第140話
大規模イベントこそあったが試合という形では久しぶりだと感じるのはそれだけ先週が濃い日々だったからだろうか。
スタジアムから離れた戦闘フィールドで過去を振り返る男は微妙に頬を緩めていた。
「我ながら呑気なことだねー」
試合中だからこそなのか。
強く思い出すの一時の夢、あの『鬼ごっこ』の時の姿である。
健輔にとって鬼ごっこにおける自分はかつて己が思い描いた理想の姿だった。
あらゆる魔導を1流の領域で使いこなす。
数多の魔導師が夢見る領域へと確かに手を掛けたのだ。
真由美と香奈子をあっさりと仕留めたことや、かつてはあれだけ苦戦した立夏を隙を突いたとはいえ、落とせたことなど自分でやったことのなのに本気で夢でも見ているのかと思ったぐらいである。
「いい夢だったのかな……」
今は試合中、既に週も半ばの水曜日だ。
ようやく復帰した後半戦第1戦で物思いに浸る。
いくらなんでも相手を舐め過ぎだろう。
しかし、レース形式で行われているこの試合には健輔が回想する程度の時間はあった。
空を舞い、こちらに向かってくる優香たちを待ちながら健輔は過去へと思いを馳せる。
今、あの戦いを思い出す理由、それは何も強かった自分が懐かしいから、ということだけではない。
星野の固有能力を受けての強さが夢に過ぎないことなど誰よりも健輔がよくわかっていた。
あれには女子と戦い、優香と互角の領域に至るという表向きの目的以外に健輔だけの重要な狙いがあったのだ。
「あれから使うのは初めてか……。陽炎、記録を頼んだぞ」
『了解しました。マスター、必ず望みの結果を見つけてみせます』
「おう」
やるべきことはやってある。
そろそろ試合に集中しなければならない。
夢の一時のように、健輔は決して強くはないのだから。
文化祭は多くのことを健輔に教えてくれた。
魔導競技に注力ばかりしていたからスルーしてしまったことなども今は見えている。
それらが結局、魔導競技のためになるのは皮肉だが許して欲しかった。
戦いだけを己の拠り所にするつもりはないが、戦いが大好きなのも変わらない。
「よっしゃ! いくぞ!!」
『シルエットモード、『優香』を展開します』
勝利のために細かいところから積み上げていく。
凡人にはそうすることでしか勝利を得ることは出来ないのだ。
必ず来る埒外の天才たちを見据えて、万能を司る少年は準備に余念がないのであった。
「お疲れ様ー。うん、健ちゃんも優香ちゃんも大丈夫そうだね。全力稼働は……そうだね……土曜日辺りにやってみようか! 私が立ち会うって言えば許可も出るだろうし」
「ありがとうございます!」
「お世話になります」
「気にしないでー。じゃあ、今日は午後の授業があるだろうし、早めに解散ってことで」
『ありがとうございました!』
後半戦が開始してからの3試合を真由美率いる『クォークオブフェイト』は無難に勝利を重ねていた。
道程は順風満帆であり、大きな問題は種も見当たらない万全の状態である。
メンバー全員、とりわけ真由美などは機嫌よく試合を消化していた。
だからこそ、その人物が妙に大人しいことは誰の目にも明らかであり、彼の相棒が心配そうな表情で見つめていたのだが――
「……ねえ、健輔」
「ん? なんだ美咲?」
「何か悪いものでも食べたの?」
「はあ? いきなりなんだよ」
当の本人はばれているとは思っていないらしかった。
美咲のいきなりの暴言に健輔は意味がわからないと顔を歪める。
聞き方も微妙なものだったのは事実だが、常の健輔なら悟れる程度には裏を匂わせたのだがスルーされてしまう。
この場には1年生の4人しからおらず、気安い雰囲気とはいえいきなりぶっちゃけすぎでもあったがこの時点で重症だと美咲たちが確信を深める。
「えーとね。なんか嬉しくなさそうだけど、どうしたの?」
美咲が気を取り直したように改めて問いを投げる。
まさかそんな質問だとは思わず健輔は眉を顰めた。
「健輔が試合の後なのにスッキリしない顔をしてたから九条さんが心配してるんだよ」
