第118話
「それで昨日は葵さんに振り回されたってこと? 自業自得じゃない。健輔のそういうところは直した方が良いと私は思うわよ」
葵の思わぬカミングアウトから翌日。
文化祭は3日目へと突入する。
今日と明日は美咲、優香と健輔にとっても相手をしやすい部類の人物が同行してくれるため一安心だった。
「わかってるって……。もう、お説教は勘弁してください」
「しつこいぐらい言われれば、流石に脳みそに叩き込まれるでしょ」
クラウディアはともかくとして、健輔を戦闘以外にも目を向けるように矯正する役割は全て葵に振られていたのだろう。
美咲が立ててくれた今日の予定は無難にチームメイトのところを回るだけになっている。
一部は明日の優香に残しているらしいが、今日は昨日のようなことはないはずだった。
「女性恐怖症になりそうだから、昨日みたいのは勘弁してくれよ」
「昨日何があったのよ。はぁ……、安心して私は普通だから」
「おう、いや、マジ頼むよ」
「はいはい、わかってます。……時間は有限だし、早く行きましょう。最初は真由美さんのところよ」
予定は知っていたがいざ目前となると尻込みする。
昨日の葵との時間は言うなれば真由美からの無茶ぶりが原因なのだから、接触したくない気持ちは強かった。
「いきなりハードル高くない?」
「そんな言う程の事? というか、真由美さんはコスプレしてるだけなんだから、そんなに警戒しなくてもいいでしょうに」
「ツッコみの難易度が高いんだよ、あの人はさ」
「まぁ、言いたいことはわかるけど。うじうじとしてるのは似合わないわよ。早く行きましょう」
昨日、ひたすらに葵に振り回されて、ツッコみを入れ続けたのだ。
今日は穏やかな日々を過ごしたいと切に願う健輔であった。
そんな風に必死な顔をしている友人に美咲は頭を抱える。
「はぁ……。優香はどうして――」
「ん? 優香がどうかしたのか?」
「何でもありません。戦闘中の凛々しさや頼もしさを少しは普段から出してくださいってだけ」
「え……それって」
「ああ、もう! 行きましょう。真由美さん、きっと笑顔で待ってるわよ」
「いや、それが困るんだよ……」
美咲の意味深な言葉について聞いてみたことがあったが、聞けそうな雰囲気ではない。
何より美咲の言いたいことは健輔も思っているのだ。
戦闘時の能力が僅かでも日常で活かせればもう少しマシだろうと本人も思っている。
魔導の力で晴れ渡った空を見上げながらそんな事を思う。
今日は今日できっと大変なんだろうな、と諦めが入った気持ちで乾いた笑いを浮かべるのであった。
「いらっしゃいませー」
「よく来たな」
3年生の出し物が集中している場所の中でも朝早くから妙に盛り上がっている一角。
教室を改造したコスプレ喫茶は結構な賑わいを見せていた。
顔を出した美咲と健輔を見事な接客スマイルで出迎える真由美と早奈恵。
いや、良く見てみると早奈恵は目元と口元がぴくぴくしているのがわかる。
もしかしなくても、相当に無理をしていることがわかってしまい健輔の目尻に涙が浮かぶ。
真由美の玩具になるのは何も後輩だけではないという生きた証拠がそこにはあった。
「2人ともいらっしゃい! クラスの子にはちゃんと伝えてるから、2人の接客は私がするよ」
「……よく来たな。来たことだけは褒めてやろう。ただし、健輔」
「は、はい!」
「お前は今日、ここで、見たことを忘れろ。いいな」
言葉を念入り区切って強調してくる早奈恵の背後に何やらオーラらしきものが見える。
あらゆる状況を想定して生き残る生存特化の魔導師、佐藤健輔。
つい最近には九条桜香も打倒した彼の胆力をもってしても耐えられないバックスとは思えぬ圧力だった。
「はい! 完璧に忘れます!」
「うむ、私は良い後輩を持った。美咲、君も当然――」
