第112話
「祭り前の熱気を段々と感じるようになってきたな」
「そうだね。僕も参加したかったよ」
「ま、来年に期待しよう。いろいろ変わるらしいし、参加する余裕も出てくるんじゃないか」
男2人が慌ただしく動いている人たちを見ながら感想を言い合っている。
どこにでもあるベンチに座る彼らは何故か疲れ切った様子で周囲を見渡していた。
「人ごみに酔うとは思わなかったよ」
「唐突な民族大移動に巻き込まれたからな」
2人で校内を歩いていると文化祭の準備を行う生徒の群れに飲まれてしまったのだ。
あれよあれよと流された後に2人は気が付いたらベンチに座っていた。
まさに白昼夢を見たような気分である。
「そういえば、健輔は文化祭どうするんだい?」
「あん? そういう時はそっちから言うもんじゃないのか?」
「はは、言うね。ま、わかってる思うけど、大学部の方に行ってくるよ。3日目と最終日は空いてるけどね」
「ふーん」
圭吾の恋の行く末を応援はしているがあまり興味はなかった。
相手の魔導師としての実力には物凄く興味があったが、他人の恋路に割り込むほど空気が読めない男ではない。
他人の恋路に首を突っ込んでよいことになることなどほとんどないというのが健輔の主張である。
「俺はどうだろうなー。どこかは優香と回る、はずだ」
「アバウトだね。でも、寮に引き籠るのは無理だと思うよ」
「なんで?」
「今日のミーティング内容は?」
「ミーティング? ……あっ」
昨夜、連絡が来た今日のミーティング内容は『文化祭について』だった。
何を言われるのかはわからないが、1つだけ確かなことがある。
「部長が引き籠りなんて許してくれるはずないな」
「確実だろうね」
相変わらずどこか気合が入っていない2人はチャイムが鳴るまでそうして慌ただしく動く人の群れを観察しているのだった。
「はい、お疲れ様ー」
『お疲れ様です!』
「今日は楽ーなお話だから気を抜いてくれていいよー。お題は来週から始まる文化祭について、です!」
ワクワクした表情を見せる真由美はやたらとテンションが高い。
妙に燃え尽きた感のある健輔とは大きな違いである。
「来週の5日間つまりは平日の全てで文化祭は行われるわけですが、部長命令としてお伝えしておくことがあります!」
効果音が付きそうな感じでドヤ顔を披露する真由美。
空気が白けるも鋼の心臓を持つ彼女には大した効果もなく、自信満々に発表を行う。
「ズバリ! ちゃんとメンバーの出し物は回ること! 5日間引きこもりとかした場合はペナルティとして私の砲撃を受けてもらいます。最低1000回ぐらい」
「真由美の冗談はさておき、聞き取りした当番の日を集めたデータを送っておく。きちんと全員を見ろ、とまでは言わないが顔を出してくれると嬉しいだろう」
「……お兄ちゃんが冷たい」
「お前は偶に果てしなくめんどくさくなるな……」
噛み合ってない近藤兄妹を放って他の面々は転送されたデータに目を通す。
健輔にも義理があるのだ、顔を出さねばならないところは多い。
チームメイトは当然だが、おそらくクラウディアや立夏たち、後は桜香のところにも顔を出す必要がありそうだった。
人付き合いは積み重ねとは誰の言葉だったか、営業をやっているみたいで妙に疲れている心と合体してついつい溜息を吐いてしまう。
「溜息なんか吐いてどうしたの? 今日はなんか疲れてるわね」
「ああ、美咲か……」
「美咲か、ってどうしたのよ? 本当にしんどそうね」
「ああ、まあ……なんだ、いろいろあったんだよ」
もはやミーティングの体を成していない集まりは各々、好き勝手に文化祭の予定について話していた。
関係ないと言った感じで佇んでいるのは剛志だけである。
硬派な雰囲気を見せる先輩に少しだけ羨望を感じた。
男として周囲に流されない様は憧れる部分がある。
道を貫き通す、そういう姿勢は健輔にとっても見習いたかった。
「美咲は文化祭、誰かと回るのか?」
「初日と2日目は友達と回るかな。3日目はクラスの方に行って。4日目と最終日は空いてる感じ。そっちは?」
「どっかで優香と回るくらいかなー。なんかクラウディアも話があるとか言ってたけど」