「はあ? そうなのか?」
「は、はい……。そ、その納得いかないというか、そんな感じでしたから……」
後半の方は消え入るような声だった。
美咲の非難の視線に若干怯みながらも、健輔は釈明する。
「い、いや、別に責めてるわけじゃない。そんなに気にしなくていいよ。そうだな、まーなんていうか、心境の変化だよ」
「へー、健輔も文化祭で思うところがあったのかい?」
「当たり前だろう?」
文化祭は大きな区切りであり、個々にとって大きな変化をもたらした。
美咲が若干蚊帳の外だが、彼女は彼女できちんと道を定めているため、それを気にした素振りは見せたところはない。
健輔、優香は言うに及ばず、圭吾も、また道を進み始めている。
新しい目標は彼らの身を引き締める効果はあれど迷いを齎すようなものではなかった。
特に文化祭中に悩みに悩んだ健輔ははっきりと吹っ切れたはずなのだ。
「なのに何かを悩んでたのかい? 試合の趨勢よりも気になるぐらい」
「あー、うん、悪いが何を言われてもこれは答えんぞ」
「え」
「なんで不思議そうな顔するんだよ。これは完全に俺、個人の問題だ。後、別に進路とかそういう関連じゃない。まだ検証してるとか、そんなレベルなんだよ」
「あ、なるほどね。大体わかったよ。九条さんもそんなに心配しなくてもいいみたいだよ」
「でしたら、いいんですけど……」
今一釈然としない優香に対して納得したような圭吾の様子、そこには付き合いの長さが表れていた。
優香が心配性というか、過保護な面もあって健輔を気遣っているのもあるのだろうがこの場面では単にお節介に過ぎる面も大きい。
直接それを言うような事はなくオブラートに包んでだが、健輔は相談という行為すら辞退を示した。
実際に今の悩みは文化祭のものとは毛色が違う。
文化祭の悩みは人生の悩みで答えがないものを探す類いだが、今の健輔の悩みは数学で答えを探す悩みに近い。
結論は大体見えているが式がわからないという、少し特殊な形をしてはいたが。
「ま、本当に大したことないから気にしないでくれ。……近日中に解決すると思うしな」
「文化祭の遺産かい?」
「そんなところだよ」
健輔の悩み、それは己が系統――万能系についてである。
彼以外でこれに応えることが出来るのは龍輝だけだろうが、ここで頼るつもりは微塵もなかった。
別々の道を行くライバルの下にのこのこ顔を出すのは矜持に反する。
自分で結論を出さないといけない。
もしかしたら今の力を失う可能性がある茨の道であったとしても。
「何かを得るには何かを捨てる必要がある……。真理だな……」
「健輔さん……」
「大丈夫だよ。……ああ、後必要なのは思い切りだけなんだ。俺の心持ち1つだよ」
覚悟を決める前の凪とでも言うのか。
嵐を見つめるような視線でどこかを見つめる健輔を優香が心配そうに見つめるのだった。
今更ながら健輔が自分の系統について振り返ったのには当然理由がある。
上を目指すには土台をしっかりと作り上げる必要があり、健輔ならばそれが万能系にあたるのだ。
自然とそこは注目するし、深く考察を重ねる。
以前から僅かに不思議に思っていたことではあった。
日々の成長が楽しく後回しにされていたが常に片隅にあったその疑問。
そこに意識を向ける決定的な機会となったのは文化祭の3日目――妃里との会話による創造系の神髄に触れた時である。
創造系は想像力こそが鍵、妃里の発言を纏めるとそういう風になるがそれを聞いた時からある疑問が付き纏うようになったのだ。
妙に創造系の応用範囲が広すぎないか、そのような疑問である。
常ならばそういうものとして特に気にならなかっただろう。
魔導は得てして使えるから使っているという側面が強いものであるからだ。
どうして魔素で転移やその他様々な現象を起こせるのか、その研究はさっぱり進んでいない。
しかし、現実問題使えているのだから活用を考えるのが人間である。
健輔もそういった根源的な問題にはあまり興味がないからスルーしていた。
