第121話
「はぁぁ……恥ずかしい」
寮に返って1人で悶える健輔。
その様を彼の半身とも言える『陽炎』だけが見ていた。
『マスター? どうかなされましたか?』
「ん、ああ、いやね。桜香さんから良いアドバイスを貰ってな。それでちょっと……」
『最近、溜息の回数が増えていましたがそのことでしょうか? 敵から追われることになったマスターの精神に負荷が掛かっていると推測していましたが』
あまりにも的確に問題を指摘されたことで一瞬、言葉に詰まる。
「……すげえ、大当たりだよ」
『解消されたのなら何よりです。統計的なデータだったのですが、役に立つのかわかりませんでしたから。メンタル面でのケアはまだまだ私には難しい分野ですのでマイスターを含めて多くの方に支えていただけるのは助かります』
自分の新しい武器にして、相棒。
魔導においては半身ともいうべきものが思った以上に優秀だったことに健輔は言葉もない。
そして改めて自分の思い上がりには頭が痛くなってきた。
戦闘に傾倒したのも間違いなく『特別』であることに酔いしれていたからだ。
「ぐぉぉぉ、きつい。黒歴史を客観視するのは辛いな……」
あまりの恥ずかしさに悶えそうになる。
思えば桜香を倒してから、自分の能力というものを高く見積もりすぎだったのだ。
最強を打倒したのだから、これぐらいは。
言葉にすればそんなものだが思い上がりも甚だしい。
自分に才能がないとまでは言わないが健輔の才能はそんな浮ついた状態で活用できるものではない。
冷静にかつ客観的に自分を判断し、制御しないといけない。
過大評価も、過小評価も等しくやってはいけないことなのだ。
そんなことはわかりきっていたのに、改めて確認しなければならなくなったことがまず不愉快である。
「あーーーー、恥ずかしい! っと、あんまりずっと悶えるのもあれだし、別のことを考えよう」
反省すべきことは多々あるが今振り返っても悶えるしか出来ない。
時間を置くことも時には大事なのだ。
走り続けることは辛く、疲れる。
可能ならば適宜休憩を挟むのが効率的には1番良い。
精神衛生にあまりよろしくないため、体の良い言い訳でもあったがとりあえず脇に置いておくのは悪いことではないだろう。
あまり根を詰め過ぎても良いことはない。
「『陽炎』、文化祭のデータをくれ。おすすめとかも頼むわ」
『了解しました。子機に転送します』
魔導競技のことで思うところはいろいろある。
なんだかんだと言われても健輔が魔導競技が好きなのは変わらないし、これからも戦闘を好むは同じだ。
しかし、順番を履き違えるのだけはいけないだろう。
まずは、明日の優香との文化祭デートを成功を持ち込むことを考える。
戦闘云々ではなく、人としてそこは間違えてはいけないラインであるとはっきりと自覚をしたのだ。
「さてと、どこを回るかな……」
どこか浮ついていた健輔はもう居らず、そこには普段通りのどこか抜けているが決める時は決める男の顔に戻っていた。
出来ることと出来ないことを冷静に判断するのが彼の利点だったのだから、これはようやく本来の姿を取り戻したと言えるだろう。
魔導競技に限らず勝負というものは勝っても負けても、必ず変わるものがある。
魔導とは関係ないごく普通の人しての成長。
佐藤健輔、15歳の秋に徐々に今までとはまた違った部分で大きく変わっていくのだった。
健輔が己の黒歴史に悶えている頃、まったく違う理由で深い悩みに落ちている女性がいた。
憂いのある表情は彼女を5つ程年上に見せ、同級生の男子たちの目を引きつけてやまないことだろう。
輝く黒い髪は夜のようであり、男の心を掻き立てる。
彼女――九条優香はベットに並べた服を前にかれこれ1時間は悩んでいた。
「どうしよう……」
昨日の段階で着ていく服はある程度決めていたのだが、今日の肉親の行動によりそれはおじゃんになった。
明るい系統の組み合わせにしようと思っていたが、健輔の心情を慮ると明るすぎるのもどうだろうと悩んでいるのである。
悩みの対象の本人はとっくに振り切っていて、今は黒歴史に悶えていることを考えると恐ろしいまでに噛み合っていない状況だが、あそこまでぼろ糞に言われてあっさりと振り切る人間はいないため、優香の反応の方が普通だった。
「もう、姉さんったら!」
姉の暴言、もしくは妄言に再度怒りを見せる。
怖いというよりも可愛らしい怒り方になっているのは優香の地がそっちよりだからだろう。
クールで冷たい仮面は戦闘時の姉を参考に作り上げたものだ。
