第120話
無言で対峙する2人。
片方は男装がよく似合いそうな麗人でスラっとした長身の美人。
もう片方はどこにでも居そうな男子高校生。
持っている華が違う対象的な2人は1つのテーブルに腰掛け、お互いを見つめ合っている。
爆発する前の空気、嵐の前の静けさと言うべきだろうか。
ピリピリとした空気が2人から漂ってきている。
2人の間柄を言葉で表現することは難しい。
敵ではないがかと言って知り合いと呼べる程の間柄でもなかった。
ほとんど初対面に近い状態なのだから、当たり前なのだが2人に関わってくるある姉妹との関係が2人の間柄をややこしいものにしている。
「せっかく頼んだのに飲まないの?」
「……今が気軽に飲める空気だと思うんですか?」
「あら、以外。そういうことは気にしない子だと思ってたわ」
「どんな人間ですか。俺は見ての通りごく普通の男子高校生ですよ」
ジャブのような軽いやり取り。
そこにほんの少し前まで先輩たちにからかわれていた彼の姿はない。
目の前にいる女性は敵ではなかったが、味方でもないのだ。
ならば、意識を戦場に切り替えてしまえばどうとでも対処出来る。
むしろ、下手に内側に入られているよりもはっきりと外にいる相手の方が対処しやすいとすら思っていた。
「……それで? ご用件はなんですか」
「せっかちね。どうせ、優香ちゃんも桜香が用を済ますまではこっちに来れないんだから、少しは仲良くしましょうよ?」
「……そうですか」
女性の笑みには余裕が窺える。
凛々しい美貌を持つその女性の名は二宮亜希。
健輔が打倒した九条桜香の親友にして、優香の数少ない知り合いのお姉さん。
健輔からすると妙に胡散臭く見える人物がこちらに微笑みを向けているのだった。
時間は少しばかり遡る。
健輔が美咲と連れ立って、優香の元にやって来た時だ。
雑談に興じながらの移動だったのだが、教室に近くなるにつれて妙に人が増えてくる。
それだけならば繁盛しているで済んだ話だったのだが、教室が視界に入る距離に近づくと猛烈な違和感を感じるようになってきたのだ。
「何かしら?」
「さあ、なんかイベントでもやってんのか?」
「今は優香が出てるけど、でも……」
怪訝な表情の美咲と健輔は近づいていく。
入口には人だかりが出来ていて、女性の黄色い悲鳴が聞こえる。
まるでアイドルのファンが信じられない光景に遭遇してしまったかのようだった。
男子の恐ろしくテンションが高い声も混じっているところを見ると性別を問わない人気を持っているらしい。
「優香ってこんなに人気だったっけ?」
「人気はあるけど、ここまでじゃないわ。正直な話、同性の人気は微妙かな。1学期の優香は、まあ、ね? 健輔ならわかるでしょう?」
「ああ、うん」
1学期の優香の周りを寄せ付けない雰囲気があった。
意図していたわけではないのだろうが、彼女の冷たい視線と空気がそのように錯覚させていたのだ。
結果として、冷たい美女とまで言われたのはよいのか悪いのか。
しかし、その話は既に過去の物であり、今の優香にはそのような部分はなかった。
親しみやすいとまではいかないが無差別に人に威圧を掛けるようなことはない。
「男子の人気は変わらず高いわ。むしろ、より人気になったと言うべきかもしれないかも」
「それも、まあ、わかる」
男子の人気はどちらの優香も左程変わらないため、健輔からするとどうでもよかった。
美咲としてもビジュアル面での優香が飛びぬけていることなど前々からわかっているためそれが原因だとは思っていない。
健輔的には桜香よりも優香の方がその点では勝っていると思っていた。
桜香も綺麗だが、才能面での乖離具合が凄まじ過ぎる。
彼女の場合はファンになるなどを通り越して信仰とかの領域になってしまう。
比較対象として良いとは言えなかった。
「とりあえず、行きましょう」
「ああ、そうだ――」
健輔が頷き返そうとした時、
