後はチャーハン」
案外なんでも器用にこなす健輔だが流石に家庭科はそこまで得意ではなかった。
特に裁縫は壊滅的である。
中学の時に針の穴に糸を通せず本気でキレそうになった経験があった。
ミシンを使えば明後日の方向へとズレるなとど良い思いがまったく存在していない。
「男性の方ならそれだけ出来れば十分だと思いますよ」
「圭吾はもっと出来るんだぜ。ちなみにチームで1番うまいのは剛志さんだったりする」
「そうなんですか? 料理とは無縁そうですのに」
「あの人、食べるのと作るのが好きなんだってさ」
食べ歩きもレパートリーを増やすために行っているらしい。
健輔には想像も出来ないような領域の話である。
「人は見掛けによらないですね」
「ま、それはそうだな」
健輔の隣にいる人物もそれには当てはまる。
意外な一面というのは誰もが何か持っていたりするものだ。
あれで葵は家庭的なスキルを網羅している。
本人の言い分としてはやれないと思われることが癪だったとのことだ。
彼女の負けず嫌いは何も魔導に限った話ではない。
脳筋なイメージに反して、なんでもそつなくこなすのだ。
ちなみにそれとは逆に真由美のプライベートは微妙だったりする。
仕事人間というか、公的な部分はしっかりしているのにプライベートになると急に無頓着になると隆志が愚痴っているのを聞いたことがあった。
そんな話を優香に話すと興味深そうに頷き、品よく笑みをこぼす。
「……ふーん」
春からは考えられない関係である。
あの時は笑みを見せることすら珍しかったのが今はこうも簡単に表情が崩れるのだ。
他にもこのような世間話をするようになるとは夢にも思っていなかった。
人間、変われば変わるものである。
「健輔さん?」
「っと、すまん。ちょっと寝不足でボーっとしてた」
「あっ、す、すいません。長話に付き合わせてしまって」
「気にすんなよ。美咲は魚が苦手って話とか面白かったよ。桜香さんがきのこ派とかいうのもな」
「それならいいんですけど……」
変わらぬ関係がないように、変わらぬ人間もまたいない。
周りはかなり変化したと思っている健輔だったが、彼もまた大きく変化したことをまだ本人だけが気付いていなかった。
天祥学園に所属するものは変わりものが多い。
外から見た時、そう言われることが間々ある。
これは一面で事実であったし、同時に多分に過剰な装飾も含んでいた。
物事というものは世間に流れた際にはわかりやすい部分が強調されるものであり、事の本質に目を向けるものなどほんの僅かしか存在しない。
少なくともこの男はそう思っていた。
「ふーむ、アメリカは大勢が決まってきたの……」
『賢者連合』チームリーダー霧島武雄が英語で書かれた校内広報のデータ版を読んでいた。
校内広報、正確にはアメリカ校の校内広報である。
現在は11月ももうすぐ半ばに入ろうする時期であり、熱い接戦が続いている天祥学園の国内大会はまだまだ混沌としていた。
しかし、例年から考えればいくつかのチームは順当に世界大会への出場を決めていてもおかしくないのだ。
他の日本の学校に比べれば国際色豊かな天祥学園であったが大多数が日本人であるためか、島国的な閉鎖性もありそっちへの関心は今一だった。
無論、興味を持っているものたちもいるにはいる。
「『皇帝』のとこは確定。後は『シューティングスターズ』も。残る1枠の争いかい」
武雄は詰まらなそうにつぶやくと手元のタブレットを放り投げた。
欧州、アメリカ、日本にあるリーグの情報をこれで整理は出来る。
その結論があまりにも普通過ぎて彼の興味を一気に殺いだのだ。
「うち以外はどこもかしこも下馬評どおりかいッ! 詰まらんわ!! ふん、やる気ないんなら魔導師なんぞやめればいいというのに」
上下の激しい入れ替わりが起きているのが日本だけという状況がお気に召さない理由だった。
よくも悪くも勢力図が固定されてしまっている。
来年度から統合トーナメントに移行しようするのも納得できる有様であった。
確固たる基盤があるわけでない学内チームでこれほど差が出るとは思っていなかったのだろう。
「おうおう、荒れてるな」
「なんじゃ、小林か」
そんな風に愚痴っていると部室にサブリーダーの小林翼が入ってくる。