初老の教師が空間モニターと古き良き黒板を用いて行う魔導学の授業をBGMに健輔の考察は進んでいく。
「えー、では、今日は魔導紋の課題について解説を行う」
改めて原点の疑問に思考は戻る。
創造系――遠近問わずに多くの魔導師に好まれ、万能系を除けば汎用性においても頂点に立つ系統。
イメージというあやふやな物を補強することで無限の可能性を発揮できる。
知っている人物だけでも恐ろしい領域にいるものが何人もいた。
1番身近なところでは優香だろう。
己を分身させる。
言葉にすれば簡単だがプリズムモードはどんな原理で生まれ、使用されているのか健輔にはさっぱりわからない。
美咲の感想からするとかなり先進的な理論も組み込んでいるらしく高校生レベルではないということだが齎す効果から考えればある意味で当然だろう。
優香程の才能を身体能力に限っては完璧にコピーしているように対戦相手だった健輔が感じられたのだ。
試合後に前後不覚になるのも納得出来るだけの奥義である。
――分身、剣、風、魔力、魔力弾、ゴーレム、そして雷――
多重思考で授業にも意識は向けているが大部分はこちらの考察に集中している。
板書しながらノートの端に創造系で生み出されたものを書いていく。
立夏の『剣』もわかりやすい事例だが健輔が注目しているのは別の部分にあった。
宗則の『風』とクラウディアの『雷』の関係である。
変換系をかつて、創造系の派生と考えたことがあったが今回のそれはその部分を補強する良い材料だった。
変換系は創造系を扱いやすくした系統、この予想はおそらく間違っていない。
技術的なことはさっぱりだが、その可能性が高いだけで健輔の考えに答えはでる。
「じゃあ、他の系統はどうなってるんだ」
創造、浸透、破壊、遠距離、身体、収束系、変換系、固定系、流動系。
そして万能系。
関係ありそうな系統を結んでいき、その本質について考える。
系統を使うのと、使いこなすのは別の話とはよく言う。
中でも創造系は最大クラスの汎用性で扱いが難しい。
一方、他の系統は明確に役割が決まっていて応用が難しいものが多かった。
「研究過程で『万能系』は『魔力を操る』だったよな」
気にも留めていなかったこの言葉に大きな意味を感じるようになったのは創造系の奥深さを知ったからだ。
役割が固定されている系統は破壊、固定、収束、遠距離などがある。
これらはどうやってもその役割以外に遂行できるものがない。
対して、創造、浸透、流動は違う。
発想を変えるか、使い方次第でまったく別の側面を見せる。
身体系はある意味で中間のため、除外したとして万能系がどちらに入るかなど考えるまでもない。
全系統中で唯一創造系を超える汎用性を持つ系統が創造系に負けるはずがないのだ。
「……どうすっかなー」
今はまだ予想だが健輔の考えが正しければ万能系は更なる高みへと進むだろう。
しかし――、
「俺も踏ん切りがつかないね。いやはや……」
授業の静かな空気の中、健輔は答えが出ている問いを前に悩み続ける。
そちらにより強くなれる可能性がある限り、必ず最後にはより困難な道を選ぶのだろう。
わかっていても悩むのは何故なのか、健輔にもわからなかった。
「里奈ちゃんに相談しないとな」
健輔が思いついたことは大したものではない。
今の万能系の使い方が本当にあっているのか、そういうことである。
魔力回路を発達させて、あらゆる魔力を生み出す。
今の使い方はそういうものだ。
しかし、上限値に制限が付いてしまい、地力で劣る微妙な系統になってしまっている。
そこを解決するには技術的な発展を待つしかないが今年には確実に間に合わないだろう。
下手をしなくても3年生でも間に合っていない可能性もある。
順調にここまで強くなってきたことで気にしていなかった問題、それが鬼ごっこで表面に出てきた。
勝の固有能力によって体感した事実もあって、疑惑は確信へと変わりそうになっている。
教室に響くチョークの音に耳を傾けて、彼は思考に沈む。
その様子を蒼の少女だけが心配そうに見つめていた。