「ね、姉さん、落ちついてください!」
「こんなに可愛い優香を見れるなんて!」
「桜香、優香ちゃんが困ってるから落ち着いて」
そんな声がが聞こえてきた。
瞬間、2人もこの人だかりの原因が簡単にわかってしまう。
なるほど、確かに比較するのには不適当な人物だが並べることには問題ない。
優香と桜香、2人が揃えばそれはそれは華やかなになるだろう。
「……そういうことか」
「……そうみたいね」
健輔、美咲共に頭痛を耐えるかのように頭を押さえる。
心因性のものなのか、健輔は激しい痛みを感じていた。
健輔にもミーハーな部分は当然の如く存在している。
桜香に憧れるのかはともかくとして尊敬はしていたのだ。
いや、今でも尊敬の念は変わらない。
とはいえ、こうも短期間で積み重ねたイメージを破壊されるとは思ってもみなかった。
健輔が倒してからの桜香はイメージがどんどん剥がれていく。
もしかしたら、押さえつけられていたものが敗北で噴出しただけなのかしれないが。
「パンドラの箱かよ」
最後に残ったのは一体なんなんだろうと、自分がしたことの恐ろしさに震えるのだった。
「優香!」
「あ、美咲さん」
美咲の後ろについて、人ごみを書き分けて中に入るとメイド服を着た優香がホッとした顔を見せる。
優香に抱きついている桜香のせいで全体像は把握出来ないが、基本的に露出は抑えられているメイド服を着ているようだ。
品がある優香にも露骨に肌を見せるものよりも、イメージが掻き立てられる分なんとも言えない色気がある。
そんな普段とは違う雰囲気を漂わせる優香だが、健輔の瞳はある一点に目を釘付けにさていた。
「でけぇ……」
優香の普段は隠れている、もしくはわからない胸がはっきりと強調されているのだ。
1度魔導スーツ越しに確認しているが改めてみると制服越しではあまりわからなくなっていたがかなり大きいものをお持ちになっている。
もっとも、直ぐ傍で妹に抱きついている良く似た容姿をしている人も大きい方なので遺伝なのかもしれなかった。
「健輔ー」
「っと、はいはい!」
美咲の呼び声に従って教室に突入する。
予想通り、いや、それ以上にひどい惨状がそこに待ち受けていた。
収拾を付けるためにかなりの労力を払い、話は冒頭の状態に至るのである。
そんなことがあって、営業妨害も甚だしい状況を美咲の手で解決することになり健輔はお荷物3名の連行という役割で外に追い出された。
健輔は何もしていないのにひどい対応である。
文句を言ったところでどうにもならないため、諦めて受け入れたのだがその結果の1つが厄介そうな人物とのツーショットという運の無さだった。
少し離れたところでは未だに姉妹が抱き着いたり、抱き着かれたりしているのが視界に入る。
そもそもこのようなよくわからないツーショットは桜香の我儘が原因だった。
彼女は優香を堪能することを望み、それを実行している。
結果、残された2人がこの形に落ち着いたのだった。
まさしく2人はお見合いを続ける。
「……」
「……」
お互いに相手との距離感を掴むのに苦労している。
社交的な方ではないが別に口下手でもないはずの健輔だがこの時に限っては何故か良い言葉が思い浮かばなかった。
だからだろうか、不用意な発言をしてしまったのは。
「……そんなに邪険にしないで。私は結構、あなたの話せる時を楽しみにしてたんだから」
「憎い相手として? 正直、アマテラスは桜香さん以外には興味ないですね。立ち向かわない人たちとなんて、ね?」
「――そう、いえ、当然かしら。あなたみたいに強い人はそういうわよね」
急に亜希の声が重くなる。
健輔からすれば挑発でもすれば何かをこぼすかと思ったのだが予想を上回る変化だった。
当たり前である。
健輔に自覚はないが対話として考えた時に彼の言葉は明確に喧嘩を売っているようなものだ。
戦闘中ならば、戦闘中だったら。