「わかってますよ。でも、忘れるとか無理ですから。どれほど、些細なことでも常に記憶にとどめておけ。誰の言葉でしたっけ」
「ち、嫌なことはきちんと覚えている」
「自衛のためですから」
健輔は涼しい顔で早奈恵を抑え込む美咲に戦慄を隠せなかった。
未だかつて健輔は早奈恵に口で勝ったことがない。
サブリーダーは隆志だが早奈恵はある意味で真由美の外付けの頭脳である。
チームの頼れる参謀は健輔程度の貧弱な頭脳では相手にならなかった。
それに対して美咲は正面から早奈恵を論破したのだ。
春には人見知りが強かったとは思えない物凄い成長だった。
こんなところで同級生の成長を実感するとは世の中何が起こるのかはわからないものである。
「ま、さなえんの私情は後回しにして、文化祭は楽しんでる? 特に健ちゃん」
「……いろいろ言いたいことはありますけど、きちんと楽しんでますよ。昨日の人選を葵さんにしたのだけは許さないですけど」
「へ? あおちゃん何かしたの? 今回のは志願なんだけどなー」
「なっ!? ……あの人は本当に……」
自由気侭に己を貫いて生きる。
己に確固たる芯があるものの生き方であった。
そして何よりも己を信じている。
生まれてこの方自分以上に信じられないものはない健輔からすればどこからそれらが湧いてくるのか、1度聞いてみたいものだった。
「ま、あおちゃんに関してはまた今度でいいや。やることはやってくれたみたいだしね」
「ちょ……」
親指の腹を健輔の頬に押し付けてくる。
「うりうり、悩みはなくなったかい?」
「っ、大丈夫です。問題ありません」
「うんうん、文化祭に入る前よりもいい目してるよ」
にっこりと嬉しそうに笑う真由美。
ふと気になるというか、目についたことがあった。
先ほど見た接客スマイルと普段からよく見る真由美の笑顔、どこか似ているのである。
同じ人間なんだから当たり前だと思うかもしれないが、健輔は妙に気になってしまった。
もしかしたら、普段から真由美は無理をしているのかもしれない。
無理をさせている原因の1つは間違いなく自分だと思うと、自然と頭が下がった。
「どしたの? 急に頭なんか下げて?」
「え、こう、その、日ごろの感謝的な?」
「どうしてそこで疑問形なのかな? ま、いいや、ありがとう」
真由美はそう言って接客に戻る。
コスチュームチェンジは以前見せているためか、再度見せてもらうことはなかった。
爆発しそうな早奈恵がいるため、頼めなかったというのが正しいような気もするが。
離れていく2人を見ながら健輔と美咲はお互いに見つめ合った後に笑いだす。
「あれで早奈恵さんは付き合いがいいから。そこが真由美さんに遊ばれている原因なのに良く付いていけるわよね」
「なんだかんで真由美さんのやることは大抵付き合ってるからなー。仲が良いというか、そんな領域じゃない感じがするな」
親友という間柄の2人は正反対の性格なのによく噛み合っていた。
健輔も両者にお世話になっている身であるため、その辺りは良く知っている。
「でも……そっか。もう、後半年なんだね……」
「何が?」
「真由美さんたちと一緒に学ぶの」
「え……」
美咲の言葉に今更のことを健輔も思い出す。
既に時期は11月、健輔たちの入学から半年経った。
つまりは、残りの期間も半分に達しようとしている。
3年生たち最上級生組は当然、3月で卒業だった。
「なんていうか、『アマテラス』が終わっていろいろ考える余裕が出来たっていうのかな」
「……余裕ね。確かに俺も前は変なことで悩まなかったからな」
「考え物だよね。やれることが増えて、出来ることが増えたから今度はちょっと複雑な悩みが出てきて、それの対処で迷う」
「なまじ、時間もあるからな」
自分のことだけで精いっぱいだった1学期。
現状に馴染むだけで力を使い切り、僅かに未来に思いを馳せるぐらいしか出来ず日々を乗り越えるのが精いっぱいだった。
