二、しにかけちゃった
岩陰に倒れていたのは、よく日に焼けた小麦色の肌をした中年の男だった。舌をだらりとたれていて、顔には生気がない。しかしなかなか美的な顔をしてらっしゃる。あたしの趣味じゃあないけれど。
普通の旅人らしき服装で、特に武器や防具のようなものは身につけていない。ぱっと見た所、外傷らしきものは見当たらない。獣や野盗の類に襲われたわけではなくて、無理な旅を続けて過労で倒れたというところだろうか。
きちんと街道が整備されて、あちこちに中継地点となる村や町が出来てからはこういった行き倒れみたいなのはあんまり見なくなっていたのだけれど、それでもやっぱりこんな荒野の真っ只中を徒歩で踏破するのはなかなか厳しいものだ。あたしらほどじゃないにしろ、かなり無理をしたのだろう。
「行き倒れ、みたいだな。もう、息をしてないみたいだが」
ティムが岩陰に座り込んだまま、隣に転がる男を足でつつく。
死体のそばに平気で座り込めるとは、ティムもなかなかいい神経をしている。
あたしが起こさなかったら、あんたもその人と同じになってたかもしれないのにね。
エバをそっと地面に降ろして、つんつん、とあたしも鞘に収めたままの短剣でそいつをつついてみた。しかし、反応はない。
「……そうみたいね。後で埋めてあげましょう」
岩陰はあまり大きくないので、死体をどけないと休むことができない。
「えー、まよわず成仏しちゃってくださいねー」
ところが、あたしがその邪魔な死体をどけようと手をのばしたとたん、そいつはいきなりがばっと跳ね起きたのである。
「わ、わ、わ、あわわわ!!」
ゾ、ゾンビ?! あたしが思わず後ずさった時だった。
なぜかいきなりそいつはあたしの目の前で、土下座してしまったのである。
「な、なによこれ。どうゆこと?」
わけがわからず慌てるあたしの耳に、その男がかすれ声で何か言ったのが聞こえた。
「………ぃ」
「何か言ってるぞ」
ティムが無用心にも男に近付き、耳を貸す。
「ふんふん、なるほど」
「ねぇ、ティム。その人なんだって?」
あたしはその得体の知れない男を、横目で見ながら言った。
「おまえと握手したいんだとさ」
「あくしゅ? どうしてあたしがそんな変なやつと握手しなきゃなんないわけ?」
あからさまにいやな顔をしてみせる。
どう見てもさっきまで死体だったやつが、いきなり起き上がって「握手してくれ」と土下座してくるなんて、いったいどういう状況だっ?!
「アンデッドじゃないの、そいつ?」
剣を抜いて、構える。
すると男はまた何かをティムに言った。
「アンデッドじゃないってさ」
「……ほんとに?」
確かに通常のゾンビなどのアンデッドであれば、言葉を話したりするような明確な知性なんか残って無いわけで、その意味では確かにアンデッドでは無さそうなんだけれど。
さっき転がってたときって、ほんとどう見たって死体だったからなー……。
高度な知性をもつアンデッドがいない訳ではないけれど、何にしろアンデッドの類ってのはこんなお日様かんかん照りの場所で活動するようなものではないし、日が落ちてから出会ったのならともかく、今この場で活動しているわけだからアンデッドじゃないという言葉を信じてもよいかと思えた。
しかしアンデッドじゃないにしても、何らかの妖魔妖獣の擬態の可能性は捨てきれない。
なんでティムはあんな無用心に通訳なんかしてるんだっ!?
「握手って、何? なんであたしなの?」
剣を構えたまま、訊ねる。
男がまた何か言って。「……は?」なぜかティムが口ごもる。
「あー、えーっと、だな、俺が言ったんじゃないぞ? こいつが言ったんだからな?」
前置きをしてからティムが言う。
「お前でなきゃいけない理由は、どうせならかわいい女の子の方がいいから、だそうだ」
「は? なにそれ」
「でもって握手してくれないと、このひとは死んじゃうそうだ」
男は苦しそうに、へこへこと頭を下げる。
「あたしじゃなきゃだめなの? ……なんだかわけわかんないけどなぁ」
ちらっと男の方を見る。男、再び土下座する。
かわいい女の子と言われて悪い気はしなかったが、どうにも怪しい。
しかし、妖魔幼獣の類であればあたしが剣を構える前に襲い掛かってくればよかったわけで、その意味では「お願い」をしてくるというのは大した裏はない、とも考えられた。
「……そこまで言うなら握手くらいいいでしょ」
何が目的かはわからないけれど、こちらを害する意図はたぶん無いのだろう。
あたしは左手で剣を構えたまま、男に右手を差し出した。
たちまち男の顔に歓喜の表情が浮かぶ。そして何度もあたしに深く頭を下げる。
「いやねぇ、そこまで頭下げなくたっていい……」
あたしの言葉は途中で途切れた。男の冷たい手があたしの右手をそっと包んでいた。男の黒い瞳が、あたしの顔をじっと見つめる。
あ、あらいやだ。恥ずかしいじゃない。
そう思った瞬間、あたしは急速に身体から力が抜けていくのを感じた。それと対照的に、男の方は生気を取り戻していく。
剣を握っていられない。気がつくと短剣を地面に落としてしまっていた。
「お、おい。大丈夫か? ロナ」
あんまし心配していないような声で、ティムが言ったのが遠く聞こえた。
……だ、大丈夫じゃないやい……。
ふっと気が遠くなりかけたころ、男は突然あたしの手を離した。
とたんに意識が戻る。だがしかし、全身しびれたようになって動けない。炎々と焼け付くように太陽が照らしているのに、全身が氷のようになって冷たく感じる。
「……な、何をした、のよ、あたしに」
足に力が入らなくて、その場にへなへなと崩れ落ちてしまう。
「いやあ、どうもありがとうございました。御主人様。私、サーク=ローディアと申します」
さっきまでへーこらと土下座を繰り返していた男が、尊大に胸を張ってすっくと立ち上がった。
「……だから、あたしに、何をしたのって、聞いてんのよっ!?」
「今後、あなたが死ぬまでお仕え致します」
ええ~い、なんなんだいこいつはっ! 人の話を聞けっ!!
「あたしに何をしたのかって聞いてるのよ!!」
「精気を分けていただいただけですよ、ロナ様」
サークと名乗った男は、あたしの前に片膝をついてひざまずく。
「……吸血鬼?」
ティムが、一歩後ずさる。
「あんな下級妖魔といっしょにしないでください! 私はヴァラ族、不死の一族です。一族の誇りに誓って、了承なしに人の精気を奪ったりはしません!!」
サークはムキになって否定する。どーやら、過去に何かごたごたでもあったらしい。
いやしかし、握手しろって、あれであたしの了解取ったつもりなのか?
「……裁判所に訴えたら絶対あたしの勝ちよね? いきなり人にエナジードレインかますとか立派な殺人未遂じゃない」
「おやマスター、意外に元気ですね。けっこう思いっきり吸い取ったつもりだったんですが」
「……あたし殺す気だったんじゃないでしょうねっ!!」
怒鳴ると、サークは無言でにやりと笑った。
……こいつ、確信犯かっ!
あたしに仕えるだなんて言ってたけど、ぜったいこいつ、そんな気ないっ!