健輔だけでなく彼の周囲もよく使うこの言葉。
よくよく考えると意味がわからない言葉だろう。
果断な判断が必要な状況でその力を発揮することを指しているのだろうが、戦闘中とは攻撃的になっている状態を指し示すのだ。
会話はキャッチボールである。
相手の顔面目掛けて剛速球を上げれるからと言って上手いわけではない。
「……初対面でここまで言われるとは思わなかった」
「あ……、いや……」
今更ながらに焦る健輔だがもう遅い。
敵だからとつい、慣れている対処法を使ってしまった。
言葉にすればそれだけである。
意識を戦闘中に切り替えれば、果断になる。
しかし、それを相手も了承しているとは限らないだろう。
そんな当たり前の発想が抜けてしまっている。
よくも悪くも魔導競技というフィールドが特別なのだということを健輔は忘れていた。
真由美が戦闘にのめり込みすぎだと危惧したのはこういう場面がいつか来ると思ったからである。
思ったよりも早く炸裂したのは予想外であったが。
健輔をよく知らない亜希からすれば、健輔がそのような認識でこの場にいるとは思ってないのだから当たり前だった。
「あなたは強い、それは事実よ。だからと言って、私たちを否定される謂れはないわ」
「ッ……」
無神経に貫いた言葉。
誰だって土足で大事な部分を荒らされたら怒る。
亜希の怒りに健輔が怯み場が荒れようとした時に、
「そこまでよ、亜希。健輔くんは微妙にコミュ障だから勘弁してあげて」
――穏やかな声がそれを静止する。
どれほど関係が変わろうとも、亜希にとっての太陽はいつだって彼女だ。
依存と言い換えることも出来るが、その信頼は絶大である。
些か歪んでいる関係でもあるが、少なくとも本人同士は納得しているのだから外からをうち挟むことはないだろう。
それに以前ならば不健全な仲だったかもしれないが今は一歩前に出ている。
健輔に指摘されて怒気を発したのはそれを1番感じているのが亜希だったからだ。
図星を刺される、余程の聖人でない限り反発するのも仕方がない。
「ごめんね、割り込むようなことをして。ここで喧嘩になったら回りにも迷惑だから。優香も座りなさい」
「はい、失礼します」
亜希と健輔は今だに緊張状態だが桜香はニコニコと傍観している。
このメンツで揉めることなどないと無条件に信じきっている瞳。
九条桜香の怖いところだ。
彼女は1度、決断するとどこまでも走り続ける。
健輔とある意味で似ていると言えるだろう。
止まるという選択肢がない彼女は生き方にもそれが現れている。
「健輔君もダメよ? 普通は日常会話に戦闘なんて持ち込んでもうまくいかないわよ?」
「っ、はい、すいません」
はっきりと指摘されたことに息を呑む。
いや、桜香の話はそれだけで終わらなかった。
健輔の周囲がうすうす気づいても遠慮をして言えなかったことを何の感慨もなく踏み抜いたのだ。
「何より、そこにしか才能がないからってそれを振りかざすのはどうかと思うわ」
空気が凍る。
どこにでもある喫茶店のテーブルが極寒のような空気を醸し出す。
1番最初に動いたのは優香だった。
姉の突然の暴言に抗議しようと口を開く。
「ね、姉さ――」
「――黙りなさい。私は健輔くんと話してます」
「――ッ……」
冷たい一喝に優香はそれ以上の言葉を捻り出せなくなる。
重い空気、怒っていたはずの亜希すら親友の思いもかけない行動に目を見開いていた。
桜香に隠れた傲慢さがあったのは事実だが、それはあくまでも心の内にあるもので、誰かに非難されるようなものではなかった。
奥深く、本当に深い部分に隠れていたからこそ、先の試合でそれを暴かれた結果敗北したのだ。
しかし、暴かれたからと言って桜香が大きく変わったわけではない。
行動的にはなったが、それぐらいでありこのような行動を取るはずがないのだ。
誰もが沈黙する中、桜香はふと優しい笑みを見せる。