もうそんなものは必要ない、そういうことであった。
「健輔さんなら気にしないかな。……でも、こういうのは気持ちだし……」
ぶつぶつと独り言をつぶやく様は少しだけ怖い部分もあるが微笑ましさの方が印象が強い。
離れていてもお互いに相手のことを考えている辺り2人は似たもの同士だった。
誰も見ていないのが勿体ない程表情をころころと変えて少女は一生懸命に悩む。
似たような悩みなのに同じタイミングで黒歴史をスルーすることに決めていたりする男とは大きな違いである。
「うん、やっぱり青でいこう」
男性にはわからない些細な色の明暗でたっぷりと悩んだ彼女はパートナーたる男性を信じて本来予定していた服を着ていくことにする。
明日を楽しみにしていたのだろう。
カレンダーには彼女の文字と一緒に花丸のマークが付いている。
「明日が良い日になりますように――」
明日の準備を整えた優香は早めに就寝の準備へと入る。
先ほどまでは姉に憤ったりと健輔の心をとても心配していたにも関わらず、今は欠片もそれを感じさせない。
そこにあるのは信頼である。
九条優香は佐藤健輔ともっとも戦場と、そして練習を共にしてきた人物だ。
健輔が乗り越えたきた壁の全てを知っているし、全ての段階の健輔と戦ったことのある唯一の相手と言えるだろう。
日々進化していく健輔の魔導。
1日たりとも同じ姿はなく、常に前を進んできたその歩みをそれこそ健輔よりも知っている。
培われた半年間の信頼は心配性の優香でもわかる程になっていた。
――健輔の心が折れることなどありえない。
敗北はあるだろう。
しかし、挫折だけはありえないと彼女は信じているのだから。
「おやすみなさい、『雪風』。また、明日」
『おやすみなさい、マスター』
静かに眠りへと落ちていく。
遠足を待つ子どもような心のままに――。
「やっぱり、き、嫌われちゃったかしら?」
「大丈夫よ。あの子たちはわかってくれるわ。それにあなた以外に憎まれ役を引き受けれる人がいなかったんだもの。仕方のない面もあるわよ」
桜香が亜希に弱音を吐く。
どれほど完璧に見えていようとも17歳の未成年であることには変わりない。
桜香とて他の人間のように弱い部分はあるのだ。
それが今まで表に出てこなかったのは桜香の努力とある意味での周囲の協力があったからだった。
それらの環境は健輔により敗北を与えられたことで崩壊している。
桜香もまた変化に適応しようと必死だったのだ。
亜希や他の『アマテラス』の面々もそれを支えるために頑張っている。
「大丈夫よ、優香ちゃんも後は健輔くんもそんな狭量ではないわ」
「そ、そうよね。だ、大丈夫よね」
言い方は悪いが桜香にとって強くあり、他者と隔絶していることは義務であった。
天から与えられた才能に対する返礼はそれしかないと桜香は真剣に思っていたのだ。
そんな義務はないと矜持をぶち壊していったのが健輔である。
優香が健輔の飾らない姿に好意を持ったのなら、桜香は自身の価値観を破壊した相手に興味を持ったのだ。
そして、興味を持ったのならどこまでも追及するのが彼女である。
「でも、あれね。私の知らないうちに良く調べたのね? 私は彼がそこまで魔導競技に傾倒してるとは思わなかったけど……」
「え、そう? 私はわかりやすかったわ。だって、彼、才能を柱にしている人に似てる部分があったから」
最終的に健輔に敗れたにしろ、桜香の能力が下がったわけではない。
彼女は依然として国内最強の魔導師であり、その戦略眼などもきっちりと機能している。
戦闘経験も既に2年にも届こうしているのだ。
死角を探す方が難しい。
そして、その膨大な経験の中には健輔が陥りそうになっていた症状を発症しているものが多くいた。
彼らは中途半端に天才だったゆえに、誇りごと桜香に砕かれて折れていったものたちだ。
「自分の中で信じているものが才能の人って結構簡単に折れるわ。……少なくとも私に自信を持って挑んだ人は全て折れたわ」
魔導の扱い、他にも勉強やスポーツと世の中には競い合う物事は多い。
そして人はその中で競った優劣などを元に自分を評価したりする。
悪いことはではない。
自分に自負を持っていないと出来ないことも世の中には多いからだ。
誰だって自分すらも信じられない人間よりも自信を持って行動する人物を支持するだろう。
しかし、才能という無形のもので順当に昇ってきたものはより巨大な才能を持つものに粉砕されてしまう