「……へえー、オモテになりますね」
「どこが?」
「あんた、実はわざとやってるとかないわよね?」
「ん? 何をわざとやるんだよ」
要領を得ない美咲の物言いに健輔が戸惑う。
何が癇に障ったのかしらないが女性の理不尽な怒りほど対処に困るものはないのだ。
特に美咲には頭が上がらないのだから、真剣に勘弁して欲しかった。
「もう……。それじゃあ、私ともどこかで回ってくれる?」
「はぁ? まあ、世話になってるいいけど。じゃあ、4日目でいいか?」
「あっさりと受けてくれるわね……。はぁぁ……優香は大変だね」
「なんでそこで優香?」
「こっちの話よ。じゃあ、4日目よろしくね」
「へいへい」
あまりゆっくり出来なさそうな文化祭に今から微妙に気後れする。
元よりお祭りが向いていない健輔としては来週は苦行に満ちた1週間になりそうであった。
「試合が恋しい……」
戦闘が恋しいという妙なセンチメンタルを発症するが、時間に容赦などというものは存在せず僅かずつ確実に文化祭は近づいてきているのだった。
『美咲と優香、双方と回るのですか? お友達ならご一緒に回れば良いのに』
「なんでも優香は俺と回りたくて、美咲はお邪魔虫になるつもりはない、とかって言ってたな」
『お邪魔虫……』
ミーティングが終わり、寮に戻った健輔にクラウディアから着信が入っていた。
『陽炎』と制御を繋げて広域モードで音声を拾わせる。
無駄に発揮される『陽炎』の恩恵を受けて健輔は作業と並行しながらクラウディアに応対していた。
「ま、挨拶回りみたいなもんだからな。誰が一緒でも同じだよ」
『なるほど、挨拶回りということはどこにいくのかはもうお決めに?』
「ん? ああ、ある程度はな。送られてきた予定表とかも『陽炎』に整理してもらっただけなんだが、十分だろう」
『合理的だと思います。よろしかったらデータをいただだいても?』
「ああ、いいよ。頼むわ」
『了解しました』
文化祭の直前だからか、今日はイレギュラーな事が多い日である。
クラウディアとはそこそこ連絡も取っているがまさかの直接連絡とは思ってもみなかった。
美咲が何を言いたいのかということは検討が付いているのだが、健輔から言わせればそれはありえない考えだ。
優香はそういうことを考えてはいないと彼は思っている。
そもそもどこにそういう事になる切欠があったというのか、心当たりがあるなら美咲に聞いてみたいぐらいだった。
『ふむ、では、私は初日を予約しますね。こちらの文化祭、というのものは初めてですし、紳士的にエスコートしてもらえると嬉しいです』
「はいはい、鋭意努力をいたしますよ、お嬢様」
『ふふっ、ではまた来週に』
通話は切れて静寂な空気に包まれる。
誰もが浮かれた様子を見せる祭り前の空気、それが健輔は苦手であった。
彼はどちらかと言われれば脳筋と呼ばれる人種であり、人生を楽しんで生きることをモットーにしているのも事実だが、だからと言ってイベントごとが大好きだとは限らない。
かっこつけだと言われればそこまでだが、健輔としては祭りなどの空気は得意ではなかったのだ。
溶け込みきれないのを感じているのが理由としているが本当のところは本人にもわかっていない。
「はぁぁぁ……」
『マスター、最近溜息の回数が増えています。何かお悩みでも?』
「……ああ、なんていうか、トラブルが多発しててな。ちょっと、疲れてるわ」
予想よりもかなり早い周囲からの警戒。
あまりうまく組み立てていられない次の段階への道。
ある意味でスランプと呼べるものに突入しようとしていた。
大きな壁である九条桜香を打倒したからこそ、広くなった可能性に飲み込まれようとしているのだ。
『ならば、きちんとした休息を提案します。苦手だとのことですが文化祭はよい機会かと』
「それはわかるんだけどな……。こう、なんていうかやる気が、さ」
『マスターらしくありませんね。マイスターが言っていましたが燃え尽き症候群というやつですか?』
「里奈ちゃんは何を教えてるんだ……」
間違っていないのが厄介であるが、『陽炎』が言いたいことはなんとなくわかっていた。
魔導に関することは今まで我武者羅に取り込んできたのだ。