少しは余裕が出来て、努力が報われた時の達成感と挑むことの楽しさを教えてくれた2学期。
敗北続きからの勝利と、何より世界の広さを知れたのは何物にも勝る素晴らしい体験としか言えない。
そして、秋は今日まで全力で駆け抜けてきた。
脇目も振らずにただただ全力で戦えたのも後ろをしっかりと支えてくれた先輩たちがいたからである。
「後、半年か……。そう思うと、あれだな。短いな」
「……そうだね。何か先輩たちに返して上げれたらいいんだけど」
「おいおい、それは1つしかないだろう」
「え……。ああ、なるほど。うん、そうだね。頑張ろうか」
いつまでも自分のことだけを考えてはいられない。
彼らを支えてくれる先輩たちもいつかは去っていき、自分たちがその立場に立つ時がやってくるのだから。
何よりも受けたものは返すのが礼儀だろう。
健輔だけでなく、ここで手に入れた物を全員が大切に思っている。
「2年か」
「先の話よね」
2年、長いようで短い年月。
その時真由美のように成れているのか。
戦闘以外にも目を向けろ、その言葉の意味を健輔はもう1度よく考えてみるのであった。
「それで、そんな殊勝なことを俺に聞きにきたのか?」
「同性だと隆志さんが1番年上でしょう?」
真由美たちの喫茶店を後にして、次に向かうは隆志と妃里のところであった。
加工可能にした魔力、早い話が粘土のようなものにイメージを投影したりして物を作ることを目的とした店となっている。
出し物の中でも屈指の難易度誇るものであり、このクラスの平均錬度の高さが窺えた。
「言いたいことはわかるが、アドバイスはないぞ? こういうのはな、自然と身に付くのさ」
「自然と?」
「ああ、後輩に恥ずかしい姿を見せたくはない、と自覚さえして入れば自然とそうなる。お前の場合は誰に似るのかわからんがな」
「似る、ですか?」
「参考するのはかつて自分が見た先輩だよ。俺も、真由美も、妃里もそして早奈恵だってお前たちと同じ年だった時期があるんだからな」
そうやって受け継がれるものがある、と隆志は意味深に笑う。
今の健輔に理解は出来ても共感は出来なかった。
中学時代に後輩はいても何かを受け継がせるような間柄ではなかったし、何より意識したことなどなかったからだ。
そんな後輩の様子に皮肉めいたものではなく素直な笑みを向ける。
「この学校が特殊だと言うのもあるぞ? 自分でやることが多いから、やる気があるやつは勝手に大人になっていく」
「そう、なんですか?」
「お前だって、中学とは違うと思っただろう? 多少精神性に違いがあるぐらいで普通は高校と中学に大きな差などないさ」
天祥学園が大学部との連携を前提としている、というのもあるが基本的にカリキュラムが大学部に近い形となっている。
日本の学校の多くは基本的にスケール感の違いだけで根元に共通するものは同じだ。
勿論、学校ごとの特色はあるが、それは個性の範疇であるため勘案しない。
どちらが上とか優れているとかではなく、全般的な人間力を含めて育成するのがこの学園の方針である。
そのため、所々で生徒の権力、というべきものを大きくしているのだ。
「まあ、この学校の校風に合わないやつもいる。そういうのは1人でもやっていけるようになっているだろう? 選択肢はなるべく多く、そういうことさ」
「はあ、なんかまだまだいろいろありそうですね。この学校」
「国内唯一の魔導専門校は伊達ではない、ということだな。俺はいろいろやれて面白いと思うがね」
手元でいろいろとイメージを投射したり、手で形を変えたりしながら隆志と雑談に興じる。
最近、というわけでもないが隆志や和哉、剛志といった同性の先輩とは随分話す機会が増えていた。
やはり同性には相談しにくいことがある。
特に『クォークオブフェイト』のように美人が多いと尚更であった。
そういうのも乗り越えてきたのが彼ら先輩方である。
