第12話
良いところまではいけるかと思ったが、終わってみると結果は完敗だった。
最も、負け慣れしている健輔は脳内で自分が勝つ場面を想像して流すだけだったが、ここに負け慣れしていない天才が居る事が話をややこしくさせている。
隣に座る女性はいつもの輝きはどこへ行ったのか、暗い背景を背負い、重苦しい空気を撒き散らしていた。
「お、お疲れさん。た、大変だった?」
「……お疲れ様でした。佐藤さん」
いつも通りを装っているのだろうが、落ち込んでいる事をまったく隠せていない。
初めて見る優香の表情にいろんな意味でドキドキしながら、健輔は必死に話題を選んで話し掛ける。
このまま放っておくとどこまでも沈んでいきそうな女性をそのままには出来なかったのだ。
「はは、早々に脱落して悪かった。お互い、まだまだ練習が足りなかったな」
「こちらこそ、佐藤さんの援護を……無駄にしてしまい申し訳ありませんでした。信頼に応えることが出来ず、情けないです」
「いや、そこまで思わなくていいから。部長は相当強いんだろう? 多少努力したり、小細工した程度であっさり勝てるとかそっちの方がありえないよ。だからあんまり気にすんなよ」
「……ええ、それは、わかってます。……気にしていませんよ、パートナーとして不手際に謝罪しただけですから……、ご心配をお掛けしたならすいません。私は大丈夫です」
話題選択を完璧に誤っていた。
優香はさらにドンヨリとした空気を纏い始める。
健輔も人付き合いが得意な方ではないのだ。
過剰に期待されても困る部分が多かった。
それでも隣に座る少女をなんとかしたいとは思っているのだ、
「……っ」
「ほ、本当に大丈夫か?」
「だ、大丈夫ですから……。気にしないでください」
付き合いがなければクールな表情で騙されてしまうのだろうが、少し付き合いがあれば必死に何かに耐えているのが丸わかりである。
擬音でいうならドヨーンと言った感じの背景を背負った優香は健輔の視線に気付かず地面を見つめていた。
真顔で落ち込む優香の様子を見ながらいつぞやの圭吾の言葉を思い出す。
優香に聞こえないように小さく、言葉を呟く。
「九条さんはクールで才色兼備の美少女……」
だから遠巻きに見ているファンがいる。
圭吾の言っていた事はそんな事だっただろうか。
そいつらの目は節穴だと今の健輔ならば断言できる。
物凄くわかりやすく影を背負ってる優香を横目に見つつ、健輔はファンとやらの盲目具合に戦慄していた。
憧れなどの先入観は本当に人を誤った方向へと導く。
微妙に子どもっぽい落ち込み方をしている優香を見ながら、しみじみと健輔はそんなことを思っていた。
普段の数歳は年上に見えそうな綺麗でクールな雰囲気はなくなり、可愛い女の子という感じになっている優香だった。
こうしている時にも、何度か健輔に話しかけようとして断念している。
「……、あの、いえ……やっぱりいいです」
途中で発言を止めないで欲しかった。
言いたいことがあるのならはっきり話して欲しい。
どんどん重くなる空気に健輔が居た堪れなくなる。
私は大丈夫という顔は張り付いていて、よくできてはいるが雰囲気がまったく隠せていない。
こんなにわかりやすい人物だったのか、と頭を捻る健輔だったが、そんな空気を打破する救世主がようやく帰ってくるのだった。
「ただいまー、いやーごめんよ! さっきまでさなえんに怒られてました!」
「趣旨は理解しただろうから、早々に叩きつぶすとかお前は鬼か……。私でもそんな発想はせんよ」
にぎやかに入ってくる先輩2人組。
普段は悪魔にしか見えない先輩たちだが、今回に限りまるで天使のように輝いていた。
部屋の空気に気づいたのか多少申し訳なさそうな顔になる真由美、逆に面白そうな顔になった早奈恵。
間逆の反応を示す先輩たち。
「優香ちゃんに健ちゃん、ごめんねー。私の悪い癖が出ちゃったよ」
「まあ、高さを知るという意味では、いい経験だよ。世界に行くには超えないといけない壁は多いからな。もっとも、真由美の行為は完全にアホの所業だからな。存分に笑ったり怒ったりしてかまわんぞ」
いろいろと言い訳くさい部分もあったがまったくの嘘ではない。
健輔たちは世界の壁と言うものは確かに感じ取れた。
それがどれほど高かったとしても知らないよりは知っている方がいい。