そこから鑑みれば、今のようにあれこれと理屈をつけて遠ざけようとしているのは、『陽炎』が言うように『らしくない』だろう。
「……まあ、いい気分転換にはなるか」
『一度すっぱりと離れるのも手だと思います。来週をしっかりと休息に充てるべきだと私は進言します』
文化祭を楽しむというのは健輔にはわからない感覚だが、それに付き合うのも一興だろう。
一匹狼を気取るわけでもないし、せっかく回ってくれるメンツもいるのだから有効活用すべきだった。
「そう、だな。このまま難しい顔をしても現状に変化はないし、来週はおもいっきり遊んでみるか」
『それがよろしいかと。私もデータ整理から、今後の推察などを行いますので』
「どうせだったら1日ぐらいは思考領域を洗浄しといても良いぞ。ちょうどいいからお前さんも少し休むといい」
『了解しました。初日にお休みをいただきます』
素直な魔導機に苦笑する。
自分は妙に駄々をこねていたのにこの差はなんなのかと笑えてきたのだ。
あれだけ悩んできた処々の出来事が途端にくだらないものに見えるのだから、人間とは単純なものである。
「俺に難しい顔は似合わない、か」
九条桜香を倒して少し勘違いをしていたのかもしれない。
多くの協力の上とはいえ最強を倒したのだ。
思い上がりの1つや2つは当然だろう。
自分の可能性が大きく拓けたように感じてしまったのだ。
「はは、分不相応だな」
結局のところ佐藤健輔は何も変わっていない。
自分を変えるのが1番難しいとはよく言ったものである。
つくづく格言というものはズバリと本質をついていた。
「気を張りすぎても意味はない、か。先輩の忠告はちゃんと取り込んでおかないとダメだな」
理解したつもりになっているのが1番危ないのだ。
そこに血が通っていないのならば無意味である。
「うわ、なんか急に恥ずかしくなってきたぞ」
ベットの上で最近の自分を振り返って羞恥に悶える。
暴れているマスターの行動を静かに記録している『陽炎』以外には誰も知らない健輔の羞恥の瞬間だった。
「ん、クラウ機嫌がいい。どうしたの?」
翌日、『天空の焔』の部室では鼻歌を歌うチームのエースの姿があった。
ここ最近難しい顔していた彼女は一転して春のような天真爛漫な笑顔を見せている。
「香奈子さん? いえ、文化祭が楽しみだなって思いまして」
「ん、いいこと。私のクラスは飲食関係だから面白くないけど、食べに来てくれたらサービスする」
「ありがとうございます。私のクラスはえーと、『トール』?」
『お化け屋敷の模様。魔力体で霊を再現する。他学年との共同』
「みたいです。準備に関係してませんから……」
クラウディアはその容姿と美貌で人気はある。
社交性も優香と比べれば軽く100倍はあるだろう。
しかし、根本の部分が草食民族日本人とは噛み合わないのだ。
無論、日本人にも肉食系はいるが生粋の狩猟民族には流石に及ばない。
日本人的な無意識の共有、例えば空気を読むなど、合わせるなどといったものを彼女が簡単に振り切ってしまう。
つまりはいい人だけど付き合いずらいという結論になるのだ。
よって、個人的に仲が良いものはかなり限られた人数となっていた。
「最近なにやら悩んでいたようですし、健輔とのお話は楽しみですね。ほのかさんにお聞きしましたがこの文化祭では男女の仲を深める意味もあるんですよね?」
「ん、青春の定番。頑張れ、クラウ!」
「べ、別にそういう意味でお誘いしたわけではないですが」
香奈子からすると赤い顔で言っても説得力が欠片も存在しない。
実際のところは男女の仲になりたいというよりも今はまだ、関係を深めたい程度だと察してはいた。
香奈子も人付き合いは苦手だが、女性である。
その程度の機微を察することは可能だった。
「ん、文化祭。少し楽しみ」
「香奈子さんもどこか回られるんですか?」
「ん、ほのかと一緒」
いよいよ文化祭の時期がやってくる。
それはある意味で今まで積み重ねてきたこの天祥学園での日々を振り返るものでもあるのかもしれない。
青春の1ページ、健輔の悩みも含めてどのようなことが起こるのか。
いよいよ、やってきた学校の祭典。
――天祥学園、文化祭開幕。