特に隆志は同学年に同性がいないという状況で耐えきった猛者だった。
その精神力はチーム男子の羨望を集めている。
「はあ……。なんていうか、大変なんですね」
「大変だと思えば大変だし、面白いと思えば面白いものだ。変化を楽しめるようになったら、お前さんも成長したってことだろう」
「なんかいまいちよくわからないですけど……」
「いつだってそんなものだよ。振り返れば口煩かった親や教師の言っていたことの意味がわかる。後悔とは良い漢字だと思うよ」
後で悔いる。
当たり前のことを実感し始めた時が年を取ると言うことだ、最後にそう締めくくって隆志は妃里と交代するため席を立つ。
今の健輔にはその辺りのことはさっぱりわからず、自分のことで手一杯だったが隆志が見せた背中はかっこいいと感じるのだった。
「隆志も言うようになったわね」
「そんなもんなんですか?」
「あのね? 女子に年を感じさせるようなことを聞いてどうすんのよ。私たちはともかく大学くらいでは気にしてくる人も出てくるんだから気をつけなさい」
「へい」
「はい、でしょう? まったく、戦闘能力は一人前なのに、それ以外は本当に駄目ね」
妃里のようなはっきりとした美人に蔑みの目で見られるのは男子高校生のピュアなハートには多大なダメージを与える。
健輔とて例外ではない。
彫が深く、さらにはきつい美貌を持つ妃里がやると破壊力抜群である
健輔に与えるダメージは絶大だった。
「……はぁ、鬱だ」
「いきなり、テンション下がったわね。……って、ああ、あれ、もしかして私のせい?」
「妃里さん、今度から日常ではサングラスしてもらったもいいですか。死にたくなります」
「いやよ。別にそこまで怒ってるわけでもないのよ? 目元がきついっていわれるだけで」
「はぁぁ……」
「ああ、もう、ごめんなさい! そんなに傷つける意図はなかったから」
根本が善人で多少思い込みは激しいがいい人である妃里。
チーム内でも屈指の包容力を持っているのだが、何故か健輔には当たりが厳しい。
健輔が基本的にうまいことやっていることも含めて、あまり怒られた経験がないため妃里のようにまずダメ出しからくる相手は苦手なのだ。
「本当に、もう! 意外とメンタル弱いのなんとかしなさいよ」
「出来るなら教えてくださいよ……」
チーム内では珍しく健輔とは相性が悪いと言える人物だ。
必然、健輔も微妙に避けるようになったのだが、困ったことに健輔以外の1年生には優しいため、ハブられているような悲しい気分を味わうことになる。
そういう部分も含めて、はっきり言ってあまり接触したく相手でもあった。
「そこ、魔力を注ぎ過ぎよ」
「……うっす」
一緒にいるだけでテンションが急下降する健輔を見て、実は妃里も困っていた。
真由美がいろいろと理由を付けて健輔を振り回しているが、その鞭は何も健輔にのみ降り注いでいるわけではない。
妃里や美咲、勿論優香や圭吾にもきちんと用意されているのだ。
基本的に真由美は1年生以外には過度の干渉は行わない。
上級生クラスになれば自己責任でよいだろうと思っているからだ。
そんな真由美が信条を曲げてまで妃里に課題を出した理由は簡単だった。
いい加減、健輔と歩み寄れ、というわけである。
健輔の被害妄想、というか過度の自虐もあるが、妃里が健輔に厳しいのは自明の理であった。
「かと言ってもね…。どうしよう」
妃里とて別に苛めたいわけでもなければ、気にいらないのでもないのだ。
健輔の努力は誰よりも評価しているし、先輩としても誇らしいことである。
なのに、目前にすると何故か憎まれ口が出てしまう。
「頑張らないとね」
ギクシャクしているようなら文化祭で解きほぐせと言う真由美の言葉を思い出して気合を入れ直す。
後輩だけでなく、先輩もまた己と戦っていることをまだ健輔は察することが出来ていなかった。