予想外だったのは真由美が強すぎたことくらいである。
「このアホは後で私たちが説教しておくさ。それよりもバックスについての感想はどうだ? 何か気付いたことがあったら遠慮なく言っていいぞ。もっとも、真由美の暴走の方が印象が強いかもしれんがな」
早奈恵が微妙に不機嫌の理由をその言葉から健輔は悟る。
後輩に対して初の見せ場だったにも関わらず、丸ごと印象を持っていかれれば機嫌の1つや2つ悪くなるだろう。
「う~、さなえん、まだ怒ってるでしょー」
「私が怒ってる思うなら反省するんだな。私だってこの時期にあそこまでやるつもりはなかったんだ。学びを放棄することは罪だが未熟は罪ではない。にもかかわらず、半ば無理やり叩きこむことになったのはお前のせいだ」
「わ、わかったよ……、考えなしにテンションのまま行動するのは自重するから機嫌直してくれないかな」
早奈恵はこれ見よがしに大きく溜息を吐いた。
パフォーマンスと言うか怒っているというポーズでもあるのだろう。
真由美の暴走しやすい、より言うならばノリやすいところを押さえるのがこのチームにおける早奈恵の役割である。
動と静という正反対の性質を持つ2人はだからこそ親友なのかもしれない。
「さなえんにも怒られたしね。もう一回ちゃんと謝るね、2人とも本当にごめんなさい」
場が落ち着くのを見計らった真由美が再度謝罪を口にする。
健輔としては遥かな先が見えたいい試合だったのだが、予想以上に優香が落ち込んでいるのを感じたため謝っているのだろう。
もっとも謝罪はあまり効果がないようだった。
むしろ謝られる度にさらに優香は落ち込んでいるように見える。
最近、健輔が密かに思っていたことだったが、優香は自己評価が低いのではないだろうか。
真由美を見ればわかるが実力者というものは基本的に行動の端々に自信が溢れているものだ。
1度だけしか会っていないが、優香の姉、桜香からも似た雰囲気を感じた。
優香の実力は本物である。
幾度も粉砕された健輔が証明することが可能だ。
しかし、自信が無さそうな部分は見逃して良いところではなかった。
空気を変えるべく殊更明るい感じで健輔は真由美に質問する。
「はい、部長!」
「うん? どうしたの、なんかあるなら言っていいよ、健ちゃん」
「バックスの試合以外での支援の話とかが聞きたいんですが、話してもらってもいいですか!」
「え、ああ、うん大丈夫だよ。じゃあ、そっちの話をしようか。さなえんもいいかな?」
「ああ、もう準備はできてるぞ。補佐はするから、頼んだ」
優香も多少気が逸れたのだろう、興味のありそうな表情を見せる。
なんとか持ち直した優香を見て、真由美がこっそりと健輔にありがとうというポーズをしてきたので親指を立てておく。
「はーい、普段のバックスの活動について説明するね! 私たちは練習、練習と殴り合いをしてる間に何をしているのか。それを説明しま~す」
健輔の空気を読んだ機転によってなんとか優香の心を自罰的な方向から逸らすことに成功する。
優香は真面目であるため、目上からの話は自然と聞く姿勢になるのだ。
これが健輔だと気を使わせたとまた微妙な砲口に転がるのだが、今回は上手くいったようだった。
優香は家族以外の人間とはあまり深く接してこなかったため、あまり露見してこなかったが、生きるということについて物凄く不器用なのである。
いろいろと事情を抱えているため、真由美も普段は気を使っているのだが、テンションを上げ過ぎた故に失敗してしまった。
こういう部分は真由美も人間だという証だろう。
真由美も心の中で反省しつつ、話を続ける。
「普段のバックスについてだけど、その前に試合前に遮った分から行くね。さなえん、お願い」
「ああ。では、いくぞ。専攻で分かれると言った、魔導陣・魔導紋・魔導式についてからだ」
早奈恵は白衣を翻して、微笑する。
声と雰囲気には合っているが、外見には合っていない。
無論、この状況では流石の健輔もツッコまないし、顔にも出さなかった。
神妙な表情で話に耳を傾けるだけである。
「大雑把に分けてあるががこれは原則全部同じことについて言っている。早い話が魔導式を少し大きくすると魔導紋、いっぱい組み合わせると魔導陣と言った感じになる」