冷たい表情からの180度変わったその笑みが意味するのは、
「なんだ。やっぱり、ちゃんとわかってたのね」
「――まあ、その……言葉にしてくれたのはありがたいです」
――肩を荷を下ろしたようなホッとした顔をした健輔を見たからである。
桜香に言われたことを誰よりも実感していたのは他でもない健輔であった。
才能を振りかざしている。
そう言われても仕方ない。
「今はまだ頼ってるぐらいでしょうけど、早晩道を踏み外す可能性があったので、軽くジャブを放ってみましたけど。大きなお世話だったかな?」
「いえ、最近は真由美さんも遠回しに警告してくれたんでそんなにです」
「あらら、やっぱり敵わないなー。真由美さんには」
人を率いるものとしての才。
これだけは桜香も勝てない人間たちがいた。
真由美、立夏、ハンナ。
直ぐに思い浮かぶだけでも3人はいる。
「まあ、いらぬお世話にならなかったのなら良いけど」
「……ズバリと言葉にしてくれたのはいいですけど、普通は傷つく人の方が多いですからやめた方がいいですよ」
桜香ははっきりと物事の本質を突き過ぎる。
正論だが、時には激しく人を傷つけることもあるのだ。
その辺りの配慮がないのが彼女が真由美たちに劣る部分であろう。
「直球過ぎましたか?」
「俺以外だと反発されますよ。特にあなたに言われるのはね」
「……そうですか。そんなつもりはないんですけどね」
「誰だってそうですよ。悪意を振りまこうと思ってるのは、まあ、いないとは言わないですけど少数派でしょう」
桜香の言葉はきつかったが健輔には割とちょうどよかった。
戦闘センス、健輔の唯一の才能と言っていいそれを振りかざしている。
「あー、でも、あれですね。……才能に振り回されるって意味がよくわかりました」
「……そうね。私も身に染みてます」
常に戦闘状況、そんなものを想定するのはそこでしか活躍出来ないから。
あれほど、焦って競技に没入したのも理由は同じだ。
ここで活躍出来ないと何も出来ないという恐怖である。
自分は特別、そんな意識がどこかにあったのだ。
戦闘でならば、戦闘だったら、これらの言葉がよく状況を表している。
「これを制御してきたんですか? すごいですね」
「む、揶揄ですか? 出来てるつもりだったから、負けたんですけど」
「出来てますよ? 俺みたいに飲み込まれてはないです。実態を把握はしてなかったみたいですけど」
「もう、ああ言えばこう言う……。はぁ……、優香も大変ね」
「え、いや、その結構わかりやすい人なので……」
優香のフォローがあんまりフォローになっていない。
ここで突っ込んだら脱線するだけなので健輔は必死に言葉を飲み込んだ。
最近ツッコみを飲み込むことが多いような気がするが疑問は脇に置いてとにかく話を進める。
「一応、お礼と謝罪を。ありがとうございました。自負は無くさないようにしますが、もうちょっと落ち着きます。そして、亜希さんには不躾な物言い申し訳ありませんでした」
「……いいえ、こっちも年下の言葉に大人気なかったわ。ごめんなさいね」
悩んだ意味はあったのか、なかったのか。
天才が自傷も辞さずに行ってくれた忠告により、健輔も肩の荷が下りた。
最強に勝ちは拾えたが健輔は大した魔導師ではない。
いつかなどと言わずに直ぐにでも敗北するかもしれないだろう。
だからこそ、かつてと同じようにチームに貢献する気持ちを忘れてはならない。
いろいろと悩み、アドバイスを受けて結局、たどり着いたのは最初と同じ答えだった。
「悩みってのは難しいですね、桜香さん」
「ええ、まったく。私も最近、そう思います」
文化祭は3日目はそんな言葉と共に終わりに向かう。
――もう少し、落ち着いて周りを見てみよう。
きっと、他にも面白いものがある。
どこか、昨日よりもワクワクした気持ちを抑え、健輔は明日の優香との文化祭デートに思いを馳せるのだった。