チームメイトに対してどうでもよさそうな武雄の声に肩をがっくりと落とす。
3年間の付き合いである彼でこれなのだから、武雄の独尊は筋金入りである。
もはや矯正することなど潔く諦めている翼は苦笑いを浮かべて感想を聞いてみた。
あまりやる気なさそうに見えるが『賢者連合』も世界を見据えたチームである。
チームの頭脳から見て自分たちにどれだけ目があるのかは興味があった。
「それで? この間は誤魔化したけど情報は集まって結論は出たんだろう? 今度はどんな感じでいくんだ?」
既に試合まで3日ほどしかないのに今だに作戦が決まっていない。
学園随一の知将にしては珍しいことにこの間のミーティングで言い淀んでここまで来たのだ。
「あー、そうさな。……はっきり言うのと。誤魔化すの、どっちがいいよ」
「はあ? そ、そうだな……、はっきりと頼むわ」
「おうさ」
はきはきとしていてわかりやすい武雄がそんなことを尋ねてくる時点で半分答えを言ったようなものである。
翼の予想を裏切らず、出てきた言葉は重かった。
「まずは第一として、儂らが世界に行っても無様を晒すだけということを念頭においておけや」
「その心は?」
「『皇帝』に対して打つ手がない。言わずがな『不滅』もな。世界で勝ち残れるのは格上殺しがあるチームになる。儂らにはそれがない」
『賢者連合』は普通に強いチームでしかない。
勿論、強豪チームの一角として切り札の1つや2つは存在している。
今回の『クォークオブフェイト』戦もそれを使えば優位に進めることは可能だった。
しかし、それは1発限りの札なのだ。
ここで勝利をしても後が続かなくなる。
奇策、常識外れなどといろいろ言われる武雄だがそこまで策という本質から外れたことをしたことはない。
「儂らの切り札は大味じゃからの。直撃でもすれば『不滅』も潰せるが当たるわけがない。策ってのは天秤が釣り合ってる時に傾かせるものだからの」
「秤が壊れてるってことか?」
「個々の実力というよりもチームの総体として見たらそうなる」
策を練る者としてその辺りの客観性は重要視していた。
チームメイトに対する情なども見えにくいが武雄もきちんと持っている。
それらを排して限りなく公平に見た時、相手の強さがわかるのだ。
「『凶星』のチームは良く出来とる。去年の段階ではまだ不安だった対格上もきっちり揃えて、同格及び格下は自分が圧殺する。これまでの試合からも明らかになっとるがあそこを追い詰めたのは『アマテラス』だけ、つまりは超えるにはあれクラスが必要になる」
「お前の知恵で埋めるとかは?」
「そもそも『不滅』は策程度で覆る領域におらん。それに勝った連中をほいほい嵌めれると思うか? 無論、やるにはやるが、健輔辺りには効かんのー」
武雄の魔力爆弾によるトラップは破壊系に弱い。
健輔、剛志と2人も最悪の相性を持つ人物が揃っている。
他の面々も隆志や妃里と同格、もしくは多少劣る程度と粒は揃っていたが同時にそれだけでもあった。
普通に戦えば何をやろうと順当に負ける。
その差を埋めるのが策だが前提として、真由美1人でもこちらを潰しかねないのだ。
圧倒的に過ぎる差は奇策程度で埋まるものではない。
釣り合いが取れていない以上、どうしようも出来ないのだ。
よって方策はたった1つ、相手を同じ舞台に持ってくるしかない。
「なるほど、じゃあリーダーに尋ねよう。試合をどうする? 白旗でも上げるか?」
「はん、やる前から諦めるのは性に合わぬ。ただな、勝っても後がないのが好かん」
「……お前の好みとチームの勝利を結びつけれるのか」
「当たり前だの、儂を誰だと思っとる」
戦意は十分、力もある。
しかし、未来がない。
その齟齬を埋めるには全員が納得している必要がある。
切り札を周知することになっても正面から対決するのか、それともいつも通りに戦って負けるのか。
武雄は瞳で翼に訴えかけていた。
選べ、と。
言い方は悪いがここで負けても一敗に過ぎない。
あえて敗北を選ぶのも選択肢として間違いではなかった。
「答えは簡単だな。俺たち『賢者連合』は常に勝ち組だぜ?」
「――ほう、ならそれでいこうか」
穏やかな日常を過ぎ去り、戦いの幕が再び開く。
今度の敵は『賢者連合』。
その名の通り、知恵を持って向かい来る敵に健輔たちはどのように立ち向かうのか。