「魔導陣は大型だからいろいろ詰め込める。魔導紋は大体人間の大きさぐらいかな。刺青みたいなものを想像してもらうとわかりやすいかも知れないね。魔導式は原則一つの効果しか持てない物のことを言うんだ」
「魔導式の洗練がそのまま他の陣を発展させていくことになる。ここら辺は語ると長くなるからな、魔導式は丸山の専攻だ。今度話を聞いてみるといい。さて、一通り説明はできたかな。では、バックスの日常について説明していこうか」
魔導式に触れると長くなるため、早奈恵はそこで話を区切る。
続けて、バックスの仕事に深く関連する道具について説明を始めた。
「ここで確認だがお前たち。魔導機、ツールについてはどれだけのことを知っている? 答えてみろ、佐藤」
「げ、なんで俺……、確か魔力を増幅する性質をもった宝石か何かを組み込んでいて、魔力を記録することができる現代の杖、でしたっけ」
「お前はどれだけ曖昧に覚えてるんだ……。試合時に着る魔導スーツもそうだが魔導機も技術の粋を凝らしたものなんだぞ」
「魔力核っていうのを作ってね。それを組み込んで特殊な魔導式を刻んでいる電子機器って言えばいいかなー。学校で配る奴って物凄く安く作ってるやつなんだよ。それでもそこそこするんだけど」
魔導機の値段など健輔はまったく知らない。
何故なら入学と同時に支給されたものだし、学園側も変に委縮されると困るため教えていないためだ。
「先程までの機転のきいていた脳みそはどこにいったんだ、学校で配ったのは安いやつだと真由美が言っただろう。じゃあ、高いやつはどこにあってどんなものになるんだ?」
「高い奴? ……ま、まさか!?」
「理解したって顔だね? 研究機関の提携の話もここで絡んでくるんだよね。早い話が自作していいんだよね。魔導機ってさ」
「魔導機に関しては規定を超えない範囲ならばどんなものにしても良い。その規定も大した規則じゃない。武器を組み込むなとかだ。お前が作ることになったら教えるさ」
魔導機のランクはいくつか段階が存在してその最終段階が専用機となる。
全ての魔導師がこのランクまでこれるわけではないが1流どころは大体持っていた。
魔導師の総数で言えば大体2割くらいが専用機持ちである。
優香も先程までの沈み込んだ様子はどこへやら興味津々といった感じに変わっている。
「私たちも、専用装備があるよー。今はまだ秘密だけどね」
「何かこう、言い方が気持ち悪いんですけど……」
「ひ、ひどい!?」
真由美の語尾にハートが付きそうな物言いに健輔がストレートに対応する。
ショックを受ける真由美を尻目に早奈恵は話を進めるのであった。
「真由美の事はどうでも良いが、今日の話は忘れるなよ? そこで妙な妄想をしてる奴もな」
「さなえん……」
「ぐぅ、べ、別に変な事を考えてはないですよ!」
「おい、ちょっとは落ち着け。真由美」
早奈恵の一喝に真由美も気を取り直したのか、咳払いをして、
「健ちゃんと優香ちゃんは、これから1週間、さなえんにいろいろと面倒見てもらうわけなんだけど、7月には大事なことが2つあります」
静かな調子で語り出す。
雰囲気が変わった先輩に釣られて健輔たちの表情の引き締まる。
「まずは今日の試合も大きく絡んでくるしこれからの我らがチームにとっても重要なことである公式戦の始まりかな。これから2月までの間、世界に向けての戦いが始まります」
優香の顔も落ち込んでいたものではなく決、意を固めたような凛々しく美しい顔になっていく。
健輔はまだ実感が湧いていないのかそれともまだ帰ってきていないのか締りのない顔をしているのとは対照的だった。
「万全とは言えなくてもできる限りのサポートは私たち、ううん、みんなでやるから2人には前に向かって進んでいって欲しいと思ってるんだ」
真由美は優しく柔らかい笑顔で後輩たちを見つめる。
見られた側も各々の思いでそれを受け取っていた。
「これが、7月の重要な出来事の1つだよ。みんなで頑張っていこうね。さて問題はもう1つの方なんだけど、さなえんお願いしてもいいかな?」
「ああ、これも私が面倒をみることになるのだろうからな」
真由美からバトンを受け取った早奈恵は厳かな雰囲気で2人を見据え、
「では、2人にまず問おうか? 学生の本分とはなんだ」
真由美の作り出した穏やかな空気はどこかへと消え去り、急速に空気が重くなる。
場を飲む迫力というのだろうか。