同じ土俵で戦う限りにおいて、物事はより上位のものが勝ってしまうように世界は出来ていた。
残酷なようだがはっきりとした現実である。
「健輔くんは、そうね。彼は才能も道具と見做していると強く感じたわ。少なくとも私と戦った時はそうよ」
「……道具だから、信用はしても信頼はしない?」
「ええ、それが近いと思う。彼が信じてたのはチームで、結局自負は捨てて良いものだったわ。団結力が違う、だから私は負けたの」
桜香が敗北したことにいろいろな要因はあるだろう。
その中に仲間との連携不足や、信頼不足、桜香の隠れた傲慢などがありそれら全てを突かれる形で健輔に敗北したのだ。
桜香の価値観の中にいない相手だったのが健輔である。
良くも悪くも正道を歩いてきた桜香だからこそ、邪道に敗れた。
どちらの優劣を競うのではなくきちんとそれを認識しているかの差が勝負を分けたのだ。
人間だから勝つときは勝つし、負ける時は負けると割り切る男と勝利が義務となっていた女。
あの戦いはそのような側面もあった。
「でも、次の戦いのとき。相手チーム全員から狙われた時から少し様子がおかしなったわね。うん、私に負けた人たちの癖がちょっと見えたのは」
「あなたに勝ったことにきちんと応えたかったんでしょうね。それがプレッシャーだったんでしょう。桜香に勝てる可能性があっても、あの子は桜香みたいに最強には成れないわ」
桜香に勝つということと、国内の頂点に立つというのは意味が異なる。
自分が注目されているこということで、健輔は一瞬自分の道を見失い、迷子になってしまった。
迷走の始まりである。
最終的に真由美や桜香の言葉で自覚をすることで事なきを得たがあのまま、後半戦に突入した場合下手をするとスランプで潰れる可能性もあった。
健輔は立場が変わったのであって、能力が変わったわけではないからだ。
佐藤健輔は変わらず佐藤健輔にしか成れない。
桜香の変わりがいないように健輔も変わりもいない、当たり前のことだがついつい見失いがちなことだった。
「チーム内の空気を悪く出来ないから直接、まあ、悪意が籠ったあの言葉を言える人はいないでしょうね。その点、桜香は敵なのは変わらない」
「ええ、私と彼は敵。クラウディアさんみたいには成れないでしょうね。――私は結局、雪辱を果たす時に彼に強くあって欲しいだけだから」
「っ……桜香」
次は必ず勝つと決めているがその時にかつてよりも弱くては意味がない。
相応しき舞台で、必ず粉砕すると桜香は誓っている。
そこだけは決して変わらないことだ。
健輔が桜香につけた傷はそれでしか塞ぐことは出来ない。
「夢、という程でもないけどまた負けるのは何度も考えたわ。みんな、すごいと思う。――私はすごく怖いもの、自分のしてきたことに意味が無くなりそうで、本当に怖かった」
知っているのは健輔だけだろう。
敵だった彼に最後、桜香は懇願したのだ。
――やめてくれ、と。
無様としか言いようがないことであり、彼女もどうして出てきたのかわからないことだった。
だから、もう1度挑むのだ。
もしかしたら、そこに答えがあるかもしれない。
「それを払拭するためにも強くあってほしいか……。桜香って意外と不器用よね?」
「そ、そうかしら? 亜希にまでそんな風に言われるとは思わなかったわ」
「あら、私以外に言った人がいるの?」
「ええ、優香に」
「そっか、だったら案外当たってるかもね」
亜希は口には出さないが桜香の不器用さが発揮される基準に気付いていた。
優香が気付けたのはその対象だったからだろう。
亜希が気付けたのは今日、間近で目撃したからだ。
そのことにほんの少しだけ寂しく思う。
亜希はきっと、まだ桜香にとって対等の友人になれていない。
だから――
「あまり向こうのことばかり心配し過ぎても仕方ないし、こちらはこちらで頑張りましょう」
「うん、そうね」
――今度こそ、桜香にも気付かれないように準備をしないといけない。
わかりやすく桜香にそれを伝えるには彼女が目を剥くような力がいる。
才能ははないが亜希もベテランの魔導師だ、目指すべき方向はわかっていた。
文化祭後に行われる試合、対『明星のかけら』がきっと亜希を導いてくれるだろう。
「そろそろ遅いし、失礼するわね」
「ええ、また明日」
文化祭もついに後半へと。
この凪が終われば再び魔導師たちは熱い戦いに戻っていく。
もっとも、その前に体育祭がある。
気軽に考えている女性陣とは違って不退転の覚悟を決めている男性陣がいる事を彼女たちはまだ知らなかった。