戦場の真由美もかなりすごかったが普段は早奈恵が1番雰囲気があった。
真面目な表情を作りながら、健輔はそんな事を思う。
ここ最近、健輔はやたらと表情に出ている事が多いと言われたため対応策を考えたのだ。
真剣な表情を見せるならば、真剣な事を考えればよい。
根本的な解決にはなっていないが、対処療法としては十分だろう。
これなら怒られることもない。
健輔は内心で自画自賛していたのだが、偶々早奈恵と視線が合う。
「ほう、珍しく思案顔だな、佐藤。よし、では答えてみろ」
「え」
結局、何か考えているという表情が出てしまえば意味がない。
そんな当たり前のことがすっぽり抜けているあたり、普段の健輔はダメだった。
それでも機転自体は悪いものではなく、なんとか答えを絞り出す。
「が、学業ですかね? やっぱり、学生なわけですから」
「ああ、もったいぶった感じで聞いたが当然のことだな。さて、ここまで言えば大体想像はできるだろうが、夏には学生最大の関門期末テストがある」
「あ」
健輔が頭の中から消し去っていた学生最大の強敵テスト。
魔導の学び舎である天祥学園だが、一般教養のテストも普通にある。
思いよらぬ伏兵に健輔の表情は目に見えて悪くなった。
「……はぁ。少しは隠すことを覚えたかと思えば、既にメッキが剥がれているぞ。一般教養のテストは問題はないはずだ。勉強自体は苦手だろうが、ある程度できるように勉強方法がきちんと用意されている」
まるでテストなどどうとでもなると言いたげな早奈恵の言葉だった。
後輩2人は揃って、首を傾げる。
「まあ、頭を捻る気持ちはわかるがな。チームに属さなかったものたちがもっとも痛手をこうむるのはこれなんだ。ちょっと想像してみたらいいここは国内唯一の魔導専門校だぞ。魔導のテストがあるに決まっているだろう」
「は? え、いや毎日模擬戦してるじゃないですか!」
想像していなかった単語が出てきたためか、健輔は反射的にわけのわからないことを言ってしまう。
普段の模擬戦を含めて、戦闘カリキュラムにおいては普通の科目ならば授業に当たるわけである。
ならば、試験に類するものが試験があるのも当然のことだった。
「2人ともわかったか? 魔導の上達には戦闘が最適なだけだ。テストは普通にある、しかも専門校らしく力を入れたものがな」
魔導のテスト、単語としてはわかるが何があるのか健輔にはさっぱりわからない。
万が一でも赤点でも取れば、世界の前に補習に旅立つことになってしまう。
それは勘弁してほしかった。
夢の専用装備も一緒に羽ばたいてしまったら、切腹を考えねばならないだろう。
健輔は過去最大の覚悟を持って、テストに挑む事を決意する。
今後も魔導を過不足なく楽しむために、完璧な成績が必要だった。
「連携の合間に夜は勉強だ。安心しろ、この時期はどこのチームも後輩に勉強を教える時期だからな。届けを出せば、学校の宿泊施設が使える。連携訓練と実技、その後は座学だな。何、面白い話もしてやるし専用装備についての細かい話もある。合宿だと思って楽しめ」
「実際、結構楽しいものだよ。夏合宿の前に雰囲気も掴めるしねー、2年組みも集まってなんかやるみたいだし」
「大きなテストは夏・冬の期末テストだけだ。ここを乗り越えれば後は暴れるだけだ。試合の行く末を占うと思って本気でやれ」
「なんかテストって割には面白そうなんですね」
「学校側も苦心している、そういう事だよ」
戦闘カリキュラムという言葉だけなら危険なものを扱っているのだ。
学園側も相応に気を使っていた。
「ちなみに1つだけ言っておく。魔導のテストは難しいぞ。いろいろと発展中だからな。偶に思いもよらないものが紛れ込んでたりする」
「割と留年とかもあるから気を付けてね」
「え……」
「わかりました」
かつてない程に真剣な2人の表情に健輔は唾を飲み込む。
入学から3ヶ月。
健輔の人生でもしかしたら以後も超えられることのない最強の敵がその片鱗を見せたのがこの瞬間だったのかもしれない。
魔導の学び舎、天祥学園――特殊な学校でも結局学生の最大の敵はテストだった。
特殊な技術も最後は日常の中へと還ってくる。
健輔はそのことになんだが笑えるような、嬉しいような不思議な気持ちを感じる。
悲喜交々いろいろとあれどもうすぐ戦いは始まる。
健輔は熱い夏を前に否応なしにテンションを上げるのだった。